ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:小説家

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 今日は、昭和時代前期の1937年(昭和12)に、小説家・ドイツ文学者古井由吉の生まれた日です。
 古井由吉(ふるい よしきち)は、昭和時代前期の1937年(昭和12)11月19日に、東京府東京市において生まれ、港区立白金小学校から同高松中学校を経て、1953年(昭和28)に獨協高校に入学しましたが、東京都立日比谷高校に転校しました。1956年(昭和31)に、同校を卒業し、東京大学文科二類へ入学、1960年(昭和35)には、東京大学文学部独文科卒業後、同大学院人文科学研究科独語独文学専攻へ進みます。
 その後、金沢大学助手、同大学講師を経て、立教大学助教授に着任し、1969年(昭和44)に『先導獣の話』が「文學界」同人雑誌評[ベスト5]となります。1970年(昭和45)に、『円陣を組む女たち』、『男たちの円居(まどい)』で評価され、立教大学を退職し、作家生活に入りました。
 1971年(昭和46)に『杳子』で、第64回芥川賞、1980年(昭和55)に『栖』で、第12回日本文学大賞、1983年(昭和58)には、『槿』で、第19回谷崎潤一郎賞を受賞します。1986年(昭和61)に芥川賞選考委員に選出され、1987年(昭和62)に『中山坂』で、第14回川端康成文学賞、1989年(平成元)には、『仮往生伝試文』で、第41回読売文学賞[小説賞]を受賞しました。
 1991年(平成2)に椎間板ヘルニアのため2ヶ月間入院しましたが、1997年(平成9)には、『白髪の唄』で、第38回毎日芸術賞を受賞しています。2005年(平成17)に芥川賞選考委員を「執筆に専念する」として辞任し、既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みたものの、2020年(令和2)2月18日に、東京都内の自宅において、肝細胞癌のため、82歳で亡くなりました。

<古井由吉の主要な著作>

・『円陣を組む女たち』(1970年)
・『男たちの円居(まどい)』(1970年)
・『杳子(ようこ)』(1971年)第64回芥川賞受賞
・『行隠(ゆきがく)れ』(1972年)
・『聖(ひじり)』(1976年)
・『栖(すみか)』(1980年)第12回日本文学大賞受賞
・『椋鳥(むくどり)』(1980年)
・『山躁賦(さんそうふ)』(1982年)
・『槿(あさがお)』(1983年)第19回谷崎潤一郎賞受賞
・エッセイ集『東京物語考』(1984年)
・『中山坂』(1987年)第14回川端康成文学賞受賞
・『仮往生伝試文』(1989年)第41回読売文学賞受賞
・『楽天記』(1992年)
・『魂の日』(1993年)
・『陽気な夜まわり』(1994年)
・『白髪(はくはつ)の唄(うた)』(1997年)第38回毎日芸術賞受賞
・『夜明けの家』(1998年)

