ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:展望

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 今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、太宰治が小説『人間失格』を脱稿した日です。
 『人間失格』(にんげんしっかく)は、太宰治著の中編小説で、『ヴィヨンの妻』、『走れメロス』、『斜陽』と並ぶ代表作の1つです。昭和時代中期の1948年(昭和23)に、雑誌『展望』の1948年6月号~8月号に3回にわたって連載され、同年筑摩書房より短編「グッド・バイ」と併せて刊行されました。
 生きる能力さえ失うに至った東北地方の豪家に生れた大庭葉蔵の手記の形で、自己を見つめながら人間存在の本質を問うた作品となっています。作者は、作品完成後の連載中に、山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺しました。
 若者を魅了した小説となり、戦後の大ベストセラー作品とされています。

〇太宰治(だざい おさむ)とは?

 昭和時代に活躍した小説家で、本名は津島修治といい、1909年(明治42)6月19日に青森県金木村(現在の五所川原市金木町)の県下有数の大地主対馬家の六男として生まれました。県立青森中学校(現在の県立青森高等学校)から、官立弘前高等学校に学びましたが、高校在学中から、プロレタリア文学に興味を持って、同人誌に作品を掲載することになります。
 卒業後は、東京帝国大学文学部仏文学科に入学しましたが、あまり授業にも出ず、井伏鱒二に弟子入りし、在学中に、人妻と入水自殺を図ったりして、大学は辞めることになりました。その後、同人誌『海豹』に参加し、1935年(昭和10)、「逆行」を『文藝』に発表して、第1回芥川賞候補となって注目されます。
 それからも、自殺未遂したりしますが、1939年(昭和14)石原美知子と結婚して安定し、「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」などの優れた短編小説を発表しました。戦時下も『津軽』『お伽草紙』など創作活動を続け、戦後は、『ヴィヨンの妻』、『斜陽』、『人間失格』などを書いて無頼派などと呼ばれて脚光を浴びますが、1948年(昭和23)6月13日に40歳の若さで、玉川上水にて入水自殺しました。

