ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:太平洋戦争

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員の通年実施がされるようになった日です。
 学徒勤労動員(がくときんろうどういん)は、昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されたのです。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及んだのです。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

〇学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)> 
・木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる

<1941年(昭和16)>
・2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 学校報国隊が結成される

<1943年(昭和18)>
・6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される

<1944年(昭和19)>
・1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

☆「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」 1944年(昭和19)3月7日 閣議決定

決戦ノ現段階ニ即応シ学徒ノ動員ハ原則トシテ中等学校程度以上ニ付今後一年常時之ヲ勤労其ノ他非常任務ニ出動セシメ得ル組織的態勢ニ置キ左ノ要領ニ依リ必要ニ応ジ随時活発ナル動員ヲ実施ス

一 学徒ノ勤労動員ハ其ノ受入体制ヲ整備スルト共ニ学徒ノ受クル教育ノ種類程度ニ適応セシメ其ノ効率ヲ発揮スルヲ旨トシ概ネ左ニ依リ之ヲ実施ス但シ必要ニ応ジ機ニ臨ミ他ノ作業ニ従事セシム
イ 国民学校高等科
 国民学校高等科児童ノ動員ニ付テハ土地ノ情況、心身ノ発達ヲ考慮シ適当ナル作業種目ヲ選ビ之ヲ実施ス
ロ 中等学校
(一)工業学校生徒ハ概ネ軍関係其ノ他重要工場事業場ニ動員ス
(二)商業学校ヨリ転換セル工業学校ノ生徒ガ特定工場ニ於テ現地作業ヲ行フ場合又ハ学校ヲ軍需工場化シタル場合ニハ概ネ夫々当該工場又ハ関係工場ニ動員ス
(三)農業学校生徒ノ動員ハ食糧増産、国防建設事業等ニ重点ヲ指向ス
(四)中学校、商業学校及高等女学校生徒ノ動員ハ土地ノ状況、勤労需給ノ情況ヲ勘案シ食糧増産、国防建設事業又ハ工場事業場(輸送ヲ含ム)等ノ作業ニ動員ス
 尚女子ノ動員ニ付テハ可及的学校設備ノ工場化ニ依リ勤労ノ実ヲ挙グル如ク併セ考慮ス
 大都市ニ於ケル中学校、商業学校生徒ハ必要ニ応ジ疎開及防空建設事業ニモ之ヲ動員ス
(五)特ニ第一、二学年生徒ノ動員ニ付テハ国民学校高等科児童ニ準ズ
ハ 大学高等専門諸学校
(一)理科系学生生徒ニ付テハ左ニ依ル
 工学及理学
(イ)工学及理学関係ノ学生生徒ノ勤労動員ニ関シテハ第三学年及第二学年ニ重点ヲ置クモ必要ニ応シ低学年ノ学生生徒モ之ヲ動員ス
(ロ)現在ノ第三学年ノ学生生徒ハ原則トシテ其ノ履修スル学科ノ種別ニ応シ最モ適当ナル工場事業場等ニ動員シ其ノ技術的指導面ニ活用スル如ク措置ス
   第二学年学生生徒ニ付テモ可及的右ニ準ズ
 医学
(イ)医学関係学生生徒ノ実習勤務ハ第四学年及第三学年ニ重点ヲ置クモ必要ニ応シ低学年ノ学生生徒モ之ヲ動員ス
(ロ)現在第四学年及第三学年ノ学生生徒ハ軍病院、学校附属病院工場事業場附属病院、其ノ他一般病院等ニ於テ専ラ実習勤務ニ服セシム
(ハ)現在第四学年ノ学生生徒ハ本年七月以降現在第三学年ノ学生生徒ハ明年四月以降夫々軍務其ノ他ノ実務ニ服セシメ得ル様措置ス
 農学
 農学関係ノ学生生徒ノ勤労動員ハ原則トシテ其ノ履修スル学科ノ種別ニ応シ其ノ専門ヲ最モ能率的ニ発揮シ得ベキ食糧増産、工場事業場等ニ動員シ特ニ食糧増産作業等ニ付テハ其ノ指導者トシテ活用スル如ク措置ス
(二)前項以外ノ学生生徒ニ付テハ土地ノ状況、勤労需給ノ情況等ヲ勘案シ食糧増産、国防建設事業又ハ工場事業場(輸送ヲ含ム)等ノ作業ニ動員シ力メテ特能ヲ発揮シ得ル如ク措置ス
   大都市ニ於テハ疎開及防空建設事業ニモ之ヲ動員ス
(三)教員養成諸学校
(イ)工業□□実業学校教員養成所及青年師範学校ノ工業科ノ生徒ニ関シテハ(一)ニ準ズ
(ロ)高等師範学校、女子高等師範学校、青年師範学校(前項ノモノヲ除ク)臨時教員養成所、実業学校教員養成所及師範学校ノ生徒ニ関シテハ(二)ニ準ズ
 備考 大学高等専門諸学校理科系学徒ノ動員ニ関シテハ特ニ学校教育ト密接ニ連関セシメ且ツ可及的将来ノ就職配置トモ睨ミ合セ適正ナル計画配置ヲ考慮ス

二 学生生徒ノ勤労動員ハ当該学校ノ教職員ヲ中心トシテ学校ヲ基本トスル隊組織ニ依リ之ヲ行フ
  尚学徒ノ出動ニ際シテハ教職員ヲ多数活発ニ動員シ其ノ指導監督ニ当ラシム

