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 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、文部次官通達として、「大学教練振作ニ関スル件」(文部次官通牒発専第81号)が出された日です。
 「大学教練振作ニ関スル件」(だいがくきょうれんしんさくにかんするけん)は、同年4月以降は、大学学部在籍学生全員に学校教練を課すと指示した文部次官通達(文部次官通牒発専第81号)でした。1925年(大正14)4月13日に、「陸軍現役将校学校配属令」が公布され、大学を除く官公立の中等以上の学校に、陸軍現役将校の学校配属が行われ、学校教練の指導に当たることとなりますが、大学と私立学校とは申出により配属されるとなります。
 しかし、学校教練の有無は卒業者の徴兵猶予や兵役期間の短縮などの恩典の有無に影響したので、すべての大学及び中等以上の私立学校でも配属将校を受け入れることになっていきました。そして、本通達(文部次官通牒発専第81号)により、同年4月以降は、大学学部在籍学生全員に学校教練を必須として課すことにしたものです。
 以下に、「大学教練振作ニ関スル件」(文部次官通牒発専第81号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大学教練振作ニ関スル件」(文部次官通牒発専第81号)1939年(昭和14)3月30日

 大学教練振作ニ関スル件

現下内外ノ情勢ニ鑑ミ学校教練ノ振作ヲ図ルハ極メテ緊要ナル事ニ有之予而大学学部教練ニ関シ陸軍省ト協議中ノ処今般別紙要綱ニ基キ昭和十四年度ヨリ之ヲ施行スルコトト相成タルニ付テハ十分御配意相成リ実施上遺憾ナキヲ期セラレ度此段通牒ニ及フ

 大学学部教練ニ関スル要綱

一、昭和十四年四月一日以降大学学部教練ハ総長(又ハ学長)ノ指揮監督ノ下ニ学部在籍学生全員之ヲ受クルモノトス但シ身体的故障アル者二対スル術科ハ之ヲ免除ス
二、教練ノ実施ニ関シ左ノ通走ム
(イ)教材
 学科(戦史、戦術、軍事講話)
 術科(各個、部隊教練、射撃、指揮法)
右教材範囲内ニ於テ土地ノ情況、当該大学ノ学情等ヲ顧慮シ概ネ教練進度参考表ニ準拠シ実施スベシ
学生ノ専攻スル学科ノ種類ニ依リ将来ヲ考慮シ当該学科ニ適応スル事項ヲ以テ教材ノ一部ニ代フルコトヲ得
所要兵器ノ備付無キカ又ハ他ヨリ流用ノ途無キ学部ニ於テハ当分ノ間他ノ教材ヲ以テ之ニ代フロコトヲ得
(ロ)教練進度参考表
 (進度参考表ハ別表トス)
(ハ)授時数数
 一週概ネ二時間ヲ標準トシ毎週行フヲ常トス但シ術科ニ関シテハ土地ノ情況等ニ依リ平素之ヲ実施シ得ザル場合ハ学年毎ニ毎学期某期間ノ連続訓練ヲ実施スルコトヲ得
三、教授カ
 大学学部ニ配属スル現役将校ハ可成之ヲ充足スルコトニカムルモ一部ノ欠員アル場合ニハ陸軍省事務嘱託者ヲ以テ之ヲ補助セシムルコトアルベシ
 大学ニ於テハ適任ノ教練教師ヲ採用シ術科ノ補助又ハ教練事務ノ担当ニ任ゼシムルモノトス
四、教育資材
 教練実施ノ為必要ナル小銃及附属口問ハ予科、専門部ヲ有スル学部ニ在リテハ当分之ヲ流用実施スルコトトシ小銃等ノ備付無キ学部ニ在リテハ昭和十四年五月末日迄ニ所要数ノ一部ヲ優先払下グ
五、成績判定
 成績ノ判定ハ検定規定ニ依ルモ出席不良(概ネ七〇%以下)ナル者ニ就テハ特ニ合否判定上ニ考慮スルモノトス

 別表(略)

〇学校教練(がっこうきょうれん)とは?
 
