ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:学徒勤労動員

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、文部省の「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員で軍需工場へ動員されるようになった日です。
 「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」(がくときんろうどういんじっしようこうにかんするけん)は、学徒勤労動員で生徒を軍需工場へ動員するための文部省の指令です。これは、作業場を「行学一体ノ道場」たらしめ、学徒の「奉公精神、教養規律ニヨリ、作業揚ヲ純真且明朗ナラシムルコト」を要請し、教職員の「率先垂範陣頭指揮」を強調したものでした。
 これによって、全国の学徒は、通いなれた校舎に訣別して、続々と軍需工場へ動員されていきます。

〇学徒勤労動員(がくときんろうどういん)とは?

 昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3?5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されたのです。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及んだのです。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

☆学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)> 
・木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる

<1941年(昭和16)>
・2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 学校報国隊が結成される

<1943年(昭和18)>
・6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される

<1944年(昭和19)>
・1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・4月27日 文部省から「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員で軍需工場へ動員されるようになる
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)伊豆・蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が行家から平家追討の為の以仁王の令旨を伝えられる(新暦5月23日)詳細
1871年(明治4)日本8番目の洋式灯台である江埼灯台が初点灯する(新暦6月14日)詳細
1874年(明治7)浜松明治7年大火「小野組火事」が起き、死者3名、焼失家数1,335軒を出す詳細
1897年(明治30)帝国図書館官制が公布され、上野の東京図書館を帝国図書館とする詳細
1907年(明治40)国際的に活躍した版画家斎藤清の誕生日詳細
1948年(昭和23)衆議院不当財産取引委員会で昭和電工への復金融資をめぐる贈収賄(昭和電工事件)が問題化する詳細
1991年(平成3)国際生命尊重会議で、「胎児の人権宣言」が採択された日で、「世界生命の日」とされる詳細
2013年(平成25)推理作家・評論家佐野洋の命日詳細
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gunjyukoujyou002
 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員の通年実施がされるようになった日です。
 学徒勤労動員(がくときんろうどういん)は、昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されたのです。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及んだのです。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

〇学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)> 
・木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる

<1941年(昭和16)>
・2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 学校報国隊が結成される

<1943年(昭和18)>
・6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される

<1944年(昭和19)>
・1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

☆「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」 1944年(昭和19)3月7日 閣議決定

決戦ノ現段階ニ即応シ学徒ノ動員ハ原則トシテ中等学校程度以上ニ付今後一年常時之ヲ勤労其ノ他非常任務ニ出動セシメ得ル組織的態勢ニ置キ左ノ要領ニ依リ必要ニ応ジ随時活発ナル動員ヲ実施ス