三 学校報国隊ノ整備強化ヲ図ル

四 学校校舎ノ軍需工場化ニ付テハ各種学校特ニ女子ノ学校ヲ主流シテ急速ニ之ガ具体化ヲ図ル

五 学徒ノ勤労動員ニ際シ速ニ法令上ノ措置ヲ講ズ

六 曜日ヲ変更シ日曜日ニ於テモ授業ヲ為シ得ル如ク法令上ノ措置ヲ講ズ

七 教育関係教職員等ニシテ軍需監理官又ハ労務官ヲ兼任スル者ニ対シ速カニ必要ナル錬成ヲ行フ

八 学徒ノ動員ニ関連シ軍幹部、技術要員、科学研究要員タルノ教育錬成トノ調整ヲ図ル

九 学徒ノ防空、防衛等ノ非常任務ニ関シ急速ニ動員体制ヲ一層整備シ之ガ演練ヲ強化実施ス

十 勤労従事中ノ学徒ニ対シテハ当該作業場ノ勤労者ニ準ジ食糧其ノ他ノ物資ノ配給ヲ行フ如ク考慮ス

  「軍需省関係資料 第8巻」軍需省関係政策資料より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1293年(永仁元)鎌倉幕府が蒙古再来に備え九州の裁判と軍事の為に鎮西探題を設置する(新暦4月14日)詳細
1908年(明治41)青森~函館間の鉄道連絡船として、青函連絡船が運航を開始する詳細
1927年(昭和2)京都府北部の丹後半島で北丹後地震(M7.3)が起き、死者2,925人・負傷者7,806人を出す詳細
1940年(昭和15)民政党斎藤孝夫が反軍演説(日中戦争の処理を厳しく追及)で議員除名される詳細
1941年(昭和16)「国防保安法」が公布される詳細
「帝都高速度交通営団法」が公布(施行は同年5月1日)され、帝都高速度交通営団の設立が決まる詳細
1942年(昭和17)大本営政府連絡会議で初めて「今後執るべき戦争指導の大綱」が決定される詳細
1949年(昭和24)ジョゼフ・ドッジが会見で「ドッジ声明」を発表し、日本の経済安定策(ドッジ・ライン)を示す詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下の1944年(昭和19年)に、「決戦非常措置要綱」により、東京歌舞伎座、東京劇場など19劇場が休場となった日です。
 「決戦非常措置要綱(けっせんひじょうそちようこう)」は、東条英機内閣による、国家総動員の実効を上げるための閣議決定です。内容は、①学徒動員体制の徹底、②国民勤労体制の刷新、③防空体制の強化、④簡素生活徹底の覚悟と食糧配給の改善整備、⑤空地利用の徹底、 ⑥製造禁止品目の拡大と規格統一の徹底、⑦高級享楽の停止、⑧重点輸送の強化、⑨海運力の刷新強化、⑩平時的または長期計画的事務及事業の停止、⑪中央監督事務の地方委任、⑫裁判検察の迅速化、⑬保有物資の積極的活用、⑭信賞必罰の徹底と査察の強化、⑮国民運動の展開、⑯国民指導啓発、⑰官庁休日を縮減し常時執務の態勢を確立の17項目からなっていました。これに関連して、さらに以下のの閣議決定が行われ、具体化されています。
・「決戦非常措置要綱ニ依ル国民学校児童学校給食、空地利用徹底等ニ関スル件」(1944年3月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ依ル大都市国民学校児童学校給食ニ関スル件」(3月3日)
・「一般疎開促進要綱」 (3月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」(3月7日)
・「決戦非常措置要綱ニ依ル食糧加工貯蔵ノ徹底ニ関スル件」(3月10日)
・「旅客ノ輸送制限ニ関スル件」 (3月14日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク中央行政官庁ノ許認可等ノ事務ノ廃止及地方委譲ニ関スル件」(3月18日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク旅行輸送ノ制限ニ関スル件」(3月27日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク地方鉄道軌道鉄道車輌修理ノ確保ニ関スル件」(3月31日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク電気通信ノ緊急措置ニ関スル件」(4月11日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク電気通信設備ノ動員ニ関スル件」(5月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク官公営繕工事ノ措置方針ニ関スル件」(5月5日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク工場防空強化対策実施要領ニ関スル件」(5月17日)
 これらによって、国民生活は多大な影響を受け、国民学校初等科以外の授業の4月から1年停止と全学徒の勤労総動員や女子挺身隊の強化、学童疎開など地方への疎開の推進、旅行の制限、高級享楽の停止(待合、カフェー、遊郭、劇場などの休業)、官庁の休日削減、電力開発などの公共事業停止、設備修繕の最小限化、空地の食糧増産への活用などが実施されました。この措置はいろいろと強化されながら、1945年(昭和20)8月15日の太平洋戦争敗戦まで継続されます。尚、以下に「決戦非常措置要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。 

〇「決戦非常措置要綱」1944年(昭和19)2月25日 閣議決定

決戦ノ現段階ニ即応シ国民即戦士ノ覚悟ニ徹シ国ヲ挙ゲテ精進刻苦其ノ総力ヲ直接戦力増強ノ一点ニ集中シ当面ノ各緊要施策ノ急速徹底ヲ図ルノ外先ツ左ノ非常措置ヲ講ズ

一、学徒動員体制ノ徹底
(1)原則トシテ中等学校程度以上ノ学生生徒ハ総テ今後一年、常時之ヲ勤労其ノ他非常任務ニ出動セシメ得ル組織的態勢ニ置キ必要ニ応ジ随時活発ナル動員ヲ実施ス
(2)理科系ノモノハ其ノ専門ニ応ジ概ネ之ヲ軍関係工場病院等ノ職場ニ配置シテ勤労ニ従事セシム
(3)学校校舎ハ必要アル場合ハ軍需工場化シ又ハ之ヲ軍用、非常倉庫用、非常病院用、避難住宅用其ノ他緊要ノ用途ニ之ヲ転用ス

二、国民勤労体制ノ刷新
職業転換、適正配置並ニ勤労管理特ニ学徒、女子及応徴者等ニ関スル受入体制ノ急速ナル刷新強化ヲ図ルト共ニ家庭ノ根軸タル者ヲ除ク女子ノ女子挺身隊強制加入ノ途ヲ拓キ且之ニ即応シテ官庁側ノ指導、斡旋、保護ノ充実ニ遺憾ナカラシム
右ニ関連シ速ニ動員機構ヲ整備シ特ニ軍動員トノ関係ノ緊密化ヲ図ル

三、防空体制ノ強化
(1)重要工場ニ付キ能フ限リノ防空施設ヲ行フト共ニ工場防空組織ヲ完備スル等工場防空ノ急速ナル強化ヲ図ル
(2)空襲被害極限等ニ付テノ準備訓練ヲ徹底ス
(3)空襲ニ依ル物的被害ノ修理復旧、食糧配給ノ確保、救護、空襲時用簡易住宅ノ建設等空襲時ノ善後措置ニ関スル準備ノ急速完成ヲ図ル
(4)一般疎開ノ実施ヲ強度ニ促進スルト共ニ第二次官庁疎開、脆弱木造官庁建物ノ移転除却、統制会又ハ団体建物及地方会社出張所、社交倶楽部等ノ整理ヲ行フ
(5)養老院、精神病院、刑務所(生産ニ影響ナキモノ)等ハ極力速ニ地方ニ疎開又ハ整理セシム
(6)空襲被害ニ備ヘ近府県農村又ハ小都市所在ノ親戚、知人ノ許ニ最少限必要ノ衣類身廻品ヲ預託スルコトヲ徹底セシム
(7)前各項ノ外防空並ニ疎開ニ付急速徹底セル各般ノ措置ヲ講ズ

四、簡素生活徹底ノ覚悟ト食糧配給ノ改善整備
(1)時局突破ノ為ニハ国民生活ヲ徹底的ニ簡素化シ第一線将兵ノ困苦欠乏ヲ想ヒ如何ナル生活ニモ耐フルノ覚悟ヲ固メシム
(2)大都市ニ於ケル当面食糧ノ配給ノ改善特ニ少年等ニ対スルモノニ付格段ノ措置ヲ講ズ
(3)藷類ノ乾燥、魚類ノ塩漬等食糧ノ加工貯蔵ヲ徹底ス

五、空地利用ノ徹底
 家庭、隣組、学校生徒、青少年団、壮年団、産業報国会其ノ他ヲ動員シ特ニ大都市ニ於ケル公園、庭園、花卉園等ハ勿論、校庭、工場周辺空地其ノ他ノ空閑地ハ徹底的ニ之ヲ食糧作物ニ利用セシム

