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 今日は、江戸時代前期の1649年(慶安2)に、江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日ですが、新暦では4月7日となります。
 慶安御触書(けいあんおんふれがき)は、江戸幕府が農村を対象に公布したとされる32条からなる触書でした。しかし、幕府の出したものではなく、甲斐の甲府藩領で江戸時代中期に発布されていたものが流布し、美濃国岩村藩で江戸時代後期(文政年間)に出版され、これが各地に広がったといわれています。
 19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録『徳川実紀』や明治時代前期に司法局が編纂した幕府法令集『徳川禁令考』に収録されているので、幕府の法令だと誤られたとの説が有力です。しかし、一部の地域では流布していたとも考えられ、内容については、農民の日常生活、農業経営、農民の心得などを細かく規制したものとなっていました。
 以下に、「慶安御触書」を全文、現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「慶安御觸書」 (全文) 1649年(慶安2年2月26日)発布 

 慶安御觸書

慶安二丑年二月廿六日

  諸國郷村江被仰出

一 公儀[1]御法度[2]を怠り、地頭[3]代官[4]之事をおろかに不存、扨又[5]名主、組頭[6]をハ眞の親とおもふへき事。

一 名主・組頭[6]を仕者、地頭[3]代官[4]之事を大切に存、年貢を能濟。公儀[1]御法度[2]を不背、小百姓[7]身持[8]能仕樣に可申渡、扨又[5]手前之身上[9]不成、萬不作法[10]に候得ハ、小百姓[7]に公儀[1]御用之事申付候而もあなとり、不用物に候間、身持[8]を能致し、不便[11]不仕樣に常々心掛可申事。

一 名主心持、我と中惡者成共、無理成儀を申かけす、又中能者成共依怙贔屓[12]なく小百姓[7]を懇[13]にいたし、年貢割役等之割、少も無高下[14]、ろく[15]に可申渡、扨又[5]小百姓[7]ハ名主・組頭[6]之申付候事、無違背[16]念を入可申事。

一 耕作に情を入田畑之植樣、同拵に念を入、草はへさる樣に可仕、草を能取、切々作之間江鍬入仕候得ハ、作も能出來取實[17]も多有之付、田畑之堺ニ大豆ニ豆なと植、少もとりとも可仕事。大豆以下恐有誤脱

一 朝おきを致し、朝草を苅、晝ハ田畑耕作にかゝり、晩にハ繩をない、たわらをあみ、何にてもそれそれの仕事、無油斷[18]可仕事。

一 酒・茶を買のみ申間敷候。妻子同前之事。

一 里方[19]ハ居屋敷之廻りに竹木を植、下葉共取、薪を買候ハぬ樣に可仕事。

一 萬種物、秋初ニ念を入ゑり候て、能種を置可申候、惡種を蒔候得ハ作毛[20]惡敷候事。

一 正月十一日前に毎年鍬のさきをかけ[21]、かまを打直し能きれ候樣ニ可仕、惡きくわにてハ田畑おこし候にはか[22]ゆき候ハす、かまもきれかね候得ハ、同前之事。

一 百姓ハこへはい[23]調置き候儀、專一[24]ニ候間、せつちん[25]をひろく作り、雨降り候時分、水不入樣に仕へし、それニ付、夫婦かけむかい[26]のものニ而馬をも持事ならすこへため申候もならさるものハ庭之内ニ三尺に二間程にほり候而其中へはきため[27]又ハ道之芝草[28]をけつり入、水をなかし入、作りこゑを致し、耕作へ入可申事。

一 百姓ハ分別[29]もなく、末の考[30]もなきものニ候故、秋ニ成候得ハ、米雜穀[31]をむさと[32]妻子ニもくハせ候、いつも正月二月三月時分[33]の心をもち、食物を大切ニ可仕候ニ付、雜穀[31]專一[24]ニ候間、麥粟稗菜大根其外何に而も雜穀[31]を作り、米を多く喰つふし候ハぬ樣に可仕候、飢饉[34]之時を存出し候得ハ、大豆の葉、あつきの葉、さゝけの葉[35]、いもの落葉なと、むさと[32]すて候儀ハ、もつたいなき[36]事に候。

一 家主子共下人[37]等迄、ふたん[38]は成程[39]踈飯をくふへし、但田畑をおこし、田をうへ、いねを苅、又ほねをり[40]申時分ハ、ふたん[38]より少喰物を能仕、たくさんにくハせつかひ可申候、其心付[40]あれは情を出すものに候事。

