ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:宣戦布告

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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、第一次世界大戦において、ドイツがフランスに宣戦布告した日です。
 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界的規模の戦争です。1914年(大正3)6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を発端として開戦しました。
 同盟側にはトルコ・ブルガリアなど、協商側には同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国など30を超える国や地域が連鎖的に参戦します。1918年(大正7)11月にドイツ降伏で同盟国側が敗北するまで、4年余りにわたってヨーロッパ戦場を中心に激戦が続きました。
 国家総力戦となり戦車や飛行機、毒ガスなど多くの近代兵器が使用され、犠牲者は兵士だけで約900万人にも及んだと言われています。日本は、1914年(大正3)に、「日英同盟」を理由にドイツに宣戦布告し、同年10月3日から14日にかけて、日本は南洋に艦隊を派遣し、ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を占領しました。
 また、10月31日から日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃(青島の戦い)します。11月7日には青島を占領し、ここに東アジアでの戦闘は終了したものの、日本は戦死者415人、戦傷者907人を出しました。
 その後、1919年(大正9)のパリ講和会議で「ベルサイユ条約」が成立しましたが、日本は、ドイツの山東省権益と赤道以北の南洋諸島を委任統治領を得ることとなります。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月11日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

701年(大宝元)藤原不比等らによる「大宝律令」の編纂が完了する(新暦9月9日)詳細
759年(天平宝字3)鑑真が唐律招提(後の唐招提寺)を建立する(新暦8月29日)詳細
1872年(明治5)「学制」が公布される(新暦9月5日)詳細
1918年(大正7)富山県西水橋町で漁師の妻ら約200人が米屋などに押し掛け、新聞報道されて米騒動が全国に飛び火する詳細
1935年(昭和10)岡田啓介内閣によって「国体明徴に関する政府声明」(第1次国体明徴声明)が出される詳細
1937年(昭和12)豊田正子が小学生の時に書いた作文をまとめた『綴方教室』が刊行される詳細
1967年(昭和42)「公害対策基本法」が公布・施行される詳細
1977年(昭和52)広島で14年ぶりに統一された原水爆禁止世界大会が開催される詳細
1987年(昭和62)建設省が「日本の道100選」を選定し、前年分と合わせて104本となる詳細
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 今日は、明治時代後期の1900年(明治33)に、義和団事件で、清国が日本・イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・イタリア・ドイツ・オーストリアの8ヶ国に宣戦布告した日です。
 義和団事件(ぎわだんじけん)は、1899年~1901年にかけて、中国清朝末期におきた反キリスト教的排外運動で、北清事変、拳匪(けんぴ)事件とも言います。「扶清滅洋」、「除教安民」を叫び、生活に苦しむ農民を集めた、白蓮教 (びやくれんきよう) 系の秘密結社である義和拳教の徒が、清朝の守旧派とも結びついて勢力を拡大しました。
 各地でキリスト教会や外国人を襲うようになり、ついに、1900年に清国の西太后がこの叛乱を支持して、6月21日に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となります。そして、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するようになり、ドイツ公使を殺害しました。
 これに対し、日本・イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・イタリア・ドイツ・オーストリアの8ヶ国は共同出兵して鎮圧にあたり、大沽(タークー)砲台、天津で官軍と義和団を破り、8月に北京に入城、華北の要所を占領します。西太后と光緒帝(こうしょてい)は西安に逃れ、失脚した守旧派にかわって実権を握った洋務派は、連合軍に協力しました。
 李鴻章 (りこうしよう) が講和にあたり、1901年には、「北京議定書」(辛丑和約)に調印し、列国の華北駐兵権、賠償金4億5000万両 (テール) の支払いなどを承認します。この動乱で清政府の中枢部は潰滅状態となり、ロシアは事件の波及防止の口実で満州を占領するなど、中国は半植民地といわれる状況となりました。
 この結果、清朝はいっそう激しい外国の圧迫を受け、半植民地化が促進され、これによるロシアの満州駐兵は日露戦争の原因ともなります。

