ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:太政官布告

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 今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、「暗殺禁止令」が、明治新政府より太政官布告された日ですが、新暦では2月16日となります。
 「暗殺禁止令」(あんさつきんしれい)は、幕末明治維新期の1868年(慶応4年1月23日)に、明治新政府より、太政官布告された「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」のことです。幕末明治維新期には、佐幕派と尊王攘夷派の対立などにより、江戸や京都などで、多くの人々が暗殺されましたが、新政府の誕生を機に、暗殺を戒め、法によって裁くものとしたものでした。
 以下に、「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」(暗殺禁止令)を掲載紙ておきますので、ご参照下さい。

〇「暗殺ヲ爲スヲ嚴禁ス」(暗殺禁止令)1868年2月16日(明治元年1月23日)発布

<原文>

近來於所々致暗殺候內ニ者罪狀相認死骸ニ添有之候モ不少何レモ陰惡陰謀等ヲ憤リ候而之所業ニ可有之全體不埒之者共ハ得ト吟味之上刑典ヲ以嚴重之御裁許被 仰付事ニ付太政御一新之折柄猶更御爲筋ヲ心掛公然ト可申出之處其儀無之私ニ致殺害候ハ 朝廷ヲ不憚致方ニ付右等之者有之ニ於テハ吟味之上屹度嚴刑ニ可被處候問心得違無之樣可致事

  「ウィキソース」より

<現代語訳>

最近いろいろなところで起きている暗殺事件の中には、罪状を書いて死体に添えているものも多い。どれも悪業や陰謀を憤ってのことであろう。もともと悪人はきちんと調査したうえで法律をもとに裁かれるものであるし、政治が変わったのだからなおのこと道理を守り、公に訴えなければいけないというのに、それをせず自分で殺害するのは、朝廷をおそれないやりかたである。よって、そういったことを行う者は調査したうえで間違いなく厳刑に処せられるので、間違った考えを抱かないようにすること。

☆幕末に暗殺された主要な人物

・1860年(安政7年3月3日) 江戸幕府大老・井伊直弼(桜田門外の変)
・1861年(安政7年12月4日) アメリカ人通訳・ヘンリー・ヒュースケン
・1862年(文久2年1月15日) 江戸幕府老中・安藤信正負傷(坂下門外の変)
・1862年(文久2年4月8日) 土佐藩参政・吉田東洋
・1862年(文久2年7月20日) 九条家の家士・島田正辰
・1862年(文久2年7月25日) 対馬藩江戸家老・佐須伊織
・1862年(文久2年9月2日) フランス士官・カミュ(井土ヶ谷事件)
・1863年(文久2年12月22日) 壬生藩家老・鳥居志摩
・1863年(文久3年1月22日) 儒学者・池内大学
・1863年(文久3年4月13日) 清河八郎
・1863年(文久3年5月18日) 儒学者・家里新太郎
・1863年(文久3年5月20日) 尊攘派公卿・姉小路公知(朔平門外の変)
・1863年(文久3年9月18日) 新選組局長・芹沢鴨
・1864年(元治元年7月11日) 佐久間象山
・1865年(元治元年12月8日) 尊攘派公卿・中山忠光
・1866年(慶応2年5月2日) 対馬藩佐幕派の巨頭・勝井五八郎
・1867年(慶応3年9月3日) 赤松小三郎
・1867年(慶応3年11月15日) 坂本龍馬と中岡慎太郎(近江屋事件)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1570年(永禄13)織田信長が「殿中御掟」追加5か条を室町幕府第15代将軍足利義昭に示す(新暦2月27日)詳細
1657年(明暦3)江戸時代前期の朱子学派の儒学者林羅山の命日(新暦3月7日)詳細
1890年(明治23)教育者・キリスト教指導者新島襄の命日詳細
1914年(大正3)第31帝国議会で島田三郎議員がシーメンス社の日本海軍への贈賄を追及する(シーメンス事件)詳細
1928年(昭和3)「日ソ基本条約」の規定に従って、ソ連のモスクワにおいて、「日ソ漁業条約」が締結される詳細
1933年(昭和8)日本の社会主義運動の先駆者・政治家・著述家堺利彦の命日詳細
1963年(昭和38)強い寒気の南下により北陸を中心に日本海側で猛烈な降雪があり、三八豪雪が本格化する詳細
1993年(平成5)演劇評論家・小説家・随筆家戸板康二の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1885年(明治18)に、「専売特許条例」が施行(公布は同年4月18日)された日です。
 「専売特許条例(せんばいとっきょじょうれい)」は、日本初の特許制度を実施した太政官布告(明治18年太政官布告第7号)でした。幕末の1867年(慶応3)に、福沢諭吉著『海外事情外編』で欧米の特許制度が日本に初めて紹介され、1883年(明治16)には、特許権などの国際的保護に関する「パリ条約」が締結されます。
 そこで、最初の特許法として「専売略規則」(明治4年太政官布告第175号)が公布されましたが、運用上の問題が生じたため、施行されることなく翌年には停止されました。その後、当時の不平等条約改正問題を解決し、国際的地位を向上させるためにも特許に関する法律制定の機運が高まり、農商務省は専売特許について調査を行い、1884年(明治17)2月、太政官に「発明専売特許条例按」を上申します。
 この農商務省案は、元老院等で審議され、1885年(明治18)4月18日に「専売特許条例」として公布され、同年7月1日に施行されました。この内容は、専売特許を受けるための要件や専売特許の存続期限を認可の日から5、10、15年のいずれか特許取得者が選択した期間とすること、発明者が特許後2年以内に不実施の場合や発明品を輸入した場合は特許を無効とすること、手数料などとなり、外国人の特許取得は認められないこととなります。
 これに基づいて、専売特許の申請が受け付けられ、審査の結果、同年8月14日に、日本初の専売特許7件がが交付されましたが、特許第1号は、京都府の堀田瑞松による「堀田式さび止め塗料とその塗法」、第2号~第4号は高林謙三による「生茶葉蒸器械」、「焙茶機械」、「製茶摩擦器械」、第5号は宮本孝之助の「稲麦扱機械」、第6号は松井兵治郎他による「工夫かんざし」でした。
 以下に、「専売特許条例」全28条(明治18年太政官布告第7号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「専売特許条例」全28条(明治18年4月18日太政官布告第7号)明治18年7月1日施行版