<代表的な作品と初出>

・富嶽百景 『文体』1939年2月号、3月号
・黄金風景 『國民新聞』1939年3月2日、3月3日
・女生徒 『文學界』1939年4月号
・葉桜と魔笛 『新潮』1939年6月号
・八十八夜 『新潮』1939年8月号
・畜犬談 『文学者』1939年10月号
・皮膚と心 『文學界』1939年11月号
・俗天使 『新潮』1940年1月号
・鷗 『知性』1940年1月号
・女の決闘 『月刊文章』1940年1月号~6月号
・駈込み訴へ 『中央公論』1940年2月号
・走れメロス 『新潮』1940年5月号
・古典風 『知性』1940年6月号
・乞食学生 『若草』1940年7月号~12月号
・清貧譚 『新潮』1941年1月号
・みみずく通信 『知性』1941年1月号
・佐渡 『公論』1941年1月号
・千代女 『改造』1941年6月号
・新ハムレット 書き下ろし 『新ハムレット』(文藝春秋、1941年7月)
・誰 『知性』1941年12月号
・恥 『婦人画報』1942年1月号
・十二月八日 『婦人公論』1942年2月号
・律子と貞子 『若草』1942年2月号
・水仙 『改造』1942年5月号
・正義と微笑 書き下ろし 『正義と微笑』(錦城出版社、1942年6月)
・黄村先生言行録 『文學界』1943年1月号
・右大臣実朝 書き下ろし 『右大臣実朝』(錦城出版社、1943年9月)
・不審庵 『文藝世紀』1943年10月号
・花吹雪 書き下ろし 『佳日』(肇書房)
・佳日 『改造』1944年1月号
・散華 『新若人』1944年3月号
・津軽 書き下ろし 『津軽』(小山書店、1944年11月)
・ほかは書き下ろし 『新釈諸国噺』(生活社、1945年1月)
・竹青 『文藝』1945年4月号
・惜別 書き下ろし 『惜別』(朝日新聞社、1945年9月)
・お伽草紙 書き下ろし 『お伽草紙』(筑摩書房、1945年10月)
・冬の花火 『展望』1946年6月号
・春の枯葉 『人間』1946年9月号
・雀 『思潮』1946年9月号 『冬の花火』(中央公論社)
・親友交歓 『新潮』1946年12月号
・男女同権 『改造』1946年12月号
・トカトントン 『群像』1947年1月号
・メリイクリスマス 『中央公論』1947年1月号
・ヴィヨンの妻 『展望』1947年3月号
・女神 『日本小説』1947年5月号
・フォスフォレッスセンス 『日本小説』1947年7月号
・眉山 『小説新潮』1948年3月号
・斜陽 『新潮』1947年7月号~10月号
・如是我聞 『新潮』1948年3月号、5月号~7月号
・人間失格 『展望』1948年6月号~8月号
・グッド・バイ 『朝日新聞』1948年6月21日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1333年(元弘3)久米川の戦いで、新田義貞軍が鎌倉幕府の軍勢を破る(新暦6月24日)詳細
1534年(天文3)戦国大名織田信長の誕生日(新暦6月23日)詳細
1698年(元禄11)儒学者・蘭学者青木昆陽の誕生日(新暦6月19日)詳細
1718年(享保3)俳人で蕉門の十哲の一人とされる立花北枝の命日(新暦6月10日)詳細
1787年(天明7)天明大飢饉で大坂の庶民が米屋を襲撃し、天明の打ちこわしが始まる(新暦6月27日)詳細
1925年(大正14)「治安維持法」が施行される詳細
1962年(昭和37)劇作家・詩人・児童文学者・小説家秋田雨雀の命日詳細
1979年(昭和54)本州四国連絡橋計画の最初として、アーチ橋の大三島橋が完成(翌日から供用開始)する詳細
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chikumashyobou01
 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、吉田晁が筑摩書房を創立した日です。
 筑摩書房(ちくましょぼう)は、昭和時代前期の1940年(昭和15)6月18日に、東京帝国大学出身の古田晁(あきら)の手で創立された出版社です。1942年(昭和17)に、臼井吉見、中村光夫、唐木順三を顧問として、株式会社筑摩書房が設立されました。
 太平洋戦争後の1946年(昭和21)に月刊誌『展望』を創刊、1948年(昭和23)に『中島敦全集』を刊行して毎日出版文化賞を受賞、『展望』6月号~8月号に太宰治の『人間失格』が連載され注目されます。月刊誌『展望』は、文化、思想を重点とする編集や臼井執筆の「展望」欄が評判となり、好調な滑り出しをみせたものの、1951年(昭和26)10月号で休刊となりました。
 1953年(昭和28)に刊行開始した『現代日本文学全集』(全99巻)が成功して、いわゆる全集ブームの先鞭をつけます。その後も、『太宰治全集』、『宮沢賢治全集』、『世界文学大系』などの全集類や数多くの優れた単行本を刊行、1964年(昭和39)には、月刊誌『展望』も一時復刊しました。
 しかし、経営状態が悪化し、1978年(昭和53)7月12日に、会社更生法の適用を申請、1980年(昭和55)10月から更生会社として新発足しています。それからは、1985年(昭和60)にちくま文庫、1992年(平成4)にちくま学芸文庫、1994年(平成6)にちくま新書、2010年(平成22)に筑摩選書を創刊するなどしてきました。