六、製造禁止品目ノ拡大ト規格統一ノ徹底
 製造禁止品ノ範囲ヲ拡大スルト共ニ規格ノ統一ヲ徹底ス

七、高級享楽ノ停止
 高級料理店待合ハ之ヲ休業セシメ、又高級興行歓楽場等ハ一時之ヲ閉鎖シ其ノ施設ハ必要ニ応ジ之ヲ他ニ利用スルト共ニ其ノ関係者ハ時局ニ即応シテ之ガ活用ヲ図ル

八、重点輸送ノ強化
 旅行ヲ徹底的ニ制限シ、線路ノ転用ヲ強化シ、以テ戦力増強並ニ防空疎開ニ必要ナル輸送ヲ強化ス

九、海運力ノ刷新強化
 海運行政ノ刷新強化ヲ行フト共ニ船舶建造ノ急速増加ト船舶運航効率ノ画期的向上トヲ図リ以テ海運力ノ徹底的増強ヲ図ル

一〇、平時的又ハ長期計画的事務及事業ノ停止
官庁、公共団体其ノ他ノ標記事務及事業ハ差当リ一年間ハ全部之ヲ停止シ又ハ保存ニ必要ナル最少限度ノ範囲ニ縮少シ、其ノ職員ハ他ノ緊要事務ニ之ヲ充当ス
尚右ニ即応シ原則トシテ差当リ一年間官庁新規営繕工事ハ之ヲ休止シ又諮問的委員会ノ停止等ヲ行フモノトス

一一、中央監督事務ノ地方委任
中央各官庁ノ許認可等監督的事務ハ差当リ一年間原則トシテ総テ之ヲ夫々ノ地方官庁又ハ官吏ニ委任シ、要スレバ予メ大綱ヲ準則的ニ指示シ又ハ事後報告ヲ徴スルモノトス

一二、裁判検察ノ迅速化
裁判検察ノ迅速化ヲ徹底シ特ニ時局犯罪ニ対スル迅速処理ノ方途ヲ講ズ

一三、保有物資ノ積極的活用
広ク官公署、会社、家庭等ニ於ケル保有物資ノ積極的ナル活用供出ヲ図ル(之ガ為例ヘバ各官公署、会社等ニ於ケル物資ノ保存年限等ヲ極度ニ短縮ス)

一四、信賞必罰ノ徹底ト査察ノ強化
官吏、公務員其ノ他時局産業関係者等ニ付信賞必罰ヲ敏活徹底的ニ行フト共ニ行政ノ全般ニ亘リ強力ナル査察ヲ実施ス

一五、国民運動ノ展開
皇国隆替ノ岐路ニ際シ挙国必勝ノ信念ニ徹底シ国民総動員体制ヲ強化シ真ニ其ノ総力ヲ竭シテ戦力増強、食糧増産等夫々ノ職域ニ邁進スルト共ニ時局突破ノ為国民生活ヲ徹底的ニ簡素化シ凡ユル忍耐ヲ覚悟スルノ真摯熱烈ナル国民運動ヲ展開ス

一六、国民指導啓発
時局ノ真相ヲ国民特ニ指導階級ニ大胆率直ニ周知セシメ、之ガ奮起ヲ図ルト共ニ徹底セル敵愾心昂揚ノ方途ヲ講ズ

一七、官庁休日ヲ縮減シ常時執務ノ態勢ヲ確立ス

         「国立国会図書館リサーチ・ナビ」より 

<現代語訳>

決戦の現段階に即応し国民すなわち戦士の覚悟に徹して、国を挙げて精進刻苦その総力を直接戦力増強の一点に集中して当面の各重要施策の急速な徹底を図る他、まず左の非常措置を講じる

一、学徒動員体制の徹底

 (1)原則として中等学校程度以上の学生生徒は全て、今後一年常時その勤労その他非常任務に出動させる組織的態勢に置き、必要に応じて随時活発な動員を実施する。
 (2)理科系の者はその専門に応じておおむねそれを軍関係工場や病院等の職場に配置して勤労従事させる。
 (3)学校校舎は必要ある場合は軍需工場化し、またはこれを軍用、非常倉庫用、非常病院用、避難住宅用その他重要な用途に転用する。

二、国民勤労体制の刷新

職業転換、適正配置並びに勤労管理、特に学徒、女子および応徴者等に関する受け入れ体制の急速な刷新強化を図るとともに、家庭の中心たる者を除く女子の女子挺身隊への強制加入の道を開き、かつこれに即応して官庁側の指導、斡旋、保護の充実に万全をつくす。
 右に関連し速やかに動員機構を整備し、特に軍動員との関係の緊密化を図る。

三、防空体制の強化

 (1)重要工場について可能な限り防空施設を行うとともに工場防空組織を完備する等工場防空の急速な強化を図る。
 (2)空襲被害の極限等についての準備訓練を徹底する。
 (3)空襲による物的被害の修理復旧、食糧配給の確保、救護、空襲時用の簡易住宅の建設等空襲時の善後措置に関する準備の急速な完成を図る。
 (4)一般疎開の実施を強く促進するとともに第二次官庁疎開、脆弱木造官庁の建物の移転または除去、統制会または団体建物および地方会社出張所、社交クラブ等の整理を行う。
 (5)養老院、精神病院、刑務所(生産に影響ないもの)等は極力速やかに地方に疎開または整理させる。
 (6)空襲被害に備えて近府県農村又は小都市所在の親戚、知人の許に最小限必要な衣類や見回り品を預託することを徹底させる。
 (7)前各項の他防空ならびに疎開について急速に徹底させる全ての措置を講じる。

四、簡素生活徹底の覚悟と食糧配給の改善整備

 (1)時局突破のために国民生活を徹底的に簡素化し、第一線の将兵の困苦欠乏を思い、いかなる生活にも耐える覚悟を固めさせる。
 (2)大都市における当面の食糧の配給の改善、特に少年等に対するものについては格段の措置を講じる。
 (3)藷類の乾燥、魚類の塩漬け等食糧の加工貯蔵を徹底する。

五、空き地利用の徹底
家庭、隣組、学校生徒、青少年団、壮年団、産業報告会その他を動員し、特に大都市における公園、庭園、花卉園等はもちろん、校庭、工場周辺空き地その他の空閑地は徹底的にこれを食糧作物に利用させる。

六、製造禁止品目の拡大と規格統一の徹底
製造禁止品の範囲を拡大するとともに規格の統一を徹底する。

七、高級享楽の停止
高級料理店待合茶室はこれを休業させ、また高級興行歓楽場等は一時これを閉鎖し、その施設は必要に応じてこれを他に利用するとともにその関係者は時局に即応してその活用を図る。

八、重点輸送の強化
旅行を徹底的に制限し、線路の転用を強化し、もって戦力増強ならびに防空疎開に必要な輸送を強化する。

九、海運力の刷新強化
海運行政の刷新強化を行うとともに船舶建造の急速増加と船舶運行効率の画期的向上とを図ってもって海運力の徹底的増強を図る。

一〇、平時的または長期計画的事務および事業の停止
官庁、公共団体その他の標記事務および事業はさしあたり一年間は全部これを停止し、または保存に必要な最小限度の範囲に縮小し、その職員は他の重要な事務に当てる。
なお、右に即応し原則としてさしあたり一年間官庁新規営繕工事はこれを休止しまたは諮問的委員会の停止等を行うものとする。