 大正時代の1925年(大正14)から1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦まで、男子の中等教育以上の教育機関において実施された、正課の軍事教育です。1917年(大正6)の中橋徳五郎のもとに招集された臨時教育会議における、「兵式体操振興二関スル建議」および「兵式教練振作二関スル建議」により、学校における軍事教練の実施が建議されました。
 その後、1923年(大正12)に学生が軍事教育に反対した早稲田大学軍事研究団事件を経て、1925年(大正14)に文政審議会は総会が開催され、特別委員会から軍事予備教育に関する諮詢を受け、付帯決議を附して全会一致で可決され、同年4月13日に「陸軍現役将校学校配属令」が公布されて、大学を除く官公立の中等以上の学校に、陸軍現役将校の学校配属が行われ、学校教練の指導に当たることとなります。同年10月の小樽高商軍事教練事件や11月9日の立教大学、早稲田大学、東京帝国大学の三大学新聞は軍事教育反対の共同宣言などの反対運動もありましたが、全国の学校に拡充されていきました。
 一方で、1926年(大正15)に陸軍省と文部省との協力のもとに「青年訓練所令」が公布され、在郷軍人や青年団幹部を職員とした青年訓練所が各地に設置され、1935年(昭和10)は、「青年学校令」(昭和10年勅令第41号)が公布・施行され、青年訓練所が、実業補習学校と統合されて青年学校となり、軍事教練は広がっていきます。1939年(昭和14)3月30日には、文部次官通牒として、「大学教練振作ニ関スル件」が出され、大学において学校教練が必須化され、青年学校が義務制となりました。
 これらは、学校教育の軍国主義化と相まって、軍国主義思想を社会に浸透させるうえで大きな力を発揮したものの、1945年(昭和20)の太平洋戦争敗戦により行われなくなり、同年11月には、「陸軍現役将校学校配属令」も廃止されています。

☆学校教練関係略年表

<1917年(大正6)>
・10月9日 中橋徳五郎のもとに招集された臨時教育会議における、「兵式体操振興二関スル建議」により、学校における兵式体操の実施が建議される
・12月15日 臨時教育会議において、修正された「兵式教練振作二関スル建議」により、学校における軍事教練の実施が建議される

<1923年(大正12)>
・早稲田大学で軍事教育反対事件(早稲田大学軍事研究団事件)が起きる

<1925年(大正14)>
・1月10日 文政審議会は総会を開催、特別委員会から軍事予備教育に関する諮詢を受け、付帯決議を附して全会一致で可決される
・4月13日 「陸軍現役将校学校配属令」が公布される
・5月~8月 大学を除く官公立の中等以上の学校に、陸軍現役将校の学校配属が行われる
・10月 小樽高等商業学校(現在の小樽商科大学の前身)で軍事教練反対事件(小樽高商軍事教練事件)が起きる
・11月9日 立教大学、早稲田大学、東京帝国大学の三大学新聞は軍事教育反対の共同宣言を発表する

<1926年(大正15)>
・4月 陸軍省と文部省との協力のもとに「青年訓練所令」が公布され、在郷軍人や青年団幹部を職員とした青年訓練所が各地に設置される

<1935年(昭和10)>
・4月1日 「青年学校令」(昭和10年勅令第41号)が公布・施行され、青年訓練所が、実業補習学校と統合されて青年学校となる

<1938年(昭和13)>
・男子中等学校での滑空部の設立と滑空訓練を推奨、指導のため教官が軍から派遣される

<1939年(昭和14)>
・3月30日 文部次官通牒として、「大学教練振作ニ関スル件」が出され、大学において学校教練が必須化され、青年学校が義務制となる

<1941年(昭和16)>
・太平洋戦争開始により大量育成のため学校教練が正課として格上げされる

<1945年(昭和20)>
・11月 「陸軍現役将校学校配属令」が廃止される

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