〇義和団事件関係略年表

<1894年(明治27)>
・大刀会が活動を開始する

<1897年(明治30)>
・11月1日 山東省において大刀会がドイツ人宣教師殺害、数日後、ドイツが膠州湾占拠する

<1898年(明治31)>
・5月 義和拳、「順清滅洋」を旗印に教会・信者を積極的に襲撃する

<1900年(明治33)>
・1月27日 列強の公使団、清国に義和団鎮圧を強硬に求める
・3月14日 毓賢を更迭し、袁世凱を山東巡撫とする
・4月 袁世凱に弾圧された義和団、直隷省になだれ込む
・5月 義和団、北京へ到達する
・6月9日 各国公使、自国軍の北京への援軍を要請する
・6月11日 義和団に呼応した清国軍の董福祥配下の兵士が北京の日本大使館員・杉山彬を殺害する
・6月19日 西太后、義和団を支持し西欧列強に宣戦布告することを決定する
・6月20日 義和団、紫禁城の一郭にあった北京各国公使館を包囲( ~8月14日)する
・6月21日 清国、欧米及び日本の八か国に宣戦布告する
・7月14日 天津、八カ国連合軍に占領される
・8月14日 八カ国連合軍、北京に到達し総攻撃を開始する
・8月15日 西太后と光緒帝、北京から逃亡、珍妃、紫禁城内の井戸にて死亡する
・9月25日 義和団事件における事件の首謀者(清朝内)を発表する
・10月8日 義和団事件に関する北京列国公使会議開催する

<1901年(明治34)>
・5月29日 清国、北京列国公使団の賠償金(4億5000万両)要求を受諾する
・7月31日 八カ国連合軍、北京からの撤退を開始する
・9月7日 「北清事変に関する最終議定書(北京議定書)」が調印される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

二十四節季二十四節季の10番目夏至です詳細
1635年(寛永12)江戸幕府が改訂発布した「武家諸法度」(寛永令)で参勤交代の義務化等を命じる(新暦8月3日)詳細
1738年(元文3)仙台藩士・経世論家で、寛政三奇人の一人、林子平の誕生日(新暦8月6日)詳細
1892年(明治25)「鉄道敷設法」公布される詳細
1915年(大正4)「無線電信法」(大正4年法律第26号)が公布(施行は同年11月1日)される詳細
1949年(昭和24)川崎汽船青葉丸がデラ台風により大分県沖で転覆、死者・行方不明者141人を出す(青葉丸転覆事故)詳細
1951年(昭和26)教育科学文化機関(ユネスコ)が日本の加盟を承認する詳細
国際労働機関(ILO)が日本の再加盟を承認する詳細
1962年(昭和37)「サンケイ」新聞夕刊で司馬遼太郎著の『竜馬がゆく』の連載が開始される詳細
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dai1jisekaitaisen00001
 今日は、大正時代の1915年(大正4)に、第一次世界大戦で、イタリアが三国同盟を破棄してオーストリア=ハンガリーに宣戦布告した日です。
 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界的規模の戦争です。1914年(大正3)6月28日、オーストリア領のサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都)で、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を発端として開戦しました。
 同盟側にはトルコ・ブルガリアなど、協商側には同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国など30を超える国や地域が連鎖的に参戦します。1918年(大正7)11月にドイツ降伏で同盟国側が敗北するまで、4年余りにわたってヨーロッパ戦場を中心に激戦が続きました。
 国家総力戦となり戦車や飛行機、毒ガスなど多くの近代兵器が使用され、犠牲者は兵士だけで約900万人にも及んだと言われています。日本は、1914年(大正3)に、「日英同盟」を理由にドイツに宣戦布告し、同年10月3日から14日にかけて、日本は南洋に艦隊を派遣し、ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を占領しました。
 また、10月31日から日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃(青島の戦い)します。11月7日には青島を占領し、ここに東アジアでの戦闘は終了したものの、日本は戦死者415人、戦傷者907人を出しました。
 その後、1919年(大正9)のパリ講和会議で「ベルサイユ条約」が成立しましたが、日本は、ドイツの山東省権益と赤道以北の南洋諸島を委任統治領を得ることとなります。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・10月31日 日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃する(青島の戦い)
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月12日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

