ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:憲法学者

itoumasami01
 今日は、大正時代の1919年(大正8)に、法学者・憲法学者・最高裁判所判事伊藤正己の生まれた日です。
 伊藤正己(いとう まさみ)は、兵庫県明石市において生まれ、兵庫県立第一神戸中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部へ入学しました。1943年(昭和18)に卒業後、高等試験司法科に合格、東京帝国大学特別研究生となって徴兵を免れ、当時は敵国であったイギリスやアメリカ合衆国の法律の研究を続けます。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に司法省調査課嘱託となり、翌年には、専修大学講師となりました。1948年(昭和23)に法務庁調査意見局調査員、そして、東京大学助教授となり、1954年(昭和29)には、米ハーバード大学・スタンフォード大学に留学します。
 1957年(昭和32)に留学から帰国後、東京大学教授に昇格し、1960年(昭和35)には、論文「言論・出版の自由」で、東京大学より法学博士の学位を取得、日本学士院賞を受賞しました。1967年(昭和42)にコロンビア大学法科大学院客員教授となり、1970年(昭和40)に東京大学法学部長を併任(~1972年)、1973年(昭和48)には、東京大学総長の特別補佐となります。
 1980年(昭和55)に最高裁判所判事に就任(第三小法廷)し、1986年(昭和61)の北方ジャーナル訴訟で、表現行為の事前差し止めは厳しく制限すべきだとの補足意見を付け、1988年(昭和63)の「自衛官合祀訴訟」の大法廷判決で、合憲判決にただ一人反対意見を表明するなど、法廷意見(多数意見)に対し、数多くの反対意見や補足意見を表明しました。1989年(平成元)に最高裁判所判事を定年退官し、1990年(平成2)には、日本育英会会長に就任、日本学士院会員ともなります。
 1993年(平成5)に勲一等旭日大綬章を受章、1994年(平成6)には、文化功労者となり、国際科学技術財団会長(~2004年)となりました。1999年(平成11)に文化勲章を受章しましたが、2010年(平成22)12月27日に、東京都新宿区の病院において、呼吸不全により、91歳で亡くなり、正三位を追叙されています。

〇伊藤正己の主要な著作

・『言論・出版の自由 その制約と違憲審査の基準』(1959年)
・『プライバシーの権利』(1963年)
・『憲法入門』(1966年)
・『憲法』(1982年)

☆伊藤正己関係略年表

・1919年(大正8)9月21日 兵庫県明石市において生まれる
・1943年(昭和18) 東京帝国大学法学部を卒業、高等試験司法科合格、東京帝国大学特別研究生前期へ入学する
・1945年(昭和20) 東京帝国大学特別研究生後期へ入学する
・1946年(昭和21) 司法省調査課嘱託となる
・1947年(昭和22) 専修大学講師となる
・1948年(昭和23) 法務庁調査意見局調査員となり、東京大学助教授となる
・1954年(昭和29) 米ハーバード大学・スタンフォード大学に留学する
・1957年(昭和32) 留学から帰国後、東京大学教授に昇格する
・1960年(昭和35) 論文「言論・出版の自由」で、東京大学より法学博士の学位を取得、日本学士院賞を受賞する
・1967年(昭和42) コロンビア大学法科大学院客員教授
・1970年(昭和40) 東京大学法学部長を併任(~1972年)する
・1973年(昭和48) 東京大学総長の特別補佐となる
・1980年(昭和55) 最高裁判所判事に就任(第三小法廷)する
・1986年(昭和61) 北方ジャーナル訴訟で、表現行為の事前差し止めは厳しく制限すべきだとの補足意見を付ける
・1988年(昭和63)「自衛官合祀訴訟」の大法廷判決で、合憲判決にただ一人反対意見を表明する
・1989年(平成元) 最高裁判所判事を定年退官する
・1990年(平成2) 日本育英会会長に就任、日本学士院会員となる
・1993年(平成5) 勲一等旭日大綬章を受章する
・1994年(平成6) 文化功労者となり、国際科学技術財団会長(2004年11月12日まで)となる
・1995年(平成7) 日本育英会会長の任期が満了する
・1999年(平成11) 文化勲章を受章する
・2010年(平成22)12月27日 東京都新宿区の病院において、呼吸不全により、91歳で亡くなり、正三位を追叙される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)日本画家菱田春草の誕生日詳細
1934年(昭和9)室戸台風が京阪神地方を直撃し、死者・行方不明者3,036人が出る詳細
1943年(昭和18)東条英機内閣において、「現情勢下ニ於ケル国政運営要綱」が閣議決定される詳細
1950年(昭和25)シャウプ使節団(第二次)の正式報告書全文(第二次シャウプ勧告)が出される詳細
1954年(昭和29)実業家・養殖真珠の創始者御木本幸吉の命日詳細
1968年(昭和43)小説家・評論家広津和郎の命日詳細
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sasakisouichi01
 今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に、憲法・行政法学者・貴族院議員佐々木惣一が亡くなった日です。
 佐々木惣一(ささき そういち)は、明治時代前期の1878年(明治11)3月28日に、現在の鳥取県鳥取市西町で、佐々木惣三郎の長男として生まれました。鳥取第一中学校(現在の鳥取西高)、旧制第四高等学校を経て、1903年(明治36)に、京都帝国大学法科大学を卒業します。
 その後、同大学講師を経て、1906年(明治39)に助教授となり、1909年(明治42)からドイツ、フランス、イギリスへ行政法研究のため3年間留学しました。帰国後、1913年(大正2)に京都帝国大学法科大学教授となり、法学博士も取得します。憲法および行政法の権威として、天皇機関説、民本主義を主張、美濃部達吉と共に、大正デモクラシーの理論的指導者として活躍、1916年(大正5)に「大阪朝日新聞」の朝刊1面で論文「立憲非立憲」を発表、1921年(大正10)には、京都帝国大学法学部長となりました。
 しかし、1933年(昭和8)に滝川幸辰教授の刑法思想をめぐる政府弾圧(滝川事件)に抗議して同僚とともに職を辞し、大学の自治を守り、転じて、1934年(昭和9)には、立命館大学学長となります。同年の東大森戸辰男筆禍事件では、特別弁護人として学問研究の自由を説き森戸を擁護しました。
 学界全体が大政翼賛運動に巻き込まれていくなかで、大政翼賛会違憲論を主張、1939年(昭和14)には、帝国学士院会員となります。太平洋戦争後、1945年(昭和20)に内大臣府御用掛として近衛文麿と共に、帝国憲法改正考査に携さわり、いわゆる「佐々木草案」を作成し、翌年には、貴族院議員に勅選され、新憲法審議にも参加しました。
 1947年(明治22)から、翌年にかけて、和辻哲郎と国体論争を展開しています。1952年(昭和27)に文化勲章を受章、併せて文化功労者となり、翌年には、京都市名誉市民ともなりました。しかし、1965年(昭和40)8月4日に、京都府京都市において87歳で亡くなり、叙正三位、勲一等瑞宝章を追贈されています。

