第4代将軍足利義持の時、1411年(応永18)から一時中絶しましたが、1432年(永享4)に第6代将軍足利義教が再開しました。応仁の乱(1467~77年)後は、大内氏と細川氏が貿易の利権を争いましたが、やがて大内氏が独占し、貿易の利益により巨富を蓄積したものの、大内氏滅亡により途絶えています。15世紀後半~16世紀前半にかけて、九州の博多は大内氏の遣明船派遣の拠点となって栄えました。
輸出品は硫黄、銅などの鉱物、扇子、刀剣、漆器や屏風など、輸入品は明銭(永楽通宝)、生糸、織物、書物などとなっています。中断はあったものの、約140年間続き、明文化移植に貢献しました。