ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

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 今日は、飛鳥時代の646年(大化2)に、孝徳天皇が「薄葬令」を発した日ですが、新暦では4月12日となります。
 「薄葬令(はくそうれい)」は、大化の改新の一環として、民衆の負担軽減のため、身分に応じて墳墓や葬儀の規模に制限を加えた勅令でした。その内容は、①必要以上に大きな墳墓を造る事は 民衆の貧窮を招くと警告し、②死者の身分により墳墓を造る夫役の延べ人数の上限を定め、③一般階級の遺体は 一定の墓地に集めて埋葬することとし、④殯(もがり)や、人馬の殉死、殉葬、宝物を副葬することを禁じたものです。
 王 (皇族) 以上、上臣 (大臣)、下臣 (大徳・小徳)、大仁・小仁、大礼~小智、庶民 (無位者) の6等級の身分に応じて、玄室・封土の大小、役丁の多少、日数、葬具の種類を規定していて、身分制度の確立を目ざしたものとも考えられてきました。薄葬政策は、その後も何度か発令されましたので、「大化の薄葬令」とも呼ばれて区別されています。

〇「薄葬令」(『日本書紀』[卜部兼方・兼右本]巻第25 孝徳天皇2年の条)

<原文>

甲申、詔曰。朕聞、西土之君戒其民曰。古之葬者因高爲墓、不封不樹、棺槨足以朽骨、衣衿足以朽宍而已。故、吾營此丘墟・不食之地、欲使易代之後不知其所。無藏金銀銅鐵、一以瓦器、合古塗車・蒭靈之義。棺漆際會三過、飯含無以珠玉、無施珠襦玉柙。諸愚俗所爲也。又曰。夫葬者藏也、欲人之不得見也。

廼者、我民貧絶、專由營墓。爰陳其制、尊卑使別。夫王以上之墓者、其內長九尺・濶五尺、其外域方九尋・高五尋、役一千人・七日使訖、其葬時帷帳等用白布、有轜車。上臣之墓者、其內長濶及高皆准於上、其外域・方七尋・高三尋、役五百人・五日使訖、其葬時帷帳等用白布、擔而行之(蓋此以肩擔輿而送之乎)。下臣之墓者、其內長濶及高皆准於上、其外域・方五尋・高二尋半、役二百五十人・三日使訖、其葬時帷帳等用白布、亦准於上。大仁・小仁之墓者、其內長九尺・高濶各四尺、不封使平、役一百人・一日使訖。大禮以下小智以上之墓者、皆准大仁、役五十人・一日使訖。凡王以下小智以上之墓者、宜用小石、其帷帳等宜用白布。庶民亡時、收埋於地、其帷帳等可用麁布、一日莫停。凡王以下及至庶民、不得營殯。凡自畿內及諸国等、宜定一所而使收埋、不得汚穢散埋處々。凡人死亡之時、若經自殉・或絞人殉及强殉亡人之馬・或爲亡人藏寶於墓・或爲亡人斷髮刺股而誄、如此舊俗一皆悉斷(或本云、無藏金銀錦綾五綵。又曰、凡自諸臣及至于民、不得用金銀)。縱有違詔、犯所禁者、必罪其族。

<読み下し文>

甲申、詔して曰く。朕聞く、西土[1]の君其の民を戒めて曰く、古への葬は高きに因りて墓と爲す、封かず樹ゑず[2]、棺槨[3]は以て骨を朽すに足り、衣衿[4]は以て宍[5]を朽すに足るのみ。故れ、吾れ此の丘墟[6]・不食[7]なる地を營りて、代を易へむ後に其の所を知らざらしめむ欲す。無金銀銅鐵を藏むること、一に瓦器[8]を以て、古の塗車[9]・蒭靈[10]の義に合へ、棺は際會に漆り、三たび過よ。飯含むるに珠玉[11]をもってすることなけれ、珠の襦[12]、玉の柙[13]を施くこと無れ。諸の愚俗[14]の爲る所なり。又曰く、夫れ葬は藏なり、人の不見ることを得ざらむことを欲す。