〇佐々木惣一の主要な著作

・『日本行政法原論』(1920年)
・『立憲非立憲』(1918年)
・『日本憲法要論』(1930年)
・『わが国憲法の独自性』(1943年)
・『日本国憲法論』(1949年)
・『天皇の国家的象徴性』(1949年)
・『憲法学論文選』(1956~57年)
・『法の根本的考察』(1965年)

☆佐々木惣一関係略年表

・1878年(明治11)3月28日 現在の鳥取県鳥取市西町で、佐々木惣三郎の長男として生まれる
・1903年(明治36)7月 京都帝国大学法科大学を卒業する
・1906年(明治39)10月 京都帝国大学法科大学助教授となる
・1909年(明治42)9月 ドイツ、フランス、イギリスへ行政法研究のため3年間留学する
・1913年(大正2)1月 京都帝国大学法科大学教授となる
・1913年(大正2)12月 法学博士となる
・1916年(大正5) 「大阪朝日新聞」の朝刊1面で論文「立憲非立憲」を発表する
・1921年(大正10)4月 京都帝国大学法学部長となる
・1927年(昭和2) 退官した市村光恵に代わって憲法も担当する
・1929年(昭和4)以来 公法研究会、行政法判例研究会などを主宰する
・1933年(昭和8) 滝川幸辰教授の刑法思想をめぐる政府弾圧(滝川事件)に抗議して同僚とともに職を辞し、大学の自治を守る
・1934年(昭和9)3月 立命館大学学長となる
・1934年(昭和9) 東大森戸辰男筆禍事件では、特別弁護人として学問研究の自由を説き森戸を擁護する 
・1939年(昭和14)12月 帝国学士院会員となる
・1945年(昭和20)10月 京都帝国大学名誉教授となる
・1945年(昭和20)11月 内大臣府御用掛として憲法改正調査を拝命しいわゆる「佐々木草案」を作成する
・1946年(昭和21)3月 貴族院勅選議員に勅任される(翌年5月2日まで在任)
・1947年(明治22) 和辻哲郎と国体論争を展開する
・1952年(昭和27)11月 文化勲章を受章、併せて文化功労者となる
・1953年(昭和28)11月 京都市名誉市民となる
・1965年(昭和40)8月4日 京都市において87歳で亡くなり、叙正三位、勲一等瑞宝章を追贈される
・1965年(昭和40)8月21日 京都市公葬が営まれる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

770年(神護景雲4)第46代・48代の天皇とされる孝謙天皇(称徳天皇)の命日(新暦8月28日)詳細
1830年(文政13)幕末の思想家・教育者吉田松陰の誕生日(新暦9月20日)詳細
1897年(明治30)幕末の土佐藩士・政治家後藤象二郎の命日詳細
1944年(昭和19)初の集団学童疎開列車が東京の上野駅を出発する詳細
1992年(平成4)小説家松本清張の命日詳細
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