ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:太平洋戦争

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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1942年(昭和17)に、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲(ドゥーリットル空襲)された日です。
 ドゥーリットル空襲(どぅーりっとるくうしゅう)は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1942年(昭和17)4月18日に、アメリカ軍が日本本土に対して、初めて行った空襲でした。J.ドゥーリトル中佐の指揮の下に、アメリカの航空母艦「ホーネット」から発進した、B-25爆撃機16機が、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などを爆撃し、中国大陸などに不時着します。
 これによって、死者87人、重傷者151人、軽傷者311人以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上の被害が出ました。日本の海軍上層部への衝撃は大きく、その後の戦局に大きな影響を与え、同年6月のミッドウェー作戦を行う契機となったとされます。

〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧

 <1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などが初空襲される(ドゥーリットル空襲)

 <1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる

<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われる(死傷者10万人以上、焼失家屋27万余戸、100余万人罹災)
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が消失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京西部地域空襲(城北大空襲)が行われる(罹災戸数約17万戸、死者2,459人)
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1849年(嘉永2)浮世絵師葛飾北斎の命日(新暦5月10日)詳細
1885年(明治18)日清両国間で「天津条約」(李・伊藤条約)が締結される詳細
「専売特許条例」が公布(施行は同年7月1日)される(発明の日)詳細
1900年(明治33)福井「橋南大火」で、死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒の被害を出す詳細
1946年(昭和21)国際司法裁判所(略称:ICJ)が開所する詳細
1964年(昭和39)彫刻家朝倉文夫の命日詳細
1970年(昭和45)刑法学者牧野英一の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に、B-29爆撃機330機による無差別爆撃である、城北大空襲(東京西部地域空襲)が行われ、翌日未明にかけて、死者2,459人を出し、明治神宮などが焼失した日です。
 城北大空襲(じょうほくだいくうしゅう)は、昭和時代前期の太平洋戦争末期の1945年(昭和20)4月13日深夜~14日未明にかけて行われた、B-29爆撃機330機による東京西部地域に対する夜間大空襲でした。東京市の豊島区や北区、荒川区、足立区を中心に、2,038トンの焼夷弾と82トンの爆弾が投下され、29.5平方kmが焼失、死者2,459人、罹災戸数約17万戸、罹災者約64万人とい大きな被害を出しています。
 これによって、兵器工場群に大きな被害があったのに加えて、皇居の一部と大宮御所、明治神宮にも被害が出ました。同年3月10日に東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出た後、最大の空襲で、15日にも東京・横浜・川崎と大都市への夜間空襲が続き、5月24日未明と5月25日-26日に再び東京と大都市が空襲されます。
 その後は、空襲は地方の中小都市へと移り、8月6日の広島原爆投下、8月9日の長崎原爆投下へと至って、日本全土が多大な被害を受け、8月15日の敗戦となりました。

〇太平洋戦争下の主要な空襲一覧

 <1942年(昭和17)>
・4月18日 東京、名古屋、神戸などが初空襲される(ドウリットル指揮の16機の米陸軍機B-25による)

