ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:太平洋戦争

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1945年(昭和20)に、米軍が広島市に原爆を投下し、市街は壊滅し約14万人の死者を出した日で、毎年この日が広島平和記念日(広島原爆忌)とされています。
 広島平和記念日(ひろしまへいわきねんび)は、広島市が制定している記念日で、日付は広島市に原子爆弾が投下された日付の8月6日とされ、地元では、単に「平和記念日」とも呼ばれています。1945年(昭和20)8月6日午前8時15分に、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイ号が、広島市上空で世界初の原子爆弾リトルボーイを投下、上空約600メートルで爆発して、広島市街は壊滅し、放射線による急性障害が一応おさまった同年12月末までに、約14万人が死亡したと推計されました。
 この歴史的悲劇から人類は目をそむけることなく、犠牲となった多くの人々の霊を慰め、世界平和を祈る日として広島市では「平和記念日」とし、この日に原爆慰霊碑の前で「平和記念式典」が行われています。1947年(昭和22)7月31日に制定された「広島市役所事務休停日条例」に基づき、広島市独自の休日として規定されました。
 その後、広島市における8月6日に関する条例としては、1991年(平成3)に、「広島市の休日を定める条例」、2021年(令和3)に、「広島市平和推進基本条例」が制定されています。
 以下に、「広島市の休日を定める条例」、「広島市平和推進基本条例」を掲載紙ておきますので、ご参照下さい。

〇「広島市の休日を定める条例」(条例第49号)1991年(平成3)9月26日公布、1993年(平成5)4月1日施行

(市の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は、市の休日とし、市の機関の執務は、原則として行わないものとする。
(1) 日曜日及び土曜日
(2) 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日
(3) 12月29日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)
(4) 8月6日(平和記念日)
2 前項の規定は、市の休日に市の機関がその所掌事務を遂行することを妨げるものではない。

(平4条例58・一部改正)

(期限の特例)

第2条 市の行政庁に対する申請、届出その他の行為の期限で条例又は規則で規定する期間(時をもって定める期間を除く。)をもって定めるものが市の休日に当たるときは、市の休日の翌日をもってその期限とみなす。ただし、条例又は規則に別段の定めがある場合は、この限りでない。

附則

この条例は、平成3年12月1日から施行する。

附則(平成4年12月19日条例第58号 抄)

(施行期日)

1 この条例は、平成5年4月1日から施行する。

(一般職の職員の給与に関する条例の一部改正)

2 一般職の職員の給与に関する条例(昭和26年3月30日広島市条例第62号)の一部を次のように改正する。

〔次のよう略〕

(職員の退職手当に関する条例の一部改正)

3 職員の退職手当に関する条例(昭和28年広島市条例第62号)の一部を次のように改正する。

〔次のよう略〕

〇「広島市平和推進基本条例」(条例第50号)2021年(令和3)6月29日公布・施行

昭和20年8月6日,人類史上最初の原子爆弾が広島に投下され,広島の街は一瞬にして焦土と化し,壊滅,焼失した。当時,広島には約35万人の人々がいたと考えられているが,同年末までに約14万人が死亡したと推計され,生き残った人々も,急性障害だけでなく,様々な形の後障害に苦しめられている。
さらに,被爆者に対する結婚・就職等での差別により,後に,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を受けることが困難になるなどの被害もある。また,放射性物質を含んだ黒い雨による被害の議論は,いまだに続いている。
廃墟の街となった広島は,「75年間は草木も生えぬ」と言われたが,堪え難い悲しみと苦しみを乗り越えて復興に立ち上がり,広島平和記念都市建設法の制定を実現させ,市民の英知とたゆまぬ努力,国内外からの温かい援助などにより,めざましい復興・発展を遂げていった。
本市は,被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」との思いから,核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を願うヒロシマの心の共有を訴えてきた。さらに,国内外の多くの人々に,原子爆弾による被爆の実相に触れてもらうため,広島平和記念資料館や原爆ドームへの来訪を推進するとともに,放射線被ばく医療に対しても国際貢献をしてきた。
また,被爆者の壮絶な体験と平和への思いを後世に伝えるため,被爆体験の継承及び伝承を行ってきた。
しかしながら,被爆から75年が過ぎ,被爆者の高齢化が一段と進み,被爆体験を直接聞き知る機会が失われつつある。また,市民による平和の推進に関する活動の担い手が高齢化し,核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴えることが難しくなってきている。今では,昭和20年8月6日に何が起こったか,知らない子どもたちもいる。
今日,核兵器の廃絶に向けては,核兵器禁止条約の発効など,世界的にその機運は高まっているものの,実現までにはいまだ多くの課題がある。
私たち広島市民は,こうした現実を踏まえ,昭和20年8月6日の惨状と復興への道のりを伝え残し,世界に対して,行政を始め各界各層の多くの人々と共に「絶対悪」である核兵器を廃絶するために積極的に声を上げ,行動し,核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に努めることを決意し,この条例を制定する。

(目的)
第1条 この条例は,平和の推進に関し,本市の責務並びに市議会及び市民の役割を明らかにするとともに,本市の施策の基本となる事項を定めることにより,平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進し,もってヒロシマの心である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的とする。