一一、中央監督事務の地方委任
中央各官庁の許認可等監督的事務はさしあたり一年間原則としてすべてこれをそれぞれの地方官庁または官吏に委任し、要すれば予め大綱を準則的に指示しまたは事後報告を徴するものとする。

一二、裁判・検察の迅速化
裁判、検察の迅速化を徹底し特に時局犯罪に対する迅速な処理の方策を講じる。

一三、保有物資の積極的活用
広く官公署、会社、家庭等における保有物資の積極的な活用と供出を図る(これがため例えば各官公署、会社等における物資の保存年限等を極度に短縮する)

一四、信賞必罰の徹底と査察の強化
官吏、公務員その他時局産業関係者等については信賞必罰を敏活徹底的に行うとともに行政の全般にわたり強力な査察を実施する。

一五、国民運動の展開
皇国盛衰の岐路に際して挙国必勝の信念に徹し、国民総動員体制を強化し真にその総力を尽くして戦力増強、食糧増産等それぞれの職域に邁進するとともに時局突破のため国民生活を徹底的に簡素化し、あらゆる忍耐を覚悟する真摯熱烈な国民運動を展開する。

一六、国民指導啓発
時局の真相を国民、特に指導階級に大胆率直に周知させ、それによって奮起を図るとともに徹底した敵愾心昂揚の方策を講じる。

一七、官庁休日を縮減し常時執務の態勢を確立する。 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

585年(敏達天皇14)仏教排斥を唱える物部守屋が、疫病の流行が原因が仏教崇拝にあると奏上する(新暦4月5日)詳細
1834年(天保5)水野忠邦(天保の改革を推進)が江戸幕府の老中に就任する(新暦4月9日)詳細
1871年(明治4)郵便制度が新設され、郵便物の取扱、最初の切手(竜文切手)の発行が始まる(新暦4月20日)詳細
1912年(明治45)余部鉄橋の完成により、山陰鉄道の香住駅~浜坂駅間が開業し、京都駅~出雲今市駅間が全通する詳細
1941年(昭和16)「国民学校令」が公布される詳細
1952年(昭和27)小説家・劇作家・俳人久米正雄の命日(三汀忌)詳細
1954年(昭和29)第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁のアメリカ水爆実験で被曝する(ビキニデー)詳細
1982年(昭和57)当時の日本国有鉄道が「青春18きっぷ」の前身にあたる「青春18のびのびきっぷ」の発売を開始する詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1943年(昭和18)に、日本野球連盟が「戦士の実施要綱」を作成して各クラブに通達し、選手は戦闘帽をかぶり、挙手の礼を行うこととし、野球用語をすべて日本語化することを決定した日です。
 「戦士の実施要綱」(せんしのじっしようこう)は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1943年(昭和18)2月13日に、日本野球連盟が作成して各クラブに通達したものです。野球選手は戦闘帽をかぶり、挙手の礼を行うこととし、敵性語を使用しないようにし、野球用語をすべて日本語化することを決定したものでした。
 それに基づいて、同年3月2日に具体的な日本語名称が職業野球の理事会で決められました。

〇敵性語(てきせいご)とは?

 敵国の言葉のことですが、日中戦争~太平洋戦争中の日本では、英語が敵性語とみなされました。英語は、「軽佻浮薄」(気分が浮ついていて、行動が軽々しいという意味)であるとして、排斥が進みます。
 特に法的に規制された事実はありませんが、1940年(昭和15)3月28日に内務省が16人の芸人に芸名の改名を命令したり、9月頃から鉄道省によって駅構内の英語表記が撤廃され始めたり、10月31日に大蔵省専売局がタバコの改名を発表するなどして、英語名を使わない風潮が醸成されていきます。
 1941年(昭和16)12月の太平洋戦争突入後はその運動はより顕著なものとなり、「マスゴミ」や「大政翼賛会」などにより、自主的な規制運動も進みました。
 1943年(昭和18)2月には、英語の雑誌名が禁止されて改名されたり、同年に大日本体育会により英名スポーツの名称を和名に改称、3月2日に職業野球の理事会で英語をやめ、野球用語も全面日本語化することを決定して拍車がかかります。
 しかし、太平洋戦争後は、英語名が復活したものも多数ありました。

☆野球関係で改名された敵性語の例

・ベースボール→野球(やきゅう)
・ヒット→よし
・ホ-ムイン→生還(せいかん)
・ストライク→よし1本、正球
・ストライク ツー→よし2本
・ストライク スリー、ユー アー アウト→よし3本、それまで
・ボール→(だめ)1つ、悪球
・ファウル→だめ、圏外、もとえ
・アウト→ひけ、無為
・セーフ→よし、安全
・バッテリー 対打機関
・タイム→停止(ていし)
・バント→軽打(けいだ)
・スクイズ→疑投打生還
・スチールスクイズ→盗塁・奪走塁
・ボーク→疑投
・ホームラン→本塁打(ほんるいだ)
・ファウルグラウンド→圏外区域(けんがいくいき)
・フェアグラウンド→正打区域
・ホームチーム→迎戦組(げいせんぐみ)
・ビジターチーム→往戦組(おうせんぐみ)
・リーグ戦→連盟戦(れんめいせん)
・コーチ→助令(じょれい)
・マネージャー→秘書(ひしょ)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

797年(延暦16)六国史二番目の『続日本紀』が完成・奏上される(新暦3月15日)詳細
807年(大同2)斎部広成撰の『古語拾遺』が平城天皇に献上される(新暦3月25日)詳細
1875年(明治8)「平民苗字必称義務令」が出され国民に姓を名乗ることを義務附ける(苗字制定記念日)詳細
1900年(明治33)足尾鉱毒事件被害民二千余名が請願のため上京する途中、警官隊・憲兵と衝突した川俣事件が起きる詳細
1946年(昭和21)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が「改正憲法草案(マッカーサー草案)」を日本側に手交する詳細
1989年(平成元)リクルート事件で、東京地検特捜部がリクルート前会長江副浩正ら4人を逮捕する詳細
2006年(平成18)財団法人日本城郭協会が「日本100名城」を発表する詳細
2008年(平成20)映画監督市川崑の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下の1945年(昭和20)に、「金属類回収令中改正ノ件」により、「金属類回収令」の回収対象にアルミニウムを追加する改正(昭和20年勅令第62号)が裁可された日です。
 「金属類回収令」(きんぞくるいかいしゅうれい)は、昭和時代前期の日中戦争中の鉄や銅など、銃や砲弾に使う戦略物資の不足を補うため、政府が1941年(昭和16)8月30日に公布した勅令(昭和16年勅令第667号)で、9月1日より内地で施行され、10月1日に外地(朝鮮、台湾、樺太、南洋群島)で施行されました。その後、太平洋戦争に突入していく中で、昭和16年勅令第1004号による改正がなされ、1942年(昭和17)5月9日には、閣議に於て、閣令「回収物件の譲渡申込期間指定に関する件」が公布され、寺院の梵鐘、各地の銅像などの強制供出が命令できるようになります。
 続いて、昭和18年勅令第342号による改正、さらに、1943年(昭和18)8月12日に、全面改正された「金属類回収令」(昭和18年勅令第667号)の公布・施行により、さらに強化されました。また戦局が悪化する中で、1945年(昭和20)2月には、回収対象にアルミニウムを追加する改正(昭和20年勅令第62号)が行われ、家庭のなべや寺院の釣り鐘などまでが供出させられます。
 しかし、敗戦後の1945年(昭和20)10月19日、閣議において「戦時法令の整理に関する件」が決定され、「工場事業場管理令等廃止ノ件」(昭和20年勅令第601号)により廃止されました。
 以下に、「金属類回収令」(昭和16年勅令第835号)と全面改正された「金属類回収令」(昭和18年勅令第667号)及び、アルミにぅむが追加された「金属類回収令中改正ノ件」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「金属類回収令」関係略年表