第一条 有益ノ事物ヲ発明シテ之ヲ専売セント欲スル者ハ農商務卿ニ願出其特許ヲ受クヘシ
2 農商務卿ハ其専売ヲ特許スヘキモノト認ムルトキハ専売特許証ヲ下付スヘシ

第二条 専売特許ヲ願出ルニハ其願書ニ発明ノ明細書并必要ノ図面ヲ添フヘシ但時宜ニ依リ其現品又ハ雛形ヲ差出サシムルコトアルヘシ

第三条 専売特許ノ年限ハ専売特許証ノ日附ヨリ起算シ十五年ヲ超ユルコトヲ得ス

第四条 左ノ諸項ニ触ルヽモノハ専売特許ヲ願出ルコトヲ得ス
一 他人ノ既ニ発明シタルモノ但他人ヨリ譲受ケタルモノハ此限ニアラス 二 専売特許願出以前公ニ用ヒラレ又ハ公ニ知ラレタルモノ 三 治安、風俗、健康ヲ害スヘキモノ 四 医薬

第五条 軍用ニ必要ナリト認メ又ハ広ク用ヒシムルコトヲ必要ナリト認ムル発明ニハ農商務卿ニ於テ専売特許ヲ与ヘス又ハ既ニ与ヘタルモノト雖モ之ヲ取消スコトアルヘシ
2 前項ノ場合ニ於テハ農商務卿ニ於テ相当ト認ムル報酬金ヲ其発明者ニ下付スヘシ

第六条 専売特許ヲ願出ルノ権及専売ノ権ハ相続者ニ伝ハルヘキモノトス
2 相続者ニ於テ専売ノ権ヲ相続シタルトキハ三ケ月以内ニ農商務省ニ届出ヘシ

第七条 専売ノ権ヲ他人ニ譲与又ハ分与セントスルトキハ農商務卿ニ願出ヘシ

第八条 専売人其発明ヲ改良シタルトキハ追加専売特許ヲ願出ルコトヲ得但追加特許ハ原専売特許ノ年限ヲ超ユルコトヲ得ス

第九条 専売人ノ発明ヲ改良シテ専売特許ヲ得ント欲スル者ハ専売人ノ承諾ヲ経ヘシ
2 専売人其承諾ヲ拒ミ農商務卿ニ於テ改良ニ妨アリト認ムルトキハ其発明ヲ改良ノ部分ト合セテ使用スルノ特許ヲ改良者ニ与フルコトアルヘシ
3 前項ノ場合ニ於テハ農商務卿ニ於テ相当ト認ムル報酬金ヲ改良者ヨリ専売人ニ与ヘシムヘシ

第十条 専売人ハ其発明品ニ専売特許証ノ年月日及年限ヲ標記スヘシ品柄ニ由リ標記スルコトヲ得サルモノハ其上包等ニ標記スヘシ

第十一条 専売人ノ名簿及発明ノ明細書図面等ハ農商務省ニ於テ衆庶ノ観覧ニ供スヘシ

第十二条 専売人転籍転居又ハ氏名ヲ変換シタルトキハ三ケ月以内ニ農商務省ニ届出ヘシ

第十三条 専売特許証ヲ毀損遺失シタルトキハ其再渡ヲ農商務卿ニ願出ヘシ

第十四条 左ノ場合ニ於テハ専売特許無効ニ帰シ其特許証ヲ返納セシムヘシ
一 第四条ノ諸項ニ触レタルコトヲ発見シタルトキ 二 願書并明細書図面等ニ相違ノ事実アルコトヲ発見シタルトキ