(定義)
第2条 この条例において「平和」とは,世界中の核兵器が廃絶され,かつ,戦争その他の武力紛争がない状態をいう。

(本市の責務)
第3条 本市は,平和の推進に関する施策を策定し,及び実施する責務を有する。

(市議会の役割)
第4条 市議会は,本市の平和の推進に関する施策に関し,その機能を最大限に発揮するとともに,長崎市議会等と連携し,平和の推進に関する活動を行うものとする。

(市民の役割)
第5条 市民は,平和の推進に関する活動を行うよう努めるものとする。

(平和記念日)
第6条 本市は,人類史上最初の原子爆弾が投下された昭和20年8月6日を世界平和樹立への礎として永久に忘れてはならない日とし,原子爆弾による死没者を追悼するとともに世界恒久平和の実現を祈念するため,毎年8月6日を平和記念日とする。
2 本市は,平和記念日に,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を,市民等の理解と協力の下に,厳粛の中で行うものとする。

(平和の推進に関する施策)
第7条 本市は,平和の推進に関し,次に掲げる施策を策定し,及び実施するものとする。
(1) 核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を目指し,国内外の都市等との連携を図るための施策
(2) 市民等が,原子爆弾による被爆の実相への理解を深めるとともに,平和について考え,平和の推進に関する活動を主体的に行うよう,平和意識の醸成を図るための施策
(3) 原子爆弾被爆者の体験及び平和への思い(以下この号において「被爆体験」という。)を世界に広め,かつ,これらを次世代に確実に伝え続けるよう,被爆体験の継承及び伝承を図るための施策
(4) 前3号に掲げるもののほか,平和の推進を図るために必要な施策

(年次報告)
第8条 市長は,毎年,平和の推進に関する施策の実施状況を市議会に報告するとともに,これを公表するものとする。

(財政上の措置)
第9条 本市は,平和の推進に関する施策を総合的かつ継続的に推進するため,必要な財政上の措置を講ずるものとする。

(委任規定)
第10条 この条例の施行に関し必要な事項は,市長が定める。

附則
1 この条例は,公布の日から施行する。
2 広島市役所事務休停日条例(昭和22年7月31日広島市条例第14号)は,廃止する。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1359年(正平14/延文4)筑後川の戦いで南朝方の懐良親王らと北朝方の少弍頼尚が戦い、夜襲で北朝方が勝利する(新暦8月29日)詳細
1896年(明治29)国際法学者・第3代最高裁判所長官横田喜三郎の誕生日詳細
1914年(大正3)第一次世界大戦で、セルビアがドイツ帝国に宣戦布告する詳細 
1923年(大正12)天文学者・初代東京天文台長寺尾寿の命日詳細
1926年(大正15)東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局を統合し社団法人日本放送協会を設立する詳細
1945年(昭和20)アメリカ軍の中小型58機による都城大空襲が行われ、56人が亡くなる詳細
1949年(昭和24)「広島平和記念都市建設法」が公布・施行される詳細
1955年(昭和30)広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開催される詳細
1981年(昭和56)電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電に成功する(太陽熱発電の日)詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争中、1942年(昭和17)に、厚生省が「妊産婦手帳規程」により、妊産婦手帖(母子健康手帳の前身)の発行を決定した日です。
 妊産婦手帖(にんさんぷてちょう)は、厚生省が、妊産婦の保健指導その他保護の徹底を図るため、「妊産婦手帳規程」(昭和17年7月13日厚生省令第35号)により、発行した手帳です。「妊娠した者の届出を義務づけ、その者に妊産婦手帳を交付すること」、「妊産婦はできるだけ保健所医師、助産婦又は保健婦による保健指導を受け、診察、治療、保健指導又は分娩の介助を受けたときは所定の事項を記載してもらうこと」、「妊産婦手帳は、妊娠、育児に関し必要な物資の配給その他妊産婦及び乳幼児保護のため必要のある場合にこれを使用されること」などを定め、流産・死産・早産を防止するほか、妊娠及び分娩時の母体死亡を軽減することを主要な目的としていました。
 妊娠した者が医師または助産婦の証明書を付して地方長官に届出(義務)をすることにより交付され、保健医療従事者が記載した健診等の記録を当事者が携帯、その後の保健指導等に役立て、一定の妊産保健情報を提供し、妊産育児に必要な物資の配給手帳としても利用されます。1945年(昭和20)の敗戦の混乱の中でも、生活物資不足に際して配給の実施に役立ったことから、その利用が続けられました。
 1947年(昭和22)に、「児童福祉法」が制定されたのに伴い、翌年5月12日から母子手帖(後の母子健康手帳)として子どもの記録欄も加えられた24頁の手帳の配布に引き継がれました。

〇母子健康手帳(ぼしけんこうてちょう)とは?

