ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:安土城

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 今日は、戦国時代の1534年(天文3)に、武将・戦国大名織田信長の生まれた日ですが、新暦では6月23日となります。
 織田信長は、1534年(天文3年5月12日)に、尾張守護代織田大和守家の奉行の一人であった父・織田信秀の三男(母・土田御前)として生まれましたが、幼名は、吉法師と言いました。
 1546年(天文15)元服して三郎信長と名乗り、翌年三河へ初陣、1551年(天文 20)に父信秀が没して、家督を継ぎますが、一族内部の抗争が続きます。ようやく、1559年(永禄2)に織田信賢を破って織田家をまとめ、翌年の桶狭間の戦で今川義元を敗死させて尾張一国を統一しました。
 1562年(永禄5)に、三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃への進出を図り、1567年(永禄10)に、斎藤龍興を滅ぼして、稲葉山城を岐阜城と改め、拠点とします。翌年、足利義昭を奉じて上洛し、室町幕府15代の将軍職につけ、その将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令しました。
 その後、1570年(元亀元)の姉川の戦いで浅井・朝倉両氏を破り、翌年に延暦寺の焼き打ちを行います。続いて、1573年(天正元)には朝倉氏、さらに浅井氏を滅ぼし、足利義昭を追放して、室町幕府を滅亡させました。さらに、1575年(天正3)に長篠の戦いで、武田勝頼を破り、翌年には近江に安土城を築き、天下統一への拠点とします。
 その中で、関所の撤廃、楽市楽座、検地等の革新政策を実施、キリシタン文化をも摂取して、華やかな安土桃山文化を興しました。
 その後、中国経略を志して毛利氏と対立しますが、1580年(天正8)に本願寺と和睦し、石山から退城させて畿内一円を支配、1582年(天正10)には甲斐武田氏を滅ぼすなど着々と統一事業を進めました。
 しかし、同年6月2日に、京都における本能寺の変で、明智光秀のために自刃させられ、48歳で生涯を閉じます。

〇織田信長関係略年表(日付は旧暦です)

・1534年(天文3)5月12日 織田大和守家の奉行の父・織田信秀の三男(母・土田御前)として生まれる
・1546年(天文15) 古渡城にて元服し、三郎信長と名乗る
・1547年(天文16) 三河へ初陣する
・1548年(天文17) 美濃の斎藤道三の娘と結婚する
・1551年(天文20) 父・織田信秀が没して、家督を継ぐ
・1555年(弘治元) 清洲城の織田信友を討って、居城とする
・1557年(弘治3) 弟織田信行らの反乱を抑える
・1559年(永禄2) 岩倉城の織田信賢を破って織田家をまとめる
・1560年(永禄3)5月19日 桶狭間の戦で今川義元を敗死させて尾張一国を統一する
・1562年(永禄5) 三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結ぶ
・1563年(永禄6) 美濃攻略のために本拠を小牧山城に移す
・1567年(永禄10) 斎藤龍興を滅ぼして、稲葉山城を岐阜城と改め、拠点とする
・1568年(永禄11) 足利義昭を奉じて上洛し、室町幕府15代の将軍職につける
・1569年(永禄12) 北伊勢の北畠氏を屈伏させる
・1570年(元亀元)6月28日 姉川の戦いで浅井・朝倉両氏を破る
・1570年(元亀元)9月12日 本願寺との間で石山合戦が始まる
・1571年(元亀2)9月12日 比叡山延暦寺を焼討ちする
・1572年(元亀3)12月22日 三方ヶ原の戦いで、織田・徳川連合軍が武田軍に敗れる
・1573年(天正元) 朝倉氏・浅井氏を滅亡させる
・1573年(天正元) 室町幕府15代将軍足利義昭を追放して、室町幕府を滅亡させる
・1574年(天正2)9月29日 長島の一向一揆を壊滅させる
・1575年(天正3)5月21日 長篠の戦いで、武田勝頼を破る
・1576年(天正4) 近江に安土城を築き、天下統一への拠点とする
・1580年(天正8)4月 本願寺と和睦し、石山から退城させて畿内一円を支配する
・1581年(天正9)2月28日 京都御馬揃えを行う 
・1582年(天正10)3月11日 甲斐武田氏を滅ぼす
・1582年(天正10)6月2日 京都の本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、自刃する
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 今日は、安土桃山時代の1576年(天正4)に、織田信長が岐阜から近江の安土城へ移った日ですが、新暦では3月23日となります。
 この城は、現在の滋賀県近江八幡市にあったもので、当時の織田信長の居城として、また天下統一のシンボルとして建てられました。
 七重の黄金に輝く天守閣がそびえていましたが、惜しくも本能寺の変で焼失しました。今でも、巨大な石垣が往時を忍ばせ、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されています。また、2006年(平成18)には、日本100名城に選定されました。
 その城跡を散策すると、その規模の大きさに目を見張らされます。当時は、大きな城下町も形成されていて、その跡にはセミナリオやコレジオといったキリスト教に関連するものもありました。琵琶湖と通じる舟運に関わる史跡をめぐることもできます。
 近くに、「滋賀県立安土城考古博物館」があって安土城跡発掘の成果が展示されています。またその並びに「安土城天主信長の館」があって、安土城の復元天守(5・6階部分のみ)を見ることができます。

〇織田信長関係略年表

・1534年(天文3) 織田信秀の嫡男として生まれる
・1551年(天文20) 父・織田信秀が没したため、家督を継ぐ
・1560年(永禄3) 桶狭間の戦い(○織田軍×●今川軍)
・1567年(永禄10) 稲葉山城の戦い(○織田軍×●斎藤軍)
・1567年(永禄10) 織田信長が岐阜城を居城とし、美濃加納に楽市令を出す
・1568年(永禄11) 織田信長が足利義昭を奉じて上洛する
・1570年(元亀元) 姉川の戦い(○織田軍×●浅井・朝倉軍)
・1571年(元亀2) 織田信長が比叡山の焼き討ちを行い、一向一揆をしずめる。
・1572年(元亀3) 三方ヶ原の戦い(○武田軍×●徳川・織田軍)
・1573年(天正元) 織田信長、浅井・朝倉連合を滅亡させる
・1573年(天正元) 織田信長により、足利義昭が京都から追放される(室町幕府の滅亡)
・1574年(天正2) 伊勢長島一向一揆が織田信長に敗れる
・1575年(天正3) 長篠の戦い(○織田・徳川軍×●武田軍)
・1576年(天正4) 織田信長が、安土城を築く
・1577年(天正5) 紀伊雑賀衆、織田信長に屈服する
・1577年(天正5) 織田信長が安土に楽市の制をしく
・1578年(天正6) 第二次木津川口海戦(○織田軍×●毛利軍)
・1580年(天正8) 織田信長が本願寺と和睦し、石山戦争が終結する
・1580年(天正8) 加賀一向一揆が織田軍の柴田勝家に平定される
・1582年(天正10) 本能寺の変(織田信長が明智光秀におそわれ、自刃)、安土城も消失する
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