ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:小説家

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 今日は、平成時代の2007年(平成19)に、小説家高橋揆一郎が亡くなった日です。
 高橋揆一郎(たかはし きいちろう)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)4月10日に、北海道歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれましたが、本名は良雄(よしお)と言いました。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を1946年(昭和21)に卒業し、歌志内国民学校の代用教員となります。
 1948年(昭和23)に、代用教員を辞して、北海道第一師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)入学したものの、中退して住友石炭鉱業上歌志内砿に入社しました。社内報の編集等の仕事に携わりながら、1950年(昭和25)に上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆し、『仮寓の半生』で炭労文学小説部門で入選しています。
 1958年(昭和33)に赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成、雑誌『赤い崖』を創刊しましたが、1965年(昭和40)に札幌の住友石炭北海道支店に転勤、同人誌活動を中断される状況となりました。1970年(昭和45)に住友石炭鉱業を退職し、フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載、1971年(昭和46)には、「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化します。
 1973年(昭和48)に『ぽぷらと軍神』で第37回文學界新人賞を受賞、1975年(昭和50)に『清吉の暦』で第73回芥川賞候補となりました。1977年(昭和52)に『観音力疾走』で第11回北海道新聞文学賞を受賞、第77回芥川賞候補となり、『日蔭の椅子』で第78回芥川賞候補となりましたが、1978年(昭和53)には、『伸予』で第79回芥川賞、札幌市民芸術賞を受賞しています。
 1987年(昭和62)に札幌歌志内会が設立され、会長を務め(~2001年度まで)、1991年(平成3)に北海道文化賞、1992年(平成4)には、『友子』で第11回新田次郎文学賞を受賞しました。1993年(平成5)に歌志内市内に「高橋揆一郎文学碑」が建立され、1997年(平成9)には、歌志内市名誉市民となり、歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となったものの、2007年(平成19)1月31日に、北海道札幌市内の病院において、肺炎のため78歳で亡くなっています。

〇高橋揆一郎の主要な著作

・『ぽぷらと軍神』(1973年)第37回文學界新人賞受賞
・『観音力疾走 木偶おがみ』(1977年) 第11回北海道新聞文学賞受賞、第77回芥川賞候補
・『伸予』(1978年)第79回芥川賞受賞
・『狐沢夢幻』(1979年)
・『友子』(1992年)第11回新田次郎文学賞受賞