廼者、我が民の貧絶しきこと、專墓[15]を營るに由る。爰に其の制を陳べて、尊卑[16]別あらしむ。夫れ王[17]より以上の墓は、其の內[18]の長さ九尺・濶さ[19]五尺、其の外域は方九尋[20]・高さ五尋[20]、役[21]一千人・七日に訖らしめて[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐよ、轜車[24]有れ。上臣の墓は、其の內[18]の長さ濶さ[19]及び高さは皆上に准へ[25]よ、其の外域・方七尋[20]・高さ三尋[20]、役[21]五百人・五日に訖らしめ[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐよ、擔ひて[26]行け(蓋し此は肩を以て輿を擔ひて[26]送るか)。下臣の墓は、其の內[18]の長さ濶さ[19]及び高さは皆上に准へ[25]よ、其の外域・方五尋[20]・高さ二尋[20]半、役[21]二百五十人・三日に訖らしめ[22]、其の葬らむ時の帷帳[23]等には白布を用ゐること、亦た上に准へ[25]よ。大仁[27]・小仁[28]の墓は、其の內[18]の長さ九尺・高さ濶さ[19]各四尺、封つかずして平かならしめ、役[21]一百人・一日に訖らしめ[22]よ。大禮[29]以下小智[30]以上の墓は、皆大仁[27]に准へ[25]、役[21]五十人・一日に訖らしめ[22]よ。凡そ王[17]以下小智[30]以上の墓は、宜しく小き石を用ゐよ、其の帷帳[23]等には宜しく白布を用ゐよ。庶民亡なむ時には、地に收め埋め、其の帷帳[23]等には麁布[31]を用ゐるべし、一日も莫停むること。凡そ王[17]以下及び庶民に至るまで、殯[32]を營ることを得じ。凡そ畿內[33]より諸国等に及ぶまで、宜しく一所に定めて收め埋めしめよ、汚穢しく處々に散らし埋むろことを得ず。凡そ人死亡ぬる時に、若しくは經ぎて自ら殉[34]ひ・或は人を絞きて殉[34]はしめ、及び强ちに亡人の馬を殉[34]へ・或は亡したる人の爲めに寶を墓に藏め・或は亡したる人の爲めに髮を斷り股を刺して誄[35]す、此の如き舊俗[36]は一に皆悉に斷めよ。(或本に云ふ、金銀、錦綾[37]、五綵[38]を藏むること無かれ。又曰く、凡そ諸臣より民に及至るまで、金銀を用ゐることを得ず)。縱し詔に違ひて、禁むる所を犯す者有らば、必ず其の族を罪せむ。

【注釈】

[1]西土:もろこし=昔、日本から中国を呼んだ称。唐。唐土。
[2]封かず樹ゑず:つちつかずきうえず=封土も植樹もない。
[3]棺槨:かんかく=死体をおさめる箱。ひつぎ。
[4]衣衿:いきん=衣服。着物。
[5]宍:しし=にく。人体の肉。人間の肉体。
[6]丘墟:きゅうきょ=小高い丘で、墳丘のこと。
[7]不食:ふしょく=不毛。何も育てていない空地。
[8]瓦器:がき=素焼き土器の総称。かわらけ。
[9]塗車:くるまかた=死者の守りとしてともにほうむった土製の車。
[10]蒭靈:くさひとかた=草や藁で作った人形。藁人形。草のひとかた。
[11]珠玉:たま=宝石のこと。
[12]珠の襦:たまのこしころも=王様の服の上着。
[13]玉の柙:たまのはこ=王様の服の下。
[14]愚俗:ぐぞく=おろかな世俗。また、その人々。
[15]専墓:たかめはか=氏族のための墓。
[16]尊卑:そんぴ=身分などが尊いことと卑しいこと。貴賤(きせん)。
[17]王:みこ=皇族。
[18]内:うち=内部。ここでは玄室の意味。
[19]濶さ:ひろさ=幅の大きさ。巾。はば。
[20]尋:ひろ=両手を広げた長さ。
[21]役:え=人民に公の労務を課すこと。労役。夫役(ぶやく)。えだち。
[22]訖らしめ:おわらしめ=終わらせる。終えさせる。
[23]帷帳:いちょう=室内に垂れ下げて隔てとする布。とばり。垂れ絹。
[24]轜車:きぐるま=貴人の葬儀に、棺を載せて運ぶ車。きぐるま。喪車。
[25]准へ:なそへ=なぞらえる。準ずる。
[26]擔ひて:にないて=になう。かつぐ。引き受ける。
[27]大仁:だいじん=冠位十二階の一つ。第三番目の位。
[28]小仁:しょうじん=冠位十二階の一つ。第四番目の位。
[29]大禮:だいらい=冠位十二階の一つ。第五番目の位。
[30]小智:しょうち=冠位十二階の一つ。第一二番目の位。
[31]麁布:そふ=粗末な布。また、織目のあらい布。
[32]殯:もがり=本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。
[33]畿內:きない=王城の周辺の地の意味。
[34]殉:したが/じゅん=死者の後を追って死ぬこと。殉死。。
[35]誄:しのびごと=死者を弔い、生前の業績などをたたえる言葉。弔辞。
[36]舊俗:きゅうぞく=昔からの風俗・習慣。旧習。
[37]錦綾:にしきあや=錦と綾。ともに美しく立派な絹織物。
[38]五綵:ごさい=五つのあや。五色模様。五様のいろどり。