811年(弘仁2)武将・征夷大将軍坂上田村麻呂の命日(新暦6月17日)詳細
1663年(寛文3)江戸幕府が改訂した「武家諸法度」(寛文令)21ヶ条を発布する(新暦6月28日)詳細
1832年(天保3)蘭学者・政治家・外交官寺島宗則の誕生日(新暦6月21日)詳細
1915年(大正4)東京駅~東京鉄道郵便局間に、郵便物受渡用の地下電車が開通し、日本初の地下鉄となる詳細
1919年(大正8)和辻哲郎著の『古寺巡礼』が発刊される詳細
1948年(昭和23)憲法学者美濃部達吉の命日詳細
1969年(昭和44)ウィーンにおいて、「条約法に関するウィーン条約」が締結され.る(1980年1月27日発効)詳細
1980年(昭和55)黒澤明監督の映画『影武者』がカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得する(日本時間では翌日)詳細
1981年(昭和56)編集者・児童文学者・評論家・翻訳家吉野源三郎の命日詳細
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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、第一次世界大戦で、セルビアがドイツ帝国に宣戦布告した日です。
 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界的規模の戦争です。1914年(大正3)6月28日、オーストリア領のサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都)で、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻がセルビア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を発端として開戦しました。
 同盟側にはトルコ・ブルガリアなど、協商側には同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国など30を超える国や地域が連鎖的に参戦します。1918年(大正7)11月にドイツ降伏で同盟国側が敗北するまで、4年余りにわたってヨーロッパ戦場を中心に激戦が続きました。
 国家総力戦となり戦車や飛行機、毒ガスなど多くの近代兵器が使用され、犠牲者は兵士だけで約900万人にも及んだと言われています。日本は、1914年(大正3)に、「日英同盟」を理由にドイツに宣戦布告し、同年10月3日から14日にかけて、日本は南洋に艦隊を派遣し、ドイツ領南洋諸島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)を占領しました。
 また、10月31日から日本とイギリスの連合軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻撃(青島の戦い)します。11月7日には青島を占領し、ここに東アジアでの戦闘は終了したものの、日本は戦死者415人、戦傷者907人を出しました。
 その後、1919年(大正9)のパリ講和会議で「ベルサイユ条約」が成立しましたが、日本は、ドイツの山東省権益と赤道以北の南洋諸島を委任統治領を得ることとなります。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月12日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1359年(正平14/延文4)筑後川の戦いで南朝方の懐良親王らと北朝方の少弍頼尚が戦い、夜襲で北朝方が勝利する(新暦8月29日)詳細
1896年(明治29)国際法学者・第3代最高裁判所長官横田喜三郎の誕生日詳細
1923年(大正12)天文学者・初代東京天文台長寺尾寿の命日詳細
1926年(大正15)東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局を統合し社団法人日本放送協会を設立する詳細
1945年(昭和20)アメリカ軍の中小型58機による都城大空襲が行われ、56人が亡くなる詳細
1949年(昭和24)「広島平和記念都市建設法」が公布・施行される詳細
1955年(昭和30)広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開催される詳細
1981年(昭和56)電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電に成功する(太陽熱発電の日)詳細
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 今日は、明治時代後期の1904年(明治37)に、「露国に対する宣戦の詔勅」が発せられて、日露戦争に対して正式に宣戦が布告された日です。
 日露戦争(にちろせんそう)は、1904年(明治37)2月10日~1905年(明治38)9月17日まで、日本と露国の間で、朝鮮(大韓帝国)・満州の支配をめぐって行われた戦争でした。日本は、1894年(明治27)から翌年にかけての日清戦争の後、朝鮮支配の確立と満州進出をめざし、ロシアは、義和団事件に乗じて満州を占領し、さらに朝鮮進出を企てたため、両国の対立が激化します。
 日本はそれに対し、1902年(明治35)1月30日に、日英同盟を締結し、日本の朝鮮・中国における権益、英国の中国における権益を相互に認め、アジアにおけるロシアの膨張に備えることを共同の目的としました。翌年6月に元老・主要閣僚の御前会議で開戦覚悟の対露交渉方針を決め、8月以降数次にわたりロシアと交渉したものの、妥協点を見いだせないままに推移します。
 とうとう、1904年(明治37)2月8日に、奇襲に出た日本海軍の主力艦隊が旅順港のロシア艦隊を包囲して、戦いの火ぶたが切られ、同日陸軍も朝鮮半島に上陸し、まもなく完全に制圧、2月10日に正式に、「露国に対する宣戦の詔勅」が発せらて宣戦が布告されました。日本は、同年8月以降の旅順攻撃、翌年3月の奉天会戦などで有利に戦いを進めましたが、以後戦闘は膠着状態となり、5月の日本海海戦でも勝利を得たものの、戦力の消耗と大きな経済的負担に苦しむこととなります。
 ロシアもツァーリズムの矛盾激化に伴う革命勢力が増大、1905年(明治38)1月には、血の日曜日事件がおこり,国内の危機が急迫しました。そこで、米国大統領T.ローズベルトの講和勧告をもとに、8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開催され、9月5日に「日露講和条約(ポーツマス条約)」調印に至ります。
 この結果、日本は朝鮮における優越権、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道に関する諸権利、南樺太を得て、大陸進出の地歩を固めました。しかし、賠償金が獲得できないなど講和内容に対する国民の不満が高まり、東京では、内相官邸焼打ちなどの暴動(日比谷焼打事件)が発生することとなります。
 この戦争に直接参加した総兵力は108万余人、艦船31.8万t、戦費は約20億円を要し、疾病をも含めた死傷者は37万余人、喪失艦船91隻と大きなものとなりました。
 以下に、「露国に対する宣戦の詔勅」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「露国に対する宣戦の詔勅」 1904年(明治37)2月10日