第十五条 左ノ場合ニ於テハ専売ノ権ヲ失フ
一 専売特許証ノ日附ヨリ二年ヲ経テ其発明ヲ実施公行セス又ハ事故ヲ届出スシテ二年間之ヲ中止シタルトキ 二 専売特許ノ発明品ヲ外国ヨリ輸入シテ之ヲ販売シタルトキ

第十六条 専売特許証ヲ下付シタルトキ及専売特許無効ニ帰シタルトキ又ハ専売ノ権ヲ失ヒタル者アルトキハ農商務省ヨリ之ヲ広告スヘシ

第十七条 専売特許ヲ願出ル者ハ左ノ免許料ヲ納ムヘシ但願書ヲ却下スルトキハ之ヲ返付スヘシ
一 五年ノ専売特許ヲ願出ル者 金拾円
二 十年ノ専売特許ヲ願出ル者 金拾五円
三 十五年ノ専売特許ヲ願出ル者 金弐拾円
四 譲与分与ヲ願出ル者 金五円
五 追加特許ヲ願出ル者 金五円
六 専売特許証ノ再渡ヲ願出ル者 金壱円

第十八条 専売特許ノ事務ニ関スル官吏ハ専売特許ヲ願出ルコトヲ得ス

第十九条 専売人其専売権ヲ侵サレタルトキハ之ヲ告訴シ并要償ノ訴ヲ為スコトヲ得但第十条ノ標記ヲ為サヽルトキハ要償ノ訴ヲ為スコトヲ得ス

第二十条 専売特許ノ発明品ヲ偽造シ若クハ外国ヨリ輸入シ又ハ専売特許ノ方法ヲ窃用シタル者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ四円以上四十円以下ノ罰金ヲ附加ス

第二十一条 専売特許ノ機械又ハ方法ヲ以テ製造シタル物品ト同一種類ノ物品ニ専売人ノ記号ニ紛ラハシキ記号ヲ用ヒタル者ハ十五日以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ二円以上二十円以下ノ罰金ヲ附加ス

第二十二条 第二十条第二十一条ノ犯罪ニ係ル物品ヲ情ヲ知テ販売シタル者ハ四円以上四十円以下ノ罰金ニ処ス

第二十三条 第二十条第二十一条第二十二条ノ場合ニ於テハ其物品及犯罪ノ用ニ供シタル物件ヲ没収シテ専売人ニ給付シ其既ニ売捌キタルモノハ代価ヲ追徴シテ之ヲ給付ス

第二十四条 詐偽ノ所為ヲ以テ専売特許ヲ受ケ又ハ専売特許ヲ偽称シタル者ハ十五日以上六月以下ノ重禁錮ニ処シ二円以上二十円以下ノ罰金ヲ附加ス

第二十五条 第六条第二項第十二条ノ届出ヲ其期限内ニ為サヽル者ハ一円以上一円九十五銭以下ノ科料ニ処ス

第二十六条 此条例ヲ犯シタル者ニハ刑法ノ数罪倶発ノ例ヲ用ヒス

第二十七条 第二十条第二十一条第二十二条ノ犯罪ハ専売人ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス

第二十八条 専売人告訴ヲ為シタルトキハ裁判官ニ於テ仮ニ其告訴ニ係ル物品ノ販売ヲ停止スルコトヲ得

附 則

1 明治四年四月七日専売略規則布告以後本条例布告以前ニ発明シ明治五年三月第百五号布告但書ニ依リ届出タル事物ニシテ之ヲ専売セント欲スル者ハ公ニ用ヒラレ公ニ知ラレタルモノト雖モ本条例施行ノ日ヨリ六ケ月間ニ其専売特許ヲ農商務卿ニ願出ルコトヲ得
2 本条例布告以前既ニ前項ノ発明ヲ使用シタル者ハ本条例施行ノ日ヨリ一ケ年間ニ其使用特許ヲ農商務卿ニ願出ルコトヲ得此場合ニ於テハ本条例第十七条専売特許ノ免許料ト同一ノ金額ヲ納ムヘシ

