ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:天狗党の乱

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 今日は、江戸時代後期の1864年(元治元)に、攘激派藩士・郷士・神官・村役人ら60余人が、筑波山に挙兵し、天狗党の乱が始まった日ですが、新暦では5月2日となります。
 天狗党の乱(てんぐとうのらん)は、幕末明治維新期に、水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵とそれを契機に起った一連の争乱のことで、元治甲子の乱(げんじかっしのらん)とも呼ばれています。1863年(文久3年8月18日)の八月十八日政変を機に、水戸藩では、保守派の諸生(しょせい)党が実権を握りますが、これと対立する天狗党はついに朝廷の攘夷延期不満を掲げて、1864年(元治元年3月27日)に、藤田小四郎をはじめとする尊攘激派藩士・郷士・神官・村役人ら60余人は、徳川斉昭の神位を奉じて筑波山に挙兵しました。
 この天狗党には、全国から尊攘運動有志が集まり、1000人以上を数えたといわれていますが、当初は攘夷祈願のため日光に向います。その後、下野国太平山に屯集し、5月には再び筑波山に戻りましたが、軍資金不足から、近在の諸藩や豪農商に金穀を強要して嫌われました。
 幕府が諸藩に追討を命ずると、諸生党の天狗党攻撃も激化し、水戸藩内の党争が泥沼化したものの、それに敗北します。窮地に陥った天狗党は、在洛中の一橋慶喜を頼って、武田耕雲斎を総大将として大挙西上したものの、中山道を経て、越前国敦賀で、同年12月17日に、金沢藩に降伏して、終結しました。
 その後、敦賀の鯡倉に監禁されましたが、翌年2月4日、幕命によって武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首され、2月23日までに、天狗党の乱関係者計324名が斬刑に処せられています。

〇天狗党の乱関係略年表

<安政五年(1858年)>
・7月 水戸藩前藩主徳川斉昭が将軍継嗣・通商条約調印の二問題をめぐって大老井伊直弼と対立し、謹慎処分を受ける
・8月8日 孝明天皇から戊午の密勅が水戸藩に降下される

<万延元年(1860年)>
・3月 桜田門外の変が起きる

<文久元年(1861年)>
・5月 東禅寺事件が起きる

<文久2年(1862年)>
・1月 坂下門外の変が起きる

<文久3年(1863年)>
・5月 藤田小四郎は一橋慶喜に追従して江戸に戻る
・8月18日 八月十八日の政変により長州藩系の尊攘派が京都から一掃され、急進的な尊王攘夷運動は退潮に向かう

<元治元年(1864年)>
・3月27日 藤田小四郎をはじめとする尊攘激派藩士・郷士・神官・村役人ら60余人は、斉昭の神位を奉じて筑波山に挙兵し、天狗党と呼ばれる
・4月3日 天狗党が野州日光山へ向かって出発する
・5月30日 太平山を下り、再び筑波山に戻る
・6月 真鍋宿をはじめ、足利・桐生・大間々・結城などの町で放火・略奪・殺戮を働き、天狗党が暴徒集団として明確に認識される原因を成し、幕府は筑波勢追討令を出して常陸国・下野国の諸藩に出兵を命じ、直属の幕府陸軍なども動員する
・7月7日 幕軍・諸藩軍・諸生党は、高道祖(たかさい)村(現在の茨城県下妻市)、下妻多宝院などで、天狗党と交戦したが敗退する
・7月24日 水戸に向かったが城下に入れなかった
・7月25日 茨城郡鯉淵村(現在の水戸市鯉淵)など近隣四十数か村が幕府軍に呼応して挙兵する
・月26日 諸生党が激派追討のため水戸城周辺の村々へ足軽の動員をかけると、領民が続々と参加を願い出る
・7月29日 幕府軍と諸生党は合流してに茨城郡下土師(現在の茨城町下土師)で田中愿蔵の部隊を攻撃し、これを撃破する
・8月4日 水戸藩主徳川慶篤は、争乱鎮静化のため、連枝の宍戸藩主松平頼徳を名代として水戸に遣わす
・10月5日 幕命により、松平頼徳が切腹する
・10月23日 那珂湊の合戦で榊原ら千人余が投降する
・11月1日 天狗党は、武田耕雲斎を総大将として京都に上るため、大子を出発する
・11月11日 武蔵国岡部藩は、天狗党の接近を察し、藩兵数十人および大砲二門を配備して領内に本陣を構える
・11月13日 中瀬村(現在の深谷市中瀬)に渡河してきた天狗党に対し、岡部藩は夜襲を仕掛けて撃退し、佐藤長次郎を捕縛し数名を討取る
・11月14日 この日の戦闘も岡部藩が勝利し、天狗党は逃走する
・11月16日 上州下仁田において、天狗党は追撃して来た高崎藩兵200人と交戦し、天狗党死者4人、高崎藩兵は死者36人を出して敗走する(下仁田戦争)
・11月20日 信州諏訪湖近くの和田峠において高島藩・松本藩兵と交戦し、双方とも10人前後の死者を出したが天狗党が勝利する(和田峠の戦い)
・12月2日 圓勝寺(現在の岐阜県本巣市金原)に宿泊した際には、薩摩藩士の中村半次郎と面会する
・12月11日 天狗党一行は越前国新保宿(現在の福井県敦賀市)に至る
・12月17日 追討軍に追われて敦賀で武装解除して降伏し、天狗党の乱は終結する

