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 今日は、江戸時代中期の1787年(天明7)に、天明大飢饉で大坂の庶民が米屋を襲撃し、天明の打ちこわしが始まった日ですが、新暦では6月27日となります。
 天明の打ちこわし(てんめいのうちこわし)は、江戸時代中期の天明年間(1781~89年)に勃発した都市騒擾事件でした。1787年(天明7年5月)に、江戸、大阪など当時の主要都市を中心に、ほぼ同時期に30ヶ所余で発生し、翌月には石巻、小田原、宇和島などへも波及しています。
 江戸では、米百俵の値段は平年178両だったものが、天明の大飢饉の影響もあって、1787年(天明7)には213両なり、平年では100文で米1升以上、収穫前の5月でも5合以上が買えましたが、徐々に高騰し最高値を記録した天明7年5月では2合5尺しか買えないようになって、庶民の怒りが爆発しました。そして、米屋や商家等に押し入って、金品を強奪したり、建物を破壊したりし、江戸では、千軒の米屋と8千軒以上の商家が襲われ、無法状態が3日間続いたと言われています。
 打ちこわし発生後、困窮した人々への支援策が具体化し、7月には幕府は寛政の改革も始まり、混乱は収拾に向かいました。
 以下に、江戸での天明の打ちこわしを記述した『蜘蛛の糸巻』(岩瀬京山著)の該当部分を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇岩瀬京山著『蜘蛛の糸巻』の「江戸の打ちこわし」の記述

翌年天明七丁未五月、玄米両に二斗五升、麦八戸、大豆六斗。同月十日頃、白米百文に付三合五勺、豆七合。同廿八日頃、百文に付三合。御蔵米[1]三十五石に金二百五両、一両に一斗七升、銭は一両に五貫二百文。ここに至り米穀動かず[2]、米屋ども江戸中戸を閉ざす。同月廿の朝、雑人[3]ども赤坂御門外なる米屋を打毀す。同日同刻京橋伝馬町三丁目万屋佐兵衛、万佐とて聞えたる[4]米問屋を打毀す。此時おのれ[5]十九歳、毀したる跡を見たるに、破りたる米俵家の前に散乱し、米ここかしこに[6]山をなす。その中に引破りたる色々の染小袖[7]、帳面の類、破りたる金屏風[8]、毀したる障子、唐紙[9]、大家なりしに[10]内は見えすくやうに[11]残りなく打こわしけり。後に聞けば、初めは十四五人なりしに、追々加勢にて百人ばかりとぞ。同夜中、小網町、伊勢町、小船町、神田内外、蔵前、浅草辺、千住、本郷、市ケ谷、四ツ谷、同夜より翌廿二日に至りて暁まで、諸方の蜂起[12]、米屋のみにあらずとも富商人は手を下せり[13]。然れども官令寂として声なし[14]。廿二日午の刻、町奉行出馬[15]。並に御手先方十人[16]捕へ方の命あり[17]。又竹槍御免[18]、死骸酬に及ばざるの令[19]、市中に降りし故、市人[20]勢を得て、木戸木戸を締切り、相識し言葉を作り[21]、互に加勢の約をなし、拍子木をしらせとす。ここに至りて蜂起[12]もまた寂として声なし。江都[22]開発以来未だ曾てあらざる変事地妖[23]と謂ふべしと諸人言ひけり。