   「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1787年(天明7)江戸幕府老中松平定信が各役人に訓戒し、寛政の改革が始まる(新暦8月13日)詳細
1889年(明治22)新橋駅~神戸駅までの東海道本線陸路によって全線開通する(東海道本線全通記念日)詳細
1918年(大正7)子供向け文芸雑誌『赤い鳥』が創刊される(童謡の碑)詳細
1965年(昭和40)名神高速道路(小牧IC~西宮IC)が全線開通する(名神高速道路全通記念日)詳細
1968年(昭和43)「核拡散防止条約」が米・英・ソなど62ヶ国によって調印(発効は1970年3月5日)される詳細
1970年(昭和45)「本州四国連絡橋公団」が発足する詳細
1986年(昭和61)中曽根内閣の下で、「現代仮名遣い」(昭和61年内閣告示第1号)が告示される詳細
1995年(平成7)「製造物責任法」(平成6年法律第85五号)が公布・施行される詳細
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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、日本初の特許法令である「専売略規則」が発布された日ですが、新暦では5月25日となります。
 「専売略規則」(せんばいりゃくきそく)は、日本初の特許法令とされる太政官布告(明治4年太政官布告第175号)でした。これは、発明者への「専売」を認める権限を政府に付与するものであり、発明者に権利を認めるものではなかったとされます。
 明治新政府が殖産興業のための制度として導入したものと考えられ、福沢諭吉著の『西洋事情外編』(1868年刊行)に触発されたものとされてきました。しかし、技術の未発達により特許を得られる発明品が少なかったことや審査員の不足などがあり、1件の官許もないまま、翌年には施行が停止されています。
 その後、ガラ紡や人力車のように、特許制度が整備されていないことで様々な問題が生じると、再び制度の必要性が確認され、復活が求められるようになりました。これを受け、新たに1884年(明治17)に「商標条例」が、1885年(明治18)に本格的な特許法である「専売特許条例」(明治18年太政官布告第7号)が公布・施行(明治21年に特許条例に改正)される及び、「専売略規則」は廃止されています。さらに、1888年(明治21)には、「意匠条例」が公布され、本格的な特許制度が開始されました。
 以下に、「専売略規則」(明治4年太政官布告第175号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「専売略規則」(明治4年太政官布告第175号)明治4年4月7日布告

何品ニ寄ラス新発明致シ候者ハ爾来専売御差許相成候間府藩県管下ニ於テ願人有之節ハ別紙規則ニ照準シ当分ノ内民部省ヘ可伺出事
(別紙)
     専売略規則
一是迄御国内ニ未タ開ケサル舎密諸機関器械諸器物武器織物類其外都テ新発明及有来リノ器物トイヘトモ別ニ工夫ヲ為シ一層世用ノ便利ヲ為スモノハ年限ヲ以官許ヲ与フヘシ
一年限ノ儀ハ発明ノ次第ニ寄リ第一等ヲ十五年第二等ヲ十年第三等ヲ七年トス
一官許願出度モノハ明細書絵図面等相添其管轄地方官ヘ願出ヘシ地方官之ヲ民部省ヘ差出シ免許状ヲ受クヘシ
一発明ノ品柄及工夫ノ手続等竪図横図平図等ニ形ヲ図写シ機関ノ箇所ハイロハ或ハ一二三ノ番号ヲ加ヘ明細書ト照合セ一覧了然タラシムヘシ尤発明ノ本人並証拠人共調印ノ上差出スヘシ
  但絵図面ニ写取難キモノハ雛形ニ仕立差出スヘシ
一民部省ヨリ免許状相渡候ハヽ其地方官ニ於テ発明ノ本人並証人ヘ請証文為差出候上相渡スヘシ
一税銀ノ儀ハ年限中一ケ年金五両ツヽ管轄地方官ヘ前納スヘシ
  但発明ノ品柄ニ寄リ税銀増減アルヘシ尤管轄地方官ヨリ共節々民部省ヘ差送ルヘシ
一専売免許状相渡候トモ売試ノ為六ケ月ノ間ハ税銀差出ニ不及七ケ月目ニ至リ売レ方見留相付候ハヽ其節一ケ年ノ税銀ヲ地方官ヘ相納ムヘシ
一六ケ月売試ノ内売方アシク御免願出候儀ハ勝手タルヘシ若シ七ケ月後御免願出候者ハ其年前納一ケ年ノ税銀ヲ差戻サス
一民部省ヘ差出候願書ハ都テ着到ノ順序ヲ以テ前後ヲ分ツヘシ
一他人ノ発明セシ品ヘ更ニ工夫ヲ加ヘタル分ハ某発明ノ品ヘ何々ノ廉改正ト委詳ニ書記スヘシ若他人ノ発明セシ品ニ似寄リタルモ其実品物ノ工用或ハ工夫等全ク相違致シ候ハヽ異同ノ辧ヲ具サニ書分差出スヘシ
一世用有益ノ品ニテ某ノ発明ニ相違ナク現ニ其本人存在スト雖モ既ニ世間ニ年久シク流布スル分ハ官許ヲ与フヘカラス
一数人心ヲ合セ発明シタル品ハ官許状ヲ与フルニ各通ニ相渡サス社中連名ニ認メ下ケ渡スヘシ
一免許済ノ株ヲ相当ノ代金ヲ以テ年限中他人ニ売渡シ候儀勝手タルヘシ尤其段ハ双方ヨリ免許状ヘ書添ヲ願出ヘシ
一官許相成候者ハ年限中我名前ニテ所々ヘ出店ヲ設ケ或ハ他人ヘ発明ノ品ヲ伝授スルコト苦シカラス
一発明ノモノ官許年限中死亡致シ候節ハ身寄リノモノヘ譲リ渡シ苦シカラス尤免許状ヘ書添ヲ願出ヘシ
一何管轄所何国何郡何町村誰何品新発明ニ付専売免許相成候趣其節々民部省ヨリ遍ク布告スヘシ
一官許年限中損失償ヒ兼候節ハ世間必用闕クヘカラサルノ品柄篤ト取調ノ上延期聞届クヘシ
一官許ノ文字及発明人ノ名前一々相記シ売出スヘシ
一発明人ノ名前ヲ偽リ或ハ官許ナキ品物ヲ官許ト偽リ候モノハ過料申付ヘシ

