ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:室町幕府

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 今日は、室町時代の1490年(延徳2)に、足利義材(後の義尹・義稙)が室町幕府第10代将軍に就任した日ですが、新暦では7月22日となります。
 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
 最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。
 職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。
 そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。

<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>

・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1141年(建保3) 僧侶・臨済宗の開祖栄西の命日(新暦8月1日) 詳細
1584年(天正12) 天正遣欧少年使節がポルトガルの首都リスボンに到着する(新暦8月10日) 詳細
1590年(天正18) 北條氏直が小田原城を開城して豊臣秀吉に降伏し、秀吉の天下統一が完成する 詳細
1639年(寛永16) 江戸幕府が「寛永十六年七月令」(第五次鎖国令)を布告、ポルトガル船の入港を禁止(新暦8月5日) 詳細
1654年(承応3) 明の禅僧・隠元隆琦一行が長崎に到着する(新暦8月17日) 詳細
1881年(明治14) 岩倉具視の「岩倉具視の意見書ー憲法構想」が明治天皇へ上奏される 詳細
1947年(昭和22) 経済安定本部が「新価格体系の確立について」を発表する 詳細
1949年(昭和24) 下山事件が起こる 詳細
2008年(平成20) 東海北陸自動車道の飛驒清見IC~白川郷IC間開通(2車線)により、全線開通する 詳細
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 今日は、室町時代の1449年(文安6)に、足利義成(後の義政)が室町幕府第8代将軍に就任した日ですが、新暦では5月21日となります。
 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
 最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。
 職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。
 そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。

<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>

・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)

〇足利義政(あしかが よしまさ)とは?

 室町時代の室町幕府第8代将軍です。1436年(永享8)1月2日に、室町幕府第6代将軍の父・足利義教の五男(母は日野重子)として生まれましたが、幼名は三春丸と言いました。
 1441年(嘉吉元)の嘉吉の乱で父・義教が赤松満祐に暗殺され、兄義勝が第7代将軍となります。しかし、1443年(嘉吉3)にの兄の急死により、わずか8歳の幼少で細川持賢、畠山持国、山名持豊ら宿老に擁立されて家督を継ぎ、将軍継嗣と定められました。
 1446年(文安3)に後花園天皇から義成(よししげ)と命名され、従五位上に叙任、1448年(文安5)に左馬頭となります。翌年には、15歳で元服して第8代将軍となり、参議・左中将を兼ねました。
 1453年(享徳2)に義政と改名、1460年(寛正元)に左大臣、1464年(寛正5)に准后宣下を受けます。当初子供がなく、同年に弟義視(よしみ)を後嗣に定めましたが、翌年に妻日野富子が義尚を生み、これを将軍にしようとして応仁の乱(1467~77年)の一因となり、執政が乱れました。
 1473年(文明5)には嫡子の義尚に将軍を譲りますが、実権は理財の才に優れた妻富子が握ります。その後、京都東山に山荘を造り、ここに慈照寺(銀閣寺)を建て、1483年(文明15)に移り住んで、東山殿と称されました。
 1485年(文明17)に出家、戦乱をよそに芸能風流を好み、文化人を庇護、茶の湯、絵画、能などを育て、いわゆる東山文化が栄える契機となります。1489年(延徳元)、義尚が近江陣中に没すると政務に復帰しましたが、幕政を立て直せぬまま、1490年(延徳2)1月7日、京都において、55歳で亡くなりました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1855年(安政2)経済学者・史学者・政治家田口卯吉の誕生日(新暦6月12日)詳細
1886年(明治19)「華族世襲財産法」(明治19年勅令第34号)が公布される詳細
1895年(明治28) 帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館)が開館する詳細
1912年(明治45)北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)でガス爆発事故が起こり、死者269人を出す詳細
1951年(昭和26)沖縄社会大衆党、沖縄人民党を中心に「日本復帰促進期成会」が結成される詳細
1997年(平成9)「化学兵器禁止条約」が発効する詳細
2006年(平成18)生口島北IC~生口島南IC(生口島道路)の開通で西瀬戸自動車道が全通する詳細
2016年(平成28)京都鉄道博物館が開館する詳細
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 今日は、室町時代の1429年(正長2)に、足利義宣が室町幕府第6代将軍に就任し、義教に名を改めた日ですが、新暦では4月18日となります。
 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年 (建武3年/延元元年11月7日) に、足利尊氏が建武政府を打倒し、「建武式目」を定めたところから実質的に始まり、主要政務機関である引付方、侍所、政所、問注所などが翌年にかけて稼働しはじめ、1338年(建武5年/延元3年8月11日)に尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられ、名実共に整ったとされています。
 最初の頃は、尊氏は北朝の光明天皇を擁し、吉野の南朝と対立しましたが、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となりました。義満は、1378年(永和4年/天授4年)に京都室町に花の御所と呼ばれる邸宅を造ったので、一般にこの名で呼ばれるようになりました。職制はだいたい鎌倉幕府を継承し、三管四職を中心とする有力守護大名の連合政権的性格が強いもので、統制力に欠け、大名の勢力争いが絶えず起こります。
 また、土一揆などが相つぎ、応仁の乱(1467年~77年)以降著しく弱体化し、群雄割拠の戦国時代にはまったく有名無実の状態に陥りました。そして、1573年(元亀4年7月18日)に、15代将軍義昭が織田信長によって追放されて滅亡しています。
 尚、文化的には3代将軍義満の頃の北山文化、8代将軍義政の頃の東山文化と呼ばれる武家文化が展開し、対明貿易は中国の文物をもたらしました。