一 何とそいたし[41]、牛馬之能を持候樣ニ可仕、能牛馬ほとこへをたくふむものに候、身上不成ものハ是非不及、先如此心かけ可申候、幷春中牛馬に飼候ものを、秋さき支度可仕候、又田畑江かりしき[43]成共、其外何こへ成とも能入候得ハ、作にとりみ有之候事。

一 男ハ作をかせき、女房ハおはた[44]をかせき、夕なへ[45]を仕、夫婦ともにかせき可申。然ハみめかたちよき[46]女房成共、夫の事をおろかに存、大茶をのみ[47]、物まいり[48]遊山[49]すきする女房を離別すへし、乍去子供多く有之て、前廉[50]恩をも得たる[51]女房ならハ格別[52]なり。又みめさま惡候共、夫の所帶[53]を大切ニいたす女房をハ、いかにも懇可仕事。

一 公儀[1]御法度[2]何に而も不相背、中ニも行衛不知牢人[54]、郷中ニ不可抱置、夜盗同類又ハ公儀[1]御法度[2]に背候徒者[55]なと、郷中江隱居、訴人有之、而公儀江召連參、御詮議[56]中久々相詰候得ハ、殊外[57]郷中の草臥[58]候、又ハ名主組頭長百姓[59]幷一郷之惣百姓[60]ににくまれ候ハぬ樣に、物毎正直に徒成る心持申間敷候事。

一 百姓は、衣類之儀、布[61]、木綿より外ハ帶衣裏ニも仕間敷事。

一 少ハ商心も有之而、身上[9]持上ケ候樣に可仕候。其子細ハ、年貢之爲に雜穀[31]を賣候事も、又ハ買候にも、商心なく候得ハ、人にぬかるゝものに候事。

一 身上[9]成候者のハ格別、田畑をも多く持不申、身上[9]なりかね候ものハ、子共多く候ハゝ人にもくれ、又奉公をもいたさせ、年中之口すき[62]のつもりを能々考可申事。

一 屋敷之前の庭を奇麗ニ致し、南日向を受へし是ハ稻麥をこき[63]、大豆をうち、雜穀[31]を拵候時、庭惡候得ハ、土砂ましり候而、賣候事も直段安く、事の外しつゝい[64]に成候事。

一 作の功者成人に聞、其田畑の相應したるたねをまき候樣に、毎年心かけ可申事。付り、しつきみ[65]ニ作り候て能き物有之、しつきみ[65]を嫌候作も有、作ニ念入候得ハ下田[66]も上田[67]の作毛[20]ニ成候事。

一 所にハよるへく候得共、麥田に可成所をハ、少成共見立[68]可申候、以來ハれんれん麥田に成候得ハ、百姓之ため大き成德分[69]に候、一郷麥田を仕立候得ハ、隣郷も其心付有之物に候事。

一 春秋灸[70]をいたし煩候ハぬ樣ニ常ニ心掛へし何程作ニ情を入度と存候而も、煩候得ハ、其年之作をはつし、身上[9]つふし申ものニ候間、其心得專一[24]なり、女房子共も同前之事。

一 たは粉のみ申間敷候。是ハ食にも不成、結句[71]以來煩ニ成ものニ候。其上隙もかけ代物[72]も入、火の用心も惡候。万事ニ損成ものニ候事。

一 年貢出し候儀、反別ニかけてハ一反ニ付何ほと、高にかけてハ一石に何程、割付差紙[73]地頭[3]代官[4]よりも出し候、左候得ハかうさくに入情を能作り、取實[17]多く在之ハ、其身の德に候、惡候得ハ入不知身上のひけ[74]に候事。

一 御年貢皆濟[75]之砌、米五升六升壹升ニつまり、何共可仕樣無之時、郷中をかりあるき候得共、皆濟時分互ニ米無之由かさゝるニよつて、米五升壹斗ニ子共又ハ牛馬もうられす、農道具着物なと、うらむとおもへハ、金子壹分ニ而仕立候を五六升にうるもにかにか敷[76]事に候、又賣物抔不申ものは、高利[77]にて米を借り候ハ彌しつゝい成る事に候、地頭[3]代官[4]より割付出候而其積りを仕、不足に付てハまへかと[50]かり候て可濟、前廉[50]ハ借物の利足もやすく、うる物もおもふまゝ成へし、尤可納米をもはやく納へし、手前[78]に置候ほと鼠も喰、盗人火事其外万事ニ付大き成損ニて候、籾をハ能干候て米にするへし、なまひ[79]なれはくたけ候て米立候、能々[80]心得可有事。