 「母子保健法」第16条に基づき、妊娠を届け出た者に対して、厚生労働省令の定めによって交付される、妊娠・出産の状況や、乳児の発育状態などを記録するための手帳です。歴史的には、厚生省(現在の厚生労働省)が、太平洋戦争中の1942年(昭和17)に、「妊産婦手帳規定」をつくり、妊娠を届け出た者に配布したのに始まりました。
 敗戦後の1947年(昭和22)に、「児童福祉法」が制定されたのに伴い、翌年5月12日から母子手帖として子どもの記録欄も加えられた24頁の手帳の配布が始まります。その後、1965年(昭和40)に、「母子保健法」が制定されて、母子健康手帳と改称され、医学的記録のほかに妊娠・出産・育児情報が充実され、46頁の手帳となりました。
 妊産婦や乳幼児の保健指導の基礎資料となると共に、乳幼児の保護者に対する育児書の役割も果たしています。手帳の様式の前半部分は妊娠、出産までの記録、出生した子どもについては小学校入学までの定期健康審査、予防接種(ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、麻疹など)、歯の検査などの記録欄があり、後半部分は、各市町村の地域特性を生かした内容で作られてきました。

☆母子健康手帳関係略年表

・1937年(昭和12) 「保健所法」(現在の地域保健法)が施行され、妊産婦と乳幼児の保健指導が保健所の職務とされる
・1941年(昭和16) 「人口政策確立要綱」で、「1夫妻5児」「産めよ殖やせよ」とされ、戦時体制下の徴兵制度のための、人口増加施策の一環として提唱される
・1942年(昭和17) 妊産婦の健康管理を目的とし、厚生省が「妊産婦手帳規程」により、妊産婦手帖の発行を始める
・1947年(昭和22) 「児童福祉法」が制定される
・1948年(昭和23) 「児童福祉法」施行により、妊産婦手帳と乳幼児体力手帳を統合し母子手帳と改められ、5月12日から厚生省が配布開始する
・1961年(昭和36) 琉球政府によりアメリカ合衆国統治下の沖縄において母子手帳の交付が開始される
・1965年(昭和40) 「母子保健法」が制定される
・1966年(昭和41)1月 「母子保健法」が施行され、「児童福祉法」等の諸法令に基づく母子保健規定を統合し、名称も母子健康手帳と改められる
・1981年(昭和56) 「母子保健法」の改正に伴い、母親が成長記録が書き込める方式へ変更される
・1992年(平成4)4月 「母子保健法」の改正によって、都道府県交付から市町村交付へと変更される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1221年(承久3)承久の乱で鎌倉幕府に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流される(新暦8月2日)詳細
1596年(文禄5)慶長伏見地震が起き、伏見城天守が倒壊するなど死者1,000人以上を出す詳細
1882年(明治15)洋画家青木繁の誕生日詳細
1886年(明治19)東経135度の時刻を日本標準時と定める勅令を公布(日本標準時制定記念日)詳細
1887年(明治20)洋画家・版画家小絲源太郞の誕生日詳細
1911年(明治44)「日英同盟」の改定(第三回日英同盟協約)が調印され、継続更新される詳細
1948年(昭和23)優生手術、人工妊娠中絶等について定めた旧「優生保護法」が公布(施行は同年9月11日)される詳細
1967年(昭和42)歌人・書家・文学研究者吉野秀雄の命日詳細
2006年(平成18)県立美術館の一つ、青森県立美術館が開館する詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1942年(昭和17)に、「昭和十七年度国民動員実施計画策定二関スル件」が、閣議決定され、学校の種類を問わず、14歳以上の学生生徒が学徒勤労動員計画に盛り込まれた日です。
 学徒勤労動員(がくときんろうどういん)は、昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3?5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1942年(昭和17)5月26日には、「昭和十七年度国民動員実施計画策定二関スル件」が、東条内閣で閣議決定され、学校の種類を問わず、14歳以上の学生生徒が学徒勤労動員計画に盛り込まれます。
 さらに、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきました。その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されています。
 その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されました。また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとします。
 このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されました。以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されます。
 この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及びました。しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになります。
 以下に、「昭和17年度国民動員実施計画策定ニ関スル件」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)> 
・木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる

<1941年(昭和16)>
・2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 学校報国隊が結成される

<1942年(昭和17)>
・5月26日 「昭和十七年度国民動員実施計画策定二関スル件」が、閣議決定され、学校の種類を問わず、14歳以上の学生生徒が学徒勤労動員計画に盛り込まれる

<1943年(昭和18)>
・6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される

<1944年(昭和19)>
・1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

☆「昭和17年度国民動員実施計画策定ニ関スル件」1942年(昭和17)5月26日閣議決定

昭和十七年度国民動員実施計画ハ大東亜戦争完遂ノ為戦争遂行力ノ確保増強ヲ目途トシ将来ニ亘ル国民職業ノ再編成ヲ考慮シツツ昭和十七年度各種総動員計画ニ照応シテ重要業務ニ於ケル要員ノ充足並ニ勤労総力ノ最高度発揮ヲ図ル根本方針ノ下ニ左ノ要領ニ依リ之ヲ策定ス