 <1944年(昭和19)>
・11月24日 B-29による初めての東京空襲が行われる

<1945年(昭和20)>
・1月19日 阪神地方へ初の本格的空襲が行われる
・3月10日 東京大空襲か行われ、死傷10万人以上、焼失27万余戸、罹災100余万人が出る
・3月12日 名古屋大空襲で中心街が消失する(家屋25,734棟棟被災、105,093人罹災、死者519人、負傷者負傷者734人)
・3月13~14日 大阪へ初の大空襲が行われる
・3月17日 神戸大空襲が行われ神戸市西部が消失する(約65,000棟が全半焼、死者2,598人)
・3月19日 名古屋大空襲で名古屋駅が炎上する(家屋39,893棟被災、151,332人罹災、死者826人、負傷者2,728人)
・3月29日 北九州が空襲される
・4月4日 川崎の他鶴見・港北・神奈川・西各区が空襲を受ける(罹災戸数5,873戸、死者398人)
・4月13日 東京西部地域空襲(城北大空襲)が行われる(罹災戸数約17万戸、死者2,459人)
・4月15日 東京・横浜・川崎の空襲が行われる(罹災住宅5万2655戸、死者972人)
・5月14日 名古屋空襲で名古屋城が焼失する(家屋21,905棟被災、66,585人罹災、死者338人、負傷者783人)
・5月24日 東京へ250機来襲し、皇居が炎上する
・5月25~26日 東京空襲(山手地域)が行われる
・5月29日 京浜へ600機来襲し、川崎、横浜が被災(横浜大空襲)する(死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人)
・6月1日 大阪、尼崎等へ400機来襲する
・6月5日 兵庫県神戸市へ350機来襲する(西部の神戸市垂水区から東部の西宮市まで広範囲が爆撃される)
・6月7日 大阪周辺へ250機来襲する
・6月29日 岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)
・7月9日 和歌山大空襲で和歌山城が消失する(焼失家屋31,137戸、被災者113,548人、死者・行方不明者1,424人)
・7月14日 青函連絡船の翔鳳丸など9隻が米艦載機の攻撃を受けて沈没する
・8月5日 B-29爆撃機92機が前橋市・高崎市を空襲し、死傷者1,323人が出る
・8月6日 B-29が広島に原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、20万人以上の人命が喪われる
・8月7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され女子挺身隊員・国民学校児童ら2,477人の死者を出す
・8月8日 福山大空襲で福山城が消失する(焼失家屋数10,179戸、被災者数47,326人、死者354人)
・8月9日 B-29が長崎にも原子爆弾を投下し、市街地は廃墟と化し、8万人弱の人命が喪われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1776年(安永5)南画家・書家池大雅の命日(新暦5月30日)詳細
1818年(文化15)商人・測量家伊能忠敬の命日(新暦5月17日)詳細
1903年(明治36)福井県武生町明治の大火で、死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸の被害を出す詳細
「小学校令」が改正され、教科書検定制から国定教科書制になる詳細
1941年(昭和16)「日ソ中立条約」が締結(同年4月25日発効)される詳細
1950年(昭和25)静岡県の熱海大火で、市街地の4分の1に延焼し、979棟が焼失する詳細
2001年(平成13)「配偶者暴力防止法」(平成13年法律第31号)が公布(施行は同年10月13日)される詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)に、「翼賛政治会」を解散し、「大日本政治会」が結成された日です。
 大日本政治会(だいにほんせいじかい)は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)3月30日に、小磯国昭内閣のもとで、翼賛政治会を解散して、新たに組織された政治結社です。本土決戦に備えて、国民糾合・国体護持・大東亜建設をうたい、総裁に南次郎(陸軍大将)、幹事長に松村謙三、総務会長に金光庸夫が就任しました。
 その結果、衆議院の所属議員は353名に上ったものの、大日本翼賛壮年団などの反発を招き、民意を下からより一層結集するという目的は達成することができず、見るべき活動をしないまま敗戦を迎え、9月7日に代議士会で解散が決議され、 9月13日に解散しています。解散後、所属議員の多くは日本進歩党の結党に参加しました。

〇翼賛政治会(よくさんせいじかい)とは?

 昭和時代前期の太平洋戦争下の1942年(昭和17)5月20日に、東条英機首相が議会に対する支配を確立するため、挙国一致の政治体制強化を目的として結成された政治結社です。1940年(昭和15)10月12日に大政翼賛会が結成され、日本型ファシズム体制が成立し、翌年12月8日の太平洋戦争開戦へと至りました。
 東条内閣は「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」(1941年12月19日公布)や「戦時刑事特別法」(1942年2月24日公布)などを制定して弾圧を強め、太平洋戦争緒戦の勝利を利用して、1942年(昭和17)4月30日に翼賛選挙を実施します。それに向けて結成されていた、翼賛政治体制協議会は推薦候補者の内381名の当選者を出し、全466議席の過半数をはるかに上回りました。
 しかし、東条内閣はこの政治団体以外のいかなる政党をも許容しないという方針を明らかにし、5月7日に政界・財界・言論界の代表70名を招いて翼賛政治結集準備会を結成させ、座長に住友財閥出身の小倉正恒元大蔵大臣を起用、同月14日には、現職閣僚5名と追加代表2名を加えた77名を発起人として有志による結成の体裁を保ちつつ、会名・綱領・規則を発表して新組織への参加要請状を各界要人に発送します。そして、同月20日に衆議院においては全466名中刑事訴追者2名と解散に抵抗した東方会の6名を除く458名、貴族院においても411名中326名、大政翼賛会関係者、言論界・財界・産業組合など各種団体などの代表者、元翼協支部長など、900余名を集めて創立総会を開き、総裁には阿部信行大将(元首相)が就任しました。
 綱領には、①国体の本義に基き挙国的政治力を結集し、以て大東亜戦争完遂に邁進せんことを期す、②憲法の条章に恪遵し翼賛議会の確立を期す、③大政翼賛会と緊密なる連繋を保ち、相協力して大政翼賛運動の徹底を期す、④大東亜共栄圏を確立して世界の新秩序の建設を期す、を掲げます。3日後には、東方会も解散させられて全員が翼賛政治会に強制加入させられることになり、ここにおいて一応は「一国一党」体制が成立したことになりました。
 しかし、旧政党系列間、大日本翼賛壮年団と右翼出身議員間での抗争が絶えず、1944年(昭和19)7月に、東条内閣退陣に替わって小磯国昭内閣になり、二代目総裁として小林躋造元台湾総督が就任するとともに結束力が弱まり、翌年2月12日に小林総裁より新党結成方針が正式に出されたものの、大政翼賛会幹部と大日本翼賛壮年団出身議員が反発、翼政会内部は大混乱に陥ります。そして、3月10日に大日本翼賛壮年団出身議員は翼壮議員同志会を結成、翌日には岸信介ら旧翼賛政治会反主流派も護国同志会を結成して、翼政会及び新党との訣別を宣言するに至りました。
 その中で、3月30日に翼政会は解散して、替わりに南次郎を総裁とする大日本政治会に改組されています。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