〇古井由吉関係略年表

・1937年(昭和12)11月19日 東京府東京市において、生まれる
・1953年(昭和28) 獨協高校に入学したが、東京都立日比谷高校に転校する
・1956年(昭和31) 東京都立日比谷高校卒業し、東京大学文科二類へ入学する
・1960年(昭和35) 東京大学文学部独文科卒業後、同大学院人文科学研究科独語独文学専攻へ進む
・1969年(昭和44) 『先導獣の話』が「文學界」同人雑誌評[ベスト5]となる
・1970年(昭和45) 立教大学を退職し、作家生活に入る
・1971年(昭和46) 『杳子』で、第64回芥川賞(昭和45年/1970年下期)を受賞する
・1980年(昭和55) 『栖』で、第12回日本文学大賞を受賞する
・1983年(昭和58) 『槿』で、第19回谷崎潤一郎賞を受賞する
・1986年(昭和61) 芥川賞選考委員に選出される
・1987年(昭和62) 『中山坂』で、第14回川端康成文学賞を受賞する
・1989年(平成元) 『仮往生伝試文』で、第41回読売文学賞[小説賞]を受賞する
・1991年(平成2) 椎間板ヘルニアのため2ヶ月間入院する
・1997年(平成9) 『白髪の唄』で、第38回毎日芸術賞を受賞する
・2005年(平成17) 芥川賞選考委員を「執筆に専念する」として辞任する
・2020年(令和2)2月18日 東京都内の自宅において、肝細胞癌のため、82歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)京阪電気鉄道株式会社が設立される詳細
1947年(昭和22)「農業協同組合法」が公布される詳細
1956年(昭和31)米原~京都の電化により東海道本線の全線電化が完成する詳細
東京駅~博多駅間の夜行特急あさかぜが運行開始される詳細
1975年(昭和50)MK鋼を発明した冶金学者三島徳七の命日詳細
1982年(昭和57)地球物理学者・随筆家坪井忠二の命日詳細
1993年(平成5)「環境基本法」が公布・施行される詳細
1998年(平成10)気象学者藤田哲也の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家白石一郎が生まれた日です。
 白石一郎(しらいし いちろう)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれ、太平洋戦争敗戦の1945年(昭和20)までは同地で過ごしました。長崎県立佐世保北高等学校時代に小説家を志し、雑誌の懸賞小説に次々と投稿し、早稲田大学政治経済学部へ進みます。
 1954年(昭和29)に同大学卒業後、一時期サラリーマン生活を送りますが、退職して帰郷、父親の経理事務所を手伝いながら創作に励みました。1955年(昭和30)に『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選、1957年(昭和32)には、『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞します。
 1958年(昭和33)に『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で本格的な作家生活に入り、1970年(昭和45)に第1回福岡市文学賞[小説]、1983年(昭和58)には、第8回福岡市文化賞を受賞しました。その間、1970年(昭和45)から度々直木賞候補となりますが、ようやく8回目にして、1987年(昭和62)に『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞します。
 1992年(平成4)に『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞、1994年(平成6)には、『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化されました。1995年(平成7)には、朝日新聞で『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞しています。
 九州の海を舞台にした海洋歴史小説を多数発表し、1998年(平成10)には、第2回海洋文学大賞特別賞を受賞しました。1999年(平成11)には、第7回福岡県文化賞[創造部門]、『怒濤のごとく』で、第33回吉川英治文学賞を受賞したものの、2002年(平成14)の冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院後、入退院を繰り返し、2004年(平成16)9月20日に、福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなっています。

<白石一郎の主要な著作>

・『みかん』(1957年)第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]受賞
・『雑兵』(1958年)第10回講談倶楽部賞受賞
・『海狼伝』(1987年)第97回直木賞受賞
・『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』(1992年)第5回柴田錬三郎賞受賞
・『異人館』(1995年)
・『怒濤のごとく』(1999年)第33回吉川英治文学賞受賞