一 身持[8]を惡敷いたし、其外之年貢不足ニ付、たとへハ米を二俵ほとかり、年貢ニ出し、其利分年々積り候得ハ、五年ニ本利之米拾五俵ニ成ル、其時ハ身躰をつふし[81]、妻子をうり、我身をもうり、子孫共に永くくるしむ事に候、此儀を能々[80]かんかへ、身持[8]を可仕候、まいかと米二俵之時分ハ少之樣ニ存候得共、年々之利分積り候得ハ如斯候、扨又何とそいたし米を二俵ほともとめ出し候得ハ、右之利分くハへ、拾年目ニ米百十七俵持候て、百姓之ためニ其うとく[82]成事無之哉。

一 山方[83]ハ山のかせき、浦方[84]ハ浦々のかせき、それそれに心を付、毎日無油斷[18]身をおしますかせき可申候、雨風又ハ煩隙入[85]候事も可有之間、かせきにてもうけ候物を、むさと[32]遣候ハぬ樣に可仕事。

一 山方[83]浦方[84]にハ人居も多、不慮[86]成かせきも在之、山方[83]に而ハ薪材木を出しからるいを賣出し、浦方[84]に而ハ鹽を燒魚を取商賣仕ニ付、いつもかせきハ可有之と存、以來之分別もなく、儲候物をも當座[87]にむさと[32]つかひ候故、きゝん[34]の事なとハ里方之百姓より一入迷惑仕、餓死するものも多く有之と相聞候間、飢饉[34]之年之苦勞常々不可忘事。

一 獨身之百姓隙入候而又煩、田畑仕付兼候時ハ、五人組[88]惣百姓[60]助合、作あらし候ハぬ樣に可仕候、次に獨身之百姓田をかき苗を取、明日ハ田を可植と存候處を、地頭[3]代官所、又ハ公儀[1]之御役にさゝれ[89]、五日も三日も過候得ハ、取置候苗も惡敷成、其外之苗も節立、植時過候故其年之作毛[20]惡敷故、實もすくなく、百姓たをれ候、田植時はかりニ不限、畑作ニもそれそれの植時蒔時ののひ候得ハ作も惡敷候、名主組頭[6]此考を仕、獨身百姓右申すことく役にさゝれ[89]候時ハ、下人[37]共抔よき百姓ニさしかへ、獨身の百姓を介抱[90]可申事。

一 夫婦かけむかい[26]の百姓にて身上[9]も不成、郷中友百姓に日ころいやしめられ候ても、身上[9]を持上米金をたくさんに持候得ハ、名主おとな百姓[91]をはしめ、言葉ニても能あいしらい<[93]に居候者をも上座へなをし馳走[94]仕るものニ候、又前かと身上[9]能百姓もふへん[11]仕す親子親類名主組頭[6]迄も言葉を不掛、いやしむる[95]者に候間、成程[39]身持[8]を能可仕事。

一 一村之内にて耕作ニ入情を身持[8]よく致し身上[9]好もの一人あれハ其まねを仕郷中之ものみなよくかせくものに候、一郡之内ニ左樣なる在所一村有之ハ一郡皆身持[8]をかせき候左候得ハ一國之民皆豐に成其後ハ隣國迄も其ひゝきあり[96]、地頭[3]ハ替もの、百姓ハ末代其所之名田[97]を便とするものに候間、能く身持[8]を致し、身上[9]能成候者、百姓之多きなる德分[68]にては無之哉、扨又[5]一郷ニ徒なる無法もの[1]一人あれは、郷中皆其氣にうつり、百姓中間の言事不絶、公儀[1]之御法度[2]なと背き候得ハ、其者を奉行所へ召連參、上下之造作[99]、番等以下之苦勞、一郷之費[100]大き成事、物毎出来候はぬ樣ニ、みなみなよく入念、此趣ハ名主たるもの心に有之、能々[79]小百姓[7]ニおしへ申へし。
  附隣郷之者共中能、他領之者公事[101]抔仕間敷事る。