<慶応元年(1865年)>
・1月 敦賀の鯡倉に監禁される
・2月4日 武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首される
・2月23日 天狗党の乱関係の斬首が終わる(計324名)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1689年(元禄2)松尾芭蕉が曾良と共に深川から『おくのほそ道』の旅に出発(新暦5月16日)詳細
1837年(天保8)元大坂東町奉行所与力・陽明学者大塩平八郎が市中潜伏中に幕吏に囲まれ、自刃する(新暦5月1日)詳細
1918年(大正7)「市町村義務教育国庫負担法」が公布(施行は同年4月1日)される詳細
1919年(大正8)「結核予防法」(大正8年法律第26号)が公布される詳細
1926年(大正15)歌人島木赤彦の命日(赤彦忌)詳細
1933年(昭和8)昭和天皇が「国際連盟脱退ノ詔書」を出し、日本政府が国際連盟事務局に国際連盟脱退の通告を行なう詳細
1968年(昭和43)厚生省が「イタイイタイ病の原因に関する研究」を発行、カドミウム汚染の状況が明らかにされる詳細
1998年(平成10)小説家・ノンフィクション作家山本茂実の命日詳細
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tengutounoran01
 今日は、江戸時代後期の元治元年に、天狗党の乱が、追討軍に追われて敦賀で降伏して終結した日ですが、新暦では1865年1月14日となります。
 天狗党の乱(てんぐとうのらん)は、幕末期に、水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵とそれを契機に起った一連の争乱のことで、元治甲子の乱(げんじかっしのらん)とも呼ばれています。1863年(文久3年8月18日)の八月十八日政変を機に、水戸藩では、保守派の諸生(しょせい)党が実権を握りますが、これと対立する天狗党はついに朝廷の攘夷延期不満を掲げて、1864年(元治元年3月27日)に、藤田小四郎をはじめとする尊攘激派藩士・郷士・神官・村役人ら60余人は、徳川斉昭の神位を奉じて筑波山に挙兵しました。
 この天狗党には、全国から尊攘運動有志が集まり、1000人以上を数えたといわれていますが、当初は攘夷祈願のため日光に向います。その後、下野国太平山に屯集し、5月には再び筑波山に戻りましたが、軍資金不足から、近在の諸藩や豪農商に金穀を強要して嫌われました。
 幕府が諸藩に追討を命ずると、諸生党の天狗党攻撃も激化し、水戸藩内の党争が泥沼化したものの、それに敗北します。窮地に陥った天狗党は、在洛中の一橋慶喜を頼って、武田耕雲斎を総大将として大挙西上したものの、中山道を経て、越前国敦賀で、同年12月17日に、金沢藩に降伏して、終結しました。
 その後、敦賀の鯡倉に監禁されましたが、翌年2月4日、幕命によって武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首され、2月23日までに、天狗党の乱関係者計324名が斬刑に処せられています。