〇高橋揆一郎関係略年表

・1928年(昭和3)4月10日 北海道歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる 
・1946年(昭和21) 札幌の夜間中学(旧制)を卒業後、歌志内国民学校の助教諭となり、国民学校の教師たちによって同人雑誌「白楊」が発刊される
・1948年(昭和23) 北海道第一師範学校入学のため退職したものの、わずかな期間で中退し、再び歌志内へ戻り、住友鉱業所上歌志内砿に入社、社内報の編集等の仕事に携わる
・1950年(昭和25) 上歌砿の文学サークル「上歌文学会セナクール」を結成したほか、さまざまな同人誌を発刊、執筆し、『仮寓の半生』で炭労文学小説部門で入選する
・1958年(昭和33) 赤平と上歌両地区の文学愛好者15人が集い「住友赤平文学会」を結成、雑誌『赤い崖』を創刊する
・1965年(昭和40) 札幌の住友石炭北海道支店に転勤、同人誌活動を中断される状況となる
・1970年(昭和45) 住友石炭鉱業を退職し、フリーのイラストレーターとなり、「財界さっぽろ」に時事漫画を連載する
・1971年(昭和46) 渡辺淳一を輩出した「くりまの会」同人となり、文学活動を本格化する
・1973年(昭和48) 『ぽぷらと軍神』で第37回文學界新人賞を受賞する
・1975年(昭和50) 『清吉の暦』で第73回芥川賞候補となる
・1977年(昭和52) 『観音力疾走』で第11回北海道新聞文学賞を受賞、第77回芥川賞候補となり、『日蔭の椅子』で第78回芥川賞候補となる
・1978年(昭和53) 『伸予』で第79回芥川賞、札幌市民芸術賞を受賞する
・1987年(昭和62) 札幌歌志内会が設立され、会長を務める(~2001年度まで)
・1991年(平成3) 北海道文化賞を受賞する
・1992年(平成4) 『友子』で第11回新田次郎文学賞を受賞する
・1993年(平成5) 歌志内市内3つ目の文学碑として「高橋揆一郎文学碑」が建立される
・1997年(平成9) 歌志内市名誉市民となり、歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」の名誉館長となる
・2007年(平成19)1月31日 北海道札幌市内の病院において、肺炎のため78歳で亡くなる
・2008年(平成20) 常設展示コーナーが新設される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1883年(明治16)病理学者緒方知三郎の誕生日詳細
1892年(明治25)詩人・随筆家・翻訳家尾崎喜八の誕生日詳細
1893年(明治26)北村透谷・島崎藤村らが文藝雑誌「文学界」を創刊する詳細
1897年(明治30)哲学者・啓蒙思想家・教育者西周の命日詳細
1935年(昭和10)小説家・ノーベル文学賞作家大江健三郎の誕生日詳細
1947年(昭和22)マッカーサーが、翌日から予定されていた「2.1ゼネスト」の中止を命令する詳細
1985年(昭和60)小説家石川達三の命日詳細
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hashimotoosamu01
 今日は、平成時代の2019年(平成31)に、小説家・評論家・随筆家橋本治の亡くなった日です。
 橋本治(はしもと おさむ)は、昭和時代中期の1948年(昭和23)3月25日に、東京都杉並区和泉の菓子店に生まれましたが、1951年(昭和26)の3歳の時に世田谷区に転居しました。杉並区立和泉中学校、都立豊多摩高校を経て、1967年(昭和42)に、東京大学文科Ⅲ類へ入学します。
 在学中の1968年(昭和43)に、東京大学駒場祭のポスターで「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打って注目され、イラストレーターとしての活動をスタートました。1970年(昭和45)に「週刊新潮」で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当、1973年(昭和48)には、卒論『四世鶴屋南北の劇世界』を書いて、東京大学文学部国文学科を卒業し、イラストレーターとなります。
 1977年(昭和52)に、女子高生の風俗を超口語体で描いた『桃尻娘』で第29回小説現代新人賞佳作となり、文筆業に転じ、1987年(昭和62)には、『桃尻語訳 枕草子』がベストセラーとなりました。1990年(平成2)に『江戸にフランス革命を!』で第17回大佛次郎賞候補に選出されるも落選、1991年(平成3)には、米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録されています。
 1992年(平成4)に小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師を務め、1993年(平成5)には、雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始(~2005年)しました。1996年(平成8)にオウム真理教事件を題材にした『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞、2002年(平成14)には、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞しています。
 2004年(平成16)に文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになり、2005年(平成17)に短編集『蝶のゆくえ』で第18回柴田錬三郎賞、2008年(平成20)には、『双調 平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受賞しました。2018年(平成30)に『草薙の剣』で第71回野間文芸賞を受賞しましたが、2019年(平成31)1月29日に、東京都新宿区の病院において、肺炎のために70歳で亡くなっています。