    「法令全書」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

772年(宝亀3)法相宗の僧道鏡の命日(新暦5月13日)詳細
1133年(長承2)浄土宗の開祖法然の誕生日(新暦5月13日)詳細
1526年(大永6)第104代の天皇とされる後柏原天皇の命日(新暦5月18日)詳細
1882年(明治15)小説家・児童文学作家小川未明の誕生日詳細
1947年(昭和22)「労働基準法」が公布される詳細
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 今日は、明治時代前期の1872年(明治5)に、明治新政府が「地所永代売買ヲ許ス」(明治5年太政官布告第50号)を発布して「田畑永代売買禁止令」を廃止し、土地の永代売買を解禁した日ですが、新暦では3月23日となります。
 「地所永代売買ヲ許ス」(ちしょえいだいばいばいをゆるす)は、明治新政府が「田畑永代売買禁止令」を廃止し、土地の永代売買を解禁するために発布した太政官布告でした。これによって、1643年(寛永20年3月10日)以来の「田畑永代売買禁止令」が廃止され、土地の自由な売買が公認されることとなります。
 これに伴い、同月24日に、大蔵省達第25号「地所売買譲渡ニ付地券渡方規則」全14条が公布され、土地の売買譲渡のつど、土地の所有者、面積、地価等を記載した地券が発行されることとなりました。さらに、同年7月には、地券発行の対象が全ての私有地に広げられることとなり、その後の地租改正事業の進展へと繋がっていきます。
 以下に、「地所永代売買ヲ許ス」(明治5年太政官布告第50号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「地所永代売買ヲ許ス」(明治5年太政官布告第50号)1872年(明治5年2月15日)

地所永代賣買ノ儀從來禁制ノ處自今四民共賣買致所持候儀被差許候事

  「ウィキソース」より

〇「田畑永代売買禁止令」(でんぱたえいたいばいばいきんしれい)とは?

 1643年(寛永20年3月)に、江戸幕府の発した田畑の売買を禁止する法令の総称でした。3月10日付の「堤川除普請其外在方取扱之儀二村御書付」全7ヶ条の第3条、3月11日付の在々御仕置之儀ニ付御書付」全17ヶ条の第13条、及び3月に出された罰則規定「田畑永代売買御仕置」全4ヶ条を含める場合もあります。前年の寛永の大飢饉を契機に、窮乏化した農民が田畑を売り払って没落・流民化していく問題が顕在化しました。そこで、江戸幕府は農民の担税能力維持を目的として、富農への土地集積による農民の階層分化を防ぐために、今後の田畑の売買を禁じたものです。違反者については、「田畑永代売買御仕置」において、売主は入牢の上追放、買主は入牢、買い取った田畑は没収、証人も入牢という重い刑罰を定めました。しかし、重い年貢を支払うために、農民が田畑の質入れをすることは容認されたため、質入れした田畑が質流れによって移動し、富農への田畑の集中が進み、地主階級が誕生していくことになります。このことにより、事実上法令は空洞化し、明治維新後の1872年(明治5年2月15日)に、新政府が「地所永代売買ヲ許ス」(明治5年太政官布告第50号)を発布して廃止されました。

〇「田畑永代売買禁止令」

☆「堤川除普請其外在方取扱之儀二村御書付」全7ケ条の第3条 1643年(寛永20年3月10日)