〇天狗党の乱関係略年表

<安政五年(1858年)>
・7月 水戸藩前藩主徳川斉昭が将軍継嗣・通商条約調印の二問題をめぐって大老井伊直弼と対立し、謹慎処分を受ける
・8月8日 孝明天皇から戊午の密勅が水戸藩に降下される

<万延元年(1860年)>
・3月 桜田門外の変が起きる

<文久元年(1861年)>
・5月 東禅寺事件が起きる

<文久2年(1862年)>
・1月 坂下門外の変が起きる

<文久3年(1863年)>
・5月 藤田小四郎は一橋慶喜に追従して江戸に戻る
・8月18日 八月十八日の政変により長州藩系の尊攘派が京都から一掃され、急進的な尊王攘夷運動は退潮に向かう

<元治元年(1864年)>
・3月27日 藤田小四郎をはじめとする尊攘激派藩士・郷士・神官・村役人ら60余人は、斉昭の神位を奉じて筑波山に挙兵し、天狗党と呼ばれる
・4月3日 天狗党が野州日光山へ向かって出発する
・5月30日 太平山を下り、再び筑波山に戻る
・6月 真鍋宿をはじめ、足利・桐生・大間々・結城などの町で放火・略奪・殺戮を働き、天狗党が暴徒集団として明確に認識される原因を成し、幕府は筑波勢追討令を出して常陸国・下野国の諸藩に出兵を命じ、直属の幕府陸軍なども動員する
・7月7日 幕軍・諸藩軍・諸生党は、高道祖(たかさい)村(現在の茨城県下妻市)、下妻多宝院などで、天狗党と交戦したが敗退する
・7月24日 水戸に向かったが城下に入れなかった
・7月25日 茨城郡鯉淵村(現在の水戸市鯉淵)など近隣四十数か村が幕府軍に呼応して挙兵する
・月26日 諸生党が激派追討のため水戸城周辺の村々へ足軽の動員をかけると、領民が続々と参加を願い出る
・7月29日 幕府軍と諸生党は合流してに茨城郡下土師(現在の茨城町下土師)で田中愿蔵の部隊を攻撃し、これを撃破する
・8月4日 水戸藩主徳川慶篤は、争乱鎮静化のため、連枝の宍戸藩主松平頼徳を名代として水戸に遣わす
・10月5日 幕命により、松平頼徳が切腹する
・10月23日 那珂湊の合戦で榊原ら千人余が投降する
・11月1日 天狗党は、武田耕雲斎を総大将として京都に上るため、大子を出発する
・11月11日 武蔵国岡部藩は、天狗党の接近を察し、藩兵数十人および大砲二門を配備して領内に本陣を構える
・11月13日 中瀬村(現在の深谷市中瀬)に渡河してきた天狗党に対し、岡部藩は夜襲を仕掛けて撃退し、佐藤長次郎を捕縛し数名を討取る
・11月14日 この日の戦闘も岡部藩が勝利し、天狗党は逃走する
・11月16日 上州下仁田において、天狗党は追撃して来た高崎藩兵200人と交戦し、天狗党死者4人、高崎藩兵は死者36人を出して敗走する(下仁田戦争)
・11月20日 信州諏訪湖近くの和田峠において高島藩・松本藩兵と交戦し、双方とも10人前後の死者を出したが天狗党が勝利する(和田峠の戦い)
・12月2日 圓勝寺(現在の岐阜県本巣市金原)に宿泊した際には、薩摩藩士の中村半次郎と面会する
・12月11日 天狗党一行は越前国新保宿(現在の福井県敦賀市)に至る
・12月17日 追討軍に追われて敦賀で武装解除して降伏し、天狗党の乱は終結する

<慶応元年(1865年)>
・1月 敦賀の鯡倉に監禁される
・2月4日 武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内において斬首される
・2月23日 天狗党の乱関係の斬首が終わる(計324名)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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