ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:建物疎開

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1945年(昭和20)に、小磯国昭内閣により、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」が閣議決定された日です。
 「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」(だいとしにおけるそかいきょうかようこう)は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)3月15日の小磯国昭内閣による閣議決定で、大都市における疎開を強化するためのものです。1945年(昭和20)3月10日に、アメリカ軍による東京大空襲が行われ、東京の下町が焼け野原になった5日後に出されました。
 これに基づいて、第六次の建物強制疎開が実施され、全国で66万戸が建物疎開の対象として指定されます。これは、防火区域を設定するための空地帯をつくることで、重要施設(官公署や軍事施設、軍需工場)を守るため、その周囲の民家を取り壊して空地をつくるものが主でした。
 これによって、敗戦までに実際に取り壊されたのは14,000戸となりましたが、計画の2.1%に過ぎないものとなります。
 以下に、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」1945年(昭和20)3月15日閣議決定

一、方針

 戦局今後ノ推移ニ鑑ミ防衛並ニ食糧対策等ノ見地ヨリ急速ニ重要都市ノ徹底的人員及建物疎開ヲ決行シ国内自活自戦態勢ヲ促進ス

二、要領

(一)重要都市ニ残留セシムベキモノハ必要ナル機関及人員ニ限定シ他ハ凡テ之ヲ地方特ニ農村等ニ疎開セシメ之ガ戦力化ヲ図ル
 尚右ニ伴ヒ堅牢建築物ノ利用ニ努ムルト共ニ急速且徹底的ナル建物疎開ヲ実施シ戦時都市態勢ヲ確立ス

(二)人員疎開ハ縁故疎開、集団帰農、学童疎開、学徒ノ農村進出等及工場疎開ニ伴フ人員移駐ニ依リ之ヲ実施ス
 之ガ為各都道府県別ニ計画的割当ヲ行ヒ速急ニ之ガ受入態勢ヲ整備ス
 尚疎開ニ伴ヒ残置スベキ荷物ノ保管等ニ関シ特別ノ措置ヲ講ズ

(三)右人員疎開輸送強化ノ為非常措置ヲ講ズ

(四)以上ノ施策ハ即時実行ニ着手シ六月末日迄ニ之ガ大部ヲ完成ス

「註」今次空襲ニ依ル罹災者ハ本施策ノ方針ニ準拠シ速カニ転出セシム

   「内閣制度百年史 下」内閣制度百年史編纂委員会編より

☆太平洋戦争後半の疎開に関する閣議決定一覧

・「都市疎開実施要項」1943年(昭和18)12月21日閣議決定
 建物や人員の疎開を促進するために閣議決定されたもので、京浜、阪神、名古屋、北九州地域の重要都市に於ける疎開区域や人口疎開の対象者を定め、人口疎開政策の具体化が図られ、都市施設の地方分散がおこなわれた。

・「一般疎開促進要綱」1944年(昭和19)3月3日閣議決定
 都市部への空襲が強まる中で、「帝都疎開促進要綱」を同時に定め、人口疎開は府県別受入割当数の決定、老幼者・要保護者の縁故による「引取り」の実施を定めるなど具体的な促進を図ったものでした。

・「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」1944年(昭和19)11月7日閣議決定
 戦局の悪化に伴う都市部の空襲に備え、老人、子供、妊婦等を地方疎開させ、人員の被害を最小限に止めるためのものです。

・「空襲対策緊急強化要綱」1945年(昭和20)1月19日閣議決定
 1944年(昭和19)のアメリカ軍によるマリアナ諸島攻略により、本土空襲が強化される中で、それに対処するためのものでした。

・「工場緊急疎開要綱」1945年(昭和20)2月23日閣議決定
 戦局の状勢を考えて、計画的、系統的に工場疎開を徹底実施するものとし効果的に分散、地下移設等の方法を講ずると共に緊要工場の地域的総合自立を図り軍需生産の長期確保強化を期するものでした。

<1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲を皮切りに都市部への無差別空襲が始まる>

・「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」1945年(昭和20)3月15日閣議決定
 大都市における疎開を強化するためのもので、第六次の建物強制疎開が実施され、全国で66万戸が建物疎開の対象として指定されます。

・「都市疎開者ノ就農ニ関スル緊急措置要綱」1945年(昭和20)3月30日閣議決定
 大都市の人員疎開の要請に即応し是等疎開人口にして農村に受入るる者に付ては縁故等に依り帰農を為さしむる外左の要領に依り之が適切なる受入を行ひ積極的に其の就農の措置を講じ食糧生産の増強に寄与せしむるものとす