585年(敏達天皇14)物部守屋の仏教排斥により、仏像・寺院等が焼打ちされる(新暦5月4日)詳細
1212年(建暦2)鴨長明が『方丈記』を書き上げる(新暦4月22日)詳細
1827年(文政10)医学者・蘭学者大槻玄沢の命日(新暦4月25日)詳細
1939年(昭和14)文部省は「大学教練振作ニ関スル件」を発して、大学での学校教練が必修化する詳細
1946年(昭和21)連合国最高司令官に対し、「米国教育使節団第一次報告書」が提出される詳細
1959年(昭和34)砂川闘争に関して、砂川事件第一審判決(伊達判決)が出される詳細
1985年(昭和60)小説家・翻訳家野上弥生子の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1945年(昭和20)に、小磯国昭内閣により、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」が閣議決定された日です。
 「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」(だいとしにおけるそかいきょうかようこう)は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)3月15日の小磯国昭内閣による閣議決定で、大都市における疎開を強化するためのものです。1945年(昭和20)3月10日に、アメリカ軍による東京大空襲が行われ、東京の下町が焼け野原になった5日後に出されました。
 これに基づいて、第六次の建物強制疎開が実施され、全国で66万戸が建物疎開の対象として指定されます。これは、防火区域を設定するための空地帯をつくることで、重要施設(官公署や軍事施設、軍需工場)を守るため、その周囲の民家を取り壊して空地をつくるものが主でした。
 これによって、敗戦までに実際に取り壊されたのは14,000戸となりましたが、計画の2.1%に過ぎないものとなります。
 以下に、「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」1945年(昭和20)3月15日閣議決定

一、方針

 戦局今後ノ推移ニ鑑ミ防衛並ニ食糧対策等ノ見地ヨリ急速ニ重要都市ノ徹底的人員及建物疎開ヲ決行シ国内自活自戦態勢ヲ促進ス

二、要領

(一)重要都市ニ残留セシムベキモノハ必要ナル機関及人員ニ限定シ他ハ凡テ之ヲ地方特ニ農村等ニ疎開セシメ之ガ戦力化ヲ図ル
 尚右ニ伴ヒ堅牢建築物ノ利用ニ努ムルト共ニ急速且徹底的ナル建物疎開ヲ実施シ戦時都市態勢ヲ確立ス

(二)人員疎開ハ縁故疎開、集団帰農、学童疎開、学徒ノ農村進出等及工場疎開ニ伴フ人員移駐ニ依リ之ヲ実施ス
 之ガ為各都道府県別ニ計画的割当ヲ行ヒ速急ニ之ガ受入態勢ヲ整備ス
 尚疎開ニ伴ヒ残置スベキ荷物ノ保管等ニ関シ特別ノ措置ヲ講ズ