一 学徒ノ勤労動員ハ其ノ受入体制ヲ整備スルト共ニ学徒ノ受クル教育ノ種類程度ニ適応セシメ其ノ効率ヲ発揮スルヲ旨トシ概ネ左ニ依リ之ヲ実施ス但シ必要ニ応ジ機ニ臨ミ他ノ作業ニ従事セシム
イ 国民学校高等科
 国民学校高等科児童ノ動員ニ付テハ土地ノ情況、心身ノ発達ヲ考慮シ適当ナル作業種目ヲ選ビ之ヲ実施ス
ロ 中等学校
(一)工業学校生徒ハ概ネ軍関係其ノ他重要工場事業場ニ動員ス
(二)商業学校ヨリ転換セル工業学校ノ生徒ガ特定工場ニ於テ現地作業ヲ行フ場合又ハ学校ヲ軍需工場化シタル場合ニハ概ネ夫々当該工場又ハ関係工場ニ動員ス
(三)農業学校生徒ノ動員ハ食糧増産、国防建設事業等ニ重点ヲ指向ス
(四)中学校、商業学校及高等女学校生徒ノ動員ハ土地ノ状況、勤労需給ノ情況ヲ勘案シ食糧増産、国防建設事業又ハ工場事業場(輸送ヲ含ム)等ノ作業ニ動員ス
 尚女子ノ動員ニ付テハ可及的学校設備ノ工場化ニ依リ勤労ノ実ヲ挙グル如ク併セ考慮ス
 大都市ニ於ケル中学校、商業学校生徒ハ必要ニ応ジ疎開及防空建設事業ニモ之ヲ動員ス
(五)特ニ第一、二学年生徒ノ動員ニ付テハ国民学校高等科児童ニ準ズ
ハ 大学高等専門諸学校
(一)理科系学生生徒ニ付テハ左ニ依ル
 工学及理学
(イ)工学及理学関係ノ学生生徒ノ勤労動員ニ関シテハ第三学年及第二学年ニ重点ヲ置クモ必要ニ応シ低学年ノ学生生徒モ之ヲ動員ス
(ロ)現在ノ第三学年ノ学生生徒ハ原則トシテ其ノ履修スル学科ノ種別ニ応シ最モ適当ナル工場事業場等ニ動員シ其ノ技術的指導面ニ活用スル如ク措置ス
   第二学年学生生徒ニ付テモ可及的右ニ準ズ
 医学
(イ)医学関係学生生徒ノ実習勤務ハ第四学年及第三学年ニ重点ヲ置クモ必要ニ応シ低学年ノ学生生徒モ之ヲ動員ス
(ロ)現在第四学年及第三学年ノ学生生徒ハ軍病院、学校附属病院工場事業場附属病院、其ノ他一般病院等ニ於テ専ラ実習勤務ニ服セシム
(ハ)現在第四学年ノ学生生徒ハ本年七月以降現在第三学年ノ学生生徒ハ明年四月以降夫々軍務其ノ他ノ実務ニ服セシメ得ル様措置ス
 農学
 農学関係ノ学生生徒ノ勤労動員ハ原則トシテ其ノ履修スル学科ノ種別ニ応シ其ノ専門ヲ最モ能率的ニ発揮シ得ベキ食糧増産、工場事業場等ニ動員シ特ニ食糧増産作業等ニ付テハ其ノ指導者トシテ活用スル如ク措置ス
(二)前項以外ノ学生生徒ニ付テハ土地ノ状況、勤労需給ノ情況等ヲ勘案シ食糧増産、国防建設事業又ハ工場事業場(輸送ヲ含ム)等ノ作業ニ動員シ力メテ特能ヲ発揮シ得ル如ク措置ス
   大都市ニ於テハ疎開及防空建設事業ニモ之ヲ動員ス
(三)教員養成諸学校
(イ)工業□□実業学校教員養成所及青年師範学校ノ工業科ノ生徒ニ関シテハ(一)ニ準ズ
(ロ)高等師範学校、女子高等師範学校、青年師範学校(前項ノモノヲ除ク)臨時教員養成所、実業学校教員養成所及師範学校ノ生徒ニ関シテハ(二)ニ準ズ
 備考 大学高等専門諸学校理科系学徒ノ動員ニ関シテハ特ニ学校教育ト密接ニ連関セシメ且ツ可及的将来ノ就職配置トモ睨ミ合セ適正ナル計画配置ヲ考慮ス

二 学生生徒ノ勤労動員ハ当該学校ノ教職員ヲ中心トシテ学校ヲ基本トスル隊組織ニ依リ之ヲ行フ
  尚学徒ノ出動ニ際シテハ教職員ヲ多数活発ニ動員シ其ノ指導監督ニ当ラシム

