
鉄嶺丸座礁沈没事故(てつれいまるざしょうちんぼつじこ)は、日満航路(大阪~大連線)の大阪商船「鉄嶺丸」が、中国の大連港を出港し、神戸港へ向かう途中の1910年(明治43)7月22日午後7時54分に、韓国南西端の珍島沖において座礁し、沈没した海難事故です。前夜から、同航路は荒天で波が高いうえ濃霧に閉ざされていましたが、船長は、朝鮮半島沿岸ぞいに進路を変えたものの、午後7時には、霧はますます深くなり、濃霧の中30分ほど南へ進んだが、午後7時54分ついに珍島沖で座礁し船体は大破しました。
乗客乗員は総数265人の内、6隻ある救命艇に171人が移乗、本船に留まった船長を含む94人が亡くなり、さらに、潮流がはげしいうえ濃霧のため救命艇4隻が沈没131人が亡くなり、2隻の40人のみが半島南岸の全羅南道加士島に上陸できます。これによって、船に残った乗客・乗員も含め、225人が亡くなるという大惨事となりました。
乗客乗員は総数265人の内、6隻ある救命艇に171人が移乗、本船に留まった船長を含む94人が亡くなり、さらに、潮流がはげしいうえ濃霧のため救命艇4隻が沈没131人が亡くなり、2隻の40人のみが半島南岸の全羅南道加士島に上陸できます。これによって、船に残った乗客・乗員も含め、225人が亡くなるという大惨事となりました。
☆明治・大正時代の日本近海での主要な海難事故一覧
・1878年(明治11)12月24日 和歌山県・太地村太地鯨方は、子連れのセミクジラ(背美鯨)を捕獲するため19隻・総勢184人で出漁、荒天を突いて出漁したことから集団遭難事故を引き起こし、100余人が死亡する
・1886年(明治19)10月24日 イギリス商船「ノルマントン号」が、和歌山県潮岬沖で沈没、日本人乗客25人ほか、中国人、インド人乗組員12人が死亡、イギリス人船員は全員生存し、当時の日本で社会問題になった(ノルマントン号事件)
・1890年(明治23)9月16日 和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没。乗員約600人中、地元の漁民らによって69人が救出されたが、587人が死亡または行方不明となった(エルトゥールル号遭難事件)
・1891年(明治24)7月11日 白神岬沖2.8kmの津軽海峡で「瓊江丸(たまえまる、77トン、北海汽船)」と「三吉丸(97トン)」が衝突し「瓊江丸」が沈没、261人が死亡する
・1908年(明治41)3月23日 北海道恵山岬灯台北東沖で客船「陸奥丸」と「秀吉丸」が衝突し「陸奥丸」が沈没、212人が死亡・行方不明となる
・1910年(明治43)7月22日 大阪商船の大連発の「鉄嶺丸(2,143トン)」が珍島沖の竹島灯台附近で沈没し、死者225人を出す(鉄嶺丸座礁沈没事故)
・1912年(明治45)5月4日 北海道岩内町沖合で暴風雨のため漁船31隻が遭難、死者・行方不明者115人を出す
・1912年(大正元)9月1日 伊豆の神子元島と新島の間で石炭運搬船「幸運丸(2,878トン)」が沈没。乗員42人中40人死亡する
・1912年(大正元)9月23日 青森県の尻屋崎の沖合いで石炭運搬船「相川丸(1,536トン)」が台風による暴風雨で沈没。乗員33人全員死亡する
・1918年(大正7)5月5日 愛媛県白石ノ鼻沖で石崎汽船の第四相生丸が沈没、修学旅行帰りの小学生ら50人が死亡する
・1924年(大正13)12月11日 京都府舞鶴港に向かっていた海軍の工作艦「関東」が、吹雪の気象条件の中で航路を逸脱、福井県下糠浦海岸の二ッ栗岩に座礁して沈没、乗組員と便乗者の合わせて99人が死亡する
・1926年(大正15)4月26日 幌筵島沖を航行中の蟹工船「秩父丸」が座礁沈没し、182人が死亡する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1549年(天文18) | イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(新暦8月15日) | 詳細 |
| 1878年(明治11) | 「郡区町村編成法」、「府県会規則」、「地方税規則」(地方三新法)が制定される | 詳細 |
| 1917年(大正6) | 作曲家・作詞家浜口庫之助の誕生日 | 詳細 |
| 1922年(大正11) | 応用化学者・企業家高峰讓吉の命日 | 詳細 |
| 1924年(大正13) | 「小作調停法」が公布(施行は同年12月1日)される | 詳細 |
| 1953年(昭和28) | 「離島振興法」が公布・施行される | 詳細 |
| 1974年(昭和49) | 国営公園の最初の一つとして、国営武蔵丘陵森林公園(埼玉県滑川町・熊谷市)が開園する | 詳細 |