(三)右人員疎開輸送強化ノ為非常措置ヲ講ズ

(四)以上ノ施策ハ即時実行ニ着手シ六月末日迄ニ之ガ大部ヲ完成ス

「註」今次空襲ニ依ル罹災者ハ本施策ノ方針ニ準拠シ速カニ転出セシム

   「内閣制度百年史 下」内閣制度百年史編纂委員会編より

☆太平洋戦争後半の疎開に関する閣議決定一覧

・「都市疎開実施要項」1943年(昭和18)12月21日閣議決定
 建物や人員の疎開を促進するために閣議決定されたもので、京浜、阪神、名古屋、北九州地域の重要都市に於ける疎開区域や人口疎開の対象者を定め、人口疎開政策の具体化が図られ、都市施設の地方分散がおこなわれた。

・「一般疎開促進要綱」1944年(昭和19)3月3日閣議決定
 都市部への空襲が強まる中で、「帝都疎開促進要綱」を同時に定め、人口疎開は府県別受入割当数の決定、老幼者・要保護者の縁故による「引取り」の実施を定めるなど具体的な促進を図ったものでした。

・「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」1944年(昭和19)11月7日閣議決定
 戦局の悪化に伴う都市部の空襲に備え、老人、子供、妊婦等を地方疎開させ、人員の被害を最小限に止めるためのものです。

・「空襲対策緊急強化要綱」1945年(昭和20)1月19日閣議決定
 1944年(昭和19)のアメリカ軍によるマリアナ諸島攻略により、本土空襲が強化される中で、それに対処するためのものでした。

・「工場緊急疎開要綱」1945年(昭和20)2月23日閣議決定
 戦局の状勢を考えて、計画的、系統的に工場疎開を徹底実施するものとし効果的に分散、地下移設等の方法を講ずると共に緊要工場の地域的総合自立を図り軍需生産の長期確保強化を期するものでした。

<1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲を皮切りに都市部への無差別空襲が始まる>

・「大都市ニ於ケル疎開強化要綱」1945年(昭和20)3月15日閣議決定
 大都市における疎開を強化するためのもので、第六次の建物強制疎開が実施され、全国で66万戸が建物疎開の対象として指定されます。

・「都市疎開者ノ就農ニ関スル緊急措置要綱」1945年(昭和20)3月30日閣議決定
 大都市の人員疎開の要請に即応し是等疎開人口にして農村に受入るる者に付ては縁故等に依り帰農を為さしむる外左の要領に依り之が適切なる受入を行ひ積極的に其の就農の措置を講じ食糧生産の増強に寄与せしむるものとす

・「現情勢下ニ於ケル疎開応急措置要綱」1945年(昭和20)4月20日閣議決定
 人員疎開では、①老幼姙産婦病弱者(介護者を含む)、②疎開施設随伴者(地方転勤者を含む)、③集団疎開者、④前各号以外の罹災者及強制疎開立退者(但し離職者)を先づ優先的に疎開させ、それ以外の者の疎開は当分の間認めず、工場及事業場は今後他の施設に優先して疎開し、又は堅牢建築等に移転するとしたものです。

・「重要物資等の緊急疎開に関する件」1945年(昭和20)6月26日閣議決定
 戦局がたいへん厳しくなり、都市部が連日のように空襲される中で、重要物資等を緊急疎開させるようにした閣議決定です。

・「空襲激化ニ伴フ緊急防衛対策要綱」1945年(昭和20)7月10日閣議決定
 戦争遂行上必要な機関、施設、工場等の要員である都市要残留者を具体的に調査再検討し、その必要最小限度を定めると共にその要員に対し食糧住宅の供給其の他防衛上必要な措置を講じ、併せて要員絶対確保の方途を実施するものです。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
1914年(大正3)秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出す詳細
1930年(昭和5)神奈川県横浜市に山下公園が開園する詳細
1958年(昭和33)劇作家・演出家・小説家・批評家久保栄の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、「決戦非常措置要綱」に基づき、「決戦非常措置要綱ニ依ル大都市国民学校児童学校給食ニ関スル件」が、閣議決定された日です。
 「決戦非常措置要綱ニ依ル大都市国民学校児童学校給食ニ関スル件」(けっせんひじょうそちようこうによるだいとしこくみんがっこうじどうがっこうきゅうしょくにかんするけん)は、「決戦非常措置要綱」に基づき、6大都市(東京、大阪、名古屋、横浜、京都、横浜、神戸)の国民学校において、同年4月1日より、児童に学校給食を実施するとした東条英機内閣での閣議決定です。
 食糧事情が緊迫していた6大都市の児童約200万人に対し、米・味噌等を特別配給して、学童に1食7勺(約12.6ℓ)の給食が始まりました。しかし、食糧不足により、同年9月1日からは、パン食のみになります。