第一 一般方針
一、本計画ニ於テハ前年度同様常時要員ト臨時要員ニ区分シタルモ計画ノ対象タル業務及要員ノ範囲ヲ拡大スルコトトシ労務動員ノ名称ヲ本年度ヨリ国民動員ト改ム
二、需給計画ハ給源逼迫ノ現状ニ鑑ミ努メテ需要ヲ圧縮シ之ガ為生ズル要員ノ不足ハ生産能率ノ増進ニ依リ補填スルモノトス
三、労務配置ノ重点化ヲ徹底スル為別途昭和十七年度国民動員重要工場事業場労務実施計画ヲ設定シ労務ノ優先的充足ヲ行フ
四、徴用ノ迅速適正ヲ期スル為徴用計画特ニ技能者ニ付テハ工場事業場別個人別計画ヲ確立シ徴用工場事業場ノ労務管理ニ付具体的指導方針ヲ樹立ス
五、需給計画ノ実施特ニ重要工場事業場ニ対スル要員ノ充足ヲ確保シ且労務管理ヲ調整シ能率増進ヲ図ル為労務調整令及重要事業場労務管理令ノ適正ナル運用並ニ労務管理等ノ活用ヲ図ル
六、満洲開拓民、満洲開拓青少年義勇軍ニ付テハ満洲開拓第二期五ヶ年計画ニ基キ実行可能ナル限度ニ於テ努メテ之ガ供出ヲ図ル
南方占領地ニ於ケル労務要員ノ充足ニ付テハ原則トシテ現地調達トスルモ必要ナル指導者ノ送出ニ付テハ事態ノ推移ヲ稽ヘ別途考慮ス
七、新規国民学校修了者及新規中等学校卒業者ノ給源ヲ確保スル為不急ト認メラルル学校殊ニ文部大臣ノ認可ニ依ラザル各種学校及之ニ類スル施設ニ対シ之ガ制限又ハ収容定員ノ抑制等特別ノ措置ヲ講ズ
八、学校卒業者使用制限令ニ基ク昭和十七年九月及十二月卒業者ノ割当ハ本年度ヨリ指定学校及指定学科ニ土木建築ヲ加ヘ別途之ヲ行フ

第二 策定要領
常時要員
一、常時要員ノ需要ニ付特ニ考慮シタル事項概ネ左ノ如シ
1、常時要員ハ一般労務者、事務職員及公務要員ノ三種ニ区分シ計画ス
2、需要ノ産業別ハ従来ノ軍需産業、生産拡充計画産業、同附帯産業、生活必需品産業、交通業、国防土木建築業ノ外農業及水産業ヲ加フルモノトシ事務職員ニ於テハ金融保険業ヲモ考慮ス
3、軍需ノ充足並ニ輸送ノ確保ニ重点ヲ置キ極力之ガ要員ノ充足ヲ図ル
4、生産拡充計画産業ニ於テハ昭和十七年度生産拡充計画ニ即応スル如ク鉄鋼、石炭、電力、アルミニユム、非鉄金属、石油ノ生産及造船等ニ付特ニ之ガ要員ノ充足ニ努ム
5、二以上ノ計画産業ニ関連シ其ノ何レカ一ニ計上スルヲ適当トセザル産業ノ要員ハ便宜生拡附帯産業中ニ包含ス
6、生活必需品産業ニ於テハ国民生活ノ安定ヲ図ルノ要緊切ナル現状ニ鑑ミ前年度ノ計画範囲ヲ拡大シ之ガ生産確保ニ努ム
7、生拡附帯産業及生活必需品産業中企業整備ノ対象タル業種ニ在リテモ整備後ノ操業ノ為ノ要員ハ之ヲ考慮ス
8、交通業ニ於テハ船舶及鉄道ニ依ル輸送ニ重点ヲ置クト共ニ之ニ関連スル仲仕ノ充足ニ努ム
9、農業ニ於テハ其ノ重要性ニ鑑ミ之ガ要員ノ確保ヲ図ルノ外農地開発営団等ノ新規開墾及木炭製造ノ要員ヲ計上ス
10、事務職員ハ中等学校以下ノ新規卒業者ヲ以テ充当シ得ル下級事務職員ヲ対象トシ一般労務者ニ準ジテ之ヲ取扱フ
11、公務要員ハ時局下特ニ充足ヲ要スル警察消防官吏、国民学校助教及青年学校専任指導員、看護婦、官庁及公共団体ノ雇傭員ヲ対象トシテ之ガ要員ヲ計上ス
二、常時要員ノ供給ニ付特ニ考慮シタル事項概ネ左ノ如シ
1、給源ハ新規国民学校修了者、新規中等学校卒業者、転職者、青壮年登録者及移入朝鮮人労務者トス
2、女子ニ付テハ未婚女子ヲ主タル対象トシ之ガ動員ヲ強化スルコトトシ特ニ事務職員及公務要員ニ在リテハ可及的ニ女子ヲ以テ男子ニ代替セシム
3、商業(接客業ヲ含ム)従事者ヨリノ供出ハ小売業整備ニ関スル実施方針ニ準拠シ昭和十七年度中整理可能ト認メラルル業種ニ付考慮ス
4、工業従事者ヨリノ供出ハ物資関係及事業ノ緊要度ヲ考慮シ其ノ整理範囲ヲ定メ極力之ガ確保ヲ図ル
5、農業従事者ヨリノ供出ハ満洲開拓民ノ外ハ労務需要ノ性質等ニ照応シ已ムヲ得ザル限度ニ止ムルモノトシ農業生産統制令第八条ノ統制ヲ受クル農業者以外ノ者ニ限ルモノトス
6、家事使用人、一般土木建築業従事者其ノ他有業者及無業者ヨリノ供出ハ青壮年登録者中ヨリ職業転換ノ難易等ヲ勘案シテ定ム
7、移入朝鮮人労働者ハ工場、鉱山、国防土木建築、仲仕等ノ要員ニ充当スルコトトシ本年二月閣議決定ニ係ル「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」ニ基キ内地及鮮内ノ労務事情ヲ勘案シ前年度ニ比シ相当多数ヲ増加計上ス
臨時要員
臨時要員ノ需給ニ付考慮シタル事項概ネ左ノ如シ
1、需要ハ常時要員ニ於テ計画シタル産業ノ外災害ノ復旧及防除事業等ノ要員タル臨時的又ハ季節的ノモノニシテ予メ推定シ得ルモノ及公務要員トス
2、農業ノ需要ニ対シテハ食糧生産ノ重要性及農村ニ於ケル労務事情ニ鑑ミ可及的多数ヲ計上ス
3、一般国民ヨリノ供出ハ国民皆勤労ノ精神ニ基キ供給範囲ノ拡大ニ努メ青壮年登録者並ニ年齢十四年及十五年ノ者ニシテ学生生徒ニ非ザル者ヲ基礎トシテ之ガ可及的多数ヲ動員ス
4、学生生徒ヨリノ供出ハ学校ノ種類ニ拘ラズ年齢十四年以上ノ者ヲ動員ス但シ青年学校生徒ニ在リテハ其ノ性質ニ鑑ミ僅少部分ノミ警備要員充足ノ為計上ス
5、臨時要員ノ需給ノ調整及活用ハ主トシテ国民勤労報国協力令ノ運用ニ待ツモノトス

