翌年には、源頼政が以仁王 の令旨を諸国の源氏に伝えて決起を促したものの、宇治川の戦いに敗れ、鎮圧されました。しかし、この影響が広がる中で、突然に安徳天皇、高倉上皇を伴ってみずからの根拠地福原への遷都を強行したものです。
遷都後は、延暦寺の衆徒の蜂起が起き、平宗盛など一門の主張もあって、都城造営も進まぬうちに、同年11月には、再び京都(平安京)に都を戻さざるをえませんでした。この遷都は、平氏政権の威信を下げるものになったとされています。
以下に、このことを描いた『方丈記』の福原遷都の部分を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1582年(天正10) | 京都の本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、自刃する | 詳細 |
1716年(享保元) | 画家・工芸家尾形光琳の命日(新暦7月20日) | 詳細 |
1743年(寛保3) | 陶工・絵師尾形乾山の命日(新暦7月22日) | 詳細 |
1859年(安政6) | 前年締結の「日米修好通商条約」により、横浜・長崎が開港される(新暦7月1日) | 詳細 |
1907年(明治40) | 愛媛県の別子銅山で運搬夫の指導者山田豊次郎が解雇され、別子銅山争議(別子暴動)が始まる | 詳細 |