一 親に能々[79]孝行之心深くあるへし、おやニ孝行之第一ハ、其身無病ニて煩候ハぬ樣ニ、扨又[5]大酒を買のみ、喧嘩すき不仕樣に、身持[8]を能いたし、兄弟中よく、兄ハ弟をあわれみ、弟ハ兄に隨ひ、たかいにむつましけれハ、親殊之外悦ものニ候、此趣を守り候得ハ、佛神之御惠もありて、道ニも叶、作も能出來、とりみ[17]も多く有之ものニ候、何程親に孝行の心有之も、手前ふへん[11]ニ而ハ成かたく候間、なる程[95]身持[8]を能可仕候、身上不成候得ハ、ひんくの煩も出來、心もひかみ、又ハ盗をも仕、公儀[1]御法度[2]をも背、しはりからめられ、籠に入又ハ死罪[102]はり付[103]なとニかゝり候時ハ、親之身ニ成てハ、何程悲しく可有之候、其上妻子兄弟一門之ものニもなけきをかけ恥をさらし候間、能々[79]身持[8]を致しふへん[11]不仕樣ニ毎日毎夜心掛申へき事。

右之如くニ物毎入念、身持[8]をかせき申へく候。身持[8]好成、米金雜穀[31]をも持候ハゝ、家をもよく作り、衣類食物以下ニ付心之儘なるへし、米金雜穀[31]を澤山ニ持候とて、無理ニ地頭[3]代官[4]よりも取事なく、天下泰平之御代[104]なれは、脇よりおさへとる者も無之、然ハ子孫迄うとく[81]に暮し、無間[105]きゝん[34]之時も、妻子下人等をも心安くはこくみ[106]候、年貢さへすまし候得ハ、百姓程心易きものハ無之、よくよく此趣を心かけ、子々孫々迄申傳へ、能々[79]身持[8]をかせき可申もの也。

