ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:後花園天皇

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 今日は、室町時代の1419年(応永26)に、第102代の天皇とされる後花園天皇が生まれた日ですが、新暦では7月10日となります。
 後花園天皇(ごはなぞのてんのう)は、京都において、伏見宮貞成親王の第1王子(母は源幸子)として生まれましたが、名は彦仁(ひこひと)と言いました。先代の称光天皇は病弱で皇子がないまま、1428年(正長元年7月28日)に亡くなると、親王宣下のないまま、践祚することとなります。
 翌年12月27日に第102代とされる天皇として即位したものの、後小松上皇の院政が続きました。1433年(永享5)に、飛鳥井雅世に第二十一代勅撰集『新続古今和歌集』の撰進を下命、同年10月に後小松上皇が亡くなると、親政を執ります。
 1438年(永享10)の永享の乱勃発時には治罰綸旨を発給、翌年に勅撰和歌集(二十一代集)の最後に当たる『新続古今和歌集』が成立、1441年(嘉吉元)に嘉吉の乱が起きると、赤松満祐討伐に治罰綸旨を出し、朝廷権威の高揚を図りました。1443年(嘉吉3)に、後南朝勢力が土御門内裏に夜襲をかけ放火、左大臣・近衛房嗣邸に逃れましたが、三種の神器の一部を奪われる「禁闕の変」が起きます。
 しかし、1457年(長禄元)に嘉吉の乱で没落した赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲って神璽を奪還する「長禄の変」が起き、翌年には奪還された神璽が朝廷へ返還されましした。1461年(寛正2)の大飢饉のさなか、山荘造営に明け暮れる第8代将軍足利義政に漢詩を贈って諷諫したことは有名です。
 1462年(寛正3)に皇子の成仁親王に天皇としての心得を説いた『後花園院御消息』を与え、1464年(寛正5年7月19日)には、成仁親王(後土御門天皇)へ譲位して上皇となり、左大臣足利義政を院執事として院政を敷きました。1467年(応仁元)に京都で応仁の乱が勃発すると、それを憂えてひそかに出家し、法名を円満智と号します。
 1471年(文明2年12月27日)に京都において、数え年53歳で亡くなり、陵所は後山国陵(京都府京都市右京区)とされています。尚、和漢の学に通暁し、和歌・管弦にすぐれ、『後花園院御集』を残すと共に、勅撰入集は『新続古今和歌集』の12首に及びました。

<後花園天皇の代表的な和歌>

・「このごろの風のにほひになしはてて花にはうすき四方の梅が香」(後花園院御集)
・「袖ぬらすほどだにもなし朝顔の花をかごとのあけぼのの露」(後花園院御集)
・「けさよりは袂もうすく立ちかへて花の香とほき夏ごろもかな」(新続古今和歌集)
・「月も今み山出づらしほととぎすふけゆく空に声のきこゆる」(新続古今和歌集)

〇後花園天皇の主要な著作

・歌集『後花園院御集』
・日記『後花園院御記』
・『後花園院御文庫類』
・『後花園院御消息』(1462年)

☆後花園天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1419年(応永26年6月18日) 京都において、伏見宮貞成親王の第1王子(母は源幸子)として生まれる
・1428年(正長元年7月28日) 称光天皇が崩御すると、親王宣下のないまま、践祚する
・1429年(永享元年12月27日) 第102代とされる天皇として即位する
・1433年(永享5年8月25日) 飛鳥井雅世に第二十一代勅撰集『新続古今和歌集』の撰進を下命する
・1433年(永享5年10月) 後小松上皇の崩後、親政を執る
・1438年(永享10年) 永享の乱勃発による治罰綸旨を発給する
・1439年(永享11年6月) 勅撰和歌集(二十一代集)の最後に当たる『新続古今和歌集』が成立する
・1441年(嘉吉元年6月) 嘉吉の乱が起き、赤松満祐討伐に治罰綸旨が出される
・1443年(嘉吉3年9月) 後南朝勢力が土御門内裏に夜襲をかけ放火、左大臣・近衛房嗣邸に逃れるが、三種の神器の一部を奪われる(禁闕の変)
・1444年(文安元年2月) 同母弟の伏見宮貞常親王に親王宣下を行なう
・1447年(文安4年11月) 父の貞成親王に太上天皇の尊号を奉つる
・1455年(享徳4年1月) 後二条天皇の五世の孫にあたる木寺宮邦康王に親王宣下を行なう
・1457年(長禄元年12月) 嘉吉の乱で没落した赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲って神璽を奪還する(長禄の変)
・1458年(長禄2年8月) 奪還された神璽が朝廷へ返還される
・1461年(寛正2年) 大飢饉のさなか、山荘造営に明け暮れる将軍足利義政に漢詩を贈って諷諫する
・1462年(寛正3年10月) 皇子の成仁親王に天皇としての心得を説いた『後花園院御消息』を与える
・1464年(寛正5年7月19日) 成仁親王(後土御門天皇)へ譲位して上皇となり、左大臣足利義政を院執事として院政を敷く
・1467年(応仁元年) 京都で応仁の乱が勃発する
・1467年(応仁元年9月20日) 応仁の乱を憂えて、ひそかに出家し、法名を円満智と号する
・1471年(文明2年12月27日) 京都において、数え年53歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

