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 今日は、大正時代の1918年(大正7)に、「市町村義務教育国庫負担法」が公布(施行は同年4月1日)された日です。
 「市町村義務教育費国庫負担法」(しちょうそんぎむきょういくこっこふたんほう)は、市町村財政の負担軽減と教育の改善とを目的として、初めて、教員の俸給の一部を国が負担することを定めた法律(大正7年法律第18号)でした。大正時代になって、義務教育が普及しますが、第1次大戦後の地方財政の窮乏化と不均等化が進行します。
 その中で、教員給与の改善と市町村財政改善のため、 義務教育費の国庫負担を要求する建議案や請願があいついで、帝国議会に出されました。 そこで、1917年(大正6)に、内閣直属の臨時教育会議が設置され、小学校教員給与の国庫負担に関する答申が出されるに至ります。
 その結果、本法が成立し、1918年(大正7)3月27日に公布され、4月1日から施行されることになりました。これにより、 義務教育学校教員給与の一部を国が負担し(第一条)、 その金額は毎年1千万円を下らぬこととし(第二条)、 その半額は教員数、 半額は生徒数に比例して市町村に交付し(第三条)、 一部は財政力の弱い町村に特別交付する(第四条)とされます。
 この法律は、1940年(昭和15)に、「義務教育費国庫負担法」(昭和15年法律第22号)に受け継がれることとなりました。
 以下に、「市町村義務教育費国庫負担法」(大正7年法律第18号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「市町村義務教育費国庫負担法」(大正7年法律第18号)1918年(大正7)3月27日公布、4月1日施行

第一条 市町村立尋常小学校ノ正教員及准教員ノ俸給ニ要スル費用ノ一部ハ国庫之ヲ負担ス

第二条 前条ノ規定ニ依リ国庫ノ負担トシテ支出スヘキ金額ハ毎年度千万円ヲ下ラサルモノトス

第三条 国庫支出金ハ第四条ノ規定ニ依リ交付スル金額ヲ除キ其ノ半額ハ前年六月一日ニ於ケル市町村立尋常小学校ノ正教員及准教員ノ数ニ、他ノ半額ハ前年六月一日ニ於ケル市町村ノ就学児童数ニ比例シテ之ヲ市町村ニ交付ス

第四条 文部大臣ハ国庫支出金ノ十分ノーヲ超エサル範囲内ニ於テ資力薄弱ナル町村ニ対シ特ニ交付金額ヲ増加スルコトヲ得

第五条 本法ノ適用ニ付テハ市町村組合又ハ町村組合ハ之ヲ市町村ト看做ス市制又ハ町村制ヲ施行セサル地域ニ於ケル市町村ニ準スヘキ公共団体、其ノ組合又ハ小学校設置区域亦同シ
2 本法ノ適用ニ付テハ市町村立尋常高等小学校ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ授クヘキ部分ハ之ヲ市町村立尋常小学校ト看做ス

  附 則

本法ハ大正七年四月一日ヨリ施行ス

☆義務教育費国庫負担制度の沿革

・1896年(明治29) 「教員年功加俸国庫補助法」により、教員の俸給の一部を国庫補助とする
・1900年(明治33) 「市町村立小学校教育費国庫補助法」により、国庫補助を拡充、「改正小学校令」により、授業料徴収を廃止し、義務教育無償制を実現する
・1918年(大正7) 「市町村義務教育費国庫負担法」 により、市町村財政の負担軽減と教育の改善とを目的として、教員の俸給の一部を国が負担する
・1940年(昭和15) 「義務教育費国庫負担法」、「市町村立小学校教員俸給及び旅費の負担に関する件」(勅令)により、市町村財政力の不均衡拡大を背景に、定額負担制から実支出額の1/2国庫負担制になり、給与負担を市町村負担から道府県負担へ変更する
・1949年(昭和24) 「教育公務員特例法」、「市町村立学校職員給与負担法」により、給与費等の都道府県負担を制定する
・1950年(昭和25) 義務教育費国庫負担制度が廃止され、地方財政平衡交付金制度が創設され、これに吸収されねる(昭和24年シャウプ勧告)
・1953年(昭和28) 「義務教育国庫負担法」により、義務教育無償の原則に則り、「国民のすべてに対しその妥当な規模と内容とを保障する」ため、教職員の給与費等の実支出額の1/2国庫負担となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1968年(昭和43)厚生省が「イタイイタイ病の原因に関する研究」を発行、カドミウム汚染の状況が明らかにされる詳細
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