・1938年(昭和13) 「国家総動員法」で、家庭の金属も動員の対象となり、政府声明で廃品だけではなく現用であっても不要不急の金属回収を呼びかけられる
・1941年(昭和16)8月30日 「金属類回収令」(昭和16年勅令第835号)が公布される
・1941年(昭和16)9月1日 「金属類回収令」が内地で施行される
・1941年(昭和16)10月1日 「金属類回収令」が外地(朝鮮、台湾、樺太、南洋群島)で施行される
・1941年(昭和16)11月26日 改正(昭和16年勅令第1004号)される
・1942年(昭和17)5月9日 閣議に於て、閣令「回収物件の譲渡申込期間指定に関する件」が公布される
・1942年(昭和17)5月12日 閣令「回収物件の譲渡申込期間指定に関する件」が発動される
・1943年(昭和18)3月31日 改正(昭和18年勅令第342号)される
・1943年(昭和18)8月12日 全面改正(昭和18年勅令第667号)され、甲府・施行される
・1945年(昭和20)2月10日 回収対象にアルミニウムを追加する改正(昭和20年勅令第62号)が裁可される
・1945年(昭和20)10月19日 閣議において「戦時法令の整理に関する件」が決定され、「工場事業場管理令等廃止ノ件」(昭和20年勅令第601号)により廃止される

☆「金属類回収令」(昭和16年勅令第835号)1941年(昭和16)8月30日公布

第一条 国家総動員法(昭和十三年勅令第三百十七号ニ於テ依ル場合ヲ含ム以下同ジ)第八条ノ規定ニ基ク回収物件ノ譲渡其ノ他ノ処分、使用及移動ニ関スル命令並ニ国家総動員法第五条ノ規定ニ基ク回収物件ノ譲受ニ関スル協力命令ニ付テハ本令ノ定ムル所ニ依ル

第二条 本令ニ於テ回収物件トハ鉄、銅又ハ黄銅、青銅其ノ他ノ銅合金ヲ主タル材料トスル物資ニシテ閣令ヲ以テ指定スルモノヲ謂フ

第三条 閣令ヲ以テ指定スル施設ニ備附ケタル回収物件(以下指定施設ニ於ケル回収物件ト称ス)ニシテ閣令ヲ以テ指定スルモノヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者ハ当該回収物件ニ付譲渡其ノ他ノ処分ヲ為シ又ハ之ヲ移動スルコトヲ得ズ但シ商工大臣ノ指定スル者(以下回収機関ト称ス)ニ譲渡スル場合及命令ヲ以テ定ムル場合ハ此ノ限ニ在ラズ

第四条 商工大臣ハ地域ヲ限リ其ノ地域内ノ指定施設ニ於ケル回収物件ニシテ前条ノ規定ニ依リ閣令ヲ以テ指定スルモノ以外ノモノヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者ニ対シ一般的ニ当該回収物件ノ譲渡其ノ他ノ処分又ハ移動ヲ制限スルコトヲ得

第五条 地方長官ハ回収物件ノ所有者ニ対シ期限ヲ指定シテ回収機関ニ当該回収物件ノ譲渡ノ申込ヲ為スベキコトヲ勧告スルコトヲ得

第六条 指定施設ニ於ケル回収物件ニシテ第三条ノ規定ニ依リ閣令ヲ以テ指定スルモノヲ所有スル者ハ閣令ヲ以テ指定スル期日迄ニ回収機関ニ対シ当該回収物件ノ譲渡ノ申込ヲ為スベシ但シ命令ヲ以テ定ムル場合ハ此ノ限ニ在ラズ

第七条 商工大臣ハ地域ヲ限リ其ノ地域内ノ指定施設ニ於ケル回収物件ニシテ第三条ノ規定ニ依リ閣令ヲ以テ指定スルモノ以外ノモノヲ所有スル者ニ対シ期限ヲ指定シテ回収機関ニ当該回収物件ノ譲渡ノ申込ヲ為スベキコトヲ一般的ニ命ズルコトヲ得

第八条 指定施設ニ於ケル回収物件ノ所有者第五条乃至前条ノ規定ニ依リ譲渡ノ申込ヲ為シタルトキハ当該所有者又ハ当該回収物件ヲ権原ニ基キ占有スル者ハ回収機関ノ請求ニ応ジ遅滞ナク当該回収物件ノ引渡ヲ為スベシ
2 前項ノ請求アリタル場合ニ於テ当該回収物件ヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者ハ回収機関ニ対シ当該回収物件ノ撤去又ハ引取ヲ請求スルコトヲ得
3 回収機関前二項ノ規定ニ依リ当該回収物件ノ引渡ヲ受ケタルトキハ受領調書ヲ作リ引渡ヲ為シタル所有者又ハ占有者ニ之ヲ交付スベシ

第九条 撤去費其ノ他回収物件ノ引渡ニ要スル費用及修理費ハ回収機関ノ負担トス
2 回収物件ノ用途又ハ備附ノ状況ニ鑑ミ特ニ代替物件ノ備附ヲ必要トスル場合ニ於テ代替物件ノ価額ト其ノ備附ニ要スル費用トノ合計額ガ当該回収物件ノ価額ヲ超ユルトキハ前項ノ費用ノ他其ノ超過分ハ回収機関ノ負担トス
3 前二項ノ規定ニ依リ回収機関ニ於テ負担スベキ額ハ前条第二項ノ規定ニ依リ撤去又ハ引取アリタル場合ヲ除クノ外第十条ノ規定ニ依ル協議又ハ裁定ニ依リ定マル額トス

第十条 回収機関第五条乃至第七条ノ規定ニ依リ指定施設ニ於ケル回収物件ノ所有者ヨリ譲渡ノ申込ヲ受ケタルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ当該回収物件ノ譲渡価額及前条ノ規定ニ依リ回収機関ニ於テ負担スベキ額(第八条第二項ノ規定ニ依ル撤去及引取ノ費用ノ額ヲ除ク)ニ付遅滞ナク当該所有者又ハ当該回収物件ヲ権原ニ基キ占有スル者ト協議スベシ此ノ場合ニ於テ協議調ハザルトキ又ハ協議ヲ為スコト能ハザルトキハ地方長官之ヲ裁定ス
2 前項ノ場合ニ於ケル回収物件ノ譲渡価格、前条第一項ノ費用並ニ同条第二項ノ代替物件ノ価額及其ノ備附ニ要スル費用ノ基準ハ商工大臣之ヲ定ム