一、身上[1]能き百姓は田地を買ひ取り、弥宜く成り、身代成らざる者[2]は田畑沽却[3]せしめ、猶々身上成るべからざるの間、向後[4]田畑売買停止たるべき事。

   寛永二十年未三月 

    『御触書寛保集成』より

【注釈】

[1]身上:しんしょう=資産。ここでは暮らし向きの意味。
[2]身代成らざる者:しんだいならざるもの=家計の苦しい者。生活困窮者。
[3]沽却:こきゃく=売却。
[4]向後:きょうこう=以後。

<現代語訳>

一、経済力のある農民は田地を買い取って、ますます裕福になり、困窮する農民は田畑を売却して、いっそう暮らし向きが悪くなるので、今後は田畑の売買を禁止する。

   寛永20年(1643年)未3月

☆「在々御仕置之儀ニ付御書付」全17条の中の第13条 1643年(寛永20年3月11日) 

(一条略)
一、百姓之衣類、此以前より御法度の如く庄屋は妻子共に絹・紬、布・木綿、 脇百姓は布・木綿ばかり之を着す可し、此外はゑり帯にもいたす間敷事
(一条略)
一、百姓之食物常々雑穀を用べし、八木は猥に食はざる様に申し聞かすべき事
一、在々所々にて饂飩・切麦・素麺・蕎麦切・饅頭・豆腐以下、五穀に費に成候間、商売無用の事
一、在々にて、酒一切作る可からず。並に他所より買人、商売仕る間敷事
一、市町へ出、むざと酒のむべからざる事
一、耕作田畑共に手入よく致し、草をも油断無く取り、念を入れ申す可し。若不念に致し、不届成百姓之有らば、穿鑿之上、曲事に申付く可き事
一、壱人身之百姓煩い紛れ無く、耕作成兼侯時は、五人組は申すに及ばず、其一村として、相互に助会、田畑仕付、収納せしめ候様ニ仕るべき事
一、五穀之費になり候間、たばこ之儀、当年より本田畑新田畑共、一切作る間敷事
(二条略)
一、田畑永代之売買仕間敷事
(四条略)

   寛永二十年未三月十一日

    『御触書寛保集成』より

<現代語訳>

(一条略)
一、百姓の衣類は、これ以前より御法度のように、庄屋は妻子とも絹・紬・布・木綿、脇百姓は布・木綿ばかりを着ること。この外は衿や帯などに使ってはいけない。
(一条略)
一、百姓の食物は、通常雑穀を用いるべきで、米はみだりに食べないように言い聞かせなさい。
一、村々所々では、うどん・切り麦・そうめん・そば・まんじゅう・豆腐などは、五穀の無駄になるので、商売してはいけない。
一、村々では、酒は一切造ってはいけない。また、外より仕入れてきて、商売してもいけない。
一、市や町へ出て、理由もなく酒を飲んではいけない。
一、耕作している田や畑は、共に手入れをよくし、草も油断なく取り、念を入れなさい。もし、念を入れないでいる不届きな百姓がいたら、調査の上、罰を言い渡す。
一、独身の百姓が病気で耕作ができない時は、五人組は言うまでもなく、その村で、相互扶助によって、田畑仕事をし、年貢が納入できるようにしなさい。
一、五穀の無駄になるので、煙草は今年より、本田畑でも新田畑でも、一切作ってはいけない。
(二条略)
一、田畑の永代売買はしてはいけない。
(四条略)

  右の条々、全ての所に必ず知らせ、これから必ずこれらのことを守らせるように、常々念を入れ取り調べる。
   寛永20年(1643年)未3月11日

☆「田畑永代売買御仕置」1643年(寛永20年3月)
 
 一、売主牢舎[1]之上追放[2]。本人死候時ハ子同罪。
 一、買主過怠牢。本人死候時ハ子同罪。但買候田畑ハ売主之御代官又ハ地頭[4]江 取上之。
 一、証人[5]過怠牢。本人死候時ハ子ニ構なし[6]。 
 一、質に取り候者、作り取り[7]にして質に置き候者より年貢役相勤候得ハ、永代 売同前之御仕置[8]、但頼納買[9]といふ。
   右の通り田畑永代売買御停止之旨被仰出候。
    寛永二十年未三月 

    『御触書寛保集成』より

【注釈】

[1]牢舎:ろうしゃ=入獄。牢屋へ入れること。
[2]追放:ついほう=所払い。居住地から追い払う刑。
[3]過怠牢:かたいろう=罰金の代わりに入獄させる刑。
[4]地頭:じとう=領主のこと。
[5]証人:しょうにん=売買に当たっての証人。
[6]構なし:かまいなし=無罪。
[7]作り取り:つくりどり=年貢を納めず収穫物をすべて自分のものとすること。
[8]御仕置:おしおき=処罰のこと。
[9]頼納買:らいのうがい=江戸時代の田地質入方法の一つで質入主は通常の相場よりも多くの金銭を借り、質取主がその土地を耕作して全収穫を取得した。