〇橋本治の主要な著作

・戯曲『義経伝説』(1991年)
・『桃尻娘』(1977年)第29回小説現代新人賞佳作
・『蓮(はす)と刀』(1982年)
・『その後の仁義なき桃尻娘』(1983年)
・『帰って来た桃尻娘』(1984年)
・『革命的半ズボン主義宣言』(1984年)
・『無花果少年(いちぢくボーイ)と瓜売小僧(うりうりぼうや)』(1985年)
・『完本チャンバラ時代劇講座』(1986年)
・『無花果少年と桃尻娘』(1988年)
・『雨の温州蜜柑姫(おみかんひめ)』(1990年)
・『'89』(1990年)
・『古事記』(1993年)
・シリーズ『貧乏は正しい!』(1994~1996年)
・『桃尻語訳枕草子』上中下(1987、1988、1995年)
・『宗教なんかこわくない!』(1996年)第9回新潮学芸賞受賞
・『絵本徒然草(つれづれぐさ)』上下(1990、1993年)
・『窯変(ようへん)源氏物語』全14巻(1991~1993年)
・『双調平家物語』全15巻(1998~2007年)
・『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(2002年)第1回小林秀雄賞受賞
・短編集『蝶のゆくえ』(2005年)第18回柴田錬三郎賞受賞
・『双調 平家物語』(2008年)第62回毎日出版文化賞受賞
・『草薙の剣』(2018年)第71回野間文芸賞受賞

☆橋本治関係略年表

・1948年(昭和23)3月25日 東京都杉並区の菓子店に生まれる
・1951年(昭和26) 3歳の時に世田谷区に転居する
・1954年(昭和29) 杉並区立新泉小学校へ入学する
・1960年(昭和35) 杉並区立新泉小学校を卒業し、杉並区立和泉中学校へ入学する
・1963年(昭和38) 杉並区立和泉中学校を卒業し、都立豊多摩高校に入学する
・1966年(昭和41) 都立豊多摩高校卒業後、予備校に通う
・1967年(昭和42) 東京大学文科Ⅲ類へ入学する
・1968年(昭和43) 大学2年次に、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される
・1970年(昭和45) 「週刊新潮」で「ぽるの日本史」の挿絵を1年間担当する
・1973年(昭和48) 卒論『四世鶴屋南北の劇世界』を書いて、東京大学文学部国文学科を卒業し、イラストレーターとして活動する
・1977年(昭和52) 女子高生の風俗を超口語体で描いた『桃尻娘』で第29回小説現代新人賞佳作となり、文筆業に転じる
・1987年(昭和62) 『桃尻語訳 枕草子』がベストセラーとなる
・1990年(平成2) 『江戸にフランス革命を!』で第17回大佛次郎賞候補に選出されるも落選する
・1991年(平成3) 米国で出版された現代日本文学のアンソロジー『Monkey brain sushi』に「愛の牡丹雪」の英訳が収録される
・1992年(平成4) 小学館ヤングサンデーの主催するサマーセミナーで講師を務める
・1993年(平成5) 雑誌「芸術新潮」で連載「ひらがな日本美術史」を開始(~2005年)する
・1995年(平成7) 雑誌「WIRED」の創刊2号(1995年3月号)で大友良英とトークセッションする
・1996年(平成8) オウム真理教事件を題材にした『宗教なんかこわくない!』で第9回新潮学芸賞を受賞する
・1999年(平成11) 東京・三軒茶屋シアタートラムで篠井英介の一人芝居『女賊』の作・演出を務める
・2002年(平成14) 『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第1回小林秀雄賞を受賞する
・2004年(平成16) 文化論『上司は思いつきでものを言う』がベストセラーになる
・2005年(平成17) 短編集『蝶のゆくえ』で第18回柴田錬三郎賞を受賞する
・2007年(平成19) 小林秀雄賞の選考委員となる(~2018年)
・2008年(平成20) 『双調 平家物語』で第62回毎日出版文化賞を受賞する
・2009年(平成21) 「週刊新潮」2009年2月号に「巡礼」が一挙掲載される
・2013年(平成25) 東京都立西高等学校で「役に立たないことの大切さ」と題して講演会を行なう
・2018年(平成30) 『草薙の剣』で第71回野間文芸賞を受賞する
・2019年(平成31)1月29日 東京都新宿区の病院において、肺炎のために70歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1293年(正応6)南北朝時代の公卿・武将・学者北畠親房の誕生日(新暦3月8日)詳細
1634年(寛永11)江戸幕府が、各藩邸から出動して江戸市内の消火にあたる大名火消を設置する(新暦2月26日)詳細
1879年(明治12)日本が国際電信連合(現在の国際電気通信連合)に加盟する詳細