〇白石一郎関係略年表

・1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれる
・1945年(昭和20) 大平洋戦争敗戦に伴ない、朝鮮の釜山から長崎県佐世保市へ転居する
・1954年(昭和29) 早稲田大学政治経済学部卒業後、一時期サラリーマン生活を送る
・1955年(昭和30) 『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選する
・1957年(昭和32) 『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞する
・1958年(昭和33) 『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で作家生活に入る
・1970年(昭和45) 第1回福岡市文学賞[小説]を受賞する
・1983年(昭和58) 第8回福岡市文化賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞する
・1992年(平成4) 『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化される
・1995年(平成7) 朝日新聞で、幕末から明治維新の長崎で活躍した英国商人グラバーの生涯を描いた『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞する
・1998年(平成10) 第2回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・1999年(平成11) 第7回福岡県文化賞[創造部門]を受賞、『怒濤のごとく』にて第33回吉川英治文学賞を受賞する、
・2002年(平成14) 冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院する
・2004年(平成16)9月20日 福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)江戸幕府が島原の乱の鎮圧に板倉重昌らの派遣を決定する(新暦12月25日)詳細
1872年(明治5)太陽暦導入のため、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(改暦ノ布告)が布告される(新暦12月9日)詳細
1876年(明治9)医師・細菌学者野口英世の誕生日詳細
1945年(昭和20)GHQが「農業計画に関する覚書」(SCAPIN-257)を出す詳細
1963年(昭和38)三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で粉塵爆発が起き、死者458人を出す詳細
鶴見事故で列車の三重衝突が起こり、死者161人・負傷者120人を出す詳細
1962年(昭和37)廖承志と高碕達之助が「日中LT貿易覚書」に調印する詳細
1988年(昭和63)物理学者・第17代東京大学総長茅誠司の命日詳細
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takaiyuuichi01
 今日は、平成時代の2016年(平成28)に、小説家高井有一の亡くなった日です。
 高井有一(たかい ゆういち)は、1932年(昭和7)4月27日に、東京府北豊島郡長崎町(現在の東京都豊島区)において、画家の父・田口省吾と母・信子の長男として生まれましたが、本名は田口掬汀(たぐち きくてい)と言いました。1943年(昭和8)に祖父、父があいついで亡くなり、1945年(昭和20)には、太平洋戦争下において、母・妹と共に秋田県へ疎開しています。
 成蹊高等学校へ入学して、中村草田男の授業を受け、1951年(昭和26)に成蹊大学に進学したものの、翌年に早稲田大学第二文学部英文学科に編入しました。文学サークル「現代文学会」で活動、かたわら大学の広報誌「早稲田学報」の編集助手を務め、1955年(昭和30)に卒業し、共同通信社文化部記者となります。
 1964年(昭和39)に同人雑誌「犀」の創刊に参加、翌年に『夏の日の影』を発表、1966年(昭和41)に発表した『北の河』で、第54回芥川龍之介賞を受賞しました。1975年(昭和50) 共同通信社を退社し、作家専業となり、1977年(昭和52)には、季刊誌『文体』(平凡社)で、古井由吉、坂上弘、後藤明生とともに責任編集者を務め、祖父の田口掬汀の生涯を描いた『夢の碑』で芸術選奨文部大臣賞を受賞します。
 1984年(昭和59)に共同通信社の同僚だった中村輝子と結婚、『この国の空』で谷崎潤一郎賞、1990年(平成2)には、『夜の蟻』で読売文学賞を受賞しました。1992年(平成4)に立原正秋の生涯を描いた『立原正秋(せいしゅう)』で毎日芸術賞を受賞、1996年(平成8)には、日本芸術院会員となります。
 1999年(平成11)に『高らかな挽歌』で大佛次郎賞を受賞、2000年(平成12)には、日本文芸家協会理事長(~2002年)となりました。2015年(平成27)には、『この国の空』が映画化されたものの、2016年(平成28)10月26日に、東京都内の病院において、心不全のため84歳で亡くなっています。

<高井有一の主要な著作>

・『北の河』(1964年)第54回芥川賞受賞
・『少年たちの戦場』(1968年)
・『雪の涯(はて)の風葬』(1970年)
・『蟲たちの棲家』(1973年)
・『夢の碑』(1976年)芸術選奨文部大臣賞受賞
・『真実の学校』(1980年)
・『青梅』(1980年)
・『この国の空』(1983年)谷崎潤一郎賞受賞
・『俄瀧』(1984年)
・『塵の都に』(1988年)
・『夜の蟻』(1989年)読売文学賞受賞
・評伝『立原正秋』(1991年)毎日芸術賞受賞
・『愛日』(1994年)
・エッセイ集『作家の生き死(しに)』(1997年)
・『高らかな挽歌』(1999年)大佛次郎賞受賞
・『時の潮』(2002年)野間文芸賞受賞