三 学校報国隊ノ整備強化ヲ図ル

四 学校校舎ノ軍需工場化ニ付テハ各種学校特ニ女子ノ学校ヲ主流シテ急速ニ之ガ具体化ヲ図ル

五 学徒ノ勤労動員ニ際シ速ニ法令上ノ措置ヲ講ズ

六 曜日ヲ変更シ日曜日ニ於テモ授業ヲ為シ得ル如ク法令上ノ措置ヲ講ズ

七 教育関係教職員等ニシテ軍需監理官又ハ労務官ヲ兼任スル者ニ対シ速カニ必要ナル錬成ヲ行フ

八 学徒ノ動員ニ関連シ軍幹部、技術要員、科学研究要員タルノ教育錬成トノ調整ヲ図ル

九 学徒ノ防空、防衛等ノ非常任務ニ関シ急速ニ動員体制ヲ一層整備シ之ガ演練ヲ強化実施ス

十 勤労従事中ノ学徒ニ対シテハ当該作業場ノ勤労者ニ準ジ食糧其ノ他ノ物資ノ配給ヲ行フ如ク考慮ス

  「軍需省関係資料 第8巻」軍需省関係政策資料より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1293年(永仁元)鎌倉幕府が蒙古再来に備え九州の裁判と軍事の為に鎮西探題を設置する(新暦4月14日)詳細
1908年(明治41)青森~函館間の鉄道連絡船として、青函連絡船が運航を開始する詳細
1927年(昭和2)京都府北部の丹後半島で北丹後地震(M7.3)が起き、死者2,925人・負傷者7,806人を出す詳細
1940年(昭和15)民政党斎藤孝夫が反軍演説(日中戦争の処理を厳しく追及)で議員除名される詳細
1941年(昭和16)「国防保安法」が公布される詳細
「帝都高速度交通営団法」が公布(施行は同年5月1日)され、帝都高速度交通営団の設立が決まる詳細
1942年(昭和17)大本営政府連絡会議で初めて「今後執るべき戦争指導の大綱」が決定される詳細
1949年(昭和24)ジョゼフ・ドッジが会見で「ドッジ声明」を発表し、日本の経済安定策(ドッジ・ライン)を示す詳細
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 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」により集団勤労作業が始まり、学徒勤労動員のさきがけとなった日です。
 学徒勤労動員(がくときんろうどういん)は、昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月9日に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられたことに始まりました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになります。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されます。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びます。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月10日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

〇学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月9日 文部省は「集団的勤労作業運動実施ニ関スル件」を通牒し、学生・生徒は夏季休暇の始期終期その他適当な長期休業中に中等学校低学年は3日、それ以外は5日の勤労奉仕に従事することを義務付けられる

<1939年(昭和14)>
・7月8日 「国民徴用令」が公布(7月15日施行)される

<1941年(昭和16)>
・2月 「青少年学徒食糧飼料等増産運動実施要項」において1年のうち30日以内の木炭増産、飼料資源の開発、食糧増産等を授業として認める
・8月 学校報国隊が結成される
・10月16日 勅令で大学・高等学校・専門学校の修業年限の短縮が通達され、文部省は省令「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和十六年度臨時短縮ニ関スル件」を公布し、大学・専門学校・実業専門学校の修業年限を三か月短縮する
・11月1日 1942年度は予科・高校を加えて6か月短縮と決定し、繰り上げ卒業がはじまる

<1943年(昭和18)>
・6月25日 東条内閣は「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定し、学校報国隊を強化し、戦技・特技・防空訓練を図り、女子は救護訓練を行なうようになる
・10月12日 閣議で、「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を決定、全国の学生の徴集延期を停止し、徴兵検査が行われることとなり、義務教育8年制を無期延期し、高等学校文科を3分の1減じ、理科を増員し、文科系大学を理科系へ転換し、勤労動員を年間3分の1実施することなどが盛り込まれる

<1944年(昭和19)>
・1月8日 政府は「緊急国民勤労動員方策要綱」と「緊急学徒勤労動員方策要綱」を閣議決定し、学徒勤労動員は年間4か月を継続して行うこととなる
・2月25日 「決戦非常措置要綱」を閣議決定する
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」で、学徒勤労動員の通年実施、学校の種類による学徒の計画的適正配置、教職員の指導と勤労管理が閣議決定され、文部省は詳細な学校別動員基準を決定する
・4月17日 文部省は「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」を発令し、作業場を「行学一体ノ道場」たらしめ、学徒の「奉公精神、教養規律ニヨリ、作業揚ヲ純真且明朗ナラシムルコト」を要請し、教職員の「率先垂範陣頭指揮」を強調する
・7月10日 閣議で、科学技術者動員計画設定要綱を決定し、航空機の生産増強のための理科系学校卒業者の動員、科学技術者の短期養成計画などが盛り込まれる
・7月11日 「航空機緊急増産ニ関スル非常措置ノ件」閣議決定によって、学徒動員の強化が目指され、文部省は「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」を通牒し、供給不足の場合は中等学校低学年生徒の動員、深夜業を中等学校三年以上の男子のみならず女子学徒にも課するなどを指令する
・8月23日 「学徒勤労令」が「女子挺身勤労令」と同日に公布され、学徒勤労動員に法的措置をおこない、大学・高専の2年以上の理科系学徒1000人に限り勤労動員より除外し科学研究要員とする
・12月19日 「動員学徒援護事業要綱」が閣議決定され、動員学徒援護会が設置される
・12月1日 閣議で、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定する