第一表 国民動員需給計画(総括)
一、常時要員      (単位 人)
(一)需要数
区分      男          女        計
新規需要増加  七七七、九〇〇    二〇七、一〇〇  九八五、〇〇〇
一般労務者   七四〇、〇〇〇    一七二、一〇〇  九一二、一〇〇
下級事務職員  二五、六〇〇     二六、〇〇〇   五一、六〇〇
公務要員    一二、三〇〇     九、〇〇〇    二一、三〇〇
減耗補充要員  四五三、一〇〇    四三三、四〇〇  八八六、五〇〇
外地要員    七六、三〇〇     二〇、〇〇〇   九六、三〇〇
計       一、三〇七、三〇〇  六六〇、五〇〇  一、九六七、八〇〇
(二)供給数
区分        男          女         計
新規国民学校修了者 四一七、八〇〇    三五二、九〇〇   七七〇、七〇〇
〃 中等学校卒業者 五五、七〇〇     三八、四〇〇    九四、一〇〇
転職者       五〇一、〇〇〇    一四七、〇〇〇   六八四、〇〇〇
其ノ他有業者    一八四、〇〇〇    六〇、九〇〇    二四四、九〇〇
無業者       二八、八〇〇     六一、三〇〇    九〇、一〇〇
朝鮮人労務者    一二〇、〇〇〇    ‐         一二〇、〇〇〇
計         一、三〇七、三〇〇  六六〇、五〇〇   一、九六七、八〇〇
二、臨時要員    (単位万人延人員)
区分     男        女       計
(一)重要数    八、二〇〇   二、五〇〇   一〇、七〇〇
(二)供給数    八、二〇〇   二、五〇〇   一〇、七〇〇
一般     五、九二〇   一、七〇〇    七、六二〇
学生生徒   二、二八〇    八〇〇     三、〇八〇
備考
本計画ハ事態ノ推移ニ依リ修正スルコトアルベキモノトス