〇筑摩書房関係略年表

・1940年(昭和15)6月18日 東京帝国大学出身の古田晁が創業する
・1942年(昭和17) 臼井吉見、中村光夫、唐木順三を顧問として株式会社筑摩書房を設立する
・1946年(昭和21) 月刊誌『展望』を創刊する
・1948年(昭和23) 『中島敦全集』を刊行、毎日出版文化賞を受賞、『展望』6月号から8月号に太宰治の『人間失格』が連載される
・1951年(昭和26) 月刊誌『言語生活』を創刊、『展望』が10月号で休刊となる
・1953年(昭和28) 『現代日本文学全集』(全99巻)を刊行開始する
・1955年(昭和30) 『太宰治全集』を刊行する
・1956年(昭和31) 『宮沢賢治全集』を刊行する
・1958年(昭和33) 『世界文学大系』を刊行開始(1969年完結)する
・1962年(昭和37) 『定本柳田國男集』を刊行開始(1971年完結)する
・1963年(昭和38) 「筑摩叢書」を刊行開始(約360点。1992年まで)、『現代日本思想大系』を刊行開始する
・1964年(昭和39) 『井伏鱒二全集』を刊行、『世界古典文学全集』を刊行開始、月刊誌『展望』も復刊する
・1965年(昭和40) 『明治文学全集』を刊行開始(1988年完結)する
・1966年(昭和41) 古田が社長を退任、竹之内静雄が社長となる
・1968年(昭和43) 『現代日本文学大系』を刊行開始(1973年完結)する
・1970年(昭和45) 和田芳恵『筑摩書房の三十年』(付 図書総目録、非売品)を出版、『ちくま少年図書館』の刊行開始する
・1971年(昭和46) 『筑摩世界文学大系』(全91冊)を刊行開始(1998年完結)する
・1972年(昭和47) 竹之内が退任、井上達三が社長となる
・1973年(昭和48) 創業者の古田晁が死去する
・1974年(昭和49) 『近代日本思想大系』を刊行開始(1990年完結)する
・1977年(昭和52) 臼井吉見『事故のてんまつ』事件が起こり、川端康成の遺族から提訴され、謝罪して絶版とし、岡山猛(1921~92年)が社長となり、『ちくま少年文庫』の刊行開始する
・1978年(昭和53)7月12日 業績不振のため会社更生法の適用を申請、経営破綻するが、全集・教科書などの刊行は続けられ、布川角左衛門、関根栄郷弁護士が管財人となり、布川が代表取締役となる
・1980年(昭和55) 更生会社として新発足し、『ちくま少年文学館』の刊行開始する
・1985年(昭和60) ちくま文庫を創刊する
・1986年(昭和61) ちくま少年図書館全100巻刊行により、第33回産経児童出版文化賞大賞を受賞する
・1988年(昭和63) 一般社団法人出版梓会の第4回出版文化賞を受賞、「ちくま文学の森」が刊行される
・1991年(平成3) 債務返済が完了し、関根が社長に就任、2月、創立50周年記念出版『筑摩書房図書総目録 1940-1990』を出版、森本政彦が社長に就任する
・1992年(平成4) ちくま学芸文庫を創刊する
・1994年(平成6) ちくま新書を創刊する
・1996年(平成8) 柏原成光(1939年~ )が社長に就任する
・1998年(平成10) 決定版『太宰治全集』(全13巻)を刊行開始する
・1999年(平成11) 菊池明郎が社長に就任する
・2005年(平成17) ちくまプリマー新書を創刊する
・2010年(平成22)10月 筑摩選書を創刊する
・2011年(平成23) 熊沢敏之が社長に就任、3月、創立70周年記念出版として、筑摩選書版で和田芳恵『筑摩書房の三十年』が復刊し、永江朗『筑摩書房 それからの四十年 1970-2010』を刊行する
・2015年(平成27) 山野浩一が社長に就任する
・2018年(平成30) 喜入冬子が社長に就任する
・2021年(令和3) 社団法人出版梓会の第37回出版文化賞を受賞する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

746年(天平18)法相宗の僧玄昉の命日(新暦7月15日)詳細
1143年(康治2)第78代の天皇とされる二条天皇の誕生日(新暦7月31日)詳細
1419年(応永26)第102代の天皇とされる後花園天皇の誕生日(新暦7月10日)詳細
1723年(享保8)徳川吉宗が人材登用のための「足高の制」を制定(新暦7月19日)詳細
1877年(明治10)アメリカの動物学者モースの誕生日及び初来日の日(考古学出発の日)詳細
1973年(昭和48)内閣が「当用漢字改訂音訓表」を告示し、音読み86、訓読み271を追加する詳細
1988年(昭和63)朝日新聞のスクープによってリクルート事件が発覚する詳細
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