ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:大平洋戦争

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 今日は、昭衛和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)に、第二次世界大戦に関して、日本の鈴木貫太郎首相が、「ポツダム宣言」を黙殺し戦争を継続することを表明した日です。
 「ポツダム宣言」(ぽつだむせんげん)は、昭和時代前期の1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談(ドイツのポツダムで開催)で協議の上、7月26日に、アメリカ、イギリス、中国、3ヶ国政府首脳の連名で日本に対して発せられた宣言でした。正式名称は、「日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)」といい、第二次世界大戦に関して、日本の戦争終結条件を示した全13項から成っています。
 その内容は、軍国主義の除去、領土の限定、武装解除、戦争犯罪人の処罰、日本の民主化、連合国による占領などを規定し、無条件降伏を求めたものでした。同年7月28日に、日本政府の鈴木貫太郎首相が、この宣言を黙殺し戦争を継続することを表明します。
 しかし、広島・長崎への原子爆弾の投下、ソ連の参戦を経て、8月14日の御前会議において、この宣言の受諾を決定し、敗戦へと至りました。
 以下に、「ポツダム宣言」の英語版原文と日本の外務省による訳文、及び筆者による現代語訳を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇「ポツダム宣言」 (全文) 1945年(昭和20)7月26日

Potsdam Declaration

Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender
Issued, at Potsdam, July 26, 1945
1.We-the President of the United States, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain, representing the hundreds of millions of our countrymen, have conferred and agree that Japan shall be given an opportunity to end this war.
2.The prodigious land, sea and air forces of the United States, the British Empire and of China, many times reinforced by their armies and air fleets from the west, are poised to strike the final blows upon Japan. This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.
3.The result of the futile and senseless German resistance to the might of the aroused free peoples of the world stands forth in awful clarity as an example to the people of Japan. The might that now converges on Japan is immeasurably greater than that which, when applied to the resisting Nazis, necessarily laid waste to the lands, the industry and the method of life of the whole German people. The full application of our military power, backed by our resolve, will mean the inevitable and complete destruction of the Japanese armed forces and just as inevitably the utter devastation of the Japanese homeland.
4.The time has come for Japan to decide whether she will continue to be controlled by those self-willed militaristic advisers whose unintelligent calculations have brought the Empire of Japan to the threshold of annihilation, or whether she will follow the path of reason.
5.Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.
6.There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.
7.Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.
8.The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.
9.The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.
10.We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.
11.Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese participation in world trade relations shall be permitted.
12.The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.
13.We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.

(The Ministry of Foreign Affairs "Nihon Gaiko Nenpyo Narabini Shuyo Bunsho : 1840-1945" vol.2, 1966)
  
<日本の外務省による訳文> 

千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ) 
•一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
•二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
•三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
•四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
•五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
•六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
•七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
•八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
•九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
•十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
•十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
•十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
•十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