<現代語訳>

(孝徳天皇2年の条)
3月22日、詔して言うのに、「私が聞くのに、中国の君主はその民を戒めて、『古代の葬式は高い丘陵を墓とした。土を盛り上げず、植樹もしない。ひつぎは骨が朽ち果てるくらいのもので足りる、衣服は人間の肉体が朽ち果てるくらいのもので足りる。従って、私の墳丘は不毛の土地に造営し、代替わりした後世には、その場所が知られないようにしてほしい。金・銀・銅・鉄を収めることは無きように。土器で、古代の車の形を作り・草で作った人形を収蔵してほしい。お棺の隙間に漆を塗るのは3年に一度でいい。死者の口に飯を含ませるのに、宝石を用いることは無きように。王様の服の上着と服の下を着せることの無きように。こういう諸々のことはおろかな世俗がすることだ。』と述べている。また言うのに、『その葬式は隠すことだ。人に見られないようにすることを欲する。』と。

この頃、我が人民の貧しさが絶しているのは、氏族のための墓を造営することによる。ここにその制度を設けて、身分が尊いものと卑しいものを分けておこう。皇族より以上の地位の墓は、その玄室の長さは9尺、巾は5尺。その外域は縦横は9尋、高さは5尋。労役させる民は1,000人。7日で終えさせなさい。葬る時の垂れ絹などには白い布を用いなさい。棺を載せて運ぶ車はあっていい。上臣の墓は玄室の長さと巾および高さは、みな上記に準ずる。その外域は縦横7尋、高さは3尋。労役させる民は500人で5日で終えさせなさい。その葬る時の垂れ絹などには白い布を用いなさい。(遺体は)担いで行け(思うにこれは肩を以て輿を担いで送ることか)。下臣の墓はその玄室の長さと巾および高さは、みな上記に準ずる。その外域は縦横5尋、高さは2尋半。労役させる民は250人。3日で終えさせなさい。その葬る時の垂れ絹などには白い布を用いること。また上記に準ずる。大仁・小仁の墓はその玄室の長さ9尺、高さと巾はそれぞれ4尺。土を盛り上げず、平らにしなさい。労役させる民は100人。1日で終えさせなさい。大礼より以下、小智より以上のものはみな、大仁に準ずる。労役させる民は50人。1日で終えさせなさい。すべての皇族より以下、小智よりも以上の墓では小さい石を用いなさい。その垂れ絹などは適宜白い布を用いなさい。庶民が亡くなった時は地中に埋めなさい。その垂れ絹には目の粗い布を用いなさい。1日も作業しないで終えなさい。皇族より以下、庶民に至るまで、殯を造営するしてはいけない。畿内から諸国に至るまで、場所を定めて、収め埋め、穢らわしくても、方々に散らして埋めてはならない。およそ人が死ぬ時に、自殺して殉死したり、人を絞め殺して殉死させたり、無理やりに死者の馬を殉死させたり、死者のために宝物を墓に納めたり、死者のために、髪を切ったり股を刺して、死者を弔い、生前の業績などをたたえる言葉をかけること。こう言った昔からの習俗は、一切、ことごとくやめなさい。(ある本では、金・銀・錦と綾・五色模様を藏めてもいけない。また言うことには、およそ諸臣より庶民に至るまで、金銀を使用してはならないとある。)もし、詔に背いて、禁令を犯すことがあれば、必ずその一族を罪に問う。