〇高井有一関係略年表

・1932年(昭和7)4月27日 東京府北豊島郡長崎町(現在の東京都豊島区)において、画家の父・田口省吾と母・信子の長男として生まれる
・1943年(昭和8) 祖父、父があいついで亡くなる
・1945年(昭和20) 母・妹と共に秋田県へ疎開する
・1951年(昭和26) 成蹊高等学校から成蹊大学に進学する
・1952年(昭和27) 早稲田大学第二文学部英文学科に編入する
・1955年(昭和30) 早稲田大学第二文学部英文学科を卒業し、共同通信社文化部記者となる
・1964年(昭和39) 同人雑誌「犀」の創刊に参加する
・1965年(昭和40) 同人雑誌「犀」に『夏の日の影』を発表する
・1966年(昭和41) 同人雑誌「犀」に発表した『北の河』で、第54回芥川龍之介賞を受賞する
・1975年(昭和50) 共同通信社を退社し、作家専業となる
・1977年(昭和52) 季刊誌『文体』(平凡社)で、古井由吉、坂上弘、後藤明生とともに責任編集者を務め、祖父の田口掬汀の生涯を描いた『夢の碑』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1984年(昭和59) 共同通信社の同僚だった中村輝子と結婚、『この国の空』で谷崎潤一郎賞を受賞する
・1990年(平成2) 『夜の蟻』で読売文学賞を受賞する
・1992年(平成4) 立原正秋の生涯を描いた『立原正秋(せいしゅう)』で毎日芸術賞を受賞する
・1996年(平成8) 日本芸術院会員となる
・1999年(平成11) 『高らかな挽歌』で大佛次郎賞を受賞する
・2000年(平成12) 日本文芸家協会理事長(~2002年)となる
・2002年(平成14) 『時の潮』で野間文芸賞を受賞する
・2008年(平成20) 日本近代文学館理事長となる
・2015年(平成27) 『この国の空』が映画化される
・2016年(平成28)10月26日 東京都内の病院において、心不全のため84歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

968年(安和元)第65代の天皇とされる花山天皇の誕生日(新暦11月29日)詳細
1311年(応長元)鎌倉幕府第9代執権北条貞時の命日(新暦12月6日)詳細
1867年(慶応3)建築家・建築史学者伊東忠太の誕生日(新暦11月21日)詳細
1868年(明治元)戊辰戦争の箱館の戦いにおいて、榎本武揚軍が北海道・箱館の五稜郭を占領する詳細
1908年(明治41)幕臣・外交官・政治家榎本武揚の命日詳細
1909年(明治42)政治家伊藤博文がハルビンで、韓国の独立運動家安重根に暗殺される詳細
1919年(大正8)経済学者篠原三代平の誕生日詳細
1983年(昭和58)国営公園の一つとして東京の米軍立川基地跡地に国営昭和記念公園が開園する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家・エッセイスト・政治評論家曽野綾子が生まれた日です。
 曽野綾子(その あやこ)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれましたが、本名は知寿子(ちずこ)と言いました。1934年(昭和9)に大森区田園調布に転居し、聖心女子学院に幼稚園から入って、ミッション教育を受けましたが、1945年(昭和20)に空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属されます。
 戦後の1946年(昭和21)に東京に戻り聖心女子学院に復学、1948年(昭和23)の夏には、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうけました。1951年(昭和26)に、中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わり、在学中の1953年(昭和28)には、三浦朱門と結婚しています。
 1954年(昭和29)に、聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集めました。以後、次々に作品を発表し、1969年(昭和44)に『生贄の島』、1970年(昭和45)には、『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなり、有吉佐和子と共に脚光を浴びます。
 1972年(昭和47)に、NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を開始し、1973年(昭和48)に、『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行、1979年(昭和54)には、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章しました。1990年(平成2)に『天上の青』を刊行、1993年(平成5)に、日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となり、1995年(平成7)には、日本財団の会長に就任(~2005年)します。
 1997年(平成9)にNGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞、2003年(平成15)には、文化功労者となりました。2009年(平成21)に、日本郵政社外取締役に就任、2010年(平成22)に『老いの才覚』を刊行、2012年(平成24)には、菊池寛賞を受賞しています。多彩な活動を展開してきましたが、2025年(令和7)2月28日に、東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなりました。