<現代語訳>

一、田畑の売主は入牢の上、追放とする。本人が亡くなった時は、子供も同罪とする。
一、田畑の買主は入牢とする。本人が亡くなった時は、子供も同罪とする。ただし、買った田畑は売主を支配している代官又は領主がこれを取り上げる。
一、売買の証人も入牢とする。本人が亡くなった時は、子供は無罪とする。
一、田畑を質のかたに取った者が、その田畑からの収穫をすべて収入とし、質に入れた者が年貢を納入する場合には、永代売買と同様の処罰とする。ただし、こういう売買形式を頼納買という。
 右の通り、田畑の永代売買を禁止する旨を命じられた。
  寛永20年(1643年)未3月

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 今日は、明治時代前期の1870年(明治3)に、太政官が「郵船商船規則」を布告、日本の商船は日章旗を掲揚することとし、日章旗の規格を定めた日ですが、新暦では2月27日となります。
 「郵船商船規則」(ゆうせんしょうせんきそく)は、明治維新後、近代的汽船の航行に対応するため、英国法を範として、商船について規定した太政官布告(明治3年太政官布告第57号)でした。和船から西洋型蒸気船への大々的な転換を図るため、西洋型船舶の所有を奨励したものですが、この中で日章旗を「御国旗」として規定しています。
 それによると、①毎朝8時から日没まで掲揚し、②祝日には必ず掲揚すること、③商船が軍艦に出遭った時は商船側が3度国旗を昇降すること、④国旗を掲げていない船は海賊船とみなされることなどを厳重に申し渡していました。また、国旗の作図法を定めた、詳しい付図を掲載していますが、規格は現行とは若干異なり、縦横比は7:10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされています。
 この日を記念して、一般社団法人・国旗協会は、「国旗制定記念日」と制定し、国旗掲揚の日としました。
 以下に、「郵船商船規則(抄)」(明治3年太政官布告第57号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「郵船商船規則(抄)」(明治3年太政官布告第57号) 1870年(明治3年1月27日)

  蒸気郵船規則

一郵船出入定日ノ儀ハ一ノ日ト相定甲乙二艘ヲ以一ケ月三度宛横浜神戸一日宛碇泊東京大阪往復ノ事
  但暴風雨ハ日送リノ事
一人数乗込ノ儀ハ出帆前々日迄ニ最寄廻船荷積仲間飛脚仲間取次ヲ以会社江申出候得ハ武家百姓町人婦女子タリ共無弁別望次第紙札ニ姓名ヲ記シ相渡可申其節乗船賃請取置出帆前日右紙札持参致候得ハ相改為乗込可申事
  但御用旅行ニテモ平人同様船賃取之尤廻船荷積仲間等取次ニ及申間敷事
一荷物御用ノ分ハ廻漕会社ニテ取扱其余ノ分ハ廻船荷積仲間飛脚仲間共ニ為取扱出帆前々日迄ニ廻漕会社江取集メ荷数品訳並荷主届所名前紙札ニ記シ相渡可申其節引替運賃請取之右紙札ヲ以相改船積致候且廻船荷積仲間飛脚仲間取来候口銭ハ運賃ノ内ヲ以差遣シ可申候事
  但御用荷物ニテモ同様運賃取立候事
一乗船人荷物其外食料等ハ別紙定書ノ通取極候事
一船中部屋料ノ儀ハ船ニ寄相違有之候間上中下弁別イタシ取極可申事
  但船客接待方ハ士商トモ身分ノ貴賤ニ不拘部屋料ノ高下ヲ以テ等級差定候事
一百姓町人所持船ヲ以テ郵船ニ仕立度願出候分ハ船ノ大小間数馬力等見分ノ上良船ニ候ヘハ御許容可有之廻漕会所付郵船同様取扱運賃ハ会社ニテ取立右ノ内為税金金高ノ十分ノ一廻漕会所江相納其余船主江相渡候事
一外国人乗船ノ節ハ都テ同様運賃取之食料ハ持参ノ事
一横浜神戸積入荷物人員ノ分ハ某所差配人等ヨリ荷積仲間江申付前以荷集方為致置積入可申事
一船中為取締廻漕掛吏員一人並運用方蒸気方勘定方トシテ廻漕会社差配人手代三人大船ハ四人乗組候事
右之通相定候事
  明治三午年正月            廻漕会社