<1945年(昭和20)>
・3月18日 「決戦教育措置要綱」を閣議決定し、国民学校初等科以外のすべての学校において、4月から1年間の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられる
・5月22日 「戦時教育令」が公布され、全学校・職場に学徒隊が結成される
・7月11日 勅令で、文部省に学徒動員局が設置される
・8月16日 文部次官通牒「動員解除に関する件」により事実上の動員解除がなされる
・9月4日 「文部省官制中改正ノ件」(昭和20年勅令第516号)により文部省官制を改正、学徒動員局を廃止、体育局へと改組される
・10月5日 「戦時教育令廃止ノ件」(昭和20年勅令第564号)により、「戦時教育令」が廃止される
・10月10日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、「学徒勤労令」が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1488年(長享2)加賀一向宗門徒が対立していた守護富樫政親を攻めて自刃(長享一揆)させる(新暦7月17日)詳細
1767年(明和4)読本・合巻作者滝沢馬琴の誕生日(新暦7月4日)詳細
1896年(明治29)「山縣・ロバノフ協定」(朝鮮問題に関する日露間議定書)が締結される詳細
1923年(大正12)小説家有島武郎の命日(武郎忌)詳細
1947年(昭和22)「朝日新聞」で石坂洋次郎著の小説『青い山脈』の連載が開始される詳細
1952年(昭和27)「日本国とインドとの間の平和条約」(通称:日印平和条約)が調印される詳細
1995年(平成7)衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(戦後50年決議)が採択される詳細
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 今日は、昭和時代前期の1944年(昭和19)に、閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員が強化された日です。
 「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(がくときんろうのてっていきょうかにかんするけん)は、戦局が悪化する中で、閣議決定に基づき、学徒勤労動員を強化するための文部・厚生・軍需3省次官指令でした。国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施を定めたものです。「一日ノ勤務時間ハ十時間ヲ陳則トスルモ(残業ヲ合セテ十二時間)専ラル産ノ増強ヲ念トシ其ノ実際二適応セシメ之ガ充実強化ヲ図ルコト」とし、その他中等学校三学年以上の女子学徒にも深夜就業を課し得るとしました。

〇学徒勤労動員(がくときんろうどういん)とは?

 昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3〜5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 さらに、1944年(昭和19)7月19日に、閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出されました。その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されています。
 その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。
 このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されます。以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、さらに強化されました。
 この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びます。しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになりました。

〇学徒勤労動員関係略年表

・1938年(昭和13)6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる
・1939年(昭和14) 木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる
・1941年(昭和16)2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・1941年(昭和16)8月 学校報国隊が結成される
・1943年(昭和18)6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・1943年(昭和18)10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される
・1944年(昭和19)1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・1944年(昭和19)2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・1944年(昭和19)3月 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・1944年(昭和19)8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・1944年(昭和19)11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・1944年(昭和19)12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・1944年(昭和19)12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される
・1945年(昭和20)3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・1945年(昭和20)5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・1945年(昭和20)10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、太平洋戦争下の1944年(昭和19)に、「緊急学徒勤労動員方策要綱」が東條英機内閣によって閣議決定された日です。
 これは、戦局が厳しくなってくる中で、激増の見込まれた労務需要に応じるため、学徒動員を「勤労即教育ノ本旨ニ徹シ」て強化し、「動員期間ハ一年ニ付概ネ四カ月ヲ標準トシ且継続シテ」行なう建て前とし、通年動員を認めたものでした。前年10月決定した「教育に関する戦時措置方策」で、年間の3分の1を勤労にあててよいことは同じでしたが、その動員期間が断続するものでなく「継続」するものとなり、動員の性格が従来の「教育実践ノ一環トシテ」の勤労動員から、「勤労即教育」と見なければならなくなった点は、大きな相違点となります。
 また、前日の1月17日には、「緊急国民勤労動員方策要綱」も閣議決定され、国民全体の勤労動員が強化されました。
 以下に、「緊急学徒勤労動員方策要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「学徒勤労動員」とは?

 昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。
 その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月24日に、東条内閣によって、「学徒戦時動員体制確立要綱」が出され、学徒勤労が決戦教育体制として位置づけられ、同年10月の「教育に関する戦時措置方策」で、年間の3分の1を勤労にあててよいこととなります。
 翌年1月8日には「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定され、勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきました。その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されます。
 その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されました。また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとします。
 このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されました。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されます。
 この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びました。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになります。

〇緊急学徒勤労動員方策要綱 1944年(昭和19)1月18日 閣議決定

第一 方針

学徒勤労動員ニ関シテハ先ニ決定セル「学徒戦時動員体制確立要綱」及「教育ニ関スル戦時非常措置方策」ノ趣旨ヲ更ニ徹底シ勤労即教育ノ本旨ニ徴シ総合的且計画的ナル学徒勤労動員ヲ強力ニ実施シ戦力増強ニ挺身セシムルト共ニ戦局ノ現段階ニ処スベキ学徒ノ教育錬成ヲ完カラシムルモノトス