 慶安二年丑二月廿六日

     『徳川禁令考』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。
 
【注釈】

[1]公儀:こうぎ=幕府または将軍のこと。
[2]御法度:ごはっと=法令。
[3]地頭:じとう=知行地を持つ旗本のこと。
[4]代官:だいかん=幕府直轄地を支配する地方官のこと。
[5]扨又:さてまた=ところでまた。なおまた。
[6]組頭:くみがしら=名主を補佐する村役人。
[7]小百姓:こびゃくしょう=村役人以外の一般の百姓のこと。
[8]身持:みもち=孝行。行状。暮らし向き。財産。
[9]身上:しんしょう=暮らし向き。財産。身代。
[10]無作法:ぶさほう=礼儀作法を知らないこと。乱暴なふるまい。
[11]不便:ふべん=物事が思うようにうまくいかないこと。貧しいこと。困窮。
[12]依怙贔屓:えこひいき=一方に肩入れすること。
[13]懇:ねんごろ=親切。ていねい。
[14]高下:こうげ=上げ下げ。区別。差別。
[15]ろく:水平。平等。まっすぐ。
[16]違背:いはい=命令・規則などに背くこと。違反。
[17]取實:とりみ=収穫。実り。
[18]油断:ゆだん=手抜かり。注意を怠ること。
[19]里方:さとかた=平野部の地域。平坦地。農村。
[20]作毛:さくもう=農作物のこと。作物の実り。作柄。
[21]鍬のさきをかけ:くわのさきをかけ=摩耗した鍬の先端に新たに刃金を付け直して修理すること。
[22]はか:仕事の進み具合。
[23]こへはい:こえはい=肥灰。苗草にあたる青草と山野の草木を焼いた肥料のこと。
[24]専一:せんいつ=一つの仕事に心がけること。第一。随一。
[25]せっちん:雪隠。便所。厠。
[26]かけむかい:差し向かい。夫婦二人きりの生活。
[27]はきため:ごみ捨て場。ごみため。
[28]芝草:しそう=しばくさ。しば。
[29]分別:ふんべつ=物事の道理。明白。確かなこと。
[30]末の考:すえのかんがえ=先々に対する思慮。
[31]雑穀:ざっこく=米と麦を除く、稗、粟、黍、蕎麦などの穀類の総称。
[32]むざと:無分別に。むやみに。無駄に。惜しげもなく。
[33]正月二月三月時分:しょうがつにがつさんがつじぶん=収穫のない時期の意味。
[34]飢饉:ききん=天候異変などで、農作物の収穫が少なく、食糧が欠乏すること。
[35]さゝけの葉:ささげのは=大角豆(マメ科の一年生植物)の葉。
[36]もったいなき:惜しい。残念。不届きな。
[37]下人:げにん=奉公人。使用人。
[38]ふたん:ふだん=不断。日頃。平常。
[39]成程:なるほど=できるだけ。可能な範囲で。
[40]ほねをり:苦労すること。精を出して働くこと。努力。
[41]心付:こころつき=注意すること。気を配ること。
[42]何とぞいたし:なにとぞいたし=どうかして。なんとかして。
[43]かりしき:施肥の一つ。刈り取った芝草の堆肥。
[44]おはた:苧の機織。からむし。麻織物。
[45]夕なへ:ゆうなべ=夜なべ。夜の仕事。
[46]みめかたち:顔立ちと姿。容貌風姿。
[47]大茶をのみ:おおちゃをのみ=人を招いて茶のみ話をする。
[48]物まいり:ものまいり=寺社に参詣すること。
[49]遊山:ゆさん=行楽。見物。気晴らしに遊ぶこと。
[50]前廉:まえかど=前々。以前。まえもって。あらかじめ。
[51]恩をも得たる:おんをもえたる=世話になる。
[52]格別:かくべつ=とりわけ。特別。例外とするさま。別として。ともかくとして。
[53]所帯:しょたい=家屋。財産。暮らし向き。
[54]牢人:ろうにん=職を離れた者。
[55]徒者:いたづらもの=不義をする者。ならず者。
[56]詮議:せんぎ=罪人の取り調べ。吟味。
[57]殊外:ことのほか=格別。はなはだ。
[58]草臥:くたぶれ=疲弊すること。
[59]長百姓:おさびゃくしょう=年寄、村内の有力百姓。
[60]總百姓:そうびゃくしょう=すべての百姓。
[61]布:ぬの=麻布のこと。
[62]口すき:くちすき=生計。
[63]こき:稲などを脱穀すること。
[64]しつゝい:しっつい=浪費。損失。
[65]しつきみ:しっけみ=湿り気。
[66]下田:げでん=田を等級分けした下級の土地。
[67]上田:じょうでん=田を等級分けした上級の土地。
[68]見立:みたて=見込みを付ける。選ぶ。判断する。
[69]徳分:とくぶん=分け前。取り高。もうけ。
[70]灸:きゅう=もぐさによる漢方療法の一つ、もぐさを焼いて病を治療すること。
[71]結句:けっく=結局。とどのつまり。
[72]代物:だいもつ=代金。代銭。
[73]差紙:さしがみ=指令。年貢割付状のこと。
[74]ひけ:価額などを減ずること。
[75]年貢皆済:ねんぐかいさい=年貢を残らず納めること。
[76]にかにか敷:にがにがしき=苦々しき。甚だ不愉快な。
[77]高利:こうり=通常より高い利率。
[78]手前:てまえ=自分のもと。自分の所。
[79]なまい:干し方が十分でないこと。
[80]能々:よくよく=念には念を入れ。充分に。
[81]身躰をつふし:しんたいをつぶし=生計が成り立たないこと。
[82]うとく:有徳。富裕。裕福。
[83]山方:やまかた=山村。山間地方。
[84]浦方:うらかた=漁村。海岸地方。
[85]隙入:ひまいり=時間をとられる。手間取る。
[86]不慮:ふりょ=思いがけないこと。意外なこと。
[87]当座:とうざ=その場。当面。しばらくの間。
[88]五人組:ごにんぐみ=庶民の隣保組織で相互扶助と相互監視を目的とした。
[89]さゝれ:さされ=名指しされること。指名されること。
[90]介抱:かいほう=世話をする。保護する。
[91]おとな百姓:おとなびゃくしょう=村内の有力な百姓。
[92]あいしらい:あしらい。扱い。応対する。もてなす。
[93]末座:まつざ=末席。下座。
[94]馳走:ちそう=饗応すること。もてなし。振る舞い。
[95]いやしむる:卑しむる。見下げる。さげすむ。
[96]ひゝきあり:ひびきあり=影響がある。
[97]名田:みょうでん=先祖から代々受け継がれてきた田地。
[98]無法もの:むほうもの=無法者。道理を外れた者。無茶な者。
[99]造作:ぞうさ=面倒。厄介。手数。出費。費用。
[100]費:ついえ=出費。無駄。損失。
[101]公事:くじ=争い事。争論。
[102]死罪:しざい=七種の死刑の一つで、斬首の後死骸は試し切りされる。
[103]はり付:はりつけ=柱に罪人を縛り付け、槍などで突き刺す刑。
[104]御代:みよ=治世のこと。よく治まっている世の中。太平の世。
[105]無間:むげん=無間地獄のこと。八大地獄の一つで、最悪のもので、絶え間のない責苦が続くところ。
[106]はこくみ:はぐくみ=育むこと。大切に守り、大きくする。養い育てる。 

