
「眞相はかうだ」(しんそうはこうだ)は、昭和時代前期の敗戦後の占領下、1945年(昭和20)12月9日から翌年2月10日にかけて10回にわたり、NHKラジオ放送が放送した、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による宣伝番組です。毎週日曜の夜8時からの30分番組で、音楽や音響を交えたドキュメンタリー形式のラジオドラマとして制作されました。
その前後に当時人気の番組が配置、編成され、再放送を含めほぼ毎日のように放送されています。1946年2月からは、「真相箱」に刷新され、「質問箱」などへ形を変えながら、1948年(昭和23)1月まで放送が続けられました。
その前後に当時人気の番組が配置、編成され、再放送を含めほぼ毎日のように放送されています。1946年2月からは、「真相箱」に刷新され、「質問箱」などへ形を変えながら、1948年(昭和23)1月まで放送が続けられました。
〇NHKラジオ「眞相はかうだ」の放送内容
・1942年(昭和17年)4月18日の東京初空襲の影響は
・どういう方法で東条英機首相は国民の思想の自由を束縛したのか
・日本軍がアッツ、キスカ両島を失うに至った決定的な原因は
・中野正剛(思想家)の自決(1943年10月)に関して
・軍艦「大和」と「武藏」の最後
・宣戰の大詔に御署名の時期
・攻勢より守勢に轉じた原因
・風船爆彈の效果
・ミツドウエー海戰
・硫黄島の戰鬪
・米軍上陸からマニラとコレヒドールの陷落まで
・アメリカの海軍力
・アメリカ商船隊の勢力
・戰艦「武藏」沈沒の模様
・航空母艦「信濃」の直相
・戰鬪艦「金剛」の最後
・巡洋艦「摩耶」の最後
・巡洋艦「隈野」の沈沒について
・巡洋艦「鈴谷」の沈沒について
・台湾沖航空戰
・眞珠湾攻撃の眞相
・奧山空挺部隊の最後
・戰艦「鳥海」について
・ロシアの対日戰参加の詳細
・太田海軍中將の死
・航母「信濃」雲龍、瑞鶴、千代田及び戰艦「陸奥」の最後
・牛島中將と長少將の死
・ルーズベルト大統領より天皇陛下宛の親書
・太平洋水域に於ける米潜水艦の活躍
・沖縄沖に於ける日本空軍の戰果
・日本空軍活躍の一例
・沖縄北部の戰鬪員の現在
・帝國艦隊全滅の眞相
・戰爭中のマニラ
・帝國軍人の進行の一例
・東條内閣崩解の経路
・日本商船隊の全滅
・南京の暴行
・マッカーサー元帥比島よりオーストラリアへ移動
・大阪府の外事課の善行
・降伏についての眞相
・降伏文書の内容
・眞珠湾攻撃直後の帝國海軍の損害
・ポツダム宣言の全文
・降伏文書受諾宣言
・カイロ會議の共同聲明
・「侵略」と言ふ言葉の意味
・ミツドウエイ海戰以來連敗
・帝國主力艦の運命
・沖縄本島での玉碎戰
・我が空母群の行方
・日清日露戰による帝國の発展
・B-29東京湾へ機雷敷設
・珊瑚海戰の戰果
・サイパン島上陸戰
・降伏文書の受諾の御詔勅
・駆逐艦「若葉」の撃沈
・ルーズベルト大統領の親書は奉呈せしや
・ミツドウエイ海戰彼我の損害
・外地の日本將兵との通信は出來るか
・マーシヤル群島の戰鬪
・ニユーギニア島サイドルの戰鬪
・日本軍部のマレイ住民に対する統治
・廣島原子爆彈投下に対する米國の輿論
・戰陣訓は誰が書いたか
・野村、栗栖両大使は戰爭が起ることを知つて居つたか
・サイパン島に於ける非戰鬪員の動行
・眞珠湾突入の特殊潜水艇について
・「國民精神文化研究所」について
・米内海軍大將について
・上海に於ける大山中尉事件
・ソ聯の対日宣戰の理由
・対支二十一箇條の内容
・日本空軍の米本土爆撃
・帝國の敗戰の原由
・日本軍の使用せるロケツト砲
・「朝飯會」
・香港での暴行
・無條件降伏に至つた原因
・海軍の新兵器
・レイテ湾爭奪戰
・「スリガオ」海峡の海戰
・「サマール」海戰
・エンガノ岬沖海戰
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 840年(承和7) | 藤原緒嗣らが『日本後紀』を撰上する(新暦841年1月5日) | 詳細 |
| 1159年(平治元) | 院近臣らの対立により発生した平治の乱が起きる(新暦1160年1月19日) | 詳細 |
| 1867年(慶応3) | 倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」が発せられ、新政府が発足する(新暦1868年1月3日) | 詳細 |
| 1916年(大正5) | 小説家夏目漱石の命日(漱石忌) | 詳細 |
| 1920年(大正9) | 大杉栄らが日本社会主義同盟を結成する | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | GHQが「農地改革に関する覚書」(SCAPIN-411)を指令する | 詳細 |
| 1975年(昭和50) | 第30回国際連合総会において、「障害者の権利宣言」が採択される(障害者の日) | 詳細 |
| 1993年(平成5) | 屋久島・白神山地・法隆寺・姫路城の4ヶ所が日本初の世界遺産に決定する | 詳細 |