〇「決戦非常措置要綱ニ依ル大都市国民学校児童学校給食ニ関スル件」 1944年(昭和19)3月3日閣議決定

国民学校児童ニ対スル学校給食
国民学校児童ニ対シ左ノ要領ニ依リ学校給食ヲ行フモノトス
一 実施区域ハ現下ノ食糧事情ニ鑑ミ六大都市トス
二  実施時期ハ昭和十九年四月一日ヨリトス
三  給食ハ国民学校児童全部ニ対シ之ヲ行フ
四  給食費ハ一人一日当り七勺(代用食ヲ含ム)トス
五  給食ニ必要ナル数量ハ政府ヨリ都府県ニ対シ供給スルモノトス
六 給食施設等ノ関係ニ依リ必要アル場合ハ「パン」ニ依ル給食ヲ考慮スルモノトス
七 給食方法ハ国民学校ニ於テ炊飯ノ上昼食トシテ給食スルモノトシ其ノ炊飯方法ニ付テハ特ニ創意工夫ヲ加フルモノトス
八 学校給食ニ伴ヒ味噌等副食物ノ特別配給ニ付テモ併セ考慮スルモノトス
九 本件ノ実施ニ際シテハ空襲時ニ於ケル炊飯所ヘノ転用等トノ関係ヲモ考慮スルモノトス
十 本件実施ニ関スル具体的措置ニ付テハ地方長官ニ於テ適宜之ヲ行フモノトス
備考
一 本件実施ニ関シ本年度ニ於テ陸海軍ヨリノ協力ヲ受ケタルモノトス
二 本件実施ニ関シ明年度以降ニ於テ酒醸用米ノ削減ヲ考慮スルモノトス

   「学校給食十五年史」学校給食十五年記念会編より

〇「決戦非常措置要綱」(けっせんひじょうそちようこう)とは?

 昭和時代前期のの太平洋戦争下の1944年(昭和19年)2月25日に、東条英機内閣による、国家総動員の実効を上げるための閣議決定です。内容は、①学徒動員体制の徹底、②国民勤労体制の刷新、③防空体制の強化、④簡素生活徹底の覚悟と食糧配給の改善整備、⑤空地利用の徹底、 ⑥製造禁止品目の拡大と規格統一の徹底、⑦高級享楽の停止、⑧重点輸送の強化、⑨海運力の刷新強化、⑩平時的または長期計画的事務及事業の停止、⑪中央監督事務の地方委任、⑫裁判検察の迅速化、⑬保有物資の積極的活用、⑭信賞必罰の徹底と査察の強化、⑮国民運動の展開、⑯国民指導啓発、⑰官庁休日を縮減し常時執務の態勢を確立の17項目からなっていました。これに関連して、さらに以下のの閣議決定が行われ、具体化されています。
・「決戦非常措置要綱ニ依ル国民学校児童学校給食、空地利用徹底等ニ関スル件」(1944年3月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ依ル大都市国民学校児童学校給食ニ関スル件」(3月3日)
・「一般疎開促進要綱」 (3月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」(3月7日)
・「決戦非常措置要綱ニ依ル食糧加工貯蔵ノ徹底ニ関スル件」(3月10日)
・「旅客ノ輸送制限ニ関スル件」 (3月14日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク中央行政官庁ノ許認可等ノ事務ノ廃止及地方委譲ニ関スル件」(3月18日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク旅行輸送ノ制限ニ関スル件」(3月27日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク地方鉄道軌道鉄道車輌修理ノ確保ニ関スル件」(3月31日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク電気通信ノ緊急措置ニ関スル件」(4月11日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク電気通信設備ノ動員ニ関スル件」(5月3日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク官公営繕工事ノ措置方針ニ関スル件」(5月5日)
・「決戦非常措置要綱ニ基ク工場防空強化対策実施要領ニ関スル件」(5月17日)
 これらによって、国民生活は多大な影響を受け、国民学校初等科以外の授業の4月から1年停止と全学徒の勤労総動員や女子挺身隊の強化、学童疎開など地方への疎開の推進、旅行の制限、高級享楽の停止(待合、カフェー、遊郭、劇場などの休業)、官庁の休日削減、電力開発などの公共事業停止、設備修繕の最小限化、空地の食糧増産への活用などが実施されました。この措置はいろいろと強化されながら、1945年(昭和20)8月15日の太平洋戦争敗戦まで継続されます。