・「現情勢下ニ於ケル疎開応急措置要綱」1945年(昭和20)4月20日閣議決定
 人員疎開では、①老幼姙産婦病弱者(介護者を含む)、②疎開施設随伴者(地方転勤者を含む)、③集団疎開者、④前各号以外の罹災者及強制疎開立退者(但し離職者)を先づ優先的に疎開させ、それ以外の者の疎開は当分の間認めず、工場及事業場は今後他の施設に優先して疎開し、又は堅牢建築等に移転するとしたものです。

・「重要物資等の緊急疎開に関する件」1945年(昭和20)6月26日閣議決定
 戦局がたいへん厳しくなり、都市部が連日のように空襲される中で、重要物資等を緊急疎開させるようにした閣議決定です。

・「空襲激化ニ伴フ緊急防衛対策要綱」1945年(昭和20)7月10日閣議決定
 戦争遂行上必要な機関、施設、工場等の要員である都市要残留者を具体的に調査再検討し、その必要最小限度を定めると共にその要員に対し食糧住宅の供給其の他防衛上必要な措置を講じ、併せて要員絶対確保の方途を実施するものです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
1914年(大正3)秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出す詳細
1930年(昭和5)神奈川県横浜市に山下公園が開園する詳細
1958年(昭和33)劇作家・演出家・小説家・批評家久保栄の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に東条英機内閣により、「一般疎開促進要綱」が閣議決定された日です。
 「一般疎開促進要綱」(いっぱんそかいそくしんようこう)は、太平洋戦争下で、都市部への空襲が強まる中で、「帝都疎開促進要目」を同時に定め、人口疎開は府県別受入割当数の決定、老幼者・要保護者の縁故による「引取り」の実施を定めるなど具体的な促進を図ったものでした。防空目的で自宅を強制撤去(建物疎開)された者や高齢者・幼児・病人などを疎開の対象者と認め、縁故疎開を積極的に進めることとします。
 そして、3月9日の次官会議決定「京浜地域人員疎開の措置要綱」では、疎開該当者に区別を設けると共に東京都、横浜市、川崎市における人員疎開の重点地域を定めました。さらに、3月10日に東京都は、「学童疎開勧奨ニ関スル件」を発し、国による学童集団疎開に先駆けて養護学園・臨海学園・中学施設の転用による「戦時疎開学園」の設置を行ないます。
 その後、6月30日の閣議決定「学童疎開促進要綱」において,学童疎開は縁故疎開を原則とするも、縁故疎開に依り難き学童については集団疎開を実施することとしました。
 以下に、「一般疎開促進要綱」「帝都疎開促進要目」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「一般疎開促進要綱」1944年(昭和19)3月3日閣議決定

決戦非常措置要綱ニ基キ一般疎開ハ左記ニ依リ之ヲ強度ニ促進スルモノトス


一、建築物疎開ハ本年中期ヲ目途トシ目標量ヲ最大限繰上ゲ施行スル方針ノ下ニ戦時非常措置ニ適合スル手段ニ依リ事業執行ノ迅速化ヲ図ル
二、人員疎開ハ建築物疎開ノ繰上ゲ施行ニ依ル輸送事情等ヲ考慮シ最有効ナル遂行ヲ期スル為重点的計画的ニ指導スルモノトス
三、前二項ニ基ク帝都疎開促進要目別紙ノ如シ他ノ疎開区域ニ於テモ各区域ノ実情ヲ加味シツツ概ネ之ニ準ジ措置スルモノトス
四、施設疎開ハ所管各省ニ於テ三月二十日迄ニ具体案ヲ樹立シ防空総本部ニ提出スルモノトス