1905年(明治38)週刊「平民新聞」第64号が赤字で発行され、「終刊の辞」が掲載されて廃刊となる詳細
1944年(昭和19)「中央公論」、「改造」の編集者が検挙され、横浜事件の一つ「中央公論・改造事件」の発端となる詳細
1946年(昭和21)GHQが「日本の行政権の行使に関する範囲の指令」(SCAPIN-677)を出す詳細
1991年(平成3)小説家井上靖の命日詳細
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fujimotogiichi01
 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家・放送作家藤本義一の生まれた日です。
 藤本義一(ふじもと ぎいち)は、昭和時代前期の1933年(昭和8)1月26日に、大阪府堺市において生まれましたが、本名は義一(よしかず)と読みます。泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)を経て、1945年(昭和20)に私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入りましたが、敗戦となりました。
 戦後の1950年(昭和25)に新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学したものの、まもなく中退し、翌年には、大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学します。1952年(昭和27)に経済学部へ転部し、在学中より脚本家を目ざしラジオドラマの懸賞に次々と入選、1955年(昭和30)にラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」、1956年(昭和31)には、「うちうみ」「三等待合室」が放送されました。
 1957年(昭和32)に戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞、1958年(昭和33)には、学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、校名が変わった大阪府立大学経済学部を卒業します。その後、テレビドラマ脚本を経て、宝塚映画撮影所、続いて大映に入社、1959年(昭和34)に大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者となり、1961年(昭和36)には、NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆しました。
 1965年(昭和40)にテレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなり、長編小説を書くようになって、1968年(昭和43)に『ちりめんじゃこ』、1969年(昭和44)に『マンハッタン・ブルース』、1971年(昭和46)には、『生きいそぎの記』がいずれも直木賞候補となります。1972年(昭和47)に第1回噂賞、1974年(昭和49)には、上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞しました。
 1975年(昭和50)に『雨月物語』の現代語訳を発表、1978年(昭和53)に上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務め、1980年(昭和55)には、日本放送作家協会の関西支部長に就任するなど多彩な活躍をします。それによって、1986年(昭和61)に第1回関西大賞を受賞、1987年(昭和62)には、『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞しました。
 1990年(平成2)に、司会を務めるなど25年に渡って関わって来たテレビ番組「11PM」が最終回を迎え、1998年(平成10)に大阪芸術賞を受賞しています。1995年(平成7)の阪神・淡路大震災の被災遺児のために、1999年(平成11)に児童厚生施設「浜風の家」をオープンしました。
 しかし、2010年(平成22)に多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患い、翌年の春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告され、2012年(平成24)10月30日に、肺がんのため、79歳で亡くなっています。尚、2014年(平成26)には、遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンしました。