第二表 常時要員新規需要数
(一)内地ニ於ケル一般労務者新規需要数
区分        男         女        計
新規需要増加数   七四〇、〇〇〇   一七二、一〇〇  九一二、一〇〇
軍需産業      三九七、六〇〇   一〇一、一〇〇  四九八、七〇〇
生産拡充計画産業  一六四、三〇〇   一九、一〇〇   一八三、四〇〇
前号ノ附帯産業   三五、三〇〇    二五、九〇〇   六一、二〇〇
生活必需品産業   八、三〇〇     八、四〇〇    一六、七〇〇
交通業       八〇、一〇〇    一三、九〇〇   九四、〇〇〇
国防土木建築業   三二、三〇〇    三、三〇〇    三五、六〇〇
農業        二二、一〇〇    四〇〇      二二、五〇〇
減耗補充要員数   四〇〇、四〇〇   三八三、二〇〇  七八三、六〇〇
計         一、一四〇、四〇〇 五五五、三〇〇  一、六九五、七〇〇
備考
一、水産業ニ於ケル需要トシテ七万人ヲ確保スルモノトスルモ特ニ之ヲ計上セズ
二、減耗補充要員数中ニハ農業及水産業ニ於クル純減耗ノ補充トシテ新規国民学校修了者中三十二万人ヲ計上ス
(二)内地ニ於ケル下級事務職員新規需要数
区分        男         女        計
新規需要増加数   二五、六〇〇   二六、〇〇〇   五一、六〇〇
軍需産業      五、三〇〇     二、三〇〇    七、六〇〇
生産拡充計画産業  五、九〇〇     三、〇〇〇    八、九〇〇
前号ノ附帯産業   一、四〇〇     一、〇〇〇    二、四〇〇
生活必需品産業   七〇〇       三〇〇      一、〇〇〇
交通業       三、四〇〇     一、三〇〇    四、七〇〇
国防土木建築業   八〇〇       一〇〇      九〇〇
金融保険業     五、〇〇〇     三、九〇〇    八、九〇〇
農業        三、一〇〇     一四、一〇〇   一七、二〇〇
減耗補充要員数   二八、四〇〇    二九、〇〇〇   五七、四〇〇
計         五四、〇〇〇    五五、〇〇〇   一〇九、〇〇〇
(三)内地ニ於ケル公務要員新規需要数
区分        男         女        計
新規需要増加数   一二、三〇〇    九、〇〇〇    二一、三〇〇
警察官吏      二、〇〇〇     ‐        二、〇〇〇
消防官吏      一、二〇〇     ‐        一、二〇〇
国民学校助教及
青年学校専任指導員 一、八〇〇     二、三〇〇    四、一〇〇
看護婦       ‐         二、四〇〇    二、四〇〇
雇傭員(官庁)   五、八〇〇     三、五〇〇    九、三〇〇
(公共団体) 一、五〇〇     八〇〇      二、三〇〇
減耗補充要員数   二四、三〇〇    二一、二〇〇   四五、五〇〇
計         三六、六〇〇    三〇、二〇〇   六六、八〇〇
(四)外地満州支那等ノ内地ニ対スル新規需要数
区分         男         女        計
朝鮮         七、五〇〇     一〇〇      七、六〇〇
台湾         一、〇〇〇     ‐        一、〇〇〇
満州         四五、四〇〇    一八、七〇〇   六四、一〇〇
新規中等学校卒業者
及新規国民学校修了者 一七、二〇〇    七〇〇      一七、九〇〇
青少年義勇軍     一二、一〇〇    ‐        一二、一〇〇
一般開拓民      一五、四〇〇    一七、四〇〇   三二、八〇〇
指導員        七〇〇       六〇〇      一、三〇〇
支那         二、四〇〇     二〇〇      二、六〇〇
軍現地附帯要員    二〇、〇〇〇    一、〇〇〇    二一、〇〇〇
計          七六、三〇〇    二〇、〇〇〇   九六、三〇〇
備考
一、内地ヨリ樺太ヘノ渡航労務者十万人ヲ確保スルモノトスルモ特ニ之ヲ計上セズ
二、朝鮮、台湾及支那ノ新規需要数ハ新規中等学校卒業者及新規国民学校修了者ノ割当数ノ合計トス
三、新規中等学校卒業者ノ需要数ハ割当未済ノ昭和17年十二月□上卒業者ニ付便宜前年同期卒業者ノ割当数ヲ計上セルヲ以テ□□アルモノトス

第三表 内地ニ於ケル常時要員供給数
区分         男          女        計
新規国民学校修了者  四一七、八〇〇    三五二、九〇〇  七七〇、七〇〇
農村関係       一二五、〇〇〇    一九五、〇〇〇  三二〇、〇〇〇
其ノ他        二九二、八〇〇    一五七、九〇〇  四五〇、七〇〇
新規中等学校卒業者  五五、七〇〇     三八、四〇〇   九四、一〇〇
要整理工業従事者   一三四、三〇〇    六〇、七〇〇   一九五、〇〇〇
商業従業者      三六六、七〇〇    八六、三〇〇   四五三、〇〇〇
家事使用人      二、〇〇〇      二五、〇〇〇   二七、〇〇〇
其ノ他有業者     七八、〇〇〇     二一、六〇〇   九九、六〇〇
一般土木建築業従事者  二〇、〇〇〇     ‐        二〇、〇〇〇
農業従事者      八四、〇〇〇     一四、三〇〇   九八、三〇〇
無業者        二八、八〇〇     六一、三〇〇   九〇、一〇〇
朝鮮人労務者     一二〇、〇〇〇    ‐        一二〇、〇〇〇
計          一、三〇七、三〇〇  六六〇、五〇〇  一、六九七、八〇〇

第四表 内地ニ於ケル臨時要員需要目標数
(単位万人延人員)
区分        男       女       計
軍需産業      三〇二     七五      三七七
生産拡充計画産業  七七九     二一      八〇〇
前号ノ附帯産業   二五二     九五      三四七
生活必需品産業   四五      九三      一三八
交通業       四七一     四四      五一五
国防土木建築業   一、四三七   一〇〇     一、五三七
災害復旧事業    九〇九     ‐       九〇九
金融保険業     一       六       七
農業        三、二二四   二、〇二九   五、二五三
公務要員      七八〇     三七      八一七
計         八、二〇〇   二、五〇〇   一〇、七〇〇