<現代語訳>

翌年の天明7年(1787年)5月に、玄米は一両で二斗五升、麦八戸、大豆六斗だった。同月10日頃には、白米百文に付三合五勺、豆七合、同28日頃には、百文に付三合。蔵米は三十五石で金二百五両となり、一両に一斗七升、銭は一両に五貫二百文となる。ここに至って、米価の騰貴によって、誰も米を売る者がなくなり、米屋どもは江戸中店を開かない。同月20日の朝、下賤の者共によって、赤坂御門外にある米屋が破壊された。同日の同じ時刻に京橋伝馬町三丁目の万屋佐兵衛、米商万作として知られた米問屋が破壊された。この時、私(著者岩瀬京山)は19歳で、破壊された跡を見たが、破られた米俵が家の前に散乱し、米があちこちに山をなしている。その中に、引き破られた色々の染小袖、帳面の類、破られた金屏風、壊された障子や唐紙があり、金持ちの家なのに内側が素通しに見えるほどに残りなく破壊された。後に聞けば、初めは14、5人だったが、だんだんに加勢する者が出て100人ばかりになる。同夜の中に、小網町、伊勢町、小船町、神田内外、蔵前、浅草辺、千住、本郷、市ケ谷、四ツ谷、同夜より翌22日に至って暁まで、諸方面で多くの者が一斉に暴動をおこす、米屋だけでなく、富裕な商人は襲われた。しかし、町奉行所は鎮圧には出動しなかった。22日の昼頃になって、南町奉行(山村良旺)と北町奉行(曲淵景漸)が出動した。ならびに御手先方十人に捕縛するようにとの命令があった。また、対象の町人が自衛のため竹槍を持つことが許可され、打ちこわしに参加する暴徒を殺しても届け出る必要はないと言う命令が出て、市中に知れ渡ったので、商人は勢を得て、木戸木戸を締め切り、合言葉を作って、お互いに加勢する約束をし、拍子木で知らせることとした。ここに至って多くの者の一斉に暴動もまた静かになって声も聞こえないようになった。江戸が始まって以来、未だかつてなかった変事であり、地上に起こる怪しい変異というべきだと多くの人々が言ったことだ。

【注釈】

[1]蔵米:くらまい=江戸時代幕藩領主の蔵に年貢として納められた米。特に幕府が江戸浅草御蔵に収納,旗本,御家人に支給した米をいう。
[2]米穀動かず:べいこくうごかず=米価が騰貴するので、誰も米を売る者がいない。
[3]雑人:ぞうにん=下賤の者。身分の低い者。召使いや一般の庶民のこと。
[4]万佐とて聞えたる:まんざときこえたる=米商万作として知られた。
[5]おのれ=随筆『蜘蛛の糸巻』の著者岩瀬京山のこと。
[6]ここかしこに=あちこちに。このところあのところに。この場所あの場所に。この箇所あの箇所に。
[7]染小袖:そめこそで=模様や色を染めつけた小袖。色小袖。
[8]金屏風:きんびょうぶ=地紙全体に金箔をおいた屏風。
[9]唐紙:からかみ=美しい色模様を刷り出した紙を貼った襖のこと。
[10]大家なりしに:たいけなりしに=金持ちの家なのに。
[11]内は見えすくやうに:うちはみえすくように=内側が素通しに見えるほどに。
[12]蜂起:ほうき=多くの者が一斉に暴動をおこすこと。
[13]富商人は手を下せり:ふしょうにんはてをくだせり=富裕な商人は襲われた。
[14]官令寂として声なし:かんれいせきとしてこえなし=町奉行所は鎮圧には出動しない。
[15]町奉行出馬:まちぶぎょうしゅつば=南町奉行(山村良旺)と北町奉行(曲淵景漸)が出動した。
[16]御手先方十人:おさきてかたじゅうにん=幕府の御先手組長谷川平蔵以下10人の組頭のこと。
[17]捕へ方の命あり:とらへかたのめいあり=捕縛するようにとの命令。
[18]竹槍御免:たれやりごめん=打ちこわしの対象となる町人が自衛のため竹槍を持つことの許可。
[19]死骸酬に及ばざるの令:しがいしゅうにおよばざるのれい=打ちこわしに参加する暴徒を殺しても届け出る必要はないと言う命令。
[20]市人:いちびと=市で物を売る人。また、町に住む商人。
[21]相識し言葉を作り:あいしるしことば=合言葉を作ること。
[22]江都:こうと=江戸のこと。
[23]地妖:ちよう=地上に起こる怪しい変異。地上に生じるふしぎなわざわい。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1333年(元弘3)久米川の戦いで、新田義貞軍が鎌倉幕府の軍勢を破る(新暦6月24日)詳細
1534年(天文3)戦国大名織田信長の誕生日(新暦6月23日)詳細
1698年(元禄11)儒学者・蘭学者青木昆陽の誕生日(新暦6月19日)詳細
1718年(享保3)俳人で蕉門の十哲の一人とされる立花北枝の命日(新暦6月10日)詳細
1925年(大正14)「治安維持法」が施行される詳細
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1979年(昭和54)本州四国連絡橋計画の最初として、アーチ橋の大三島橋が完成(翌日から供用開始)する詳細