<曽野綾子の主要な著作>

・『黎明』(1955~56年)
・『リオ・グランデ』(1961年)
・『砂糖菓子の壊れるとき』(1965年)
・『生贄(いけにえ)の島』(1969年)
・『無名碑』(1969年)
・『誰のために愛するか』(1970年)
・『人間の罠(わな)』(1971~72年)
・『ある神話の背景』(1971~72年)
・『戒老録』(1972年)
・『太郎物語 高校編』(1973年)
・『太郎物語 大学編』(1973年)
・『虚構の家』(1974年)
・『幸福という名の不幸』(1975年)
・『不在の部屋』(1976~78年)
・『神の汚れた手』(1979~80年)
・『時の止まった赤ん坊』(1984年)
・『湖水誕生』(1985年)
・『天上の青』(1990年)
・『夢に殉ず』(1994年)
・『「いい人」を止めると楽になる』(1999年)
・『陸影を見ず』(1999~2000年)
・『老いの才覚』(2010年)
・『人間にとって成熟とは何か』(2013年)
・『人間の分際』(2015年)
・『夫の後始末』(2017年)

〇曽野綾子関係略年表

・1931年(昭和6)9月17日 東京府南葛飾郡本田町(現在の葛飾区立石)に父・町田英治郎、母・キワの次女として生まれる
・1934年(昭和9) 大森区田園調布に移る
・1945年(昭和20) 空襲が迫る中で、石川県金沢市に疎開し、金沢第二高等女学校(現在の石川県立金沢桜丘高等学校)に転校したものの、勤労動員令により、平野化学工場に配属される
・1946年(昭和21) 東京に戻り聖心女子学院に復学する
・1948年(昭和23) 夏、箱根宮ノ下の富士屋ホテルに滞在してアルバイトまがいの手伝いをし、洗礼をうける
・1951年(昭和26) 中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月号)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、第15次『新思潮』に加わる
・1953年(昭和28) 三浦朱門と結婚する
・1954年(昭和29) 聖心女子大学英文学科を卒業、『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となり、『バビロンの処女市』、『海の御墓』などで注目を集める
・1969年(昭和44) 『生贄の島』を刊行する
・1970年(昭和45) 『誰のために愛するか』を刊行し、ベストセラーとなる
・1972年(昭和47) NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を始める
・1973年(昭和48) 『太郎物語 高校編』、『太郎物語 大学編』を刊行する
・1979年(昭和54) ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章する
・1990年(平成2) 『天上の青』を刊行する
・1993年(平成5) 日本芸術院恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる
・1995年(平成7) 日本財団会長職となる(~2005年)
・1997年(平成9) NGO海外邦人宣教者活動援助後援会(JOMAS)代表として読売国際協力賞を受賞する
・2000年(平成12) 元ペルー大統領のアルベルト・フジモリが日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れる
・2003年(平成15) 文化功労者となる
・2009年(平成21) 日本郵政社外取締役に就任する
・2010年(平成22) 『老いの才覚』を刊行する
・2012年(平成24) 菊池寛賞を受賞する
・2025年(令和7)2月28日 東京都内の病院において、老衰のため、93歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1062年(康平4)源頼義が安倍貞任を厨川の柵で破り、前九年の役が終結する(新暦10月22日)詳細
1867年(慶応3)俳人・歌人正岡子規の誕生日(新暦10月14日)詳細
1868年(明治元)日本初の洋式燈台である観音崎灯台が起工する(新暦11月1日)詳細
1894年(明治27)日清戦争で、日本軍連合艦隊と清国軍北洋艦隊が黄海海戦を戦い、日本軍が勝って制海権を獲得する詳細
1938年(昭和13)俳人村上鬼城の命日(鬼城忌)詳細
1945年(昭和20)枕崎台風が枕崎に上陸、日本を縦断し、死者・行方不明者3,758人が出る詳細
満蒙開拓団の中で、瑞穂村開拓団集団自決が起き、495人が亡くなる詳細
1964年(昭和39)日本初の旅客用モノレールとなる東京モノレール(羽田空港~浜松町)が開業する詳細