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 今日は、飛鳥時代の646年(大化2)に、「改新の詔」が発布された日ですが、新暦では1月22日となります。
 これは、飛鳥時代の645年(大化元)に起きた「大化の改新」において、新たな施政の基本方針を示すために、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮で出されたとされる詔です。
 『日本書紀』の大化2年正月に所載されていて、「(1)屯倉、田荘などの私有地、ならびに子代、部曲などの私有民の廃止によって、公地公民制を敷く。(2)天皇の所在する京都・畿内を設定し、地方の行政区画と中央集権体制を整備する。(3)戸籍・計帳を作成して、班田収授法を実施する。(4)これまでの賦役を廃止し、新しい税制を打ち立てる。」の四ヶ条からなっていました。
 しかし、学者の間で「郡評論争」が起こり、藤原京から出土した木簡等により、編者により潤色されたものではないかと考えられるようになったのです。
 実際には、これらの改革が一度に実施されたのではなく、近江朝から天武・持統朝へと引き継がれる中で、律令体制として整えられていったのではないかとされるようになりました。

〇「改新の詔」(全文)大化2年正月

二年春正月甲子朔。賀正禮畢。即宣改新之詔曰。

其一曰。罷昔在天皇等所立。子代之民。處々屯倉及別臣連。伴造。國造。村首所有部曲之民。處處田庄。仍賜食封大夫以上。各有差。降以布帛賜官人。百姓有差。又曰。大夫所使治民也。能盡其治則民頼之。故重其祿所以爲民也。

其二曰。初修京師。置畿内國司。郡司。關塞。斥候。防人。驛馬。傳馬。及造鈴契。定山河。凡京毎坊置長一人。四坊置令一人。掌按検戸口督察奸非。其坊令取坊内明廉強直堪時務者充。里坊長並取里坊百姓清正強幹者充。若當里坊無人。聽於比里坊簡用。凡畿内東自名墾横河以來。南自紀伊兄山以來。〈兄。此云制。〉西自赤石櫛淵以來。北自近江狹々波合坂山以來。爲畿内國。凡郡以四十里爲大郡。三十里以下四里以上爲中郡。三里爲小郡。其郡司並取國造性識清廉堪時務者爲大領少領。強幹聰敏工書算者爲主政主帳。凡給驛馬。傅馬。皆依鈴傅苻剋數。凡諸國及關給鈴契。並長官執。無次官執。

其三曰。初造戸籍。計帳。班田收授之法。凡五十戸爲里。毎里置長一人。掌按検戸口。課殖農桑禁察非違。催駈賦役。若山谷阻險。地遠人稀之處。隨便量置。凡田長卅歩。廣十二歩爲段。十段爲町。段租稻二束二把。町租稻廿二束。

其四曰。罷舊賦役而行田之調。凡絹絁絲綿並隨郷土所出。田一町絹一丈。四町成疋。長四丈。廣二尺半。絁二丈。二町成疋。長廣同絹。布四丈。長廣同絹絁。一町成端。〈綿絲絇屯諸處不見。〉別收戸別之調。一戸貲布一丈二尺。凡調副物鹽贄。亦随郷土所出。凡官馬者。中馬毎一百戸輸一疋。若細馬毎二百戸輸一疋。其買馬直者。一戸布一丈二尺。凡兵者。人身輸刀甲弓矢幡鼓。凡仕丁者。改舊毎卅戸一人〈以一人充廝也。〉而毎五十戸一人〈以一人充廝。〉以充諸司。以五十戸充仕丁一人之粮。一戸庸布一丈二尺。庸米五斗。凡釆女者。貢郡少領以上姉妹及子女形容端正者〈從丁一人。從女二人。〉以一百戸充釆女一人之粮。庸布。庸米皆准仕丁。