露国ニ対スル宣戦ノ詔勅

天佑[1]ヲ保有シ萬世一系[2]ノ皇祚[3]ヲ踐メル[4]大日本帝國皇帝ハ忠實[5]勇武[6]ナル汝有衆[7]ニ示ス

朕[8]茲ニ露國[10]ニ對シテ戰ヲ宣ス朕[8]カ陸海軍ハ宜ク全力ヲ極メテ露國[10]ト交戰ノ事ニ從フヘク朕[8]カ百僚[11]有司[12]ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ其ノ權能[13]ニ應シテ國家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ凡ソ國際條規[14]ノ範圍ニ於テ一切ノ手段ヲ盡シ遺算[15]ナカラムコトヲ期セヨ

惟フニ文明ヲ平和ニ求メ列國ト友誼[16]ヲ篤クシテ以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ各國ノ權利利益ヲ損傷セスシテ永ク帝國ノ安全ヲ將來ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ朕[8]夙ニ[12]以テ國交ノ要義[18]ト爲シ旦暮[19]敢テ違ハサラムコトヲ期ス朕[8]カ有司[12]モ亦能ク朕[8]カ意ヲ體シテ事ニ從ヒ列國トノ關係年ヲ逐フテ益々親厚[20]ニ赴クヲ見ル今不幸ニシテ露國[10]ト釁端[21]ヲ開クニ至ル豈朕[8]カ志ナラムヤ