 外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊より
 
<現代語訳> 

ポツダム宣言

日本に手渡すために用語を定義する宣言
ポツダムに於いて、1945 年 7 月 26 日

1.われわれ、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席、イギリスの総理大臣は、われわれ数億の同胞を代表し、協議の上で、日本はこの戦争を終結する機会を与えられるものと同意した。
2.アメリカ合衆国、大英帝国と中華民国の陸・海・空軍は、何度も西からの陸軍及び航空編隊の補強を受けて巨大になっており、日本に最終的な打撃を加える態勢を整えている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで、すべての同盟国の決意により持続されている。
3.世界の自由の人々が立ち上がった。無駄、無意味なドイツの抵抗の結果は、極めて明快に日本の人々に例として示されている。今日本に集中する可能性がある力は、ナチスの抵抗に適用された場合のもの、すなわちドイツの人々の生活、土地、産業全体を破壊するのに必要だった力に比べても計り知れないほどより大きい。われわれの決意に裏付けられた、軍事力をすべて投入すれば、完全に壊滅された日本軍と同じように、日本本土が必然的に、全く荒廃することを意味するだろう。
4.日本帝国は、消滅の淵にあり、その頭の悪く身勝手な軍国主義的な顧問によって制御され続けるのか、それとも理性の道に従うのかどうかを決定する時が来ている。
5.われわれの条件を次に示す。それらから逸脱がないものとする。選択肢はなく、一切の遅延も許さない。
6.日本の人々を惑わさせて、世界征服に乗り出させた影響勢力や権威・権力は、永遠に除去されなければならない。われわれは、無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和・安全・正義の新秩序は実現不可能であると主張する。
7.このような新しい秩序が確立されるまで、日本の戦争遂行能力が破壊されたとの説得力のある証拠があるまで、連合国軍によって指定される日本の領土内の諸地点は、基本的な目的の達成を確保するため占領するものとする。
8.カイロ宣言の条項は実施されなければならないし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国および、われわれの決定する周辺小諸島に限られるものとする。
9.日本軍は、完全に武装を解除された後、彼らの家に戻し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を許可されるものとする。
10.われわれは、日本人を民族として奴隷または国家として破壊するつもりはない。しかし、われわれの捕虜に残虐行為を行った者を含めて、すべての戦争犯罪者には正義による鉄槌が与えられるものとする。日本政府は、日本人の間での民主主義的傾向の強化、復活にあたり、すべての障害物を除去しなければならない。言論、宗教、思想の自由および基本的な人権の尊重が確立されなければならない。
11.日本は、その産業を維持し、経済を持続するが、これらは再戦争を可能にするためのものではなく、正当な賠償の取り立てに充てるものとして許可される。このため、支配と区別して原料の入手は許される。世界貿易関係で将来的な日本の参加は許可するものとする。
12.連合国の占領軍は、これらの目標が達成された後、日本の人々の自由に表現された意志に従って、平和的傾向を帯び、責任ある政府が構築されるにおいては、できるだけ早く日本から撤退するものとする。
13.われわれは、日本政府に対し、すべての日本軍の無条件降伏の宣言を要求し、そのような行動が誠意をもって行われる適切かつ十分な保証を提供するように求める。日本の他の選択肢は、迅速および完全な破壊だけである。

 *英語の原文より筆者が訳しました。

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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、大日本労務報国会が設立された日です。
 大日本労務報国会(だいにほんろうむほうこくかい)は、産業報国運動の一環として、1943年(昭和18)6月2日に結成された、日雇労働者を対象として設立された道府県労務報国会の中央組織です。土木建築業・運輸交通業・鉱業における日雇労働者と、これと不可分の関係にある「労務供給業者」、「作業請負業者」をふくむ組織で、個々に結成されていた旧労務報国会(仮称)および労務供給業聯合会は、新労務報国会に統合されました。
 中央に大日本労務報国会、道府県ごとに道府県労務報国会が設けられ、主な事業は、産業報国精神の高揚、国民動員への協力、会員の教育訓練などとされます。労務供給業者、日雇労働者及びこれを使用する請負業者の、勤労能力の発揮と労務の適正配置がねらいでした。
 これによって、主として常用労働者の働く事業所に組織された産業報国会と日雇労働者を対象として設立された労務報国会とが両立するようになり、「常傭労務者」と「日傭労務者」の双方に戦時勤労組織が作りあげられることになります。