<現代語訳>

慶安御觸書

慶安2丑年(1649年)2月26日

  諸国郷村へ被仰出

一 幕府の法令を守らなかったり、領主の旗本や天領の代官のことをおろそかに思ったりせず、なおまた、村の名主や組頭をほんとうのの親と思いなさい。

一 名主や組頭をしている者は、領主の旗本や天領の代官のことを大切に思い、年貢をよく納め、幕府の法令にそむかないで、一般の百姓の暮らし向きをよくする樣にすべきことを申し渡す。なおまた、自身の身代が成らずに何事につけても乱暴にふるまったならば、一般の百姓に幕府の御用の事を申し付けても、あなどって言うことを聞かないものなので、暮らし向きをよくして、不都合なことをしない樣に、常々心がけるようにすべきことである。

一 名主の心得として、自分と仲の悪い者であっても、無理な事を申し渡さず、また仲の良い者といえどもえこひいきなく、一般の百姓にも親切にして、年貢や割役等の割り当ては、少しも差別なく、平等に申し渡すべきである。なおまた、一般の百姓は名主や組頭の申し付たことに違反がないよう、念を入れるべきように申すことである。

一 耕作に精を出し、田畑の植栽は同様になるように念を入れ、草を生やさないよう、草をよく取り、こまごまと作の間に鍬を入れるべきである。そうすれば、作柄も良くなり、収穫も多くなる。田畑の畦に、大豆や(小?)豆などを植えて、多少でも収穫できるようにすべきことである。大豆以下おそらく誤脱がある

一 朝は早起きをして草を刈り、昼は田畑の耕作をし、夜は縄をない、俵を編み、どんな仕事でも手を抜かないようにせよ。

一 酒・茶を買って飲んではならない。妻子も同様である。

一 農村の者は屋敷の周りに竹や木を植え、下草などを刈って使い、薪を買ったりしないようにすべきことである。

一 すべての種物は、秋の初めに念を入れて選び、良い種を取り置くべきで、悪い種を蒔いたならば、作柄も悪くなることである。

一 1月11日前に毎年鍬の先の刃金を付け直し、鎌を打直し、よく切れるようにしておくべきである、惡い鍬では田畑を起こす時に能率が悪く、鎌も切れなければ同様である。

一 百姓は肥料を用意しておくことである。第一には、便所を広く作り、雨が降りやすい季節には、水が入らないように設え、それについては、夫婦二人きりの生活のものであって、馬をも持つ事ができないで、堆肥もできないものは、庭の内に三尺に二間程に穴を掘って、その中へごみをため、または道の芝草を刈って入れ、水を流し入れて、堆肥を作成し、田畑へ入れるようにすべきことである。

一 百姓は分別もなく、先々のことも考えない者であるから、秋になると米・雑穀をおしげもなく妻子へ食べさせてしまうことになる。常に(食物の少ない)正月・二月・三月の頃の気持ちを持って、食物を大切にするべきだ。ついては、雑穀が第一であるから、麦・粟・稗・菜・大根、その他何でも雜穀を作り、米を多く食べないようにしなければならない。飢饉の時を考えれば、大豆の葉・小豆の葉・ささげの葉・いもの落葉なども惜しげもなく捨てることは、もったいないことである。

一 家主・子共・下人などまで普段はなるべく粗食を食べるべきである、ただ田畑を起こし、田植えをし、稲を刈り、また苦労をして働いた時は、普段より少しは食物を良くし、たくさん食べさせるようにすべきである、その気配りがあれば、仕事に精を出すものであることだ。

一 なんとかして、牛馬のよいものを持つ樣にするべきだ、よい牛馬ほど肥を多く作るものである、身代が成らないものはいうまでもなく、まずこのように心がけるべきように申すことだ、ならびに春中の牛馬の飼料を、秋先に用意をすべきで、また田畑へ堆肥を入れ、その外どんな肥料でもよく入れたならば、作柄や収穫が良くなることである。

一 男は農業に精を出し、女房は苧の機織で稼ぎ、夜なべ仕事をして、夫婦共に稼ぐようにすべきである。したがって、見てくれの良い女房でも、夫の事をおろかにし、おおいに人を招いて茶飲み話をし、社寺への参詣や行楽を好む女房は離縁しなさい。しかし、子供が多くあり、以前から世話になっている女房ならば別である。また、見た目は悪くても、夫の家庭を大切にする女房は、とにかく大切にすることである。

一 幕府の法令は何にしても違反してはならない。中でもわけのわからない牢人を村中に抱え置いてはいけない。夜盗も同類で、または幕府の法令に違反するならず者など、村中に隱れて居て、訴人があったならば、公儀へ召し連れてきて、取り調べされる中、長々と久々相詰候得ハ、ことのほか村中が疲弊してしまう、または名主や組頭、有力な百姓ならびに一村のすべての百姓ににくまれない樣に、物ごと正直に徒成る心持を申しておくことである。

