
天和の大火(てんなのたいか)は、正午頃に江戸・駒込の大円寺(現在の東京都文京区向丘一丁目)から出火し、隣の同心屋敷に延焼し、本郷方面に燃え広がり、加賀藩前田家の上屋敷も炎上しました。その後、本郷から湯島・神田方面から、柳原の土手沿いに東に向かい、浅草橋門も焼失し、隅田川を飛び越えて、回向院に飛び火します。
そして、回向院もまもなく焼失、さらに隅田川沿いに南下して、霊厳寺、富岡八幡宮も焼失させて、ようやく翌日の午前5時頃に鎮火しました。この大火によって、焼失した大名屋敷は73、旗本屋敷166、寺社95にも及び、死者は最大3,500名余と言われ、江戸の十大火事の一つとされています。
これにより、両国橋も焼け、本所の開発は中止となり、深川芭蕉庵も焼けて、俳聖・松尾芭蕉は水に潜ってかろうじて助かりました。また、井原西鶴著『好色五人女』でも取り上げられ、その登場人物で八百屋の娘お七の名を取って、「お七火事」とも称されています。
そして、回向院もまもなく焼失、さらに隅田川沿いに南下して、霊厳寺、富岡八幡宮も焼失させて、ようやく翌日の午前5時頃に鎮火しました。この大火によって、焼失した大名屋敷は73、旗本屋敷166、寺社95にも及び、死者は最大3,500名余と言われ、江戸の十大火事の一つとされています。
これにより、両国橋も焼け、本所の開発は中止となり、深川芭蕉庵も焼けて、俳聖・松尾芭蕉は水に潜ってかろうじて助かりました。また、井原西鶴著『好色五人女』でも取り上げられ、その登場人物で八百屋の娘お七の名を取って、「お七火事」とも称されています。
〇江戸時代の大火一覧
・1657年(明暦3年1月18日、19日)江戸の「明暦の大火」江戸時代最大の火事で、死者は最大で10万7千人と推計、江戸城天守焼失
・1683年(天和2年12月28日)江戸の「天和の大火」(八百屋お七の火事)死者830~3,500人余
・1708年(宝永5年3月8日)京都の「宝永の大火」 家屋1万軒以上を焼失
・1724年(享保9年3月21日)大坂の「妙知(智)焼け」11,765軒を焼失、死者293人
・1760年(宝暦10年2月6日)江戸の「宝暦の大火」460町、寺社80ヶ所焼失
・1772年(明和9年2月29日)江戸の「明和の大火」死者1万4,700人、行方不明者4,060人
・1788年(天明8年1月30日)京都の「天明の大火」京都の歴史上最大といわれ、家屋は3万6,797軒焼失、死者150人
・1806年(文化3年3月4日)江戸の「文化の大火」焼失家屋12万6千戸、死者1,200人超、焼失した町530・大名屋敷80・寺社80
・1829年(文政12年3月21日)江戸の「文政の大火」死者2,800、焼失家屋37万戸
・1837年(天保8年2月19日)大坂の「大塩焼け」大塩平八郎の乱によるもので、死者270人以上
・1863年(文久3年11月21日)大坂の「新町焼け(新町橋焼け・五幸町の大火)」
・1864年(元治元年7月19日)京都の「元治の大火」
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1180年(治承4) | 平清盛が平重衡に命じて、南都焼討(東大寺・興福寺等を焼き払う)を行う(新暦1181年1月15日) | 詳細 |
1877年(明治10) | 日本画家・歌人平福百穂の誕生日 | 詳細 |
1981年(昭和56) | 小説家・推理作家横溝正史の命日 | 詳細 |
1986年(昭和61) | 山陰本線余部鉄橋で列車転落事故が起きる | 詳細 |