<室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧>

・初代 尊氏(たかうじ)在職年:1338年(建武5)~1358年(延文3)
・2代 義詮(よしあきら)在職年:1358年(延文3)~1367年(貞治6)
・3代 義満(よしみつ)在職年:1368年(応安元)~1394年(応永元)
・4代 義持(よしもち)在職年:1394年(応永元)~1423年(応永30)
・5代 義量(よしかず)在職年:1423年(応永30)~1425年(応永32)
・空白 4代義持が代理 在職年:1425年(応永32)~1428年(応永35)
・6代 義教(よしのり)在職年:1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・7代 義勝(よしかつ)在職年:1442年(嘉吉2)~1443年(嘉吉3)
・8代 義政(よしまさ)在職年:1449年(文安6)~1473年(文明5)
・9代 義尚(よしひさ)在職年:1473年(文明5)~1489年(長享3)
・空白 8代義政が代理 在職年:1489年(長享3)~1490年(延徳2)
・10代 義稙(よしたね)在職年:1490年(延徳2)~1493年(明応2)
・11代 義澄(よしずみ)在職年:1494年(明応3)~1508年(永正5)
・(再) 義稙(よしたね)在職年:1508年(永正5)~1521年(大永元)
・12代 義晴(よしはる)在職年:1521年(大永元)~1546年(天文15)
・13代 義輝(よしてる)在職年:1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・14代 義栄(よしひで)在職年:1568年(永禄11)~1568年(永禄11)
・15代 義昭(よしあき)在職年:1568年(永禄11)~1573年(天正16)

〇足利 義教】(あしかが よしのり)とは?

