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 今日は、平安時代中期の972年(天禄3)に、僧侶・民間浄土教の先駆者空也が亡くなった日ですが、新暦では10月20日となります。
 空也(くうや/こうや)は、903年(延喜3)に生まれたとされ、皇族の出身とする説もありますが、はっきりしません。諸国を遊歴し、924年(延長2)に尾張国分寺(現在の愛知県稲沢市)で出家、剃髪して自ら空也を名のります。
 さらに播磨、四国で修行し、奥羽方面にも布教、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら、道路・橋・寺院等を造るなど社会事業もしました。天慶年間(938~47年)に京都に入って、念仏により庶民を教化、町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施し、活動の中心が地方から都市へと変化します。
 948年(天暦2)に比叡山で受戒して光勝と称し、貴族層にまで布教を拡大しました。京都の疫病を鎮めるために、951年(天暦5)には十一面観音像、梵天・帝釈天・四天王像の造像を行ないます。また、金泥『大般若経』600巻の書写事業を開始、13年かけて、963年(応和3)に完成させ、鴨川の河原にて金字大般若経供養会を行いました。
 しかし、972年(天禄3年9月11日)に京都東山の西光寺(現在の六波羅蜜寺)において、数え年70歳で亡くなっています。尚、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人とも呼ばれてきました。
 以下に、10世紀末に成立した『日本往生極楽記』(慶滋保胤著)より、空也の部分を抜粋しておきますので、ご参照下さい。

〇空也関係略年表(日付は旧暦です)

・903年(延喜3年) 生まれたとされる
・924年(延長2年) 尾張国分寺(現在の愛知県稲沢市)で出家、剃髪して自ら空也を名のる
・938~47年(天慶年間) 京都に入って、念仏により庶民を教化する
・948年(天暦2年) 比叡山で受戒して光勝と称する
・950年(天暦4年) 金字大般若経の書写を開始する
・951年(天暦5年) 十一面観音像、梵天・帝釈天・四天王像の造像を行なう
・961~64年(応和年間) 京都東山に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を建立する
・963年(応和3年) 鴨川の河原で金字大般若経供養会を行なう
・972年(天禄3年9月11日) 京都東山の西光寺(現在の六波羅蜜寺)において、数え年70歳で亡くなる
☆『日本往生極楽記』(慶滋保胤著)より空也の部分の抜粋

 沙門[1]空也は、父母を言わず[2]、亡命して[3]世に在り。或いは云く、潢流より出でたりと。口に常に弥陀仏を唱う。故に世に阿弥陀聖[5]と号く。或いは市中に住して仏事を作し、また市聖と号く。嶮路[6]を過ぎてはすなわちこれを鏟り[7]、橋なきに当りてはまたこれを造り、井なきを見ればすなわこれを掘る。号けて阿弥陀井と日う。(中略)天慶以住[8]、道場聚落[9]、念仏三昧を修すること希有なりき。いかにいわんや[10]小人愚女、多くこれを忌めり[11]。上人[12]来たりて後、自ら唱え他をして唱えしむ。その後世を挙げて念仏を事となす。まことにこれ上人[12]の衆生を化度[13]するの力なり。

【注釈】

[1]沙門:しゃもん=出家して仏道を修める者。僧侶。
[2]父母を言わず:ふぼをいわず=父母の名を語らない。
[3]亡命して:ぼうめいして=戸籍から離脱すること。
[4]潢流:こうりゅう=皇族。
[5]阿弥陀聖:あみだひじり=阿弥陀仏を唱える民間での修行者の呼称。
[6]嶮路:さかしきみち=険しい道。
[7]鏟り:けずり=開削すること。
[8]天慶以住:てんけいいおう=天慶年間(938~47年)以前。
[9]聚落:しゅうらく=人の集まった村落。集落。
[10]いかにいわんや=まして、いうまでもなく。ましてや。
[11]忌めり:いめり=嫌い避ける。
[12]上人:しょうにん=高徳の僧侶への敬称。ここでは空也を指す。
[13]衆生を化度:しゅじょうをげど=すべての人々を感化して救うこと。

<現代語訳>

 出家して仏道を修める空也は、父母の名を語らず、戸籍から離脱して世に在る。あるいは、皇族出身者ではないかともいう。口では常に弥陀仏を唱えている。従って、世間では「阿弥陀聖」とも言われている。あるいは、市中に出向いて仏事を行い、また「市聖」とも言われている。険しい道を通過するときは、すなわちこれを開削し、橋のないところに行き当たっては、またこれを架橋する。井戸がないのを見れば、すなわこれを掘るので、名付けて「阿弥陀井」と言われている。(中略)天慶年間(938~47年)以前、多くの人が集まる場所や集落では、念仏三昧を執り行うのは稀なことであった。まして子供や女性は言うまでもなく、多くがこれを嫌い避けていた。空也上人が来訪してから以後は、自ら唱え、他人にも唱えさせようとする。その後、世間は挙げて念仏を唱えるようになった。まことにこれは、空也上人がすべての人々を感化して救おうとすることの力である。