                  『日本書紀』第二十五巻より

   *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<読み下し文>

二年春正月甲子の朔、賀正の禮畢りて、即ち改新之詔を宣ひて曰く

 其の一に曰はく、昔在の天皇等の立てたまへる子代の民、処処の屯倉、及び別には臣・連・伴造・国造・村首の所有る部曲の民、処処の田庄を罷めよ。仍りて食封を大夫以上に賜ふこと各差有らむ。降りて布帛を以て、官人・百姓に賜ふこと差有らむ。又曰はく、大夫は民を治めしむる所なり。能く其の治を尽すときは則ち民頼る。故、其の禄を重くせむことは、民の為にする所以なり。

 其の二に曰はく、初めて京師を修め、畿内国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬を置き、及び鈴契を造り、山河を定めよ。凡そ京には坊毎に長一人を置き、四の坊に令一人を置きて、戸口を按へ検め、奸しく非を督し察むることを掌れ。其の坊令には坊の内に明廉く強く直しくして時の務に堪ふる者を取りて充てよ。里坊の長には並びに里坊の百姓の清く正しく強幹しき者を取りて充てよ。若し当里坊に人なくば、比の里坊に簡び用ゐることを聴せ。凡そ畿内は、東は名墾の横河より以来、南は紀伊の兄山より以来、(兄、此をば制と云ふ)、西は赤石の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波の合坂山より以来を、畿内国とす。凡そ郡は四十里を以て大郡とせよ。三十里以下、四里以上を中郡とし、三里を小郡とせよ。其の郡司には並びに国造の性識清廉くして時の務に堪ふる者を取りて大領・少領とし、強く幹しく聡敏くして書算に工なる者を主政・主帳とせよ。凡そ駅馬・伝馬を給ふことは皆鈴・伝符の剋の数に依れ。凡そ諸国及び関には鈴契を給ふ。並びに長官執れ、無くば次官執れ。

 其の三に曰はく、初めて戸籍・計帳・班田収授の法を造れ。凡そ五十戸を里とす。里毎に長一人を置く。戸口を按へ検め、農桑を課せ殖ゑ、非違を禁め察め、賦役を催し駈ふことを掌れ。若し山谷阻険しくして、地遠く人なる処には、便に随ひて量りて置け。凡そ田は長さ三十歩、広さ十二歩を段とせよ。十段を町とせよ。段ごとに租稲二束二把、町ごとに租稲二十二束とせよ

 其の四に曰はく、旧の賦役を罷めて、田の調を行へ。凡そ絹・絁・糸・綿は、並びに郷土の出す所に随へ。田一町に絹一丈、四町にして匹を成す。長さ四丈、広さ二尺半。絁は二丈、二町にして匹を成す。長さ広さ絹に同じ。布四丈、長さ広さ絹・絁に同じ。一町にして端を成す。(糸・綿の絇屯は諸の処に見ず)、別に戸別の調を収れ。一戸に貲布一丈二尺。凡そ調の副物の塩・贄は亦>郷土の出す所に随へ。凡そ官馬は中の馬は一百戸毎に一匹を輸せ。若し細馬ならば二百戸毎に一匹を輸せ。其馬買はむ直は一戸に布一丈二尺。凡そ兵は人の身ごとに刀・甲・弓・矢・幡・鼓を輸せ。凡そ仕丁は旧の三十戸毎に一人を改めて、(一人を以て廝に充つ)、五十戸毎に一人を、(一人を以て廝に充つ)、以て諸司に充てよ。五十戸を以て、仕丁一人の粮に充てよ。一戸に庸布一丈二尺、庸米五斗。凡そ采女は、郡の少領以上の姉妹、及び子女の形容端正しき者を貢れ。(従丁一人。従女二人)、一百戸を以て、采女一人の粮に充てよ。庸布・庸米は、皆仕丁に准へ。

<現代語訳>

大化2年正月元旦,新年の儀式を終えて,改新の詔が宣布された。

1. 従前の天皇等が立てた子代の民と各地の屯倉、そして臣・連・伴造・国造・村首の所有する部曲の民と各地の田荘を廃止する。その代わりに食封を大夫以上の者に身分に応じて与えることとする。その下の諸官人や庶民にはその身分に応じて布帛を与えることとする。また、大夫は民を治めるものである。その政治を誠意を尽くして行えば、民は頼ってくるものである。よって、その禄を重くするのは、民のためにするものである。

