
石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代後期の源平合戦の一つで、石橋山(神奈川県小田原市)一帯が戦場となりました。1180年(治承4)8月に、伊豆に流されていた源頼朝と平氏方の大庭景親らとが戦ったところです。
小田原市南部にあり、この周辺で源頼朝軍300騎と大庭景親ら3,000余騎が刃を交えたのですが、多勢に無勢で源頼朝軍の大敗に終わり、敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びることになりました。戦いのあった場所に石橋山古戦場の碑が立ち、近くにこの戦いで死んだ佐奈田与一を祀る佐奈田霊社と与一塚や同じく戦死した陶山文三家康を祀る文三堂などがあります。
小田原市南部にあり、この周辺で源頼朝軍300騎と大庭景親ら3,000余騎が刃を交えたのですが、多勢に無勢で源頼朝軍の大敗に終わり、敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びることになりました。戦いのあった場所に石橋山古戦場の碑が立ち、近くにこの戦いで死んだ佐奈田与一を祀る佐奈田霊社と与一塚や同じく戦死した陶山文三家康を祀る文三堂などがあります。
〇源平合戦(げんぺいかっせん)とは?
平安時代後期の源・平両氏の政権争いの戦乱です。1156年(保元元)の保元の乱、1159年(平治元)の平治の乱で源氏は勢力を失い、平氏政権が成立しましたが、1180年(治承4)の後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機にして、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵、日本各地で平氏打倒のための一連の戦いが起こりました。
同年の富士川の戦い、源(木曽)義仲の挙兵と1183年(寿永2)の倶利伽羅峠戦いなどを経て、義仲がまず入京し、平氏は安徳天皇を奉じて京都を脱出し、西国に逃れます。しかし、義仲は源義経・範頼により、宇治川の合戦などにより征討されました。
その後、一ノ谷の戦い、屋島の戦いなどを経て、1185年(元暦2)には、ついに長門の壇ノ浦の戦いで平氏一門が滅亡したことにより、源氏の源頼朝を中心とした鎌倉幕府の樹立ということになります。この一連の平氏と源氏の戦いの後半部分(以仁王の挙兵~壇ノ浦の戦い)は、(治承・寿永の乱)とも呼ばれてきました。有名な『平家物語』には、この合戦の模様が詳しく書かれています。
☆源平合戦関係略年表(日付は旧暦です)
<保元元年(1156年)>
・7月11日 保元の乱が起き、崇徳上皇方、後白河天皇方に、源氏・平氏共に一族を二分してついて戦うが、後白河天皇方が勝利する
・7月23日 崇徳上皇は讃岐に流される
<平治元年(1159年)>
・12月9日 平治の乱が起き、源義朝、藤原信頼と結び院御所・三条殿を襲撃する
・12月26日 源義朝、藤原信頼は、平清盛と六条河原で戦うが敗北する
・12月29日 源義朝が、尾張の知多半島の野間で謀殺される
<永暦元年(1160年)>
・3月11日 源頼朝が、伊豆へ流される
<仁安2年(1167年)>
・2月 平清盛が太政大臣に就任する
<嘉応2年(1170年)>
・5月25日 藤原秀衡が、鎮守府将軍に任命される
<承安2年(1172年)>
・2月10日 平徳子が、高倉天皇の中宮となる
<治承元年(1177年)>
・6月 鹿ケ谷の陰謀が起き、藤原成親、俊寛らが平家打倒を計画したが、密告で露見して失敗する
<治承3年(1179年)>
・11月20日 平清盛、後白河法皇を幽閉し、院政は停止となる
<治承4年(1180年)>
・4月9日 以仁王が、各地の源氏に平家追討の令旨を出す
・4月22日 高倉天皇の譲位により、安徳天皇(外祖父は平清盛)が即位する
・5月26日 源頼政が以仁王を立てて挙兵するが、平知盛に敗れ、平等院にて敗死する
・6月22日 平家、福原遷都を強行する
・8月17日 源頼朝が、伊豆で挙兵し山木館を襲撃する
・8月23日 源頼朝が石橋山の戦いで敗れる
・8月29日 源頼朝は、房総半島へ船で逃れる
・9月7日 源(木曽)義仲が挙兵する
・10月20日 富士川の戦いが起こり、平氏軍は水鳥の飛び立つ音を源氏の襲撃と間違えて敗走する
・11月17日 源頼朝が、鎌倉に侍所(別当は和田義盛)を設置する
・12月28日 平重衡が、東大寺・興福寺を焼く
<養和元年(1181年)>
・閏2月4日 平清盛が病没する
<寿永2年(1183年)>
・5月11日 倶利伽羅峠の戦いで源(木曽)義仲が平氏を破る
・7月28日 源(木曽)義仲が、京都に入る
・10月14日日 源頼朝が、寿永宣旨を受け、東国支配権を獲得する
<寿永3年/元暦元年(1184年)>
・1月20日 宇治川の戦いで源義経が源(木曽)義仲を討つ
・2月7日 一ノ谷の戦いで源義経が平氏を破り、平家惣領・平宗盛らは四国・九州に敗走する
・10月20日 源頼朝が、鎌倉に公文所、問注所を設置する
<元暦2年/文治元年(1185年)>
・2月19日 屋島の戦いで源義経らが平氏を破る
・3月24日 壇の浦の戦いで源義経らが平氏を破り、安徳天皇は入水・死亡し、平氏は滅亡する
・11月 源義経と源頼朝の対立が始まる
・11月28日 源頼朝が源義経追討のため諸国に守護・地頭を置く勅許を得る(文治の勅許)
<文治3年(1187年)>
・2月 源義経が、藤原秀衡を頼って奥州に落ちのびる
・10月29日 藤原秀衡が病没する
<文治5年(1189年)>
・閏4月30日 衣川の戦いが起き、藤原泰衡が、源義経を討つ
・7月17日 源頼朝が奥州に向けて出兵する
・8月22日 源頼朝軍に攻められて平泉が陥落する
・9月3日 藤原泰衡が殺害される
・9月18日 源頼朝が、奥州を平定する