帝都疎開促進要目

第一 建築物疎開

概ネ七月末日迄ニ約五五、〇〇〇戸ノ除却ヲ完了セシムルヲ目途トシ強度ノ促進ヲ図ルモノトス
一、建物補償ノ迅速決定
補償額ノ迅速決定ヲ図ル為最モ闡明ナル評価規準ヲ採リ評価員充足ノ為内務、大蔵、運通各省、庁府県、金融機関、住宅営団等ヨリ応援セシム
二、居住者ノ立退キ移転
(一)疎開区域外ニ転出又ハ縁故先其ノ他家屋空間ノ斡旋供給ニ依リ移転セシムルヲ本旨トスルモ特ニ左ノ措置ヲ講ズ
イ 世帯員ヲ疎開区域外ニ転出セシメ業務ノ必要上残留スル者ニ関シテハ適当ナル合宿等ノ施設ヲ講ゼシムルコト
ロ 居住者ノ一時収容ヲ図ル為一定期間ヲ限リ寺院、公会堂、休業料理店、待合又ハ旅館、下宿屋、空店舗等ニ割当ツルコト
ハ 必要ニ応ジ家財ハ都ニ於テ買収シ又ハ学校校舎、寺院、休業劇場、刑務所等ヲ一時ノ蔵置所ニ開放スルコト
(二)収容家屋ノ斡旋供給ニ関シテハ家屋空間ノ供出強化、店舗、料理店、待合等ノ改造住宅化ヲ実施スルト共ニ相当数ノ応急住宅ヲ建設ス
(三)移転輸送ニ関シテハ学生生徒等ノ勤労動員ヲ最高度ニ活用スルト共ニ牛馬車荷車等ノ徹底利用ヲ図ル
(四)家屋ノ斡旋供給及移転輸送ニ付テハ建築物疎開ニ依ル転出者ヲ優先取扱フモノトス
三、除却作業
(一)最短期限内完了ヲ目途トスル工法ニ依ルモノトシ之ガ為古材利用ノ目的ヲ犠牲トスルモ已ムヲ得ザルモノトシテ作業ノ進捗ヲ図ル
(二)大工、鳶、人夫等専門労務者ハ之ヲ統制シ計画配置スルノ外学生生徒、一般勤労報国隊、力士等ノ動員ニ依リ充足ス

第二 人員疎開

一、受入体制ノ整備
(一)疎開者受入体制ヲ整備シ主要受入府県別ノ受入割当数ヲ定メテ受入ニ関スル手配ヲ計画化ス
(二)疎開該当者ノ縁故先ヲシテ積極的ニ引取リヲ為サシム
特ニ老幼者及要保護者ノ引取リヲ促進ス
(三)疎開該当者ニ対シ地方農村ヲシテ帰農呼ビ寄セヲ計画実施ス
(四)地方ノ所要労務ヲ疎開区域内ヨリ吸収セシム
(五)人員ノ移転ニ伴フ食糧其ノ他ノ物資ノ配給ヲ調整ス
二、輸送上ノ処置
(一)鉄道、小運送、小運搬ヲ通ジ計画優先輸送ヲ強化ス
(二)家財ノ輸送ニ関シ必要ナル制限ヲ行フト共ニ都ニ於テ不用物件ノ買入ヲ拡充実施ス
(三)荷造用資材、輸送労力、荷車、リヤカー類ノ供出動員ヲ拡大ス
三、転出先家屋空間ノ供出強化
(一)供出ノ徹底シタル運動ヲ展開ス
(二)農村家屋、余裕家屋、店舗、料理屋等ノ改造ヲ拡充実施ス
(三)建築物利用統制実施ノ地域ヲ拡大ス
四、残留者ノ簡易生活化
各職域ニ於テ疎開家庭ノ残留者ノ合宿等決戦簡易生活化ヲ講ゼシム

第三 資材及経費

一、所要資材ハ之ヲ急速充足スルト共ニ之ガ現物化ニ関シテハ陸海軍及各省ニ於テ全幅的支援ヲ為ス
二、所要経費ニ関シテハ既定計上額ニ依ルノ外要スレバ東京都ヲシテ適宜ノ処置ヲ講ゼシメ国庫ニ於テ必要ナル助成ヲ為スモノトス

第四 機構ノ充実

平時的事務停止其ノ他ニ依リ生ズル職員ヲ極度ニ振替フルト共ニ他府県、他官庁其ノ他ノ協力応援ヲ実施ス特ニ建築物疎開ノ事業所ヲ充実強化ス

   「国立国会図書館リサーチ・ナビ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1854年(嘉永7)江戸幕府と米国使節ペリーが横浜で「日米和親条約」に調印する(新暦3月31日)詳細
1860年(安政7)桜田門外の変で大老井伊直弼が水戸浪士らに襲われ殺される(新暦3月24日)詳細
1922年(大正11)部落解放運動の全国組織である全国水平社が結成される詳細
1933年(昭和8)昭和三陸地震が起こり、津波によって死者・行方不明者3,064名を出す詳細
1946年(昭和21)「物価統制令」が公布される詳細
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