 室町時代の室町幕府第6代将軍です。1394年(明徳5)に、第3代将軍足利義満の五男として生まれましたが、1403年(応永10)に青蓮院に入室し、得度して義円の法名を称し、天台座主となりました。
 しかし、兄の第4代将軍義持の死後、還俗して1429年(正長2)に、第6代将軍となったのです。最初の頃は、宿老との合議制をとっていましたが、徐々に将軍専制を強めるようになりました。
 そして、鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って、将軍の権力を強化したものの、政治不安をもった播磨守護赤松満祐に謀られ、1441年(嘉吉元)に、48歳で殺害されました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
1914年(大正3)秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出す詳細
1930年(昭和5)神奈川県横浜市に山下公園が開園する詳細
1945年(昭和20)小磯国昭内閣により、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」が閣議決定される詳細
1958年(昭和33)劇作家・演出家・小説家・批評家久保栄の命日詳細
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 今日は、安土桃山時代の1588年(天正16)に、室町幕府最後の将軍・足利義昭が官職を辞し、准三宮の待遇を受け、室町幕府が名目上も滅亡した日ですが、新暦では2月9日となります。
 足利 義昭】(あしかが よしあき)は、室町幕府第15代将軍です。戦国時代の1537年(天文6年11月3日)に、京都において、室町幕府第12代将軍の父・足利義晴の次男(母は近衛尚通の娘)として生まれました。
 1562年(永禄5)に、尚通の子稙家の猶子として奈良一乗院門跡となり覚慶(かくけい)と称します。1565年(永禄8)に第13代将軍であった兄・義輝らが、三好三人衆に暗殺されると同院内に軟禁されました。
 しかし、細川藤孝(幽斎)らの活躍で一乗院を脱出し、近江の和田惟政を頼り、翌年還俗して義秋と称します。その後、若狭を経て越前に移り、1568年(永禄11)に一乗谷の朝倉義景の館で元服して義昭と改名しました。
 同年7月には美濃に入り織田信長の食客となり、同年9月信長に擁立されて入京し、室町幕府第15代将軍に就任します。しかし、信長としばしば対立するようになり、1569年(永禄12)に、信長は「殿中御掟」という9ヶ条の掟書を認めさせ、さらに翌年には5ヶ条を追加して、政治行動を規制されました。
 1572年(元亀3)には信長との手切れを決意し、浅井長政、朝倉義景、武田信玄らの力をかりて、近江に挙兵します。翌年に正親町天皇の調停でいったん講和が成りましたが、再び山城槇島城に挙兵しました。
 すぐに信長に攻められ、子義尋を質として降伏し、京都を追われて河内若江城に移り、室町幕府は崩壊します。以後も紀伊由良、備後鞆と流寓し、毛利氏を頼って再起を図るも果たせませんでした。
 それでも、1582年(天正10)の本能寺の変で信長が明智光秀に討たれた後は、後継者の豊臣秀吉によって帰京を認められ、1588年(天正16)に、山城国(京都)に帰還、出家して准三宮の宣下を受け皇族と同等の待遇を得ます。1万石の知行を与えられ、1592年(文禄元)の文禄の役では、肥前名護屋に従軍しましたが、病を得て、1597年(慶長2年8月28日)に大坂において、数え年61歳で亡くなりました。

〇足利義昭関係略年表(日付は旧暦です)

・1537年(天文6年11月3日) 京都において、室町幕府第12代将軍の父・足利義晴の次男として生まれる
・1562年(永禄5年) 近衛尚通の子稙家の猶子として奈良一乗院門跡となり覚慶と称する
・1565年(永禄8年) 第13代将軍であった兄・義輝らが、三好三人衆に暗殺されると一乗院内に軟禁される
・1565年(永禄8年7月) 細川藤孝(幽斎)らの活躍で、一乗院を脱出する
・1565年(永禄8年11月21日) 近江国野洲郡矢島村に進出し、在所(矢島御所)とする
・1566年(永禄9年2月17日) 矢島御所において還俗し、義秋と称する
・1566年(永禄9年4月21日) 従五位下に叙し、左馬頭に任官する
・1568年(永禄11年4月) 一乗谷の朝倉義景の館で元服し、義昭と改名する
・1568年(永禄11年7月) 近江を経て美濃立政寺に入る
・1568年(永禄11年9月) 織田信長に奉じられて入京する
・1568年(永禄11年10月18日) 従四位下に昇叙し、参議に補任、左近衛中将を兼任、室町幕府第15代将軍となる
・1569年(永禄12年1月14日) 信長により「殿中御掟」という9ヶ条の掟書を認めさせられる
・1569年(永禄12年6月22日) 従三位に昇叙し、権大納言に栄進する
・1570年(永禄13年1月) 信長により、5ヶ条を追加されて、さらに政治行動を規制される
・1571年(元亀2年) 上杉輝虎(謙信)や毛利輝元、本願寺顕如や甲斐国の武田信玄、六角義賢らに御内書を下しはじめる
・1572年(元亀3年10月) 近江にて挙兵する
・1573年(元亀4年4月5日) 正親町天皇の調停でいったん講和する
・1573年(元亀4年7月3日) 南山城の要害・槇島城で再び挙兵する 
・1573年(元亀4年7月18日) 織田軍の攻撃により、槇島城は落城し、京都より追放されて河内若江城に移り、室町幕府が実質的に滅ぶ
・1574年(天正2年) 紀伊国の興国寺に移り、ついで田辺の泊城に移る
・1576年(天正4年) 毛利輝元を頼り、その勢力下であった備後国の鞆に移る
・1587年(天正15年) 備後国沼隈郡津之郷の田辺寺で、九州平定に向かう途中の豊臣秀吉と対面する
・1588年(天正16年1月13日) 山城国(京都)に帰還、出家して准三宮の宣下を受け皇族と同等の待遇を得ることで、室町幕府が名目上も滅亡する
・1592年(文禄元年) 文禄の役では、肥前名護屋に従軍する
・1597年(慶長2年8月28日) 大坂において、数え年61歳で亡くなる

