
安政の大獄(あんせいのたいごく)は、幕末の1858年(安政5)から翌年にかけて、大老井伊直弼が行った尊王攘夷運動派に対する弾圧でした。井伊直弼が、安政の五か国条約の調印に勅許を得ず、将軍継嗣問題(家茂を14代将軍に定めたこと)に対しても諸侯の意見を求めることなく専断を行ないます。
朝廷がこの専断措置に憤激し、同年8月に水戸藩に攘夷の密勅(戊午の密勅)を下したことから、井伊の尊王攘夷派、ひいては一橋派に対する弾圧が開始されるに至りました。これにより、反対する一橋慶喜擁立派の公卿・大名・志士ら百余名を処罰し、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等8名を死刑とし、水戸藩主徳川斉昭父子、越前藩主松平慶永らも処罰されます。
朝廷がこの専断措置に憤激し、同年8月に水戸藩に攘夷の密勅(戊午の密勅)を下したことから、井伊の尊王攘夷派、ひいては一橋派に対する弾圧が開始されるに至りました。これにより、反対する一橋慶喜擁立派の公卿・大名・志士ら百余名を処罰し、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等8名を死刑とし、水戸藩主徳川斉昭父子、越前藩主松平慶永らも処罰されます。
この事件は、尊王攘夷運動を狂熱化させ、1860年(安政7)に大老井伊直弼が江戸城外で水戸浪士等18名により暗殺された、桜田門外の変の契機となりました。
〇安政の大獄による死刑・獄死者
・吉田松陰(長州毛利大膳家臣)……安政6年10月27日斬罪
・橋本左内(越前松平慶永家臣)……安政6年10月7日斬罪
・頼三樹三郎(京都町儒者)……安政6年10月7日斬罪
・安島帯刀(水戸藩家老)……安政6年8月27日切腹
・鵜飼吉左衛門(水戸藩家臣)……安政6年8月27日斬罪
・鵜飼幸吉(水戸藩家臣)……安政6年8月27日獄門
・茅根伊予之介(水戸藩士)……安政6年8月27日斬罪
・梅田雲浜(小浜藩士)……安政6年9月14日獄死
・飯泉喜内(元土浦藩士・三条家家来)……安政6年10月7日斬罪
・日下部伊三治(薩摩藩士)……安政5年12月17日獄死
・藤井尚弼(西園寺家家臣)……安政6年9月1日獄死
・信海(僧侶、月照の弟)……獄死
・近藤正慎(清水寺成就院坊)……安政5年10月23日獄死
・中井数馬(与力)……獄死
☆安政の大獄関係略年表(日付は旧暦です)
<1857年(安政4)>
・6月17日 老中阿部正弘が亡くなる
・10月21日 老中堀田正睦が主導し、アメリカ総領事ハリスが江戸城内で第13代将軍徳川家定に引見する
<1858年(安政5)>
・2月11日 日米条約談判が開始される
・3月20日 朝廷が条約調印勅許の件は、「三家以下諸大名の意見を更に徴した上で再び申請するよう」に宣示する
・4月23日 南紀派の老中松平忠固の後押しによって、井伊直弼が大老職に就任する
・4月24日 堀田正睦がハリスと会見し、条約調印の延期を懇請する
・6月1日 将軍の継嗣は血統の内から定めることを直弼が三家以下溜間詰諸侯に告げる
・6月19日 ハリスの要求に従って、勅許を得ないまま「日米修好通商条約」の調印がなされる
・6月23日 堀田正睦が老中を罷免される
・6月24日 徳川斉昭は子息の水戸藩主徳川慶篤・名古屋藩主徳川慶恕と共に押掛け登城して直弼の無断調印を責め、一橋慶喜・松平慶永もこれにならう
・6月25日 紀州慶福を将軍の継嗣とする旨の公表がある
・7月5日 押掛け登城した斉昭に急度慎、慶篤と慶喜に登城停止、慶恕と慶永に隠居・急度慎が命じられる
・7月6日 第13代将軍徳川家定が亡くなる
・8月8日 幕府の無断調印と尾水越三家の処罰とを責め、大老・老中らは三家・三卿・家門・列藩と群議評定して徳川家を扶助し、内を整えて外夷の侮りを受けぬようにせよとの勅諚(戊午の密勅)が水戸藩に下る
・8月10日 戊午の密勅が幕府へも下される
・9月4日 九条関白が廷臣から排斥されて内覧を辞し、関白の地位すら不安になるという事態となる
・9月7日 梅田雲浜が新任の所司代酒井忠義に捕えられる
・9月17日 江戸で元三条家家臣飯泉喜内が逮捕されたのに始まり、日下部伊三次・橋本左内らが捕えられる
・10月25日 一橋(徳川)慶喜擁立派を押さえて、徳川慶福(家茂)が第14代将軍となる
<1859年(安政6)>
・2月17日 青蓮院宮尊融入道親王・内大臣一条忠香らを慎に処する
・3月28日 左大臣近衛忠煕・右大臣鷹司輔煕に辞官を命じる
・4月22日 近衛・鷹司の二公と前関白鷹司政通・前内大臣三条実万の合わせて四公を落飾・慎に処する
・4月 萩藩に吉田松陰の江戸檻送を命じる
・5月25日 吉田松陰が江戸へ護送される
・8月27日 水戸藩家老安島帯刀が切腹、水戸藩家臣の鵜飼吉左衛門、茅根伊予之介が斬罪、鵜飼幸吉が獄門となる
・9月1日 藤井尚弼(西園寺家家臣)が獄死する
・9月14日 梅田雲浜(小浜藩士)が獄死する
・10月7日 飯泉喜内(元土浦藩士・三条家家来)、橋本左内(越前松平慶永家臣)、頼三樹三郎(京都町儒者)が斬罪となる
・10月23日 近藤正慎(清水寺成就院坊)が獄死する
・10月27日 吉田松陰(長州毛利大膳家臣)が斬罪となる
<1860年(安政7)>