☆「決戦非常措置要綱」 (全文)  1944年(昭和19)2月25日閣議決定

決戦ノ現段階ニ即応シ国民即戦士ノ覚悟ニ徹シ国ヲ挙ゲテ精進刻苦其ノ総力ヲ直接戦力増強ノ一点ニ集中シ当面ノ各緊要施策ノ急速徹底ヲ図ルノ外先ツ左ノ非常措置ヲ講ズ

一、学徒動員体制ノ徹底
(1)原則トシテ中等学校程度以上ノ学生生徒ハ総テ今後一年、常時之ヲ勤労其ノ他非常任務ニ出動セシメ得ル組織的態勢ニ置キ必要ニ応ジ随時活発ナル動員ヲ実施ス
(2)理科系ノモノハ其ノ専門ニ応ジ概ネ之ヲ軍関係工場病院等ノ職場ニ配置シテ勤労ニ従事セシム
(3)学校校舎ハ必要アル場合ハ軍需工場化シ又ハ之ヲ軍用、非常倉庫用、非常病院用、避難住宅用其ノ他緊要ノ用途ニ之ヲ転用ス

二、国民勤労体制ノ刷新
職業転換、適正配置並ニ勤労管理特ニ学徒、女子及応徴者等ニ関スル受入体制ノ急速ナル刷新強化ヲ図ルト共ニ家庭ノ根軸タル者ヲ除ク女子ノ女子挺身隊強制加入ノ途ヲ拓キ且之ニ即応シテ官庁側ノ指導、斡旋、保護ノ充実ニ遺憾ナカラシム
右ニ関連シ速ニ動員機構ヲ整備シ特ニ軍動員トノ関係ノ緊密化ヲ図ル

三、防空体制ノ強化
(1)重要工場ニ付キ能フ限リノ防空施設ヲ行フト共ニ工場防空組織ヲ完備スル等工場防空ノ急速ナル強化ヲ図ル
(2)空襲被害極限等ニ付テノ準備訓練ヲ徹底ス
(3)空襲ニ依ル物的被害ノ修理復旧、食糧配給ノ確保、救護、空襲時用簡易住宅ノ建設等空襲時ノ善後措置ニ関スル準備ノ急速完成ヲ図ル
(4)一般疎開ノ実施ヲ強度ニ促進スルト共ニ第二次官庁疎開、脆弱木造官庁建物ノ移転除却、統制会又ハ団体建物及地方会社出張所、社交倶楽部等ノ整理ヲ行フ
(5)養老院、精神病院、刑務所(生産ニ影響ナキモノ)等ハ極力速ニ地方ニ疎開又ハ整理セシム
(6)空襲被害ニ備ヘ近府県農村又ハ小都市所在ノ親戚、知人ノ許ニ最少限必要ノ衣類身廻品ヲ預託スルコトヲ徹底セシム
(7)前各項ノ外防空並ニ疎開ニ付急速徹底セル各般ノ措置ヲ講ズ

四、簡素生活徹底ノ覚悟ト食糧配給ノ改善整備
(1)時局突破ノ為ニハ国民生活ヲ徹底的ニ簡素化シ第一線将兵ノ困苦欠乏ヲ想ヒ如何ナル生活ニモ耐フルノ覚悟ヲ固メシム
(2)大都市ニ於ケル当面食糧ノ配給ノ改善特ニ少年等ニ対スルモノニ付格段ノ措置ヲ講ズ
(3)藷類ノ乾燥、魚類ノ塩漬等食糧ノ加工貯蔵ヲ徹底ス

五、空地利用ノ徹底
家庭、隣組、学校生徒、青少年団、壮年団、産業報国会其ノ他ヲ動員シ特ニ大都市ニ於ケル公園、庭園、花卉園等ハ勿論、校庭、工場周辺空地其ノ他ノ空閑地ハ徹底的ニ之ヲ食糧作物ニ利用セシム

