
小説『宮本武蔵』(みやもとむさし)は、吉川英治著の長編時代小説です。新聞小説として、1935年(昭和10)8月23日~1939年(昭和14)7月11日まで、約4年間「朝日新聞」に連載され、1936~39年にわたって、大日本雄弁会講談社より、全6冊として刊行されました。
また、1939年9月5日~1940年4月まで、NHKラジオによって、徳川夢声の朗読による放送が26回行われています。さらに、1943年9月からは、連続物語として夢声が1人で全27回を朗読しました。
故郷をあとにした17歳の宮本武蔵が、周防国(現在の山口県)船島で佐々木小次郎と対決するまでの波瀾に満ちた半生を描いています。剣禅一如を理想とする武蔵の求道精神は広く当時の人々の共感を呼んで、戦中・戦後を通じて、多くの読者を集め、日本の国民文学という評価を得ました。
戦後になって、1954年(昭和29)に、稲垣浩監督により映画化され、第28回アカデミー賞にて外国語映画賞名誉賞を受賞、2003年(平成15)には、市川新之助(市川海老蔵)主演のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の原作にもなっています。
また、1939年9月5日~1940年4月まで、NHKラジオによって、徳川夢声の朗読による放送が26回行われています。さらに、1943年9月からは、連続物語として夢声が1人で全27回を朗読しました。
故郷をあとにした17歳の宮本武蔵が、周防国(現在の山口県)船島で佐々木小次郎と対決するまでの波瀾に満ちた半生を描いています。剣禅一如を理想とする武蔵の求道精神は広く当時の人々の共感を呼んで、戦中・戦後を通じて、多くの読者を集め、日本の国民文学という評価を得ました。
戦後になって、1954年(昭和29)に、稲垣浩監督により映画化され、第28回アカデミー賞にて外国語映画賞名誉賞を受賞、2003年(平成15)には、市川新之助(市川海老蔵)主演のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の原作にもなっています。
〇吉川英治(よしかわ えいじ)とは?
大正時代から昭和時代に活躍した小説家です。明治時代後期の1892年(明治25)8月11日に、神奈川県久良岐郡中村町(現在の横浜市中区)で生まれましたが、本名は英次(ひでつぐ)といいました。
父は早くから横浜で牧場経営をしていましたが、事業に失敗し、訴訟に敗れて家運が傾き、小学校を中退します。それからは、店の小僧、官庁の給仕、商店員、ドックの船具工などの職業を転々とする少・青年期をすごしました。
横浜船渠(ドツク)の船具工当時事故で負傷し、それを機会に志を懐いて、1910年(明治43)の暮れに上京します。会津蒔絵の工芸家の徒弟などをしつつ、しだいに文学の世界に接近、雉子郎の号で川柳を投稿し始め、知遇を得て柳樽寺川柳会同人となりました。
1914年(大正3)に「文芸の三越」の川柳部門で応募作が一等に当選、講談倶楽部に投稿した『江の島物語』も一等に当選します。1921年(大正10)に講談社の諸雑誌の懸賞に応募、『縄帯平八』、『馬に狐を乗せ物語』、『でこぼこ花瓶』などが入選、翌年『東京毎夕新聞』記者となり、同紙に『親鸞記』を連載するようになりました。
1925年(大正14)に『キング』創刊号から吉川英治の名で『剣難女難』を連載して認められ、『鳴門秘帖』 (1926~27年) で作家としての地位を確立します。その後次々と連載し、『宮本武蔵』(1935~39年)に至って、大衆文学に新境地を開くものとして、ベストセラーになりました。
続く、『新書太閤記』(1939~45年)、『三国志』(1939~43年)を経て、太平洋戦争後の『新・平家物語』(1950~57年)や『私本太平記』(1956~59年)も世評が高く、国民文学の第一人者となります。これらの業績に対して、1960年(昭和35)に文化勲章が授与されましたが、1962年(昭和37)9月7日に東京において、70歳で亡くなりました。
その遺志により、吉川英治賞と吉川英治文学賞が創設されます。
父は早くから横浜で牧場経営をしていましたが、事業に失敗し、訴訟に敗れて家運が傾き、小学校を中退します。それからは、店の小僧、官庁の給仕、商店員、ドックの船具工などの職業を転々とする少・青年期をすごしました。
横浜船渠(ドツク)の船具工当時事故で負傷し、それを機会に志を懐いて、1910年(明治43)の暮れに上京します。会津蒔絵の工芸家の徒弟などをしつつ、しだいに文学の世界に接近、雉子郎の号で川柳を投稿し始め、知遇を得て柳樽寺川柳会同人となりました。
1914年(大正3)に「文芸の三越」の川柳部門で応募作が一等に当選、講談倶楽部に投稿した『江の島物語』も一等に当選します。1921年(大正10)に講談社の諸雑誌の懸賞に応募、『縄帯平八』、『馬に狐を乗せ物語』、『でこぼこ花瓶』などが入選、翌年『東京毎夕新聞』記者となり、同紙に『親鸞記』を連載するようになりました。
1925年(大正14)に『キング』創刊号から吉川英治の名で『剣難女難』を連載して認められ、『鳴門秘帖』 (1926~27年) で作家としての地位を確立します。その後次々と連載し、『宮本武蔵』(1935~39年)に至って、大衆文学に新境地を開くものとして、ベストセラーになりました。
続く、『新書太閤記』(1939~45年)、『三国志』(1939~43年)を経て、太平洋戦争後の『新・平家物語』(1950~57年)や『私本太平記』(1956~59年)も世評が高く、国民文学の第一人者となります。これらの業績に対して、1960年(昭和35)に文化勲章が授与されましたが、1962年(昭和37)9月7日に東京において、70歳で亡くなりました。
その遺志により、吉川英治賞と吉川英治文学賞が創設されます。
<吉川英治の主要な著作>
・『親鸞記(しんらんき)』(1923年)
・『剣難女難』(1925~26年)
・『鳴門秘帖』(1926~27年)
・『江戸三国志』(1927~29年)
・『万花(まんげ)地獄』(1927~29年)
・『貝殻三平』(1929~30年)
・『竜虎八天狗(りゅうこはちてんぐ)』(1927~31年)
・『かんかん虫は唄ふ』 (1930~31年)
・『月笛日笛』(1930~31年)
・『神州天馬侠』
・『万花地獄』
・『あるぷす大将』
・『松のや露八』 (1934年)
・『宮本武蔵』(1935~39年)
・『天兵童子(てんぺいどうし)』(1937~40年)
・『三国志』(1939~43年)
・『新書太閤記』(1939~45年)
・『忘れ残りの記』(1955~56年)
・『新・平家物語』(1950~57年)
・『私本太平記』(1958~62年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1889年(明治22) | 政治学者で東京帝国大学の総長を務めた南原繁の誕生日 | 詳細 |
| 1905年(明治38) | 「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され、日露戦争が終結する | 詳細 |
| 日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」を巡って、東京で日比谷焼打事件が起きる | 詳細 | |
| 1933年(昭和8) | 小説家・児童文学者・俳人巖谷小波の命日 | 詳細 |
| 1946年(昭和21) | 太平洋戦争後初の国民学校用国史教科書『くにのあゆみ』が文部省より発行される | 詳細 |
| 1953年(昭和28) | 溝口健二監督の映画『雨月物語』がベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞する | 詳細 |
| 1966年(昭和41) | 第2宮古島台風により宮古島で日本最高の最大瞬間風速(85.3m/s)を観測 | 詳細 |
| 1975年(昭和50) | 日本画家堂本印象の命日 | 詳細 |