第二 要領

一、動員学徒ヲ勤労セシムベキ工場事業場ヲ特定シ通勤距離、学校又ハ学科ノ種類、学徒ノ年齢及性別等ヲ考慮シ学校ト工場事業場トヲ緊結シ其ノ特定部署ニ対シ通年恒常循環的ニ学徒ヲ動員スル如ク計画ヲ樹立スルコト
二、学徒ノ動員ハ学校ヲ基本トスル団体組織ニ依ルモノトシ当該学校ノ教職員ヲ中心トシテ之ヲ組織スルコト
三、学徒ノ従事スベキ工場事業場ニ於ケル作業ハ学校又ハ学科ノ種類、学徒ノ年齢及性別ヲ勘案シテ之ヲ適正ナラシムルコト
四、同一学徒ヲ勤労ニ動員スル期間ハ差当リ一年ニ付概ネ四ケ月ヲ標準トシ且継続シテ之ヲ行フヲ立前トスルコト
 尚学校又ハ学科ノ種類ニ依リテハ其ノ期間ヲ更ニ長期ナラシムルコトヲ考慮スルコト
五、状況ニ依リ工場事業場ヲシテ学校ノ校地、校舎内ニ設備ヲ講ジ又ハ材料ヲ供給セシメ学校内ニ於テ学徒ヲシテ生産ニ従事セシムルコトニ付テモ方途ヲ講ズルコト
六、前各項ノ外学徒ノ動員ニ関シテハ「学徒戦時動員体制確立要綱」(昭和十八年六月二十五日閣議決定)ニ依ルコト
七、特ニ学徒動員ノ運営ヲ円滑ニシ且其ノ教育実践ノ完璧ヲ期スル為文部省(又ハ地方長官)ノ推薦ニ係ル教職員又ハ関係官吏ヲシテ軍需監理官又ハ労務監理官ヲ兼任セシムルト共ニ関係工場事業場ニ学徒専門ノ勤労係員ヲ設置セシメ之ヲ文部省(又ハ地方庁)ノ嘱託トシ工場事業場ニ於ケル学徒勤労管理ノ徹底的刷新ヲ図ルコト
八、学徒動員ノ方法其ノ他必要ナル事項ニ付更ニ国家総動員法ニ基キ法的措置ヲ講ズルコト
九、学徒勤労管理関係者ノ識見向上ノ為速ニ講習其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルコト

備考

一、学徒ニ対シテハ其ノ動員セラレテ従事シタル工場事業場ノ作業ニ即応シ短期技術教育訓練ヲ実施スルト共ニ右教育訓練ヲ経タル学校卒業者ノ所遇ノ向上並ニ資格検定ニ付考慮スルコト
二、学徒勤労ニ対スル報酬方法ニ関シ別途考究スルモノトスルコト

 「内閣制度百年史 下」 内閣制度百年史編纂委員会編より

☆学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月9日 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)>
・3月 文部省は中等学校以上に対し、集団勤労作業を「漸次恒久化」し、学校の休業時以外も随時これを行ない、正課に準じることを指示する

<1941年(昭和16)>
・2月 「青少年学徒食糧飼料等増産運動実施要項」で、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 文部省の指示によって全国の諸学校において学校報国隊が結成される
・12月8日 太平洋戦争に突入

<1943年(昭和18)>
・6月24日 東条内閣によって、「学徒戦時動員体制確立要綱」が出され、学徒勤労が決戦教育体制として位置づけられる
・10月12日 「教育に関する戦時措置方策」で、年間の3分の1を勤労にあててよいこととなる

<1944年(昭和19)>
・1月8日 「緊急学徒勤労動員方策要綱」が出され、勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月25日 閣議において「決戦非常措置要綱」が決定される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」で、勤労動員は通年実施となる
・4月27日 「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」で軍需工場へ動員されるようになる
・7月19日 文部省「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」が出され、中等学校低学年生徒の動員、深夜業を中等学校3年以上の男子だけでなく女子学徒にも課すことを指令
・8月23日 法令上の措置として、「学徒勤労令」が公布・施行される
・8月23日 「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとなる
・12月19日 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月18日 「決戦教育措置要綱」が閣議決定され、一年の授業停止による学徒勤労総動員の体制がとられる
・5月22日 「戦時教育令」が公布される
・8月15日 「ポツダム宣言」を受諾する玉音放送が流され、太平洋戦争に敗れる
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、勅令が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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