
そして、1935年(昭和10)2月18日の貴族院本会議で菊池武夫議員が、美濃部達吉らの著作を挙げて天皇機関説を排撃し、2月25日には貴族院本会議にて、美濃部達吉の「一身上の弁明」演説が行われました。これを契機に国家主義団体、軍部、官僚などによる国体明徴運動が起こり、攻撃されて政治問題化します。
その結果、美濃部達吉は貴族院議員を辞職させられ、その『憲法撮要』、『憲法講話』など主著は発禁とされ、天皇機関説は大学の講壇から排除されるに至りました。これにより、「大日本帝国憲法」下における立憲主義の統治理念は、公然と否定されることとなります。
以下に、1935年(昭和10)2月25日の貴族院本会議での、美濃部達吉の「一身上の弁明」演説を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。