六、製造禁止品目ノ拡大ト規格統一ノ徹底
製造禁止品ノ範囲ヲ拡大スルト共ニ規格ノ統一ヲ徹底ス

七、高級享楽ノ停止
高級料理店待合ハ之ヲ休業セシメ、又高級興行歓楽場等ハ一時之ヲ閉鎖シ其ノ施設ハ必要ニ応ジ之ヲ他ニ利用スルト共ニ其ノ関係者ハ時局ニ即応シテ之ガ活用ヲ図ル

八、重点輸送ノ強化
旅行ヲ徹底的ニ制限シ、線路ノ転用ヲ強化シ、以テ戦力増強並ニ防空疎開ニ必要ナル輸送ヲ強化ス

九、海運力ノ刷新強化
海運行政ノ刷新強化ヲ行フト共ニ船舶建造ノ急速増加ト船舶運航効率ノ画期的向上トヲ図リ以テ海運力ノ徹底的増強ヲ図ル

一〇、平時的又ハ長期計画的事務及事業ノ停止
官庁、公共団体其ノ他ノ標記事務及事業ハ差当リ一年間ハ全部之ヲ停止シ又ハ保存ニ必要ナル最少限度ノ範囲ニ縮少シ、其ノ職員ハ他ノ緊要事務ニ之ヲ充当ス
尚右ニ即応シ原則トシテ差当リ一年間官庁新規営繕工事ハ之ヲ休止シ又諮問的委員会ノ停止等ヲ行フモノトス

一一、中央監督事務ノ地方委任
中央各官庁ノ許認可等監督的事務ハ差当リ一年間原則トシテ総テ之ヲ夫々ノ地方官庁又ハ官吏ニ委任シ、要スレバ予メ大綱ヲ準則的ニ指示シ又ハ事後報告ヲ徴スルモノトス

一二、裁判検察ノ迅速化
裁判検察ノ迅速化ヲ徹底シ特ニ時局犯罪ニ対スル迅速処理ノ方途ヲ講ズ

一三、保有物資ノ積極的活用
広ク官公署、会社、家庭等ニ於ケル保有物資ノ積極的ナル活用供出ヲ図ル(之ガ為例ヘバ各官公署、会社等ニ於ケル物資ノ保存年限等ヲ極度ニ短縮ス)

一四、信賞必罰ノ徹底ト査察ノ強化
官吏、公務員其ノ他時局産業関係者等ニ付信賞必罰ヲ敏活徹底的ニ行フト共ニ行政ノ全般ニ亘リ強力ナル査察ヲ実施ス

一五、国民運動ノ展開
皇国隆替ノ岐路ニ際シ挙国必勝ノ信念ニ徹底シ国民総動員体制ヲ強化シ真ニ其ノ総力ヲ竭シテ戦力増強、食糧増産等夫々ノ職域ニ邁進スルト共ニ時局突破ノ為国民生活ヲ徹底的ニ簡素化シ凡ユル忍耐ヲ覚悟スルノ真摯熱烈ナル国民運動ヲ展開ス

一六、国民指導啓発
時局ノ真相ヲ国民特ニ指導階級ニ大胆率直ニ周知セシメ、之ガ奮起ヲ図ルト共ニ徹底セル敵愾心昂揚ノ方途ヲ講ズ

一七、官庁休日ヲ縮減シ常時執務ノ態勢ヲ確立ス

「国立国会図書館リサーチ・ナビ」より

<現代語訳>

決戦の現段階に即応し国民すなわち戦士の覚悟に徹して、国を挙げて精進刻苦その総力を直接戦力増強の一点に集中して当面の各重要施策の急速な徹底を図る他、まず左の非常措置を講じる

1、学徒動員体制の徹底
(1)原則として中等学校程度以上の学生生徒は全て、今後一年常時その勤労その他非常任務に出動させる組織的態勢に置き、必要に応じて随時活発な動員を実施する。
(2)理科系の者はその専門に応じておおむねそれを軍関係工場や病院等の職場に配置して勤労従事させる。
(3)学校校舎は必要ある場合は軍需工場化し、またはこれを軍用、非常倉庫用、非常病院用、避難住宅用その他重要な用途に転用する。

2、国民勤労体制の刷新

職業転換、適正配置並びに勤労管理、特に学徒、女子および応徴者等に関する受け入れ体制の急速な刷新強化を図るとともに、家庭の中心たる者を除く女子の女子挺身隊への強制加入の道を開き、かつこれに即応して官庁側の指導、斡旋、保護の充実に万全をつくす。
右に関連し速やかに動員機構を整備し、特に軍動員との関係の緊密化を図る。