第五表 内地ニ於ケル臨時要員供給目標数
(一)一般             (単位万人延人員)
区分        男       女       計
軍需産業      一九二     四八      二四〇
生産拡充計画産業  七〇五     二一      七二六
前号ノ附帯産業   二〇一     八六      二八七
生活必需品産業   三〇      七〇      一〇〇
交通業       三九三     ‐       三九三
国防土木建築業   一、一〇七   一〇〇     一、二〇七
災害復旧事業    七二九     ‐       七二九
金融保険業     ‐       二       二
農業        二、三八七   一、三五三   三、七四〇
公務要員      一七六     二〇      一九六
計         五、九二〇   一、七〇〇   七、六二〇
(二)学生生徒             (単位万人延人員)
区分        男       女       計
軍需産業      一一〇     二七      一三七
生産拡充計画産業  七四      ‐       七四
前号ノ附帯産業   五一      九       六〇
生活必需品産業   一五      二三      三八
交通業       七八      四四      一二二
国防土木建築業   三三〇     ‐       三三〇
災害復旧事業    一八〇     ‐       一八〇
金融保険業     一       四       五
農業        八三七     六七六     一、五一三
公務要員      六〇四     一七      六二一
計         二、二八〇   八〇〇     三、〇八〇

  「国家総動員史 資料編第1」石川準吉著(国家総動員史刊行会)より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

869年(貞観11)陸奥国で貞観地震が起き、大津波により甚大な被害を出す(新暦7月9日)詳細
1857年(安政4)下田奉行とハリスが「日米和親条約」を修補する「日米約定」を締結する(新暦6月17日)詳細
1916年(大正5)「朝日新聞」で夏目漱石の最後の作品『明暗』が連載開始される詳細
1933年(昭和8)文部省は「文官分限令」により、京都帝大瀧川幸辰教授の休職処分を強行(滝川事件)詳細
1942年(昭和17)日本文学報国会(会長徳富蘇峰)が設立される詳細
1950年(昭和25)獅子文六が「朝日新聞」に『自由学校』の連載を開始する詳細
1969年(昭和44)東名高速道路が全線開通する(東名高速道路全線開通記念日)詳細
1977年(昭和52)小説家・劇作家藤森成吉の命日詳細
1980年(昭和55)「明日香村保存特別措置法」が公布・施行される詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1945年(昭和20)に、東京都が、衣料品の格納庫として隣組簡易壕舎の建設を奨励した日です。
 壕舎(ごうしゃ)は、敵の襲撃に備えて地中につくった部屋、または、防空壕のことです。太平洋戦争中には、アメリカ軍機の空襲に備えて、山の斜面や地面を掘って作られました。
 サイパン島が陥落して、本土空襲の恐れが出てきた1944年(昭和19)以降、各地で造成されるようになりましたが、資材不足のため、ほとんど防護効果がなく、応急待避施設として位置づけられています。とくに、大量の焼夷弾により、広範囲の都市爆撃が行われるようになってからは、地下壕で蒸し焼きになって死亡する人々が続出しました。

〇隣組(となりぐみ)とは?

 東京市においては、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、岡田啓介内閣の選挙粛正運動の下部組織として隣保組織の整備が指示されたのをとっかかりとして、1938年(昭和13)5月には「交隣相助、共同防衛」をスローガンに隣組制度が制定され、これが「隣組」の嚆矢とされています。全国的には、1940年(昭和15)9月11日に出された、内務省訓令第17号の「部落会町内会等整備要領」によって、町内会などの下に設けられた最末端の地域組織で、隣保班とも呼ばれていました。
 大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つで、江戸時代の五人組以来の旧慣をなるべく尊重し、採り入れることがうたわれています。1組につき5~10戸程度で構成され、各戸から1名以上が参加する定例集会である常会により運営されました。
 配給業務や軍人遺家族援護、防空、消火の訓練と実施などの相互扶助的な日常活動が行われ、戦時体制を支える行政の末端組織とされています。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

717年(養老元) 浮浪・逃亡が増え、「諸国の百姓の浮浪・逃亡の続出に関する詔」が出される(新暦6月30日) 詳細
1641年(寛永18) 江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる(新暦6月25日) 詳細
1809年(文化6) 間宮林蔵が樺太に単身で渡り樺太が島であることを立証する(新暦では6月日) 詳細
1875年(明治8) 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する 詳細
1890年(明治23) 「府縣制」(明治23年法律第35号)が公布される 詳細
 「郡制」(明治23年法律第36号)が公布される 詳細
1946年(昭和21) GHQから「肥料の生産、分配及び使用に関する覚書」(SCAPIN-962)が指令される 詳細
1965年(昭和40) 労働者の結社の自由・団結権の保護を定めた「ILO87号条約」を国内で承認する 詳細
1985年(昭和60) 国会で「勤労婦人福祉法」抜本改正で、「男女雇用機会均等法」が成立(翌年4月1日施行)する 詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、文部省の「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員で軍需工場へ動員されるようになった日です。
 「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」(がくときんろうどういんじっしようこうにかんするけん)は、学徒勤労動員で生徒を軍需工場へ動員するための文部省の指令です。これは、作業場を「行学一体ノ道場」たらしめ、学徒の「奉公精神、教養規律ニヨリ、作業揚ヲ純真且明朗ナラシムルコト」を要請し、教職員の「率先垂範陣頭指揮」を強調したものでした。
 これによって、全国の学徒は、通いなれた校舎に訣別して、続々と軍需工場へ動員されていきます。