      甲船            乙船 
朔日   東京出帆横浜入津      大阪出帆神戸入津 
二日   横浜出帆          神戸出帆 
三日   海上            海上 
四日   同断            同断 
五日   神戸着           横浜着 
六日   神戸出帆大阪入津      横浜出帆東京入津 
七日   荷揚            荷揚 
八日   同断            同断 
九日   荷積            荷積 
十日   同断            同断 
十一日  大阪出帆神戸入津      東京出帆横浜入津 
十二日  神戸出帆          横浜出帆 
十三日  海上            海上  
十四日  同断            同断 
十五日  横浜着           神戸着 
十六日  横浜出帆東京入津      神戸出帆大阪入津 
十七日  荷揚            荷揚 
十八日  同断            同断 
十九日  荷積            荷積 
二十日  同断            同断 
二十一日 東京出帆横浜入津      大阪出帆神戸入津 
二十二日 横浜出帆          神戸出帆 
二十三日 海上            海上 
二十四日 同断            同断 
二十五日 神戸着           横浜着 
二十六日 神戸出帆大阪入津      横浜出帆東京入津 
二十七日 荷揚            荷揚 
二十八日 同断            同断 
二十九日 荷積            荷積 
晦日   同断            同断 

  蒸気郵船出帆日並運賃定

 東京大阪共                  横浜神戸
  毎月一ノ日出帆                二ノ日出帆
   但暴風雨ハ日送之事
一乗船賃一人ニ付                 金五両
  但喰料一人前金弐分宛
一通用金古金共                  千両ニ付金弐両
一同銀                      同断金三両
一同金礼                     同断金壱両
一同銭                      目方拾貫目ニ付金弐両壱分
一大砲並銅鉄金物類目重之品            同断金三分
 但一品五拾貫目以上ハ定高之弐割増
 但百貫目以上ハ同断五割増
  此外五百貫目以上ハ其品ニ応シ運賃取極候事
一九尺以上長物                  一本ニ付金弐朱
一乗物駕籠                    曲尺一尺角ニ付金壱分
  但棒抜取不申分相断申候
一櫃物箇物大中小長持両掛             目方拾貫目ニ付金弐分
 箪筍樽入物ノ類                 曲尺方ニ付金壱分
一唐物反物類                   同断金壱分
一米百石ニ付                   金百二拾両
一商荷物酒綿木綿鰹節薬種鉄茶油砂糖蝋紙青莚之類ハ樽菱垣廻船定運賃一倍之積ニ候事
一武士百姓町人婦女子タリ共廻船荷積仲間飛脚仲間取次ヲ以申出候得ハ望次第為乗組候事
一御用旅行之向乗船賃並部屋代御用荷物之運賃モ都而相対之者同様差出可申事
一自身提候手包之外ハ何品ニテモ相当之運賃差出可申事
一部屋代床代之儀ハ船客之好モ有之其船ニ寄不同ニ候間上中下其時々相対ヲ以取極可申事
一フランケツト入用之向ハ船中限損料ニ而貸渡候事
一諸荷物者定日之前々日迄ニ差出可申乗船人ハ定日之前日廻漕会社江相越候而本船乗込候定ニ候事
一運賃之外可相払分者上陸前差出候定之事
一定日之外臨時ニ郵船仕出シ候節ハ別段引札差出候事
一風順ニ寄大阪安治川口江難乗入節ハ兵庫上陸之事
右之通相定候事
  明治三午年正月            廻漕会社

  商船規則

(略)

(別紙)
yuusenshyousenkisokufuzu0

  規  則

一 西洋形商船買入度モノハ其旨開港場運上所江可願出其上船之善悪新古検閲之上免許差遣可申事
一 御國旗之事
   右ハ決而取外シ候事不相成附属之艀舟ニ至迄必可揚置事
一 毎朝西洋時規第八字ニ引揚ケ夕方ハ日没迄ヲ限引卸スヘキ事
   但右御國旗引揚無之節ハ海賊船之取扱請候而モ申訳ナキ事萬國普通之公法タル事
一 御國旗之寸法別紙之通二候事
   但大旗ハ祝日ニ引揚平日ハ小旗引揚ケ風雨晦瞑之節ハ小旗迄引卸置不苦候事
 祝日
  正月朔日  正月十五日  三月三日
  五月五日  七月七日   七月十五日
  八月朔日  九月九日   九月廿二日
   右之通
一 御軍艦江出合候節ハ我旗章ヲ三度昇降イタシ礼儀ヲナスヘキ事
一 夜間ハ旗章ト引替ニ燈明可引揚燈明ハ青赤白之三坐ヲ設ケ航海中赤ハ左舷青ハ右舷ニ点火シ白ハ前檣頂遠方ヨリ見留易キ所ニ揚置燈明消ヘサル樣可致事
一 船之込合タル節並風雨浪高之折者別而心ヲ用ヒ互ニ突當ラサル樣可致右者日本船タリ共同樣ナレトモ外國船ハ別而此規則嚴重ナレハ精密ニ用心スヘシ

(略)

右之通相定候條嚴重ニ可相守事

 明治二巳年十二月
  民部省
  外務省
 
  「国立国会図書館デジタルコレクション」より

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