〇藤本義一の主要な著作

・戯曲『つばくろの歌』(1957年)芸術祭曲部門の文部大臣賞受賞
・長編小説『ちりめんじゃこ』(1968年)第61回直木賞候補
・長編小説『マンハッタン・ブルース』(1969年)第62回直木賞候補
・長編小説『生きいそぎの記』(1971年)第65回直木賞候補 
・長編小説『鬼の詩(うた)』(1974年)第71回直木賞受賞
・『大いなる笑魂(しょうこん)』(1977年)
・『西鶴(さいかく)くずし・好色一代男』(1978年)
・『人間萬事(ばんじ)』(1986年)
・『女の淵(ふち)』(1980年)
・長編小説『蛍(ほたる)の宿』(1986年)第7回日本文芸大賞受賞
・長編小説『蛍の宴(うたげ)』(1987年)
・長編小説『蛍の街』(1988年)
・長編小説『蛍の死』(1989年)
・連作短編集『迷子の天使たち』(1993年)
・短編作品集『三条木屋(きや)町』(1994年)
・エッセイ集『けったいな人たち――日本異人伝』(1994年)
・『なにわ商人(あきんど)1500年の知恵』(1994年)
・『人生の賞味期限』(2001年)
・『人生は、いつも始発駅』(2001年)
・『人生の自由時間』(2001年)