746年(天平18)法相宗の僧玄昉の命日(新暦7月15日)詳細
1143年(康治2)第78代の天皇とされる二条天皇の誕生日(新暦7月31日)詳細
1723年(享保8)徳川吉宗が人材登用のための「足高の制」を制定(新暦7月19日)詳細
1877年(明治10)アメリカの動物学者モースの誕生日及び初来日の日(考古学出発の日)詳細
1988年(昭和63)朝日新聞のスクープによってリクルート事件が発覚する詳細
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 今日は、室町時代の1439年(永享11)に、飛鳥井雅世が『新続古今和歌集』(二十一代集最後)を撰上した日ですが、新暦では8月6日となります。
 『新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の第21勅撰和歌集で、「二十一代集」の最後(勅撰集の最後)となりました。
 1433年(永享5年8月25)に後花園天皇の下命により、飛鳥井雅世が撰し、1439年(永享11年6月27日)に成立します。一条兼良の真名序・仮名序があり、20巻で2,144首が収載され、代表歌人は飛鳥井雅縁、藤原良経、後小松院、藤原俊成、藤原定家、頓阿、後鳥羽院、足利義教などとなりました。
 撰者の関係から、飛鳥井家、二条派、武家歌人などが重んじられ、『新古今和歌集』追随の傾向が顕著とされています。
 以後も勅撰集の計画はありましたが、応仁の乱のために中断し、これが最後の勅撰和歌集となりました。

〇勅撰和歌集とは?

 天皇の綸旨や上皇・法皇の院宣下命に基づいて編集、奏覧された和歌集のことです。醍醐天皇の勅命によって編纂され、905年(延喜5)に奏上された『古今和歌集』に始まり、1439年(永享11)成立の『新続古今和歌集』までの534年間で21があり、総称して「二十一代集」と呼ばれました。
 初めの3集(『古今和歌集』・ 『後撰和歌集』・『拾遺和歌集』)を三代集、8集(『古今和歌集』から『新古今和歌集』)までを八代集、残り13集(『新勅撰集』から『新続古今和歌集』)を十三代集ともいいます。平安時代から鎌倉時代初期にかけて最も盛んでしたが、次第に衰え、室町時代に入って跡が絶えました。尚、14世紀末に南朝側で編纂された『新葉和歌集』は準勅撰和歌集とされています。
 勅撰集を作成するには、まず撰和歌所を設置し、勅撰の下命があり、撰者の任命がされました。その後、資料が集成され、撰歌と部類配列が行われ、加除訂正の後、目録や序が作成それて清書されます。そして、奏覧され、祝賀の竟宴という過程によって行われました。
 収載されたのは、ほとんどが短歌でしたが、わずかに長歌、旋頭歌、連歌を加えた集もあります。巻数は最初の『古今和歌集』の20巻が継承されましたが、『金葉和歌集』と『詞花和歌集』は10巻となっています。部立(歌の種類別区分の仕方)は各集ごとに小異がありますが、基本的には、最初の『古今和歌集』の部立が受け継がれました。
 勅撰集に歌が選ばれるのは、歌人にとって最高の名誉とされ、和歌を発達させた文学史的意義は大きいとされています。

〇「二十一代集」(勅撰和歌集)一覧

1.『古今和歌集』905年成立(醍醐天皇下命・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑撰)20巻・1,100首
2.『後撰和歌集』957-959年成立(村上天皇下命・大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城撰)20巻・1,425首
3.『拾遺和歌集』1005-07年成立(花山院下命・花山院、藤原公任撰)20巻・1,351首
4.『後拾遺和歌集』1086年成立(白河天皇下命・藤原通俊撰)20巻・1,218首
5.『金葉和歌集』1126年(三奏本)成立(白河院下命・源俊頼撰)10巻・650首(三奏本)
6.『詞花和歌集』1151年頃成立(崇徳院下命・藤原顕輔撰)10巻・415首
7.『千載和歌集』1188年成立(後白河院下命・藤原俊成撰)20巻・1,288首
8.『新古今和歌集』1205年成立(後鳥羽院下命・源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、飛鳥井雅経、寂蓮撰)20巻・1,978首
9.『新勅撰和歌集』1235年成立(後堀河天皇下命・藤原定家撰)20巻・1,374首
10.『続後撰和歌集』1251年成立(後嵯峨院下命・藤原為家撰)20巻・1,371首
11.『続古今和歌集』1265年成立(後嵯峨院下命・藤原為家、藤原基家、藤原行家、藤原光俊、藤原家良撰)20巻・1,915首
12.『続拾遺和歌集』1278年成立(亀山院下命・二条為氏撰)20巻・1,459首
13.『新後撰和歌集』1303年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・1,607首
14.『玉葉和歌集』1312年成立(伏見院下命・京極為兼撰)20巻・2,800首
15.『続千載和歌集』1320年成立(後宇多院下命・二条為世撰)20巻・2,143首
16.『続後拾遺和歌集』1326年成立(後醍醐天皇下命・二条為藤、二条為定撰)20巻・1,353首
17.『風雅和歌集』1349年成立(花園院監修下命・光厳院撰)20巻・2,211首
18.『新千載和歌集』1359年成立(後光厳天皇下命・二条為定撰)20巻・2,365首
19.『新拾遺和歌集』1364年成立(後光厳天皇下命・二条為明、頓阿撰)20巻・1,920首
20.『新後拾遺和歌集』1384年成立(後円融天皇下命・二条為遠、二条為重撰)20巻・1,554首
21.『新続古今和歌集』1439年成立(後花園天皇下命・飛鳥井雅世撰)20巻・2,144首
準.『新葉和歌集』1381年成立(長慶天皇下命・宗良親撰)20巻・1,426首
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