☆室町幕府(むろまちばくふ)とは?

 足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年(建武3)に、足利尊氏が建武式目を制定して武家政権開設の方向を示し、1338年(建武5)に征夷大将軍の宣下を受けて、名実ともに幕府の発足となりました。
 しかし、南北朝の対立が起こって、不安定だったものの、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となったのです。しかし、守護の台頭により動揺が絶えず、1441年(嘉吉元)赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する事件(嘉吉の乱)も起こりました。
 その後も、1467年(応仁元)に起こった応仁の乱以降戦乱が続いて、著しく幕府は弱体化したのです。そして、1573年(天正16)に織田信長によって、15代将軍足利義昭が追放されて、室町幕府は滅ぶことになりました。

☆室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧

【初代】尊氏(たかうじ)1338年(建武5)~1358年(延文3)
・1338年 足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を開く
・1341年 天龍寺船を元へ送る
・1348年 四条畷の戦いが起こる
・1350年 観応の擾乱が起こる
・1352年 観応半済令が出される

【2代】義詮(よしあきら)1358年(貞治6)~1367年(延文3) 
・1366年 貞治の変が起こる

【3代】義満(よしみつ)1368年(応安元)~1394年(応永元)
・1368年 応安半済令が出される
・1391年 明徳の乱が起こる
・1392年 南北朝が合一する

【4代】義持(よしもち)1394年(応永元)~1423年(応永30)
・1397年 義満が京都の北山に金閣寺を建てる
・1399年 応永の乱がおこる
・1404年 勘合貿易が始まる

【5代義量(よしかず)1423年(応永30)~1425年(応永32)
 空白 4代義持が代理 1425年(応永32)~1428年(応永35)

【6代】義教(よしのり)1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・1428年 正長の土一揆が起こる
・1429年 播磨の土一揆が起こる
・1438年 永享の乱が起こる
・1440年 結城合戦が起こる
・1441年 赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する

【7代】義勝(よしかつ)1442年(嘉吉2)~1443年 (嘉吉3)
【8代】義政(よしまさ)1449年(文安6)~1473年(文明5)
・1467年 応仁の乱がおこる

【9代】義尚(よしひさ)1473年(文明5)~1489年(長享3)
・1485年 山城国一揆が起こる
・1488年 加賀の一向一揆が起こる
・1489年 義政が京都東山に銀閣寺を建てる
 空白 8代義政が代理 1489年(長享3)~1490年(延徳2)

【10代】義稙(よしたね)1490年(延徳2)~1493年(明応2)

【11代】義澄(よしずみ)1494年(明応3)~1508年(永正5)
・1495年 北条早雲が小田原城を奪取する
 (再) 義稙(よしたね)1508年(永正5)~1521年(大永元)
・1510年 朝鮮三浦の日本人が富山浦を攻略(三浦の乱)

【12代】義晴(よしはる)1521年(大永元)~1546年(天文15)
・1523年 寧波の乱が起こる
・1543年 ポルトガル人が九州の種子島に鉄砲を伝える(鉄砲伝来)

【13代】義輝(よしてる)1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・1549年 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来る
・1550年 ポルトガル船、肥前平戸に入港する
・1553年 第4次川中島の戦いが起こる
・1555年 厳島の戦いが起こる
・1560年 桶狭間の戦いが起こる
・1567年 織田信長が美濃加納に楽市令を出す