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 今日は、大正時代の1922年(大正11)に、小説家・演劇評論家・江戸文学史研究家饗庭篁村の亡くなった日です。
 饗庭 篁村(あえば こうそん)は、江戸時代後期の1855年(安政2年8月15日)に、江戸・下谷竜泉寺町において、質屋を営む饗場(戸籍面)與之吉の五男として生まれましたが、本名は与三郎と言いました。この年の10月2日に起きた安政の大地震で母を失い、1865年(慶応元)には、日本橋新材木町の箱根屋という質屋に奉公に預けられます。
 1869年(明治2)に、生家にもどり兄與之吉の下で家業を手伝い、1874年(明治7)には、日就社(読売新聞発行元)に入社し校正を担当しました。1876年(明治9)に入社した高畠藍泉(三世柳亭種彦)に引き立てられ、読売新聞の編集記者となり、1877年(明治10)には、京都に、1878年(明治11)には、明治天皇の東海・北陸巡行に派遣されています。
 1880年(明治13)に読売新聞の雑譚に執筆をはじめ、1882年(明治15)には、読売新聞の臨時印刷長となりました。1886年(明治19)に坪内逍遥と知り合い、根岸御隠殿に転居、長編『当世商人気質』と長編『人の噂』を読売新聞に連載、1887年(明治20)には、小説「藪の椿」、エドガー・アラン・ポーの翻案「西洋怪談 黒猫」・「ルーモルグの人殺し」を 読売新聞に連載します。
 1888年(明治21)にチャールズ・ディケンズの翻案「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」を 読売新聞に連載、1889年(明治22)には、短編「良夜」ほか、著述多数を発表、著述全集ともいえる『小説 むら竹』20巻を春陽堂から出版しましたが、読売新聞を退社し、東京朝日新聞に移りました。1890年(明治23)に『木曾道中記』を東京朝日新聞に20回連載、1892年(明治25)に東京専門学校(現在の早稲田大学)で近松門左衛門を講じ、1895年(明治28)には、『水戸の観梅』を東京朝日新聞に6回連載しています。
 1900年(明治26)に『新西遊記』を東京朝日新聞に連載、1901年(明治34)に『旅硯』、1902年(明治35)には、近松門左衛門の研究書『巣林子撰註』を刊行しました。1909年(明治42)に評論随筆『雀躍』、1912年(明治45)に『篁村叢書』を刊行し、1919年(大正8)には、東京朝日新聞社客員となります。
 根岸、谷中に住む文学グループ(根岸派)の中心的存在であったものの、1922年(大正11)6月20日に、東京において、脳の障害のため、67歳で亡くなりました。

<饗庭篁村の代表作>

(小説)
・『当世商人気質』(1886年~1889年:読売新聞連載)
・『人の噂』(1886年 読売新聞連載)
・『走馬燈(まはりどうらう)』(1887年:読売新聞発表)
・『魂膽』(1888年 読売新聞発表)
・『面目玉(めんぼくだま)』(1889年:読売新聞連載)
・『掘り出し物』(「新著百種」第2号 1889年:吉岡書籍店)
・『良夜』(1889年 國民之友に掲載)
・『驅落の驅落』
・『俳諧気違ひ』
(論考)
・『大石眞虎の傳(おおいしまとらのでん)』(1888年:読売新聞発表)
(紀行)
・『鹽原入浴の記』(1888年6月14日~20日:読売新聞:6回)
・『木曾道中記』(1890年5月3日~7月3日:東京朝日新聞:20回)
・『水戸の観梅』(1895年3月3日~17日:東京朝日新聞:6回)
・『小金井の櫻』(1899年)
・『新西遊記』(1900年5月28日~8月9日:東京朝日新聞に連載)
・『伊勢参宮』(1907年:右田寅彦との交互執筆)
(翻案)
・エドガー・アラン・ポー「ルーモルグの人殺し」(1886年:読売新聞連載)
・エドガー・アラン・ポー「西洋怪談 黒猫」(1887年:読売新聞連載)
・チャールズ・ディケンズ「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」(1888年:読売新聞連載)