〇学徒勤労動員(がくときんろうどういん)とは?

 昭和時代前期の日中戦争最中の1938年(昭和13)6月に、文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3?5日勤労奉仕することを義務づけられました。それを恒常化したのが1939年(昭和14)の木炭や食料の増産運動からで、学生・生徒は正課として作業に参加することになったのです。
 さらに、1941年(昭和16)2月には、年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出され、同年8月には学校報国隊が結成されました。その後、太平洋戦争に突入し、軍需部門を中心に労働力不足が深刻化したため、1943年(昭和18)6月に、東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、翌年1月には勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられ、3月には通年実施と決定し、どんどん拡大していきます。
 その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたものが、「学徒勤労令」で、同じ日に「女子挺身隊勤労令」も出されました。その後、動員は徹底的に強化され、11月には夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令されます。
 また、12月には中等学校卒業者の勤労動員継続の措置がきまり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとしました。このような学徒の全面的な動員に対して、政府は12月「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置されたのです。
 以後、この勅令は、昭和20年勅令第96号および同勅令第510号により2度改正がなされて、強化されました。この結果、敗戦時での動員学徒数は340万人を超えたといわれ、学徒動員による空襲等による死亡者は10,966人、傷病者は9,789人にも及んだのです。
 しかし、太平洋戦争敗戦後の「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、1945年(昭和20)10月11日をもって、この勅令は廃止されることになりました。

☆学徒勤労動員関係略年表

<1938年(昭和13)>
・6月 文部省「集団的勤労作業実施に関する通牒」が出され、学生・生徒は長期休業中に3~5日勤労奉仕することを義務づけられる

<1939年(昭和14)> 
・木炭や食料の増産運動において、学生・生徒は正課として作業に参加することになる

<1941年(昭和16)>
・2月 年間30日の授業を勤労作業にあててよいという指示が出される
・8月 学校報国隊が結成される

<1943年(昭和18)>
・6月 東条内閣は各学校の軍事教練強化を命じ、「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定する
・10月  「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(国防訓練および戦時勤労動員の強化)が出される

<1944年(昭和19)>
・1月 勤労動員は年間4ヶ月を継続して行うことが義務づけられる
・2月 「決戦非常措置要綱」(学徒の勤労動員は原則通年動員)が閣議決定 される
・3月7日 「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定される
・4月27日 文部省から「学徒勤労動員実施要領ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員で軍需工場へ動員されるようになる
・7月19日 閣議決定に基づき文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」(国民学校児童の継続動員、教育訓練時間の停止、1日10時間の勤務、交替制深夜業の実施)が出される
・8月23日 学徒勤労動員の法令的措置として、「学徒勤労令」(学徒勤労は学校報国隊の組織をもって実施)の公布・施行と「女子挺身隊勤労令」が出される
・11月 夜間学校の学徒や弱体のためそれまで動員から除外されていた学徒の動員が拓令される
・12月 中等学校卒業者の勤労動員継続の措置が決まり、翌年3月卒業後も引き続いて学徒勤労を継続させるため中等学校に付設課程を設け、これに進学させることとする
・12月 「動員学徒援護事業要綱」を閣議決定し、これに基づいて動員学徒援護会が設置される

<1945年(昭和20)>
・3月 「決戦教育措置要綱」(国民学校初等科を除きすべての学校の授業は原則停止、全学徒は決戦体制下に総動員)が閣議決定される
・5月 「戦時教育令」(学徒隊の組織編成)が公布される
・10月11日 「国民勤労動員令廃止等ノ件」(昭和20年勅令第566号)により、をもって、「学徒勤労令」は廃止されることになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1871年(明治4)日本8番目の洋式灯台である江埼灯台が初点灯する(新暦6月14日)詳細
1874年(明治7)浜松明治7年大火「小野組火事」が起き、死者3名、焼失家数1,335軒を出す詳細
1897年(明治30)帝国図書館官制が公布され、上野の東京図書館を帝国図書館とする詳細
1907年(明治40)国際的に活躍した版画家斎藤清の誕生日詳細
1948年(昭和23)衆議院不当財産取引委員会で昭和電工への復金融資をめぐる贈収賄(昭和電工事件)が問題化する詳細
1991年(平成3)国際生命尊重会議で、「胎児の人権宣言」が採択された日で、「世界生命の日」とされる詳細
2013年(平成25)推理作家・評論家佐野洋の命日詳細
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