【14代】義栄(よしひで)1568年(永禄11)~1568年(永禄11)

【15代】義昭(よしあき)1568年(永禄11)~1573年(天正16)
・1568年 織田信長の後押しで義昭が将軍に就く
・1570年 姉川の戦いが起こる
・1571年 比叡山の焼き討ちが起こる
・1572年 三方ヶ原の戦いが起こる
・1573年 織田信長に義昭が追放され、室町幕府が実質的に滅ぶ
・1588年 足利義昭が官職を辞し、准三宮の待遇を受け、室町幕府が名目上も滅亡する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1199年(建久10)鎌倉幕府初代将軍源頼朝の命日(新暦2月9日)詳細
1653年(承応2)町人清右衛門が建議した多摩川から江戸への導水路(玉川上水)着工が許可される(新暦2月10日)詳細
1943年(昭和18)ジャズなど英米の音楽が「敵性音楽」とされ演奏・レコード発売が禁止になる詳細
1945年(昭和20)東海地方で三河地震(M6.8)が起き、死者・行方不明者2,306人を出す詳細
1966年(昭和41)「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(古都保存法)が公布される詳細
1976年(昭和51)小説家・劇作家舟橋聖一の命日詳細
1992年(平成4)共和汚職事件で自民党の阿部文男衆議院議員(元北海道・沖縄開発庁長官)が逮捕される詳細
2001年(平成13)文芸評論家本多秋五の命日詳細
 
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 今日は、南北朝時代の応安元年/正平23年に、足利義満が室町幕府第3代将軍に就任した日ですが、新暦では1369年2月7日となります。
 足利義満(あしかが よしみつ)は、室町時代の室町幕府第3代将軍です。1358年(延文3/正平13年8月22日)に、室町幕府第2代将軍の父・足利義詮、母・紀良子の長男として、京都で生まれましたが、幼名は春王と言いました。
 1366年(正平21/貞治5)には、後光厳天皇から名字を義満と賜り、従五位下に叙せられます。1367年(貞治6/正平22)に父の死後10歳で家督を継ぎ、翌年に室町幕府第3代将軍に就任しました。
 管領細川頼之の補佐をうけ、1371年以降今川了俊に九州を統一させ、1378年(天授4/永和4)には、室町に新邸(花の御所)を造営して移住し、幕府の基礎を固めます。しかし、1379年(天授5/康暦元)には、細川頼之に帰国を命じ(康暦の政変)、斯波義将を管領としました。
 1390年(明徳元/元中7)の美濃の乱で土岐康行、翌年の明徳の乱で山名氏清を鎮圧して、強力な守護の勢力を弱める一方で、1392年(元中9/明徳3)に南北朝の合一を実現し、幕府権力を確立します。1394年(応永元)には、子の義持に将軍職をゆずって太政大臣となり、翌年出家しますが、実権は保持し続けました。
 一方で、五山制度を整備し、能楽も保護して、1397年(応永4)に北山に金閣を建て、北山殿と呼ばれるようになり、いわゆる北山文化を現出します。さらに、1399年(応永6)には、応永の乱で中国地方の雄大内義弘を滅ぼし、1401年(応永8)に明に入貢、勘合貿易を開いて、「日本国王」として冊封を受け、室町幕府の最盛期を作りました。
 しかし、1408年(応永15年5月6日)には、咳病を患って、49歳で京都の北山第に急逝します。

〇室町幕府(むろまちばくふ)とは?

 足利氏が京都に開いた幕府による武家政権です。1336年(建武3)に、足利尊氏が建武式目を制定して武家政権開設の方向を示し、1338年(建武5)に征夷大将軍の宣下を受けて、名実ともに幕府の発足となりました。
 しかし、南北朝の対立が起こって、不安定だったものの、3代将軍義満に至って、南北朝の統一を果たし、全国政権となったのです。しかし、守護の台頭により動揺が絶えず、1441年(嘉吉元)赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する事件(嘉吉の乱)も起こりました。
 その後も、1467年(応仁元)に起こった応仁の乱以降戦乱が続いて、著しく幕府は弱体化したのです。そして、1573年(天正16)に織田信長によって、15代将軍足利義昭が追放されて、室町幕府は滅ぶことになりました。