3、防空体制の強化
(1)重要工場について可能な限り防空施設を行うとともに工場防空組織を完備する等工場防空の急速な強化を図る。
(2)空襲被害の極限等についての準備訓練を徹底する。
(3)空襲による物的被害の修理復旧、食糧配給の確保、救護、空襲時用の簡易住宅の建設等空襲時の善後措置に関する準備の急速な完成を図る。
(4)一般疎開の実施を強く促進するとともに第二次官庁疎開、脆弱木造官庁の建物の移転または除去、統制会または団体建物および地方会社出張所、社交クラブ等の整理を行う。
(5)養老院、精神病院、刑務所(生産に影響ないもの)等は極力速やかに地方に疎開または整理させる。
(6)空襲被害に備えて近府県農村又は小都市所在の親戚、知人の許に最小限必要な衣類や見回り品を預託することを徹底させる。
(7)前各項の他防空ならびに疎開について急速に徹底させる全ての措置を講じる。

4、簡素生活徹底の覚悟と食糧配給の改善整備
(1)時局突破のために国民生活を徹底的に簡素化し、第一線の将兵の困苦欠乏を思い、いかなる生活にも耐える覚悟を固めさせる。
(2)大都市における当面の食糧の配給の改善、特に少年等に対するものについては格段の措置を講じる。
(3)藷類の乾燥、魚類の塩漬け等食糧の加工貯蔵を徹底する。

5、空き地利用の徹底
家庭、隣組、学校生徒、青少年団、壮年団、産業報告会その他を動員し、特に大都市における公園、庭園、花卉園等はもちろん、校庭、工場周辺空き地その他の空閑地は徹底的にこれを食糧作物に利用させる。

6、製造禁止品目の拡大と規格統一の徹底
製造禁止品の範囲を拡大するとともに規格の統一を徹底する。

7、高級享楽の停止
高級料理店待合茶室はこれを休業させ、また高級興行歓楽場等は一時これを閉鎖し、その施設は必要に応じてこれを他に利用するとともにその関係者は時局に即応してその活用を図る。

8、重点輸送の強化
旅行を徹底的に制限し、線路の転用を強化し、もって戦力増強ならびに防空疎開に必要な輸送を強化する。

9、海運力の刷新強化
海運行政の刷新強化を行うとともに船舶建造の急速増加と船舶運行効率の画期的向上とを図ってもって海運力の徹底的増強を図る。

10、平時的または長期計画的事務および事業の停止
官庁、公共団体その他の標記事務および事業はさしあたり一年間は全部これを停止し、または保存に必要な最小限度の範囲に縮小し、その職員は他の重要な事務に当てる。
なお、右に即応し原則としてさしあたり一年間官庁新規営繕工事はこれを休止しまたは諮問的委員会の停止等を行うものとする。

11、中央監督事務の地方委任
中央各官庁の許認可等監督的事務はさしあたり一年間原則としてすべてこれをそれぞれの地方官庁または官吏に委任し、要すれば予め大綱を準則的に指示しまたは事後報告を徴するものとする。

12、裁判・検察の迅速化
裁判、検察の迅速化を徹底し特に時局犯罪に対する迅速な処理の方策を講じる。

13、保有物資の積極的活用
広く官公署、会社、家庭等における保有物資の積極的な活用と供出を図る(これがため例えば各官公署、会社等における物資の保存年限等を極度に短縮する)

14、信賞必罰の徹底と査察の強化
官吏、公務員その他時局産業関係者等については信賞必罰を敏活徹底的に行うとともに行政の全般にわたり強力な査察を実施する。

15、国民運動の展開
皇国盛衰の岐路に際して挙国必勝の信念に徹し、国民総動員体制を強化し真にその総力を尽くして戦力増強、食糧増産等それぞれの職域に邁進するとともに時局突破のため国民生活を徹底的に簡素化し、あらゆる忍耐を覚悟する真摯熱烈な国民運動を展開する。

16、国民指導啓発
時局の真相を国民、特に指導階級に大胆率直に周知させ、それによって奮起を図るとともに徹底した敵愾心昂揚の方策を講じる。

17、官庁休日を縮減し常時執務の態勢を確立する。

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