帝國ノ重ヲ韓國[22]ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス是レ兩國累世[23]ノ關係ニ因ルノミナラス韓國[22]ノ存亡[24]ハ實ニ帝國安危[25]ノ繋ル所タレハナリ然ルニ露國[10]ハ其ノ淸國トノ明約[26]及列國ニ對スル累次[27]ノ宣言ニ拘ハラス依然滿洲[28]ニ占據シ益々其ノ地歩[29]ヲ鞏固[30]ニシテ終ニ之ヲ併呑[31]セムトス若シ滿洲[28]ニシテ露國[10]ノ領有ニ歸セン乎韓國[22]ノ保全ハ支持スルニ由ナク極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス故ニ朕[8]ハ此ノ機ニ際シ切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ有司[12]ヲシテ露國[10]ニ提議[32]シ半歳ノ久シキニ亙リテ屡次[33]折衝ヲ重ネシメタルモ露國[10]ハ一モ交讓[34]ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス曠日[35]彌久[36]徒ニ時局ノ解決ヲ遷延[37]セシメ陽ニ平和ヲ唱道[38]シ陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ以テ我ヲ屈從[39]セシメムトス凡ソ露國[10]カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ[40]認ムルニ由ナシ露國[10]ハ既ニ帝國ノ提議[32]ヲ容レス韓國[22]ノ安全ハ方ニ危急[41]ニ瀕シ帝國ノ國利[42]ハ將ニ侵迫[43]セラレムトス事既ニ茲ニ[9]至ル帝國カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル將來ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓[44]ノ間ニ求ムルノ外ナシ朕[8]ハ汝有衆[7]ノ忠實[5]勇武[6]ナルニ倚頼[45]シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽

 明治三十七年二月十日

            內閣總理大臣兼
              內  務  大  臣 伯爵 桂  太 郞
              海  軍  大  臣 男爵 山本權兵衞
              農 商 務 大 臣 男爵 淸 浦 奎 吾
              大  藏  大  臣 男爵 曾 禰 荒 助
              外  務  大  臣 男爵 小村壽太郎
              陸  軍  大  臣 寺 內 正 毅
              司  法  大  臣 波田野敬直
              遞  信  大  臣 大 浦 兼 武
              文  部  大  臣 久 保 田 讓

   「ウイキソース」より

【注釈】

[1]天佑:てんゆう=天の加護。天のたすけ。天助。
[2]萬世一系:ばんせいいっけい=永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統についていう。
[3]皇祚:こうそ=天皇の位。皇位。
[4]踐メル:ふめる=地位に就く。先人にしたがう。つらなる。
[5]忠實:ちゅうじつ=まごころをもってよくつとめること。誠実。
[6]勇武:ゆうぶ=勇ましくて強いこと。勇猛。
[7]有衆:ゆうしゅう=国民。 君主から人民を呼ぶときの語。
[8]朕:ちん=われ。天皇の自称。
[9]茲ニ:ここに=この点。この時。この場合。
[10]露國:ろこく=ロシア。
[11]百僚:ひゃくりょう=多くの官吏。もろもろのつかさ。官職にあるすべての人々。百官。
[12]有司:ゆうし=その職を行なうべき官司。また、そこに属する官人。官吏。
[13]權能:けんのう=ある事柄について権利を主張し、行使することができる能力。権限。職権。
[14]國際條規:こくさいじょうき=国際的な条約や規範。
[15]遺算:いさん=計算ちがい。 また、見込みちがい。
[16]友誼:ゆうぎ=友人としての情愛。友達のよしみ。友情。
[17]夙ニ:つとに=ずっと以前から。早くから。
[18]要義:ようぎ=重要な意義。物事の根本となることわり。大切な趣旨。
[19]旦暮:たんぼ=朝から暮までの時間。転じて、わずかの間。ちょっとの間。
[20]親厚:しんこう=きわめて親しくすること。また親切で手厚いこと。特に親しいこと。
[21]釁端:きんたん=不和のいとぐち。あらそいのもと。戦端。
[22]韓國:かんこく=ここでは大韓帝国のこと。
[23]累世:るいせい=世を重ねること。代々。累代。
[24]存亡:そんぼう=存在と滅亡。残ることとほろびること。
[25]安危:あんき=安全と危険。安全であるか、危険であるかということ。
[26]淸國トノ明約:しんこくとのめいやく=清国との条約。
[27]累次:るいじ=たびたび。
[28]滿洲:まんしゅう=中国東北地区の遼寧・吉林・黒竜江3省の旧称。
[29]地歩:ちほ=拠って立つ所。立脚地。地盤。また、自分の立場。位置。
[30]鞏固:きょうこ=かたく、丈夫なさま。確かなさま。かたく、丈夫にすること。堅固。確固。
[31]併呑:へいどん=あわせのむこと。他の勢力を自分の勢力下に入れること。
[32]提議:ていぎ=論議や議案を提出すること。また、その提出した論議や議案。
[33]屡次:るじ=しばしば。たびたび。
[34]交讓:こうじょう=互いに譲りあうこと。互譲。
[35]曠日:こうじつ=何もしないで、むなしく日を過ごすこと。
[36]彌久:びきゅう=行為・行事などが長い期間にわたること。久しく行なわれること。長引くこと。
[37]遷延:せんえん=のびのびになること。また、のびのびにすること。
[38]唱道:しょうどう=ある思想や主張を人に先立って唱えること。
[39]屈從:くつじゅう=権力や力の強い者に、自分の意志をまげて従うこと。屈伏。
[40]毫モ:ごうも=少しも。ちっとも。
[41]危急:ききゅう=危険な事態が目前に迫っていること。危難が近づくこと。また、そのさま。
[42]國利:こくり=国家の利益。国益。
[43]侵迫:しんはく=他国の領土や権利などを不法に侵すことがさしせまること。
[44]旗鼓:きこ=軍隊。軍事。武事。
[45]倚頼:いらい=あるものによりかかって、それを頼みにすること。また、頼みとするもの。