☆室町幕府の歴代将軍(足利家)一覧

【初代】尊氏(たかうじ)1338年(建武5)~1358年(延文3)
・1338年 足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を開く
・1341年 天龍寺船を元へ送る
・1348年 四条畷の戦いが起こる
・1350年 観応の擾乱が起こる
・1352年 観応半済令が出される

【2代】義詮(よしあきら)1358年(貞治6)~1367年(延文3) 
・1366年 貞治の変が起こる

【3代】義満(よしみつ)1368年(応安元)~1394年(応永元)
・1368年 応安半済令が出される
・1391年 明徳の乱が起こる
・1392年 南北朝が合一する

【4代】義持(よしもち)1394年(応永元)~1423年(応永30)
・1397年 義満が京都の北山に金閣寺を建てる
・1399年 応永の乱がおこる
・1404年 勘合貿易が始まる

【5代義量(よしかず)1423年(応永30)~1425年(応永32)
 空白 4代義持が代理 1425年(応永32)~1428年(応永35)

【6代】義教(よしのり)1429年(正長2)~1441年(嘉吉元)
・1428年 正長の土一揆が起こる
・1429年 播磨の土一揆が起こる
・1438年 永享の乱が起こる
・1440年 結城合戦が起こる
・1441年 赤松満祐が6代将軍足利義教を殺害する

【7代】義勝(よしかつ)1442年(嘉吉2)~1443年 (嘉吉3)
【8代】義政(よしまさ)1449年(文安6)~1473年(文明5)
・1467年 応仁の乱がおこる

【9代】義尚(よしひさ)1473年(文明5)~1489年(長享3)
・1485年 山城国一揆が起こる
・1488年 加賀の一向一揆が起こる
・1489年 義政が京都東山に銀閣寺を建てる
 空白 8代義政が代理 1489年(長享3)~1490年(延徳2)

【10代】義稙(よしたね)1490年(延徳2)~1493年(明応2)

【11代】義澄(よしずみ)1494年(明応3)~1508年(永正5)
・1495年 北条早雲が小田原城を奪取する
 (再) 義稙(よしたね)1508年(永正5)~1521年(大永元)
・1510年 朝鮮三浦の日本人が富山浦を攻略(三浦の乱)

【12代】義晴(よしはる)1521年(大永元)~1546年(天文15)
・1523年 寧波の乱が起こる
・1543年 ポルトガル人が九州の種子島に鉄砲を伝える(鉄砲伝来)

【13代】義輝(よしてる)1546年(天文15)~1565年(永禄8)
・1549年 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来る
・1550年 ポルトガル船、肥前平戸に入港する
・1553年 第4次川中島の戦いが起こる
・1555年 厳島の戦いが起こる
・1560年 桶狭間の戦いが起こる
・1567年 織田信長が美濃加納に楽市令を出す

【14代】義栄(よしひで)1568年(永禄11)~1568年(永禄11)

【15代】義昭(よしあき)1568年(永禄11)~1573年(天正16)
・1568年 織田信長の後押しで義昭が将軍に就く
・1570年 姉川の戦いが起こる
・1571年 比叡山の焼き討ちが起こる
・1572年 三方ヶ原の戦いが起こる
・1573年 織田信長に義昭が追放され、室町幕府が滅ぶ

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1391年(明徳2/元中8)武将・守護大名(丹波・和泉・山城・但馬)山名氏清が明徳の乱に敗れ戦死する(新暦1392年1月24日)詳細
1867年(慶応3)小説家・評論家斎藤緑雨の誕生日(新暦1868年1月24日)詳細
1881年(明治14)画家・歌人・随筆家小杉放庵の誕生日詳細
1927年(昭和2)上野~浅草に日本初の地下鉄(現在の東京メトロ銀座線)が開通(地下鉄記念日)詳細
1930年(昭和5)小説家開高健の誕生日詳細
1937年(昭和12)東京市バスが木炭バス4台を初運行する詳細
1952年(昭和27)作曲家中山晋平の命日詳細
1977年(昭和52)生理学者久野寧の命日詳細
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