ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:安政の大地震

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 今日は、江戸時代後期の1854年(嘉永7)に、豊予海峡地震(マグニチュード7.4)が起き、大きな被害が出た日ですが、新暦では12月26日となります。
 豊予海峡地震(ほうよかいきょうじしん)は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月7日)午前9~10時頃に起きた、豊予海峡を震源として発生した地震(マグニチュード7.4)で、豊予地震、豊予大地震とも呼ばれています。この地震の直前の11月4日に、安政東海地震(マグニチュード8.4)、11月5日には、安政南海地震(マグニチュード8.4)と巨大地震が相次いで発生していました。
 2日前に発生の安政南海地震と被害地域が重複するため、記録された被害はいずれの地震によるものか区別困難であるものの、『震動記』では、豊後国鶴崎で100棟の家屋が倒壊、別府では200軒、府内では400軒余潰家となり死者数は不明としています。伊予の吉田の『赤松家文書』、宇和島の『地震海溢記』、豊後の佐伯の『御用日記』、延岡の『日記』、豊前小倉の『鈴木大雑集』では、11月5日の地震(安政南海地震)よりも一層烈しいものであったと記録されました。
 安政東海地震と安政南海地震の2つの地震を機に元号が「安政」に改められたので、安政大地震とも総称され、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3)足利尊氏が室町幕府の基本的な政治方針「建武式目」を制定(新暦12月10日)詳細
1849年(嘉永2)大坂に緒方洪庵が種痘を行う為の除痘館(種痘所)を開設する(新暦12月21日)詳細
1889年(明治22)劇作家・演出家・小説家・俳人久保田万太郎の誕生日詳細
1909年(明治42)映画監督・脚本家山中貞雄の誕生日詳細
1922年(大正11)学生連合会(社会科学研究会の連合組織)が結成される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」が閣議決定される詳細
1983年(昭和58)奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳で玄武の壁画が発見される詳細
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 今日は、江戸時代後期の1858年(安政5)に、越中・飛騨国境付近で、飛越地震が起き、甚大な被害が出た日ですが、新暦では4月9日となります。
 飛越地震(ひえつじしん)は、江戸時代後期の1858年(安政5年2月26日)午前1時頃に起きた、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源とする大地震(推定マグニチュード7.0~7.1)で、安政飛越地震とも呼ばれてきました。その後、余震が朝まで続き、一説には夜明け頃までに40余回にわたって大震、小震を繰り返したと言われています。
 土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
 この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2年2月1日)- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2年8月3日)- 陸前で地震
・1855年(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2年10月2日)- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3年10月7日)- 江戸で地震
・1857年(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震
・1857年(安政4年8月25日)- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5年2月26日)- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1649年(慶安2)江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日(新暦4月7日)詳細
1873年(明治6)俳人・随筆家・書家河東碧梧桐の誕生日詳細
1876年(明治9)「日朝修好条規」が締結される詳細
1936年(昭和11)二・二六事件(高橋蔵相らが暗殺される)が起こる詳細
1946年(昭和21)GHQにより、「禁止図書その他の出版物に関する覚書」 (SCAPIN-776) が出される詳細
2003年(平成15)編集者・紀行作家宮脇俊三の命日詳細
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 今日は、江戸時代後期の1855年(安政2)に、安政江戸地震が起きた日ですが、新暦では11月11日となります。
 安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、この日の午後10時頃、関東地方南部(震源は東京湾北部,北緯35.65°、東経139.08°)で発生した内陸直下型の大地震(マグニチュード6.9~7.4と推定)でした。これによって、江戸城周辺や本所、深川などでは震度6以上と推定され、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及んだと考えられています。
 その結果、江戸を中心に多くの家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者はおよそ1万人になると言われ、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ました。江戸では、大名屋敷266家のうち116家で死者が発生、旗本・御家人らの屋敷の約8割が焼失、全潰、半潰または破損の被害を受けています。
 また、町人地の家屋は1万4000余軒が倒壊したとされ、地震時の数10ヶ所の火災発生により1.5平方キロほど焼失、江戸城の石垣が崩れ、多くの城門・橋などが被害を受けました。尚、小石川の水戸藩藩邸が倒壊して、水戸藩主の戸田忠太夫、藤田東湖らが死亡、盛岡藩藩主南部利剛も負傷しています。江戸幕府では、地震後に市中取締り(巡視)の実施、死者の無料埋葬、米の配給、物価抑制のための公定上限価格の設定、義捐金の報奨などの対策を実施しました。
 約1年前の1854年(嘉永7年11月4日)に安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日に安政南海地震(マグニチュード8.4)が起きていて、それを機に年号が安政と改められ、同年11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)と続き、この安政江戸地震へと至り、その後も安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

 〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1554年(天文23)禅僧・連歌師・俳人山崎宗鑑の命日(新暦10月28日)詳細
1943年(昭和18)勅令「在学徴集延期臨時特例」公布で、理工科系以外の学生の徴兵猶予を撤廃する詳細
1985年(昭和60)関越トンネルの開通により、関越自動車道(練馬~長岡)がつながる詳細
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