2. 初めて都を定め、畿内・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬の制度を設置し、駅鈴・木契を作成し、国や郡の境界を設定することとする。京には坊毎に長を一人置きなさい。四つの坊には令を一人置き、戸口を調べて、邪な悪いやつを正し、監察する役としなさい。その坊令には、坊の内で潔白で強く実直で、時節の政務に対応できるものを採用して当てなさい。里坊の長には、里坊の庶民の中から清く正しく、意志が強いものを採用して当てなさい。もしその里坊に適当な人物がいない場合は、隣の里坊から選んで採用してもよい。だいたい畿内の範囲は、東は名墾横河から、南は紀伊の兄山から、西は明石の櫛淵から、北は近江の狹々波の合坂山を畿内国とする。郡は40里を大郡とせよ。30里以下、4里より以上を中郡とし、3里を小郡とせよ。郡司には国造の中から清廉で政務に役立つ者を大領・少領に選任し、強健・明敏で読み書き計算のすぐれた者を主政・主帳に任ぜよ。駅馬・伝馬の数は、駅鈴・伝符に刻んだ数による。諸国と関には駅鈴と木契(割符)を与える。長官が取りなさい。そうでなければ、次官が取るものとする。

3. 初めて戸籍・計帳・班田収授法を定めることとする。およそ50戸を里とし、里ごとに里長一人を置く。戸口を調べて、農耕と養蚕を課して増えさせ、法を犯すものを禁じ、監察し、賦役を促し駆り立てるのを役目としなさい。もし、山谷が険しい辺境の地で人があまりいない地域には、報告に従って、調べたことにして処理しなさい。田の広さは、長さ三十歩・幅二十歩を一段とし、十段をもって一町とする。一段からの租税の稲は二束二把、一町からは二十二束と決める。

4. 旧来の税制・労役を廃止して、新たな租税制度(田の調)を策定することとする。絹・絁・絲・綿などは、その土地で産出するものを納めよ。田が1町ならば絹を1丈。4町で1匹となる。長さ4丈は広さ2尺半。絁ならば2丈、2町で1匹となる。長さと広さは絹と同じとする。布ならば4丈、長さ広さは絹・絁と同じで、1町で1匹となる。また戸毎に調を徴収せよ。一戸にあら布一丈二尺。調の付加税の塩・贄(魚介類・海藻など)はその土地の産物から選べ。官馬は、中の馬は100戸ごとに1匹を献上しなさい。もし、良い馬ならば200戸ごとに1匹を献上しなさい。その馬を他に置き換える場合の値は、1戸に布1丈2尺とする。兵器は、一人につき、刀・甲・弓・矢・幡・鼓を献上しなさい。おおよそ、役所に仕える雑役夫は、従来30戸に一人を出すのを改めて50戸毎に一人を出して各役所に割当て、五十戸から納入されるものを、役所に仕える雑役夫一人分の食料として充当せよ。後宮に奉仕する女官として、郡の少領以上の家の姉妹・子女の容姿端麗な者を差し出せ。100戸から納入されるものを、後宮に奉仕する女官一人の食料として充当せよ。庸布・庸米は、諸官司の雑役夫と同じとする。

