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 今日は、平安時代後期の1068年(治暦4)に、第70代の天皇とされる後冷泉天皇が亡くなった日ですが、新暦では5月22日となります。
 後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)は、1025年(万寿2年8月3日)に、京都において後朱雀天皇の第一皇子(母は藤原道長女・藤原嬉子)として生まれましたが、名は親仁(ちかひと)と言いました。2日後に生母を亡くし、紫式部の娘大弐三位が乳母となり、1036年(長元9)に親王宣下されます。
 1037年(長暦元)に元服して三品に叙され、章子内親王(後一条天皇第一皇女)が入内、皇太子となりました。1045年(寛徳2)に病床の父・後朱雀天皇から譲位されて践祚、異母弟の尊仁親王が皇太弟となり、第70代とされる天皇として即位します。
 同年に荘園の増加によって国家財政が危機的状態にあったので、荘園整理令に着手しました。また、章子内親王が中宮に冊立され、翌年には、藤原歓子(藤原教通の女)も入内しています。
 1049年(永承4)に藤原歓子が皇子を出産しましたものの、即日死没、翌年には藤原寛子(関白頼通の女)が入内、1051年(永承6)に立后しました。この年に陸奥に前九年の役が起こって辺境が動揺、1055年(天喜3)には、新立の荘園を停止させています。
 1059年(康平2)に皇子が誕生しましたが、皇后の子ではなく、皇位を継ぐには至らず、1067年(治暦3)には藤原頼通の建立した宇治平等院に行幸して 頼通を准三宮に叙し、特に封300石ならびに年官、年爵、食封3000戸そのほかを授けました。1068年(治暦4)に藤原歓子が立后し、三后鼎立となりましたが、いずれの皇后も子を育てられなかった中で、同年4月19日に、京都で在位のまま、数え年44歳で亡くなっています。
 その後は、異母弟で藤原氏を直接の外戚としない尊仁親王(後三条天皇)が即位することになり、摂関の権力は弱体化していきました。尚、日記『後冷泉院御記』が残され、歌も『後拾遺和歌集』、『金葉集和歌集』、『新古今集和歌集』などに収載されています。

<代表的な和歌>

・「待つ人は 心ゆくとも すみよしの 里にとのみは 思はざらなむ」(新古今和歌集)
・「岩まより 流るる水は 早けれど うつれる月の 影ぞのどけき」(後拾遺和歌集)

〇後冷泉天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1025年(万寿2年8月3日) 京都において後朱雀天皇の第一皇子(母は藤原道長女藤原嬉子)として生まれる
・1025年(万寿2年8月5日) 生母の東宮妃嬉子が亡くなる
・1036年(長元9年2月22日) 親王宣下される
・1037年(長暦元年7月2日) 元服して三品に叙される
・1037年(長暦元年12月13日) 章子内親王(後一条天皇第一皇女)が入内する
・1037年(長暦元年8月17日) 皇太子となる
・1045年(寛徳2年1月16日) 病床の父・後朱雀天皇から譲位されて践祚、異母弟の尊仁親王が皇太弟となる
・1045年(寛徳2年1月19日) 章子内親王が女御宣下を受ける
・1045年(寛徳2年4月8日) 第70代とされる天皇として即位する
・1045年(寛徳2年) 荘園整理令に着手する
・1046年(永承元年7月10日) 章子内親王が中宮に冊立される
・1047年(永承2年10月14日) 藤原歓子(藤原教通の女)が入内する
・1048年(永承3年7月10日) 藤原歓子が女御宣下される
・1049年(永承4年3月14日) 藤原歓子が皇子を出産するが、即日死没する
・1050年(永承5年12月22日) 藤原寛子(関白頼通の女)が入内する
・1051年(永承6年2月13日) 藤原寛子が立后する
・1051年(永承6年) 陸奥に前九年の役が起こって辺境が動揺する
・1055年(天喜3年) 新立の荘園を停止させる
・1059年(康平2年) 皇子が誕生する
・1067年(治暦3年) 藤原頼通の建立した宇治平等院に行幸して 3日滞在し、頼通を准三宮に叙し、特に封 300石ならびに年官、年爵、食封3000戸そのほかを授ける
・1068年(治暦4年4月17日) 藤原歓子が立后する
・1068年(治暦4年4月19日) 京都で在位のまま、数え年44歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1870年(明治3)哲学者西田幾多郎の誕生日(新暦5月19日)詳細
1912年(明治45)小説家源氏鶏太の誕生日詳細