〇「社会運動の状況」内務省警保局編 1942年(昭和17)より

昭和十三年〔一九三八年〕産業報国運動が展開され、昭和十五年十一月八日勤労新体制確立要綱が閣議に於て決定されて以来、産業報国精神を基本とする勤労新体制の組織は着々として樹立され昭和十六年末に於ては従業員百人以上を有する民営事業場に在りては
土木事業を除き九九%の組織を確立し、組織に於ては略所期の目的を達成せり。併し乍ら従業員百人以下の事業場に於ける産業報国会の組織運動は今尚進行中であり、又土木建築、港湾荷役其の他日傭労務者を使用する事業に於ては組織上種々困難なる事情があり、
斯る方面に於ては既に産業報国会の結成を見たるものありと雖も概して永続的性質を有する事業場に限られ、一般的には未組織の状況なりき。蓋しこれは日傭労務の特殊性に因り産業報国会の組織竝に運営が必ずしも適当ならずと思惟せられたる結果に外ならず、元来日傭労務者は産業界の盛衰と極めて密接なる関係を有し、昭和四、五年頃より財界不況の影響を受け其の数漸次増加し昭和十年には最高記録を示したり。自由主義的産業組織に在りては、不況時には失業者が日傭労務に移行し、之に反し一般産業界の活況を示す場合は斯の方面より他に転出する傾向があり、日傭労務者は昭和十一年以来毎年漸減の状況を示せり。併し乍ら日傭労務者と一言に謂ふも之を産業上より見れば其の従事する産業は農林業、土木建築業、交通業が最大多数を占むるのであるが、広く各種産業に亘り其の就労状態も日々転々として職場を異にするもの極めて多く更に職能上より之を見れば特殊の高級技能を有するものより何等技能を有しないもの迄包含するのであって、極めて複雑な様相を示しつつあり、又之等日傭労務者の就業様式も大体職業指導所の登録制度により或は供給業者により配置さるるもの、作業請負業者に属し就業するもの、事業主との直接契約により就業するもの等に大別し得、又日傭労務者に対する報酬も定額制あり、請負制あり、而も継続的事業に規則的に従事せざるものに在りては報酬の高低著しく賃金規則亦極めて困難なる実情にあり。而して此の不規則なる勤労状況や賃金状態は日傭労務者の私生活に影響する所大にして斯る観点からするも適切なる対策を講ずる必要があったのであるが、従来斯の方面に対する各種の施策乃至指導は遺憾ながら徹底せざる傾向ありたり。然るに戦時体制確立の急務、特に近時の顕著なる労力不足に直面するや、国民挙っての確固たる報国精神を基調とする勤労能力の充実発揚を必要とせらるるに至れり。
翻って日傭労務者の実情を観るに之等労務者は一般的には労働予備軍として考へられつつありたるも我が国産業界の現状に於ては極めて重要なる役割を担当し来り、而も近年此の方面に於ても労働力の不足が現実の問題として顕はれ殊に戦時体制の確立に当っては軍需産業の拡張、産業転換が行はれ、これが基礎的な事業として土木建築事業の活況を見、従来の日傭労務者のみを以てしては不足を来し、半島人の集団移入を為す等、土木建築業労働者の増加は著しきものあり、又大東亜戦争の勃発を機として交通業就中海運状況が従来と一変し、港湾荷役等に於ても其の業務が繁閑極めて複雑なる状況を呈する日傭労務者の不足せる現状に於ては其の補充十分ならず、従って他面に於ては労務者獲得の為の闇賃金の横行を見るに至り、工場労務者の日傭稼等を続出して労働市場を混乱せしむるが如き傾向を惹起すると共に政府竝に関係方面の戦時諸施策の遂行に尠からず支障を生ぜしめつつありたり。
以上の如き実情下に於て日傭労務者の組織化要望は予てより陸海軍・鉄道・逓信各省の現業官庁を関係方面より熾烈に要望されつつあり、厚生省に於ても従来これが組織化の準備を進めつつありたるが、漸く成案を得て、報国精神の昂揚竝に労務の適正配置を目途とせる労務報国会の結成を計画し、〔一九四二年〕九月三十日別記(略)の通「労務報国会設立に関する件依命通牒」竝に「道府県労務報国会の組織竝に事業に関する件」が通牒せられ、茲に於て産業報国運動の一環として、組織上最も困難視されたる日傭労務者の勤労新体制確立を企図したるが、本年中は専ら組織整備等に終始したる為具体的運動なく注意すべき動向等も認められざる状況なり。