〇饗庭篁村関係略年表

・1855年(安政2年8月15日) 江戸・下谷竜泉寺町において、質屋を営む饗場(戸籍面)與之吉の五男として生まれる
・1865年(慶応元) 日本橋新材木町の箱根屋という質屋に奉公に預けられる
・1869年(明治2) 生家にもどり兄與之吉の下で家業を手伝う
・1874年(明治7) 日就社(読売新聞発行元)に入社し校正を担当する
・1876年(明治9) 入社した高畠藍泉(三世柳亭種彦)に引き立てられ、読売新聞の編集記者となる
・1877年(明治10) 読売新聞より、京都に派遣される
・1878年(明治11) 読売新聞より、明治天皇の東海・北陸巡行に派遣される
・1880年(明治13) 読売新聞の雑譚に執筆をはじめる
・1882年(明治15) 読売新聞の臨時印刷長となる
・1886年(明治19) 坪内逍遥と知り合い、根岸御隠殿に転居、長編『当世商人気質』と長編『人の噂』を読売新聞に連載する
・1887年(明治20) 小説「藪の椿」、エドガー・アラン・ポーの翻案「西洋怪談 黒猫」・「ルーモルグの人殺し」を 読売新聞に連載する
・1888年(明治21) チャールズ・ディケンズの翻案「影法師(原作:クリスマス・キャロル)」を 読売新聞に連載する
・1889年(明治22) 短編「良夜」ほか、著述多数を発表、著述全集ともいえる『小説 むら竹』20巻を春陽堂から出版、読売新聞を退社し、東京朝日新聞に移る
・1890年(明治23) 『木曾道中記』を東京朝日新聞に20回連載(5月3日~7月3日)する
・1892年(明治25) 東京専門学校(現在の早稲田大学)で近松門左衛門を講じる
・1895年(明治28) 『水戸の観梅』を東京朝日新聞に6回連載(3月3日~17日)する
・1900年(明治26) 『新西遊記』を東京朝日新聞に連載(5月28日~8月9日)する
・1901年(明治34) 『旅硯』を刊行する
・1902年(明治35) 近松門左衛門の研究書『巣林子撰註』を刊行する
・1909年(明治42) 評論随筆『雀躍』を刊行する
・1912年(明治45) 『篁村叢書』を刊行する
・1919年(大正8) 東京朝日新聞社客員となる
・1922年(大正11)6月20日 東京において、脳の障害のため、67歳で亡くなる
・1927年(昭和2) 「明治文学名著全集」第12編として、『竹の屋劇評集』が刊行される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1495年(明応4)飯尾宗祇ら編集による『新撰菟玖波集』が完成する(新暦7月12日)詳細
1587年(天正18)天正遣欧使節がローマから長崎に帰港する(新暦7月21日)詳細
1654年(承応3)江戸市中に水を供給する玉川上水が完成する(新暦7月21日)詳細
1730年(享保15)京都で「西陣焼け」が起こり、134町、3,810軒を焼失する(新暦8月3日)詳細
1887年(明治20)二葉亭四迷著の小説『浮雲』の第一篇が刊行される詳細
1947年(昭和22)片山哲内閣によって、「新日本建設国民運動要領」が閣議決定される詳細
1949年(昭和24)デラ台風(昭和24年台風第2号)が来襲、鹿児島県鹿児島市に上陸し、甚大な被害をもたらし始める詳細
1963年(昭和38)「観光基本法」が公布・施行される詳細
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