<現代語訳>

 天の加護をもって、永久に一つの系統が続く皇位に就いてきた大日本帝国の皇帝は忠実で勇猛である、おまえたち国民に以下の事を示す。

 われはここにロシアに対して宣戦を布告する、われの陸軍・海軍はぜひとも全力を尽くしてロシアとの戦いに従事せよ。わが諸々の官吏は、ぜひとも各々その職務を統率、その職権に応じて国家の目的を達するように努力せよ。およそ国際的な条約や規範の範囲において、一切の手段を尽くし、見込み違いがないよう決意せよ。

 考えるに文明を平和によって発展させ、諸国と友好関係を促進することによって、東洋の治安を永遠に維持し、各国の権利や利益を損傷しないようにし、永く日本帝国の安全を将来に渡って保障されるような状態を確立していくため、われはずっと以前から国交の根本として、少しでも違わないようにと心に誓ってきた。われが官吏もまたよくわれの真意を心に留めて守るようにし、諸国との関係も年を経るに従って、さらに特に親しくなっているように見ている。今、不幸にしてロシアと戦端を開くに至ってしまったが、決してわれの本意ではない。

 日本帝国の重点を大韓帝国の保全に置いてきたのは、昨今の事ではない。これは両国の代々の関係によるだけでなく、大韓帝国の存亡は、実に日本帝国の安全に関わるところによるものである。ところが、ロシアはその清国との条約や諸国に対する度々の宣言にもかかわらず、依然として満洲を占拠し、ますますその立ち位置を強固にして、ついにはこれを自分の勢力下に入れようとしている。もし満洲がロシアの領有となってしまったなら、大韓帝国の保全は支持することができず、極東の平和もそもそも望むことができなくなってしまう。従って、われはこの機会に際し、心から妥協によって、時局を解決し、もって平和を恆久に維持することを期待し、官吏を遣わしてロシアに対して議論や提案をし、半年の永きに渡って、度々折衝を重ねさせてきた。しかし、ロシアは少しも互いに譲りあおうという精神でこれを迎えず、むなしく長引かせ、いたずらに時局の解決を延び延びにし、表では平和を唱えながら、裏では海軍・陸軍の軍備を増大し、それによって我国を屈伏させようとしてきた。そもそも、ロシアには最初から平和を好む誠意なるものを少しも認められない。ロシアは、もはや日本帝国の議論や提案に応じず、大韓帝国の安全は、間違いなく危険にさらされ、日本帝国の国益もまさに不法に侵されようとしている。事態がすでにここに至ってしまっては、日本帝国は平和的な交渉によって、希求しようとした将来の保障は、今日これを軍事によって求める外にない。われはおまえたち国民の忠実で勇猛なることを頼みとし、速やかに平和を永遠に取り戻し、それによって日本帝国の栄光を保つことを期待する。