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1180年(治承4)平清盛が遷都を目指して福原(現在の神戸市)への行幸(福原遷都)を決行する(新暦6月26日)詳細
1450年(宝徳2)細川勝元が京都に龍安寺を創建する(新暦7月10日)詳細
1582年(天正10)京都の本能寺の変で、織田信長が明智光秀に攻められ、自刃する詳細
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1743年(寛保3)陶工・絵師尾形乾山の命日(新暦7月22日)詳細
1859年(安政6)前年締結の「日米修好通商条約」により、横浜・長崎が開港される(新暦7月1日)詳細
1907年(明治40)愛媛県の別子銅山で運搬夫の指導者山田豊次郎が解雇され、別子銅山争議(別子暴動)が始まる詳細
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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争下、1944年(昭和19)に、松竹少女歌劇団が解散し、松竹芸能本部女子挺身隊を結成した日です。
 女子挺身隊(じょしていしんたい)は、太平洋戦争下で、日本政府が軍需工場の労働力不足を補うために創設した女子勤労動員組織でした。1943年(昭和18)9月に、国内態勢強化方策が閣議決定されたのを受け、まず14~25歳の未婚・無職・不在学の女子を居住地で女子挺身隊に組織することになります。翌年3月から強制的になり、6月からは12歳にまで引き下げられました。その法令上の措置として、1944年(昭和19)8月23日に公布・施行されたのが「女子挺身隊勤労令」で、「学徒勤労令」と同じ日の公布・施行でした。同令により、1年間の勤労動員が義務づけられ、違反者には「国家総動員法」により、1年以下の懲役または1,000円以下の罰金が科せられるようになって、14歳から40歳までの女性が軍需工場などの戦争遂行体制に動員されたのです。しかし、戦局が悪化したため本土決戦に備え、1945年(昭和20年)3月6日に公布・施行された「国民勤労動員令」に、労務関係の他の4勅令(国民徴用令、労務調整令、学校卒業者使用制限令、国民勤労報国協力令)と共に、一本化されて廃止されました。

〇松竹少女歌劇団(しょうちくしょうじょかげきだん)とは?

 松竹によって創設された少女歌劇団(通称:SKD)です。大正時代の1922年(大正11)に、宝塚歌劇団に対抗して、大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設されたのを前身とし、1928年(昭和3)には、東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれました。
 その後、「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称:ターキー)の断髪姿で急速に人気を高めます。1931年(昭和6)に松竹少女歌劇部(SSK)と改称し、1933年(昭和8)には、楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)となりました。
 1937年(昭和12)に、浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こったものの、太平洋戦争下の1944年(昭和19)3月31日に、解散され、松竹芸能本部女子挺身隊がを結成されます。戦後、1946年(昭和21)の復活公演を機に、「少女」の2字をやめて松竹歌劇団(SKD)と改められました。
 1982年(昭和57)の国際劇場が廃館からは、各地を巡演しましたが、1990年2月25日に、東京厚生年金会館において最後の「東京踊り」が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打ちます。1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行ったものの、1996年(平成8)をもって、解散することになりました。

☆松竹少女歌劇団(松竹歌劇団)関係略年表

・1922年(大正11) 大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行なう
・1923年(大正12) 「松竹楽劇部生徒養成所」が大阪松竹座の専属となる
・1926年(大正15) 上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になる
・1928年(昭和3) 東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれる
・1930年(昭和5) 「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称ターキー)の断髪姿で急速に人気を高める
・1931年(昭和6) 松竹少女歌劇部(SSK)と改称する
・1933年(昭和8) 楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)とする
・1937年(昭和12) 浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こる
・1944年(昭和19)3月31日 解散する
・1946年(昭和21) 「松竹歌劇団」として再出発する
・1982年(昭和57) 国際劇場が廃館となり、各地を巡演するようになる
・1990年(平成2)2月25日 東京厚生年金会館において最後の『東京踊り』が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打つ
・1992年(平成4) ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行なうようになる
・1996年(平成8) 解散することになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)政府が全国17の私鉄を買収することを定めた「鉄道国有法」を公布する詳細
物理学者朝永振一郎の誕生日詳細
1939年(昭和14) 「国家総動員法」第6条に基づいて、「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)が公布される詳細
「国家総動員法」第6条に基づいて、「従業者雇入制限令」(昭和14年勅令第126号)が公布される詳細
「国家総動員法」第6条に基づいて、「工場就業時間制限令」(昭和14年勅令第127号)が公布される詳細
1947年(昭和22)旧「教育基本法」が公布・施行される詳細
1987年(昭和62)日本国有鉄道(国鉄)が115年の歴史に幕を下ろす(翌日から分割・民営化)詳細
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