一 百姓の衣類については、麻布・木綿以外は帶や衣の裏地にも使ってはならない。

一 少しは商売の心構えを持って、財産を増やすようにせよ。その理由は、年貢を納めるために雑穀を売る時に、また買う時にも、商売の心得がなかったら人に出し抜かれるからである。

一 身代がある者は別で、田畑をも多く持っているならよいが、身代がない者は子供が多くいるならば、他人に養子に出し、また(商店等に)奉公もさせて、一年間の生計をよくよく考えるべきことである。

一 屋敷の前の庭をきれいにし、南向きの陽が差すようにし、これは、稲や麦を脱穀し、大豆をうち、雜穀をこしらえようとするとき、庭がきたなくて、土砂が混じったならば、売ろうとする時も直段が安く、存外な損失になるということである。

一 作付けの上手な人に聞き、その田畑に相応した種を蒔くように、毎年心がけるべきことである。
  付属、湿り気に作ってもよい物もあり、湿り気を嫌って作ってもよい物もあり、作に念を入れたならば、下田も上田の作柄になることである。

一 場所にはよる事だけれど、麦田になるような場所を少しでも見つけるべきだ。その後は連年に渡って麦田になったならば、百姓のために大き利益になり、一つの村で、麦田を仕立てたならば、隣の村もそれに気を配るようにになることである。

一 春秋は灸を施療し、病気にならないように常に心掛けるべきだ。どんなに、耕作に精を出しても、病気になってしまえば、その年の耕作をだめにし、身代をつぶしてしまうものだから、その心得が第一であり、女房や子供も同様のことである。

一 たばこを吸ってはならない。これは食の足しにもならず、結局、後に病気になるだけなのである。その上、時間もかかり、代金もいり、火の用心にも悪い。すべてに損となるものである。

一 年貢を出すことについては、反別にかけては一反に付何ほど、石高にかけては一石に何ほどという年貢割付状を領主の旗本や天領の代官よりも出すところだ。そのようであれば、耕作に精を出してよく作り、収穫が多くあれば、自身の利得であり、収穫が悪かったならば、収入が減り身代の減少となることである。

一 年貢を残らず納めることのおり、米五升、六升、壹升に困り、どうしようもできない時、村中を借り歩いても、みな年貢納入時期は互いに米が無いという理由で、貸すことができないことにより、米五升、壹斗に子共または牛馬も売ることができず、農機具、着物などを売ろうと思えば、一分のお金で仕立てたものを五六升のために売るのも苦々しいことである。また売り物を持っていない者は、高い利息で米を借りたならば、より一層の損失になる事である。領主の旗本や天領の代官より年貢の割付が出されたならば、その年貢米の量を考えて、不足については早い時期から借りて済ますべきである。早い時期ならば借物の利息も安く、売る物も思うままになるであろう。もっとも納入すべき年貢米は早く納めるべきだ、自分の所に置いておくほど鼠にも食われ、盗人や火事、その他何事につけても大きな損失になる。籾はよく乾燥して米にするべきだ、生乾きならば砕けて、欠米になってしまう、よくよく心得ておくべきことである。

一 暮らし向きを悪くするその他の年貢不足に付いて、例えば、米を2俵ほど借りて年貢に出し、その利息分が年々積ったならば、5年で元利の米が15俵に成ってしまう、その時は、生計が成り立たなくなり、妻子を売り、我身をも売り、子孫共に永く苦しむ事になってしまう。このことをよくよく考え、暮らし向きを考えるべきではないか、前々の米2俵の時分は少しの樣に考えてしまうけれど、年々の利息分が積ったならばこのようになる。なおまた何とかして米を2俵ほど捻出したならば、右の利息分に加え10年目には米117俵を持つようになって、百姓はこれによって裕福なっていくのではないか。

一 山村では山での稼ぎ、漁村では浜辺での稼ぎ、それぞれに心がけ、毎日手抜かりなく、骨身をおしまず稼ぐべきである。天災または病気など思いがけなくお金が必要になることもあるはずで、稼いで儲けたものをむやみに使ってしまわないようにするべきことである。

一 山村・漁村には人の住まいも多く、臨時の稼ぎもある。山村においては薪や材木を出し、穀類を売り出し、漁村においては塩を作り、魚を取り、商売することができるので、いつも稼ぎはあると思い、この後の考えもなく儲けた物をも、すぐ無駄に使ってしまうから、飢饉の時などは農村の百姓よりいっそう困窮し、餓死するものも多くあると聞いているので、飢饉の年の苦労は、常々忘すれないようにするべきことである。