第十一条 回収物件ニ関シ強制競売手続、国税徴収法ニ依ル強制徴収手続又ハ土地収用法、工場事業場使用収用令、土地工作物管理使用収用令若ハ総動員物資使用収用令ニ依ル使用若ハ収用ノ手続其ノ他此等ノ手続ニ準ズベキモノノ進行中ナルトキハ其ノ進行中ニ限リ当該回収物件ニ関シテハ第三条乃至第七条ノ規定ハ之ヲ適用セズ

第十二条 第六条又ハ第七条ノ規定ニ依リ為シタル回収物件ノ譲渡ハ其ノ法令ニ拘ラズ其ノ効力ヲ有ス
2 第六条又ハ第七条ノ規定ニ依リ譲渡スベキ回収物件ニ付存シタル担保権ハ其ノ法令ニ拘ラズ当該回収物件ニ付其ノ譲渡ノ時ヨリ之ヲ行フコトヲ得ズ
3 前項ノ場合ニ於テハ当該担保権者ハ当該回収物件ノ対価トシテ受クベキ金銭及当該回収物件ニ付第九条第二項ノ超過分トシテ受クベキ金銭ニ対シ其ノ権利ヲ行フコトヲ得

第十三条 回収機関回収物件ヲ譲受ケタルトキハ商工大臣ノ指定スル回収機関ニ対シ譲渡スル場合其ノ他命令ヲ以テ定ムル場合ヲ除クノ外当該回収物件ニ付譲渡其ノ他ノ処分ヲ為シ又ハ之ヲ使用スルコトヲ得ズ

第十四条 商工大臣ハ個人及法人其ノ他ノ団体ヲシテ回収機関ノ行フ回収物件ノ譲受其ノ他之ニ関連スル業務ニ協力セシムルコトヲ得

第十五条 商工大臣又ハ地方長官ハ回収物件ニ関シ国家総動員法第三十一条ノ規定ニ依リ回収機関及回収物件ノ所有者其ノ他ノ関係人ヨリ必要ナル報告ヲ徴シ又ハ当該官吏ヲシテ当該回収物件ノ所在ノ場所其ノ他必要ナル場所ニ臨検シ業務ノ状況若ハ当該回収物件、書類、帳簿等ヲ検査セシムルコトヲ得
2 前項ノ規定ニ依リ当該官吏ヲシテ臨検検査セシムル場合ニ於テハ其ノ身分ヲ示ス証票ヲ携帯セシムベシ

第十六条 商工大臣ハ本令ニ規定スル職権ノ一部ヲ地方長官ニ委任スルコトヲ得

第十七条 本令中地方長官トアルハ鉱業又ハ砂鉱業ニ属スル施設ニ関シテハ鉱山監督局長、電気事業ニ属スル施設ニ関シテハ逓信局長、地方鉄道又ハ専用鉄道ニ属スル施設ニ関シテハ鉄道局長トス
2 逓信局長又ハ鉄道局長本令ニ規定スル事務ヲ行フ場合ニ於テハ商工大臣ノ指揮監督ヲ承ク

第十八条 本令中商工大臣トアルハ朝鮮、台湾、樺太又ハ南洋群島ニ在リテハ各朝鮮総督、台湾総督、樺太庁長官又ハ南洋庁長官トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事(電気事業ニ属スル施設ニ関シテハ朝鮮総督府逓信局長、私設鉄道又ハ専用鉄道ニ属スル施設ニ関シテハ朝鮮総督府鉄道局長)、台湾ニ在リテハ州知事又ハ庁長(電気事業又ハ私設鉄道ニ属スル施設ニ関シテハ台湾総督府交通局総長)、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トス
2 本令中閣令トアルハ朝鮮又ハ台湾ニ在リテハ総督府令、樺太又ハ南洋群島ニ在リテハ庁令トス

  附 則

本令ハ昭和十六年九月一日ヨリ之ヲ施行ス但シ朝鮮、台湾、樺太又ハ南洋群島ニ在リテハ昭和十六年十月一日ヨリ之ヲ施行ス

   「官報」より

☆全面改正後の「金屬類回収令」(昭和18年勅令第667号) 1943年(昭和18)8月12日公布・施行

第一条 国家総動員法(昭和十三年勅令第三百十七号ニ於テ依ル場合ヲ含ム以下同ジ)第八条ノ規定ニ基ク回収物件ノ讓渡其ノ他ノ処分、使用、所持及移動並ニ同法第十六条ノ二ノ規定ニ基ク事業ニ属スル設備タル回収物件ノ出資ニ関スル命令ニ付テハ本令ノ定ムル所ニ依ル

第二条 本令ハ戦力ノ增?ニ資スル為鐵、鋼若ハ鉛又ハ此等ノ金属ヲ主タル成分トスル合金ノ供給ノ確保ヲ図ルコトヲ目的トス

第三条 本令ニ於テ回収物件トハ前条ノ金属又ハ合金ヲ主タル材料トスル物資ニシテ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノヲ謂フ
 一 命令ヲ以テ指定スル事業ノ用ニ供スル物資ニシテ命令ヲ以テ指定スルモノ
 二 命令ヲ以テ指定スル施設ニ備附ケタル物資ニシテ命令ヲ以テ指定スルモノ
 三 前二号ニ?グルモノノ外命令ヲ以テ定ムル物資

第四条 商工大臣ハ回収物件ヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者(第六条ノ規定ニ依リ商工大臣ノ指定スル者ヲ除ク)ニ対シ一般的ニ回収物件ノ讓渡其ノ他ノ処分、使用又ハ移動ニ関シ必要ナル制限ヲ為スコトヲ得事業ニ属スル設備タル回収物件ノ出資ニ付亦同ジ

第五条 商工大臣ハ回収物件ヲ讓受ケ若ハ賃借シ又ハ事業ニ属スル設備タル回収物件ノ出資ヲ受ケントスル者(第六条ノ規定ニ依リ商工大臣ノ指定スル者ヲ除ク)ニ対シ一般的ニ回収物件ノ讓受、賃借又ハ出資ヲ受クルコトニ関シ必要ナル制限ヲ為スコトヲ得

第六条 商工大臣ハ回収物件ノ所有者ニ対シ期限ヲ指定シテ商工大臣ノ指定スル者(以下囘收機関ト称ス)ニ当該回収物件ノ讓渡ノ申込ヲ為スベキコトヲ命ズルコトヲ得
 前項ノ規定ニ依リ讓渡ノ申込ヲ為スベキコトヲ命ゼラレタル所有者同項ノ期限迄ニ讓渡ノ申込ヲ為サザルトキハ其ノ期限到來ノ日ニ於テ讓渡ノ申込ヲ為シタルモノト看做ス