【注釈】
[1]改新之詔:かいしんのみことのり=新たな施政の基本方針を示すため、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮で出されたとされる詔。
[2]子代の民:こしろのたみ=皇室の私有民で、天皇が皇太子のために設置したもの。
[3]屯倉:みやけ=皇室の私有地。
[4]臣・連・伴造・国造・村首:おみ・むらじ・とものみやつこ・くにのみやつこ・むらのおびと=諸豪族の呼称。
[5]部曲の民:かきのたみ=豪族の私有民。
[6]田庄:たどころ=豪族の私有地。
[7]食封:へひと・じきふ=国家が指定した一定地域の郷戸が出す祖税を官人の俸禄として支給する制度。
[8]大夫:まえつきみ・たいふ=中・上の役人で、国政審議に参加する官。
[9]各差有らむ:おのおのしなあらん=各々の地位に応じて給付するという意味。
[10]布帛:ふはく・きぬ=絹織物。
[11]官人:つかさ=役人。
[12]民頼る:たみかうぶる=民が頼ってくる。
[13]禄:たまもの・ろく=民の取り分。
[14]京師:みさと・けいし=天子の住む都のこと。
[15]機内国司:うちつくにみこともち=大和周辺の国の長官。機内・国司と分けて読む説もある。
[16]郡司:こおりのみやつこ=郡の長官の意味だが、金石文や木簡では大宝令まで評が用いられたので、改竄説がある。
[17]関塞:せきそこ=険要の地を守る軍塁。軍事上の防御施設。関所。
[18]斥候:うかみ・せっこう=北辺の守備兵。敵の内情を偵察する者。スパイ。
[19]防人:さきもり=西海の防衛隊。辺境、特に大宰府管内の守備兵。
[20]駅馬:はいま・えきば=駅におく馬。律令制では、駅家に備えて駅使の乗用に使った馬。
[21]伝馬:つたわりうま・てんま=郡におく馬。律令制では郡ごとの郡家に5疋常備された官馬。
[22]鈴契:すずしるし=駅鈴と木契(割符)のことで、駅馬・伝馬の利用や関を通過するための証明とした。
[23]山河を定めよ:やまかわをさだめよ=地方の境界を定めよ。
[24]坊毎:まちごと=町ごと。
[25]坊令:ぼうれい=京の四坊ごとに置かれた責任者。住民 の有力者が充てられ、治安の維持などに当たった。
[26]強幹しき者:いさをしきもの=意志が強い者。
[27]名墾横河:ながりのよこかわ=伊賀名張郡名張川。
[28]紀伊の兄山:きいのせのやま=現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町に背山・対岸に妹山がある。
[29]明石の櫛淵:あかしのくしぶち=播磨国明石郡の内、塩屋あたりや界(境)川をあてるなど諸説 あり。
[30]合坂山:あうさかやま=現在の滋賀県大津市にある。
[31]大領:こおりのみやつこ=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の1番目。
[32]少領:すけのみやつこ=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の2番目。
[33]書算:てかきかずとる・しょさん=読み書き計算。書道と算術。
[34]主政:しゅせい・まつりごとひと=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の3番目。
[35]主帳:しゅちょう・ふびと=律令制の官職で、郡司の中の四等官(大領・少領・主政・主帳)の4番目。
[36]戸籍:へのふみた・こせき=人民登録の基本台帳で、6年ごとに作成された。
[37]計帳:かずのふみた・けいちょう=調・庸の課税台帳。
[38]班田収授の法:あかちだをさめさづくるののり=6歳以上の男女に口分田を班給し、徴税する制度。
[39]農桑:なりわいくわ・のうそう=農耕と養蚕。
[40]賦役:ぶえき・えつき=労働する税。労働で納める課役。
[41]便:たより=報告。
[42]租:たちから・そ=穀物の税。
[43]調:みつぎ・ちょう=一定基準で田地に賦課する税。
[44]絹:かとり=絹を固く織ったもの。
[45]絁:ふとぎぬ=目の粗い絹。
[46]絲:いと=生糸。
[47]綿:わた=絹綿(真綿)。
[48]貲布:さよみのぬの・さいみ= 織り目の粗い麻布。
[49]副物:そわりつもの=付加税。
[50]贄:にえ=朝廷に献上する食料用の魚介類・海藻など。
[51]官馬:つかさうま=公に献上する馬。
[52]中の馬:なかのうま=中級の馬。
[53]細馬:よきうま・さいば=上級の馬。駿馬。良馬。
[54]兵:つわもの=兵器。兵士。
[55]仕丁:つかえのよぼろ・しちょう=諸官司の雑役をするもの。
[56]廝:し=めしつかい。しもべ。下男。こもの。
[57]諸司:もろつかさ・しょし=役所。役人。
[58]粮:かて=食糧。食物。
[59]庸布:ちからしろのぬの・ようふ=税(庸)として納めた布。
[60]庸米:ちからしろのこめ・ようまい=税(庸)として納めた米。
[61]采女:うねめ=後宮に奉仕する女官。
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