
最初は京都を舞台に戦いが繰り広げられましたが、戦火は地方にも広がっていき、有力守護家内部における家督争いと有力守護大名間の対立も絡み合いました。1473年(文明5)に、細川勝元と山名宗全の両将が亡くなっても、まだ継続したものの、1477年(文明9年11月11日)に、大内軍が京から撤収し、終結します。
この戦いにより、京都は焦土と化し、将軍の権威は失墜、幕府体制・荘園制は破壊され、戦国大名の領国制が大きく展開されることとなりました。
1413年(応永20)に10歳で元服、第4代将軍足利義持の名の一字を賜り、持豊を名乗りましたが、1420年(応永27)に長兄満時が死去し、後継問題が浮上します。1421年(応永28)に初陣として父の従弟に当たる因幡守護山名熙高と共に備後国人の討伐に向かい、翌年に京都へ戻りました。
1431年(永享3)に次兄・持熙が足利義教の勘気を受けて廃嫡されると1433年(永享5)に父・時煕から家督を相続し、但馬・備後・安芸・伊賀4ヶ国の守護大名となります。1435年(永享7年)に父・山名時熙が死去すると、1437年(永享9)には持豊の家督相続に不満を持った次兄・持熙が備後で挙兵したものの、これを鎮圧しました。
1439年(永享11)に正四位下左衛門佐に任官、翌年に幕府侍所頭人兼山城守護となりましたが、1441年(嘉吉元)には、赤松満祐が第6代将軍足利義教を殺害する嘉吉の変が起こります。しかし、同年9月に持豊軍は播磨木山に満祐一族を滅ぼし、その功により満祐の旧分国播磨・備前・美作を与えられ、最大の国持ち大名となりました。
1444年(文安元)に東播磨の3郡を巡って争いが起き、翌年には赤松満政を討伐し、東播磨を実力で領有します。1450年(宝徳2)に宗全と号を改め、南禅寺に塔頭真乗院を創建しました。
1454年(享徳3)に赤松氏の出仕を巡り8代将軍足利義教と対立、翌年には赤松則尚を播磨に討っています。1466年(文正元年)に、斯波、畠山の内訌が激化すると畠山義就、斯波義廉に味方して、畠山政長、斯波義敏を応援した細川勝元と対立し、さらに将軍家の継嗣問題についても、日野富子の産んだ足利義尚を助けて、将軍義政の弟義視を支持する勝元らに対抗しました。
これが、応仁の乱に発展し、西軍の総帥となり、東軍の総帥細川勝元と対峙します。1472年(文明4)に家督を政豊に譲り、翌年3月18日に、京都西陣の邸内において、数え年70歳で病死しました。
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