☆日露戦争関係略年表

<1903年(明治36)>
・2月7日 ロシアが中国東北部からの撤兵を中止する
・4月21日 京都の山縣の別荘・無鄰菴で伊藤・山縣・桂・小村による「無鄰庵会議」が行われる
・4月 ロシア系企業の「朝鮮木商会社」が韓国側に鴨緑江山林事業の開始を通告する
・5月 ロシア軍は鴨緑江河口の龍岩浦(竜巌浦)に軍事拠点を築きはじめる(龍岩浦事件)
・6月10日 戸水寛人や国際法学者など7名の博士が、日露開戦を唱える意見書を桂内閣に提出する(七博士建白事件)
・6月12日 アレクセイ・クロパトキン陸軍大臣が訪日し、国賓として迎えられる
・6月23日 明治天皇臨席の御前会議に、「満韓交換論」とも言うべき対露方針が提出されて、対露交渉に臨むことが確認される
・6月24日 「日露開戦を唱える七博士意見書」の全文が「東京朝日新聞」紙上に掲載され、新聞「万朝報」紙上で幸徳秋水は「社会が学者を養っているのは開戦の建白を提出させるためではない」と批判する
・6月30日 新聞「万朝報」に、内村鑑三の非戦論が掲載される
・7月23日 林董駐イギリス公使、日露交渉開始についてイギリスの諒解を求める
・8月12日 栗野慎一郎駐ロシア公使、ロシア政府に、6ヵ条の日露協商基礎条項を提出、中国東北部・朝鮮半島に関する交渉を開始する
・10月3日 ロシアが日本の提出した日露協商基礎条項を拒絶、対案を提出とて交渉する
・12月30日 日本が戦争が勃発した際の清国・大韓帝国に対する方針を閣議で決定する

<1904年(明治37)>
・1月17日 週刊「平民新聞」第10号に、「吾人は飽くまで戦争を非認す」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・1月24日 週刊「平民新聞」第11号に、幸徳秋水の「戦争と道徳」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・2月4日 明治天皇臨席の御膳会議で、対露開戦が決定される  
・2月6日 日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡す
・2月7日 週刊「平民新聞」第13号に、幸徳秋水の社説「和戦を決する者」が掲載される
・2月8日 日本陸軍先遣隊が仁川に上陸する
・2月8日 日本海軍、旅順港外のロシア艦隊を夜襲する
・2月9日 仁川沖海戦が行われる
・2月10日 日・露相互で宣戦布告が出される
・2月11日 大本営が設置される
・2月12日 清国が局外中立を宣言する
・2月14日 週刊「平民新聞」第14号に、幸徳秋水の「戦争来」・「兵士を送る」・「戦争の結果」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・2月23日 大韓帝国と日韓議定書を結ぶ
・2月24日 第一次旅順口閉塞作戦実施
・3月13日 週刊「平民新聞」第18号に、幸徳秋水の社説「与露国社会党書」(手を携え共通の敵軍国主義とたたかうことを提言する) が掲載される
・3月20日 週刊「平民新聞」第19号に、幸徳秋水の「戦争と小学児童」(日露戦争への反戦論)が掲載される
・3月24日 週刊「平民新聞」第20号に、幸徳秋水の「嗚呼増税!」(日露戦争に反対し、軍国制度・資本制度・階級制度の変改を主張する)が掲載されるが、発禁処分を受ける 
・3月27日 第二次旅順口閉塞作戦実施
・4月1日 「非常特別税法」、「煙草専売法」が公布それる
・5月1日 鴨緑江会戦が行われる
・5月8日 日本軍が遼東半島に上陸開始する
・6月20日 満州軍総司令部を設置する
・7月28日 ロシア国内でヴャチェスラフ・プレーヴェ内務大臣が暗殺される
・8月10日 黄海海戦が行われる
・8月22日 大韓帝国と「第一次日韓協約」を結ぶ
・8月14日 蔚山沖海戦が行われる
・8月19日 第一回旅順総攻撃が行われる
・8月30日 遼陽会戦が行われる
・9月 文芸誌『明星』に、与謝野晶子の反戦詩「君死にたまふこと勿れ」が掲載される
・10月 雑誌『太陽』で、大町桂月が与謝野晶子を“国家的観念を藐視した危険な思想”だと非難する
・10月9日 沙河会戦が行われる
・10月15日 バルチック艦隊が出航する
・11月 文芸誌『明星』に与謝野晶子の「ひらきぶみ」が掲載され、“少女と申す者誰も戦争ぎらいに候”と大町桂月に反論する
・11月26日 第二回旅順総攻撃が行われる
・12月5日 日本軍が旅順口203高地を占領する
・12月31日 第三回旅順総攻撃が行われる

