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 今日は、大正時代の1924年(大正13)に、岩淵水門完成により、荒川放水路が上流から下流までが繋がり、注水が開始されて通水式が行われた日です。
 荒川放水路(あらかわほうすいろ)は、荒川の水量を調節し、東京の下町を洪水から守るためにつくられた迂回路で、東京都北区岩淵で分流させた水路でした。水路は、足立区、葛飾区、江戸川区などを通り、下流で綾瀬川、中川と並行して東京湾に注いでいます。
 1910年(明治43)8月に、荒川が氾濫し、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生、翌年に政府は、根本的な首都の水害対策の必要性を受け、利根川や多摩川に優先して荒川放水路の建設を決定しました。1913年(大正2)に工事に着手しましたが、1917年(大正6)9月30日の台風により、記録的な高潮に見舞われ、工事用機械や船舶が流出、1923年(大正12)9月1日の関東大震災では各地の工事中の堤防への亀裂、完成したばかりの橋梁の崩落などが起きています。
 ようやく、着工から11年を経て、1924年(大正13)10月12日に、岩淵水門完成により、上流から下流までが繋がり、注水が開始されて通水式が行われました。1930年(昭和5)に浚渫工事など関連作業がすべて完了し、1965年(昭和40)には、荒川放水路が荒川の本流とされ、旧本流を隅田川と呼ぶようになっています。

〇荒川放水路関係略年表

・1910年(明治43)8月 荒川が氾濫し、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に上る関東大水害が発生する
・1911年(明治44) 政府は根本的な首都の水害対策の必要性を受け、利根川や多摩川に優先して荒川放水路の建設を決定する
・1913年(大正2) 荒川放水路の工事に着手する
・1917年(大正6)9月30日 台風により、記録的な高潮に見舞われ、工事用機械や船舶が流出する
・1923年(大正12)9月1日 関東大震災では各地の工事中の堤防への亀裂、完成したばかりの橋梁の崩落などが起きる
・1924年(大正13)10月12日 岩淵水門完成により、上流から下流までが繋がり、注水が開始されて通水式が行われる
・1930年(昭和5) 浚渫工事など関連作業がすべて完了する
・1947年(昭和22) カスリーン台風により荒川流域は大きな被害を受けたものの、9mの堤防すれすれまで達したが氾濫は免れる
・1964年(昭和39) 東京都が記録的な渇水に見舞われ、利根川より緊急的に導水を図り対処する
・1965年(昭和40) 荒川放水路が本流とされ、旧本流を隅田川と呼ぶようになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1694年(元禄7)俳聖松尾芭蕉の命日で、「芭蕉忌」とされる(新暦11月28日)詳細
1881年(明治14)「国会開設の勅諭」が出される詳細
1937年(昭和12)国民精神総動員中央連盟が発足し、国民精神総動員運動が始まる詳細
1940年(昭和15)新体制運動推進のために大政翼賛会が発足する詳細
1943年(昭和18)東條内閣が「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を閣議決定する詳細
1946年(昭和21)GHQが「日本史授業再開に関する覚書」(SCAPIN-1266)を出す詳細