一 独身の百姓は手間取ったり、また病気になって田畑の仕事ができない時は五人組や村中すべての百姓が助け合って田畑を荒らさないようにすべきである。次に独身の百姓が田を起こし、苗を取り、明日は田植えをしようと考えているところを領主の旗本や天領の代官所または幕府の賦役に指名され、五日も三日も過ぎてしまえば、取り置いた苗も悪くなってしまい、その外の苗も節立って植え時を過ぎてしまうので、その年の作柄が悪くなり、そのために収穫も少なく、百姓が困窮してしまう。田植時ばかりに限らず、畑作にもそれぞれの植時や蒔時が延びてしまえば、作柄も悪くなってしまう。名主や組頭はこれを考えて、独身の百姓は、右に述べたような役に指名された時は、下人共など都合のよい百姓に差し替えて、独身の百姓の保護をすべきことである。

一 夫婦二人きりの百姓で身代も出来ず、村中の仲間の百姓に日頃さげすまれていても、身代を持ち上げ、米や金をたくさんに持ったならば、名主、村内の有力な百姓をはじめ言葉にてもよくあしらい、下座にいた者も上座へと席替えしてもてなすもので、また前々から身代のよい百姓も困窮すると、親子、親類、名主、組頭までも言葉をかけず、さげすまれるものなので、できるだけ身代をよくすべきことである。

一 一村の内で耕作に精を込め、暮らし向きを良くし、身代をよくする者が一人あればそのまねをし、村中の者がみなよく稼ぐものである。一郡の内にそのようなところが一村でも有れば、一郡みな身代を稼ぐものである。そのように考えれば、一国の民はみな豊になり、その後は隣国までもその影響があり、領主の旗本は交代するものだが、百姓は末代その所の先祖から代々受け継がれてきた田地を利用するものであるから、良い暮らし向きをして、身代がよくなれば、百姓にとって多くの利益ではないだろうか。なおまた一村に役に立たない無法者が一人あれば、村中みなそれに影響され、百姓仲間の不満が絶えず、幕府の法令などに背いたならば、その者を奉行所へ召し連れてくると、上役人や下役人の手数や、見張り役以下の苦労であり、一村の損失が大きくなることであるから、このような事が起こらない樣に、みなみなよく念を入れるべきで、この趣旨は名主であるものが心がけて、よくよく一般の百姓に教え伝えるべきである。
  付属、隣村の者共は仲良くし、他領の者とは争い事などもしてはならない。

一 親にはよくよく孝行の心が深くあるべきである。親に孝行の第一は、その身無病にて苦悩のない樣に。なおまた、大酒を買って飲み、喧嘩好きにならない樣に、暮らし向きをよくして、兄弟仲良く、兄は弟に慈愛の心で接し、弟は兄に従い、互いに睦ましければ、親はことのほか喜ぶものである。この趣旨を守ったならば、仏や神の恩恵もあって、道理にもかない、作柄もよく出来、収穫も多くあるものである。どれだけ、親に孝行の心があっても、自分が困窮していてはできないことになってしまうので、できるだけ暮らし向きをよくするようにすべきである。身代が成せないならば、貧苦の苦悩も出来て、心もひがみ、または盗みをもし、幕府の法令をも犯し、取り捕まって、牢屋に入れられ、または死罪・磔などにかかった時は、親の身になれば、どれだけか悲しいことである。その上、子や兄弟、一門のものも嘆かせ、恥を晒してしまうので、よくよく暮らし向きを考え、困窮しないように、毎日毎夜心がけるべきことである。

 右のように物事に念を入れ、暮らし向きが良くなるように稼ぐようにせよ。身代も良くなり、米・金・雜穀をも持てれば、家をも立派に作り、衣類・食物などについても心のままになるであろう。米・金・雜穀をたくさんに持っていても、無理に領主の旗本や天領の代官に取られることもなく、天下泰平の世の中であるので、他から強奪する者も無い、そうすれば子孫まで裕福に暮し、無間地獄のような飢饉の時も、妻子や下人等をも安心して養い育てることができる。年貢さえ納めてしまえば、百姓ほど気楽なものはない。よくよくこの趣旨を心がけ、子孫代々までにも語り継ぎ、よくよく暮らし向きを考えて稼ぐべきものである。 

 慶安2年(1649年)丑2月26日

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