第七条 前条ノ規定ニ依リ回収機関ニ対シ回収物件ノ讓渡ノ申込アリタル場合ニ於テハ当該回収物件ノ撤去、引取及撤去ニ因リ生ジタル破損箇所ノ修理並ニ回収物件ノ用途又ハ備附ノ状況ニ鑑ミ特ニ必要トスル代替物件ノ備附ハ地方長官之ヲ行フ但シ回収物件ヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者ニ於テ当該回収物件ノ撤去、撤去ニ因リ生ジタル破損箇所ノ修理又ハ代替物件ノ備附ヲ行フヲ妨ゲズ
 地方長官前項ノ規定ニ依ル職権ヲ行フニ当リテハ其ノ指揮監督ノ下ニ其ノ指定スル回収機関其ノ他ノ者ヲシテ必要ナル作業ニ従事セシムルヲ例トス
 地方長官第一項ノ規定ニ依リ回収物件ノ撤去又ハ引取ヲ行フ場合ニ於テハ当該回収物件ヲ所有シ又ハ権原ニ基キ占有スル者ハ之ヲ拒ムコトヲ得ズ
 地方長官第一項ノ規定ニ依リ回収物件ノ撤去又ハ引取ヲ為シタルトキハ讓渡契約ノ履行ニ付テハ当該回収物件ハ讓渡ノ申込ヲ受ケタル回収機関ニ引渡アリタルモノト看做ス

第八条 第六条ノ規定ニ依リ回収物件ヲ回収機関ニ讓渡スル場合ニ於ケル讓渡価額ハ商工大臣之ヲ定ム但シ商工大臣必要アリト認ムルトキハ其ノ定ムル基準ニ依リ当事者間ノ協議ニ依リ之ヲ定メシムルコトヲ得
 前項但書ノ規定ニ依ル協議ニ依リ讓渡価額定マリタルトキハ当該讓渡價額ハ商工大臣ノ定メタルモノト看做ス

第九条 第六条ノ規定ニ依リ回収物件ヲ回収機関ニ讓渡スル場合ニ於テハ当該回収物件ノ撤去費其ノ他引渡ニ要スル費用及修理費ハ商工大臣ノ指定スル回収機関ノ負担トスルモノトス回収物件ノ用途又ハ備附ノ状況ニ鑑ミ特ニ代替物件ノ備附ヲ必要トスル場合ニ於テ代替物件ノ価額ト其ノ備附ニ要スル費用ノ額トノ合計額ガ当該回収物件ノ前条ノ規定ニ依ル讓渡価額ヲ超ユル場合ニ於ケル其ノ超過分ニ付亦同ジ
 第七条第一項本文ノ規定ニ依ル代替物件ノ備附ノ場合ニ於テハ代替物件ノ価額及其ノ備附ニ要スル費用ハ前項ノ超過分ヲ除クノ外回収物件ノ讓渡ヲ受クベキ回収機関ノ負担トスルモノトス此ノ場合ニ於テ当該回収物件ノ回収機関ニ対スル讓渡価額ハ前条ノ規定ニ依ル讓渡價額ヨリ当該回収機関ノ負担スル代替物件ノ価額ト其ノ備附ニ要スル費用ノ額トノ合計額ヲ控除シタル額トス
 回収物件ガ都道府県又ハ市町村若ハ之ニ準ズルモノノ所有ニ属スルモノナル場合ニ於テハ修理費並ニ代替物件ノ価額及其ノ備附ニ要スル費用ハ前二項ノ規定ニ拘ラズ当該都道府県又ハ市町村若ハ之ニ準ズルモノノ負担トス
第一項及第二項ノ規定ニ依リ回収機関ノ負担スベキ額ハ商工大臣ノ定ムル基準ニ依リ地方長官之ヲ定ム但シ地方長官必要アリト認ムルトキハ第一項ノ規定ニ依リ回収機関ノ負担スベキ額ニシテ第七条第一項但書ノ規定ニ依リ回収物件ノ所有者又ハ占有者ニ於テ撤去、修理又ハ代替物件ノ備附ヲ爲ス場合ニ於ケルモノニ付商工大臣ノ定ムル基準ニ依リ当該所有者又ハ占有者ト当該回収機関トノ協議ニ依リ之ヲ定メシムルコトヲ得
 前項但書ノ規定ニ依ル協議ニ依リ回収機関ノ負担スベキ額定マリタルトキハ当該額ハ地方長官ノ定メタルモノト看做ス

第十条 回収物件ニ關シ強制競売手続、国税徴収法ニ依ル強制徴収手続き又ハ土地收用法、工場事業場使用收用令、土地工作物管理使用收用令若ハ総動員物資使用收用令ニ依ル使用若ハ收用ノ手続き其ノ他此等ノ手続きニ準ズベキモノノ進行中ナルトキハ其ノ進行中ニ限リ当該回収物件ニ関シテハ第四条乃至第六条及第十三条ノ規定ハ之ヲ適用セズ

第十一条 第六条ノ規定ニ依リ為シタル回収物件ノ讓渡ハ他ノ法令ニ拘ラズ其ノ效力ヲ有ス
 第六条ノ規定ニ依リ讓渡スベキ回収物件ニ付存シタル担保権ハ他ノ法令ニ拘ラズ当該回収物件ニ付其ノ讓渡ノ時ヨリ之ヲ行フコトヲ得ズ
 前項ノ場合ニ於テハ当該担保権者ハ当該回収物件ノ対価トシテ受クベキ金錢又ハ有価証券及其ノ対価ニ関シ企業整備資金措置法第四条ノ規定ニ依リ取得シタル同法第十四条第一項ニ?グル債権並ニ当該回収物件ニ付第九条第一項ノ超過分トシテ受クベキ金錢ニ対シ其ノ権利ヲ行フコトヲ得

第十二条 第六条ノ規定ニ依リ回収物件ヲ回収機関ニ讓渡シタル場合ニ於テ当該回収物件ガ知レタル担保権ノ目的タル場合ニ於テハ回収機関ハ当該回収物件ノ対価トシテ支払フベキ金錢又ハ有価証券及当該回収物件ニ付第九条第一項ノ超過分トシテ支払フベキ金錢ヲ供託スベシ
 前項ノ場合ニ於テハ当該担保権者ハ同項ノ規定ニ依リ供託セラレタル金錢又ハ有価証券ニ対シ其ノ権利ヲ行フコトヲ得

第十三条 商工大臣ハ回収機関ニ対シ時期、方法、相手方其ノ他必要ナル事項ヲ指定シテ回収物件ノ讓受、讓渡其ノ他ノ処分、使用、所持及移動ヲ命ジ又ハ回収物件ノ讓渡、使用、所持及移動ニ関シ必要ナル制限ヲ為スコトヲ得

第十四条 国家総動員法第二十七条ノ規定ニ依リ補償スベキ損失ハ第六条及前条ノ規定ニ基ク処分ニ因ル通常生ズベキ損失トス
 前項ノ損失ノ補償ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