☆藤本義一関係略年表

・1933年(昭和8)1月26日 大阪府堺市において、生まれる
・1939年(昭和14) 泉北郡浜寺尋常小学校(現在の堺市立浜寺小学校)に入学する
・1945年(昭和20) 私立浪速中学に入学後、航空機搭乗員養成所に入るが、敗戦となる
・1950年(昭和25) 新制浪速高校を卒業後、立命館大学法学部に入学するが、まもなく中退する
・1951年(昭和26) 大阪府立浪速大学(現在の大阪府立大学)教育学部に入学する
・1952年(昭和27) 経済学部へ転部する
・1955年(昭和30) ラジオドラマ「大黒主命」「花火」「あら、あら、かしこ」が放送される
・1956年(昭和31) ラジオドラマ「うちうみ」「三等待合室」が放送される
・1957年(昭和32) 戯曲『つばくろの歌』で、芸術祭戯曲部門の文部大臣賞を受賞する
・1958年(昭和33) 学生時代に知り合っていた統紀子夫人と結婚して枚方市に転居、大阪府立大学経済学部を卒業する
・1959年(昭和34) 大映にて、『貸間あり』の脚本の共作者とな
・1960年(昭和35) 長女が誕生する
・1961年(昭和36) NHKのドラマ「現代人間模様」を執筆する
・1963年(昭和38) 次女が誕生する
・1965年(昭和40) テレビ番組「11PM」(日本テレビ・よみうりテレビ共同製作)での大阪制作分のキャスターとなる
・1968年(昭和43) 長編小説『ちりめんじゃこ』が第61回直木賞候補となる
・1969年(昭和44) 『マンハッタン・ブルース』が第62回直木賞候補となる
・1971年(昭和46) 『生きいそぎの記』が第65回直木賞候補となる
・1972年(昭和47) 第1回噂賞を受賞する
・1974年(昭和49) 上方落語家の半生を描いた『鬼の詩』で、第71回直木賞を受賞する
・1975年(昭和50) 『雨月物語』の現代語訳を発表する
・1978年(昭和53) 上方の笑いを応援する「笑(しょう)の会」の村長を務める
・1980年(昭和55) 日本放送作家協会の関西支部長に就任する
・1986年(昭和61) 第1回関西大賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『螢の宿』で第7回日本文芸大賞を受賞する
・1990年(平成2) 司会を務めた「11PM」が最終回をむかえる
・1998年(平成10) 大阪芸術賞を受賞する
・1999年(平成11) 阪神・淡路大震災の被災遺児のために児童厚生施設「浜風の家」をオープンする
・2010年(平成22) 多方面にわたる活動を続ける最中に軽度の脳梗塞を患う
・2011年(平成23) 春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告される
・2012年(平成24)10月30日 肺がんのため、79歳で亡くなる
・2014年(平成26) 遺品や蔵書を集めたギャラリー「藤本義一の書斎」が兵庫県芦屋市にオープンする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1881年(明治14)神田松枝町大火が起き、10,673戸を焼失し、36,542人の被災者を出す詳細
1944年(昭和19)内務省が「(改正)防空法」により、東京と名古屋に初の建物疎開の命令を出す詳細
1949年(昭和24)奈良の法隆寺金堂が火災により焼損する(文化財防火デー)詳細
1958年(昭和33)旅客船「南海丸」が紀伊水道沼島沖で沈没、167名全員が死亡・行方不明となる(南海丸遭難事故)詳細
1997年(平成9)小説家藤沢周平の命日詳細
2006年(平成18)「重要文化的景観」第1号として滋賀県の「近江八幡の水郷」が国から選定される詳細
2013年(平成25)小説家安岡章太郎の命日詳細
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yuukishyouji01
 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、小説家・推理作家・俳人結城昌治の亡くなった日です。
 結城昌治(ゆうき しょうじ)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)2月5日に、東京市品川区において生まれましたが、本名は田村幸雄(たむら ゆきお)と言いました。戸越小学校を経て、高輪商業学校にまなび、1945年(昭和20)に卒業しましたが、旧制高等学校受験に失敗し、海軍特別幹部練習生を志願したものの、身体再検査の結果帰郷を命ぜられ、空襲で自宅が焼失したため、敗戦まで栃木県那須に疎開します。
 1946年(昭和21)に早稲田専門学校法律科(現在の早稲田大学法学部)に入学、1948年(昭和23)に卒業後、東京地方検察庁に事務官として就職したものの、1年足らずで肺結核となり、1949年(昭和24)に国立東京療養所に入院し、療養生活を送り、1951年(昭和26)に退所しました。1955年(昭和30)に勤めの傍らアテネフランセに通学し、1959年(昭和34)には、胃から吐血し、虎の門病院に入院、『寒中水泳』で、エラリイ・クイーンズ・ミステリー・マガジン第1回短編コンテストに入選、処女作品集『ひげのある男たち』を早川書房から刊行します。
 1960年(昭和35)に東京地方検察庁を退職して作家専業となり、推理小説を発表、1962年(昭和37)に早川書房の「日本ミステリ・シリーズ」で、スパイ小説『ゴメスの名はゴメス』を書き下し、第47回直木賞候補となり、1963年(昭和38)には、『夜の終る時』で、第17回日本推理作家協会賞を受賞、日本推理作家協会が設立され常任理事となりました。1966年(昭和41)に『白昼堂々』で、第55回直木賞候補となり、1970年(昭和45)には、『軍旗はためく下に』で、第63回直木賞を受賞しています。
 1978年(昭和53)に第一次「くちなし句会」を結成、『志ん生一代』で、第12回吉川英治文学賞候補となり、1983年(昭和58)には、第二次「くちなし句会」を結成(~1993年)しました。1985年(昭和60)に『終着駅』で、第19回吉川英治文学賞を受賞、1994年(平成6)には、紫綬褒章を受章しましたが、1996年(平成8)1月24日に、呼吸不全のため、68歳で亡くなっています。

