最初は京都を舞台に戦いが繰り広げられましたが、戦火は地方にも広がっていき、有力守護家内部における家督争いと有力守護大名間の対立も絡み合いました。1473年(文明5)に、細川勝元と山名宗全の両将が亡くなっても、まだ継続したものの、1477年(文明9年11月11日)に、大内軍が京から撤収し、終結します。
この戦いにより、京都は焦土と化し、将軍の権威は失墜、幕府体制・荘園制は破壊され、戦国大名の領国制が大きく展開されることとなりました。
以下に、この戦いを記した『応仁記』の冒頭の一部を現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1045年(寛徳2) | 第69代の天皇とされる後朱雀天皇の命日(新暦2月7日) | 詳細 | |||||
1657年(明暦3) | 江戸で明暦の大火(振袖火事)が起こり、死者10万人以上を出す(新暦3月2日) | 詳細 | |||||
1911年(明治44) | 大逆事件で起訴された幸徳秋水ら24人に死刑判決が出される | 詳細 | |||||
1944年(昭和19) | 「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員が強化される | 詳細 | |||||
1957年(昭和32) | 植物学者牧野富太郎の命日 | 詳細 | |||||
1984年(昭和59) | 三井三池炭鉱有明鉱(福岡県)で坑内火災が起き、死者83人、負傷者13人を出す | 詳細 |