第十五条 商工大臣又ハ地方長官ハ回収物件ニ關シ国家総動員法第三十一条ノ規定ニ依リ回収機関及回収物件ノ所有者其ノ他ノ關係人ヨリ必要ナル報?ヲ徴シ又ハ当該官吏ヲシテ当該回収物件ノ所在ノ場所其ノ他必要ナル場所ニ臨検シ業務ノ状況若ハ当該回収物件、書類、帳簿等ヲ検査セシムルコトヲ得
 前項ノ規定ニ依リ当該官吏ヲシテ臨検検査セシムル場合ニ於テハ其ノ身分ヲ示ス証票ヲ携帶セシムベシ

第十六条 商工大臣ハ本令ニ規定スル職権ノ一部ヲ地方長官ニ委任スルコトヲ得

第十七条 本令中商工大臣トアルハ朝鮮、台湾又ハ南洋群島ニ在リテハ各朝鮮総督、台湾総督又ハ南洋庁長官トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、台湾ニ在リテハ州知事又ハ庁長、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トス
 第九条第三項中都道府県又ハ市町村トアルハ朝鮮ニ在リテハ道又ハ府邑面、台湾ニ在リテハ州若ハ庁又ハ市街庄、南洋群島ニ在リテハ南洋群島地方費トス

第十八条 本令ハ所有者若ハ権原ニ基ク占有者又ハ其ノ世帶員ノ日常生活ノ用ニ供スル物資(家庭用物件)ニハ適用ナキモノトス

附 則

 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス但シ朝鮮、台湾又ハ南洋群島ニ在リテハ昭和十八年九月一日ヨリ之ヲ施行ス
 本令施行前従前ノ罰則ヲ適用スベカリシ行為及本令施行前回収機関ニ対シ讓渡ノ申込アリタル回収物件ニ付テハ仍従前ノ例ニ依ル

   「官報」より

 ※旧字を新字に直してあります。

☆「金属類回収令中改正ノ件」(昭和20年勅令第62号) 1945年(昭和20)2月10日裁可

金属類回収令中左ノ通改正ス 第二条中「若ハ鉛」ヲ「、鉛若ハアルミニウム」ニ改ム 

附則 

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1439年(永享11)鎌倉永安寺で第4代鎌倉公方足利持氏が叔父満貞と共に自害し、鎌倉府が滅亡する(新暦3月24日)詳細
1657年(明暦3)儒学者・政治家新井白石の誕生日(新暦3月24日)詳細
1903年(明治36)病理学者吉田富三の誕生日詳細
1904年(明治37)「露国に対する宣戦の詔勅」が発せられて、日露戦争に対して正式に宣戦が布告される詳細
1907年(明治40 薬学者・有機化学者津田恭介の誕生日詳細
1911年(明治44)日本初の純洋式大劇場となる(初代)帝国劇場が落成(開館は3月1日)する詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)の創立大会が開かれる詳細
1940年(昭和15)「津田事件」により、津田左右吉の『古事記及び日本書紀の研究』等の著書4冊が発禁となる詳細
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fujinhyoujyunhuku01
 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、婦人標準服が公募され、入選発表された日です。
 婦人標準服(ふじんひょうじゅんふく)は、太平洋戦争下で厚生省が決定した女性用の服装の標準として考案されたものです。スカート式の甲型(洋服型)と和服式の乙型(和服型)のそれぞれに一部式、二部式があり、さらにモンペ式の活動衣があり、全部で7種類が示されました。
 昭和時代前期の日中戦争下で、政府の提唱した“国民精神総動員運動”の衣料面における一環で、まず男子の服装として国民服を定めるため、「国民被服刷新委員会」を中心に制定がすすめられ、1939年(昭和14)11月に一般公募、翌年1月に発表され、1940年(昭和15)11月2日に「国民服令」(昭和15年勅令第725号)が公布・施行されます。その服装は、国防色(カーキ色)の上衣と袴(ズボン)、中衣(シャツ)、帽、外套(がいとう)、手套、靴から構成され、上衣に衽(おくみ)型と帯型をつけた甲号と、軍服調の乙号の2種とされまして。
 その後、女性用には、1941年(昭和16)3月19日に、厚生省が婦人標準服研究会を組織し、同年7月に試作品と公募が行われて10月19日入選発表があり、翌年2月19日に婦人標準服と活動衣が決定されます。これは、原則として、手作りのリフォーム・リメイク服とされ、手持ち衣料から自分で作るものなので、できるだけ簡単なものが考案され、これを基本として自由に応用されたものでした。
 しかし、普及はなかなか進まなかったものの、モンペ式の活動衣は、足首でしぼったズボンのような服で、戦局が悪化すると、空襲時の防空用として、多くの女性が着るようになります。

〇モンペ(もんぺ)とは?

 和服における袴の形状をした下半衣で、腰、膝にゆとりがあり、裾が細く絞られたものです。多くは農山村における男女が、仕事着に用いる山袴の一種でしたが、太平洋戦争中に婦人標準服の活動衣として着用が奨励されてから、全国的に一般化しました。
 1942年(昭和17)2月19日に厚生省が、婦人標準服の活動衣としてこれを定め、「モンペ普及運動」として奨励されます。その後の戦局悪化に伴い、空襲時の防空用に女性の着用が義務付けられ、半ば強制されました。
 戦後は、その機能性から農作業着として全国的に使用されるようになります。

☆国民服令(こくみんふくれい)とは?

 昭和時代前期の日中戦争下で、政府の提唱した“国民精神総動員運動”の衣料面における一環で、男子の服装として国民服を定めるため、1940年(昭和15)11月2日に公布・施行した勅令(昭和15年勅令第725号)です。
 国民服は、「国民被服刷新委員会」を中心に制定がすすめられ、1939年(昭和14)11月に一般公募され、翌年1月に発表されました。その服装は、国防色(カーキ色)の上衣と袴(ズボン)、中衣(シャツ)、帽、外套(がいとう)、手套、靴から構成され、上衣に衽(おくみ)型と帯型をつけた甲号と、軍服調の乙号の2種とされます。
 尚、女性用には、1942年(昭和17)2月に、公募作品を元に、スカート式の甲号、和服式の乙号、モンペ式の活動衣の3種類の“婦人標準服”が定められました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1873年(明治6)「公園設置ニ付地所選択ノ件」で、国内初の5公園が指定され、芝公園、深川公園、飛鳥山公園が開園する詳細
1899年(明治32)彫刻家山本豊市の誕生日詳細
1929年(昭和4)東京の日比谷公園に日比谷公会堂(当時東洋一の規模)が開場する詳細
1948年(昭和23)東宝争議(第3次)が終結し、解雇通告の撤回と引き換えに、山本薩夫ら組合幹部20人が退社する詳細
1956年(昭和31)日本とソビエト連邦が、「日ソ共同宣言」に調印する詳細
1960年(昭和35)生活保護処分に関する朝日訴訟の第一審判決が出される詳細
1962年(昭和37)鉄道開業90周年記念事業の一環として、国鉄によって、青梅鉄道公園が開園する詳細
2018年(平成30)ノーベル賞(化学賞)受賞者・有機化学者・海洋生物学者下村脩の命日詳細
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