〇結城昌治の主要な著作

・『寒中水泳』(1959年)「エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン」コンテスト入選
・『長い長い眠り』(1960年)
・『仲のいい死体』(1961年)
・『ゴメスの名はゴメス』(1962年)第47回直木賞候補
・『夜の終る時』(1963年)第17回日本推理作家協会賞受賞
・『軍旗はためく下に』(1970年)第63回直木賞受賞
・伝記小説『志ん生(しんしょう)一代』(1976年)第12回吉川英治文学賞候補
・『終着駅』(1984年)第19回吉川英治文学賞受賞
・連作推理小説集『修羅の匂い』(1990年)
・短編集『エンドレス』(1991年)
・連作推理小説集『決着』(1993年)
・句集『余色(よしょく)』(1993年)
・『出来事』(1994年)
・『俳句は下手でかまわない』(1997年)

☆結城昌治関係略年表

・1927年(昭和2)2月5日 東京市品川区において、生まれる
・1939年(昭和14) 戸越小学校卒業したが、旧制中学受験に失敗する
・1940年(昭和15) 高輪商業学校へ入学する
・1945年(昭和20) 高輪商業学校を卒業したが、旧制高等学校受験に失敗し、海軍特別幹部練習生を志願したものの、身体再検査の結果帰郷を命ぜられ、空襲で自宅が焼失したため、敗戦まで栃木県那須に疎開する
・1946年(昭和21) 早稲田専門学校法律科(現在の早稲田大学法学部)入学する
・1948年(昭和23) 東京地方検察庁に事務官として就職するが、1年足らずで肺結核となる
・1949年(昭和24) 国立東京療養所に入院し、療養生活を送る
・1951年(昭和26) 国立東京療養所を退所する
・1955年(昭和30) 勤めの傍らアテネフランセに通学する
・1959年(昭和34) 胃から吐血し、虎の門病院に入院、『寒中水泳』で、エラリイ・クイーンズ・ミステリー・マガジン第1回短編コンテストに入選、処女作品集『ひげのある男たち』を早川書房から刊行する
・1960年(昭和35) 東京地方検察庁を退職して作家専業となり、推理小説を発表する
・1962年(昭和37) 早川書房の「日本ミステリ・シリーズ」で、スパイ小説『ゴメスの名はゴメス』を書き下し、第47回直木賞候補となる
・1963年(昭和38) 『夜の終る時』で、第17回日本推理作家協会賞を受賞、日本推理作家協会が設立され常任理事となる
・1966年(昭和41) 『白昼堂々』で、第55回直木賞候補となる
・1970年(昭和45) 『軍旗はためく下に』で、第63回直木賞を受賞する
・1978年(昭和53) 第一次「くちなし句会」を金原亭馬生、青木雨彦、高橋呉郎、大泉拓、村上豊、青柳純一、小田島雅和と結成、『志ん生一代』で、第12回吉川英治文学賞候補となる
・1983年(昭和58) 第二次「くちなし句会」を青柳純一、小田島雅和、園山俊二、石田種生、加賀美尚、山根一眞、平井宏と結成する
・1985年(昭和60) 『終着駅』で、第19回吉川英治文学賞を受賞する
・1994年(平成6) 紫綬褒章を受章する
・1996年(平成8)1月24日 呼吸不全のため、68歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1632年(寛永9)武将・江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の命日(新暦3月14日)詳細
1865年(元治2)長崎に大浦天主堂が完成(西洋建築の木造三廊)し、献堂式が挙行される(新暦2月19日)詳細
1869年(明治2)詩人・随筆家・評論家大町桂月の誕生日(新暦3月6日)詳細
1871年(明治4)「書状ヲ出ス人ノ心得」、「郵便賃銭切手高並代銭表」等の太政官布告が出される(新暦3月14日)詳細
1911年(明治44) 大逆事件によって、幸徳秋水、宮下太吉ら11名の処刑が行われる詳細
1942年(昭和17)「国民錬成所官制」により、文部省に国民錬成所を設置し、中学教員に対する錬成を実施するとされる詳細
1960年(昭和35)小説家火野葦平の命日詳細
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miurashyumon01
 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、小説家・文化庁長官だった三浦朱門が生まれた日です。
 三浦 朱門(みうら しゅもん)は、大正時代の1926年(大正15)1月12日に、東京府豊多摩郡(現在の東京都中野区)において、イタリア文学者だった父・三浦逸雄の子として生まれました。東京府立第二中学校(現在の都立立川高等学校)から旧制高知高等学校へ入学しましたが、1945年(昭和20)に陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎えます。
 復学後、1948年(昭和23)に東京大学文学部言語学科を卒業、日本大学芸術学部非常勤講師となりました。1950年(昭和25)に第17次『新思潮』に参加、1951年(昭和26)に『画鬼』(のちに『冥府(めいふ)山水図』)を発表し、「芥川龍之介の再来」と呼ばれるようになり、1952年(昭和27)には、日本大学芸術学部助教授となり、『斧と馬丁』で芥川賞候補となり、「第三の新人」の一人として活躍します。
 1953年(昭和28)に同人仲間だった曾野綾子と結婚、1967年(昭和42)には、日本大学芸術学部教授となり、『箱庭』で、第14回新潮社文学賞を受賞しました。しかし、1969年(昭和44)の日大闘争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職したものの、翌年には、聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章しています。
 1983年(昭和58)に『武蔵野インディアン』で、第33回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、1985年(昭和60)には文化庁長官(~1986年)となりました。1987年(昭和62)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、日本芸術院会員となり、1988年(昭和63)には、日本文芸家協会理事長(~1994年)となります。
 1991年(平成3)に中部大学女子短期大学学長(~1995年)となり、1999年〈平成11〉には、第14回産経正論大賞を受賞し、文化功労者ともなりました。2004年(平成16)に日本芸術院の院長(~2014年)となりましたが、2017年(平成29)2月3日に、東京都において、間質性肺炎のため91歳で亡くなっています。