<1905年(明治36)>
・1月 雑誌『太陽』に、大塚楠緒子の厭戦詩「お百度詣」が掲載される
・1月1日 「非常特別税法」改正法、「塩専売法」、「相続税法」を公布する
・1月2日 旅順開城する
・1月22日 ロシア国内で血の日曜日事件が起き、各地でストライキが起きる
・1月25日 黒溝台会戦が行われる
・3月1日 奉天会戦が行われる
・5月27日 日本海海戦が行われる
・6月 ロシア国内各地で反乱・暴動が起きる(ロシア第一革命の始まり)
・6月9日 アメリカのセオドア・ルーズベルトが正式に日露両国へ講和勧告を行う
・6月14日 ロシア国内で戦艦ポチョムキンの反乱が起きる
・6月12日 ロシアが講和勧告を正式に受諾する
・7月7日 日本軍が樺太へ上陸(樺太作戦開始)する
・7月23日 ロシア国内でニコライ2世とドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世とビヨルケ密約を結ぶ
・7月29日 日本とアメリカ間で「桂・タフト協定」が締結される
・7月31日 日本軍が樺太を占領する
・8月9日 アメリカのポーツマスで日露講和会議が始まる
・8月12日 「日英同盟」が改訂される
・8月28日 明治天皇臨席の御前会議で、日露講和成立方針が決定される
・9月1日 日露両国が休戦議定書に調印(休戦)する
・9月5日 日露両国が「日露講和条約(ポーツマス条約)」に調印、日本で講和に反対する日比谷焼き打ち事件が起きる
・9月6日 日本政府は東京市および府下5郡に戒厳令を敷く
・9月7日 神戸で講和反対の大会が開かれ暴動が起きる
・9月12日 横浜で講和反対の大会が開かれ暴動が起きる
・10月 ロシア国内でゼネラル・ストライキが起きる
・10月14日 日露両国が「日露講和条約(ポーツマス条約)」を批准(終戦)する
・10月17日 ロシアのニコライ2世が十月詔書に署名する
・12月20日 大本営を解散する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1439年(永享11)鎌倉永安寺で第4代鎌倉公方足利持氏が叔父満貞と共に自害し、鎌倉府が滅亡する(新暦3月24日)詳細
1657年(明暦3)儒学者・政治家新井白石の誕生日(新暦3月24日)詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の創立大会が開かれる詳細
1940年(昭和15)「津田事件」により、津田左右吉の『古事記及び日本書紀の研究』等の著書4冊が発禁となる詳細
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