〇三浦朱門の主要な著作

・『斧と馬丁』(1952年)芥川賞候補
・『聖陵勲章』(1953年)
・『冥府(めいふ)山水図』(1955年)
・『礁湖』(1957年)
・『不肖の父』(1958年)
・『セルロイドの塔』(1960年)
・『神話』(1966年)
・『箱庭』(1967年)新潮文学賞受賞
・『教えの庭』(1969年)
・『竹馬の友』(1969年)
・『道の半ばに』(1969年)
・『鴉(からす)』(1971年)
・『武蔵野(むさしの)インディアン』(1982年)第33回芸術選奨文部科学大臣賞受賞
・『望郷』(1987年)
・『ささやかな不仕合わせ』(1987年)

☆三浦朱門関係略年表

・1926年(大正15)1月12日 東京府豊多摩郡(現在の東京都中野区)において、イタリア文学者だった父・三浦逸雄の子として生まれる
・1945年(昭和20) 陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える
・1948年(昭和23) 東京大学文学部言語学科を卒業、日本大学芸術学部非常勤講師となる
・1950年(昭和25) 第17次『新思潮』に参加する
・1951年(昭和26) 『画鬼』(のちに『冥府(めいふ)山水図』)を発表し、「芥川龍之介の再来」と呼ばれるようになる
・1952年(昭和27) 日本大学芸術学部助教授となり、『斧と馬丁』で芥川賞候補となる
・1953年(昭和28) 同人仲間だった曾野綾子と結婚する
・1967年(昭和42) 日本大学芸術学部教授となり、『箱庭』で、第14回新潮社文学賞を受賞する
・1969年(昭和44) 日大闘争で学生からも孤立し、赤塚行雄とともに辞職する
・1970年(昭和45) 聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する
・1983年(昭和58) 『武蔵野インディアン』で、第33回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する
・1985年(昭和60) 文化庁長官となる
・1986年(昭和61) 文化庁長官を辞める
・1987年(昭和62) 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、日本芸術院会員となる
・1988年(昭和63) 日本文芸家協会理事長となる
・1991年(平成3) 中部大学女子短期大学学長となる
・1994年(平成6) 日本文芸家協会理事長を辞める
・1995年(平成7) 中部大学女子短期大学学長を辞める
・1999年〈平成11〉 第14回産経正論大賞を受賞し、文化功労者となる
・2004年(平成16) 日本芸術院の院長となる
・2014年(平成26) 日本芸術院の院長を辞める
・2017年(平成29)2月3日 東京都において、間質性肺炎のため91歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

866年(慶応2)仏教学者・チベット探検家河口慧海の誕生日(新暦2月26日)詳細
1869年(明治2)洋画家岡田三郎助の誕生日(新暦1月22日)詳細
1874年(明治7)板垣退助らが日本初の政党となる愛国公党を結成する詳細
1903年(明治36)日本画家岩橋英遠の誕生日詳細
1914年(大正3)桜島大正大噴火が始まる詳細
1954年(昭和29)文化財保護委員会が奈良市・大和郡山市の平城京跡の発掘を開始する詳細
2019年(平成31)哲学者梅原猛の命日詳細
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