ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:大宝律令

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 今日は、飛鳥時代の702年(大宝2)に、前年に制定された「大宝律令」を諸国に頒布した日ですが、新暦では3月3日となります。
 「大宝律令」(たいほうりつりょう)は、飛鳥時代の701年(大宝元年8月3日)に完成した日本古代の基本法典です。律(刑法)6巻と令(行政法など)11巻の全17巻からなっていました。
 それまでも、668年(天智天皇7)成立の「近江令」 22巻(疑問視する意見もある)、 682年(天武 11)成立の「飛鳥浄御原令(あすかのきよみはらりょう)」(律もあったという説もある)がありましたが、それにかえて作成されます。持統上皇・文武天皇の命令で編纂が始まり、刑部親王、藤原不比等、粟田真人(まひと)、下毛野古麻呂(しもつけぬのこまろ)らにより、700年(文武天皇4)に令がほぼ完成、701年(大宝元年8月3日)に大宝律令として完成、翌年に施行されました。
 律は6巻で約500条、令は11巻で約1000条と伝えられますが現存せず、「続日本紀」、「令集解(りょうのしゅうげ)」などに逸文があり、718年(養老2)頃、「大宝律令」を修訂して成立した「養老律令」から復元が試みられています。唐の律令を参考にしたと考えられていますが、この完成によって官僚制度が整い、中央集権の政治体制ができあがりました。

〇復元「大宝令」(復元の一例)

「大宝令」と「養老令」の編目の順序は異なっていたと考えられているが、「大宝令」の編目順序は明らかでない。

・官位令
・官員令(「養老令」では職員令)
・後宮官員令(「養老令」では後宮職員令)
・東宮家令官員令(「養老令」では東宮職員令・家令職員令)
・神祇令
・僧尼令
・戸令
・田令
・賦役令
・学令
・選任令(「養老令」では選叙令)
・継嗣令
・考仕令(「養老令」では考課令)
・禄令
・軍防令(「養老令」では宮衛令・軍防令)
・儀制令
・衣服令
・公式令
・医疾令
・営繕令
・関市令
・倉庫令
・厩牧令
・仮寧令
・喪葬令
・捕亡令
・獄令
・雑令

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす詳細
1895年(明治28)京都市(塩小路東洞院通~伏見町下油掛間)で日本初の路面電車が営業開始する詳細
1903年(明治36)当時日本一の長さの鉄道トンネルだった、中央本線笹子トンネル(単線)が開通する詳細
1911年(明治44)徳富蘆花が旧制第一高等学校弁論部大会で「謀反論」を講演しする詳細
1922年(大正10)軍人・政治家で元老の筆頭格山県有朋の命日詳細
1938年(昭和13)有沢広巳、大内兵衛、美濃部亮吉ら教授陣や佐々木更三を含む38人が検挙される(第二次人民戦線事件)詳細
1984年(昭和59)国鉄が「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始する詳細
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 今日は、飛鳥時代の702年(大宝2)に、文武天皇が初めて全国的に統一された度量(物差しと枡)を定め、諸国に頒布した日ですが、新暦では4月9日となります。
 度量制度(どりょうせいど)は、唐の制度を手本にして、701年(大宝元年)に「大宝律令」第27篇の関市令の中で度量を定めましたが、距離を測る基準尺は土木工事用には「高麗尺(大尺)」が、そのほかは「唐尺(小尺)」とされたものの、「高麗尺」(1尺=35.6cm)は、律令施行後間もなく廃止され、「唐尺」(1尺=29.6cm)に統一されました。702年(大宝2)には、文武天皇が初めて全国的に統一された度量(物差しと枡)を定め、諸国に頒布しています。
 その後、時代とともに変化し、また地域や業種によっても差異がありました。それが統一されるのは、1590年(天正18)に豊臣秀吉が太閤検地を開始してからのこととなります。
 以下に、度量(物差しと枡)を定め、諸国に頒布した記事のある『続日本紀』巻第二の大宝二年三月の条を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『続日本紀』巻第二

大宝二年三月の条

乙亥。始頒度量于天下諸國。

<読み下し文>

乙亥。始テ度量ヲ天下諸國ニ頒ツ。

<現代語訳>

3月8日、始めて、物差しと枡を日本全国に頒布する。

☆日本の計量規制の歴史と変遷

・701年(大宝元年) 「大宝律令」が公布され、日本で度量衡の制度が定まる
・702年(大宝2年3月8日) 文武天皇が初の全国的に統一された計量単位(度量)を全国に頒布する
・1590年(天正18年) 豊臣秀吉が太閤検地を開始、各地でまちまちだった計量単位を統一する
・1669年(寛文9年) 江戸のますを京ますに統一(10月以降京ます以外の使用を禁止)
・1875年(明治8年)8月 「度量衡取締条例」が公布される
・1885年(明治18年)10月 「メートル条約」に加盟する
・1886年(明治19年)4月16日 「メートル条約加盟」を公布する
・1890年(明治23年)4月 フランスの国際度量衡局よりメートル原器及びキログラム原器が我が国に到着する
・1891年(昭和24年)3月 「度量衡法」を公布、メートル系原器を標準とする尺貫法を制定する
・1910年(明治43年) 「電気測定法」が制定(電気計器の検定開始)される
・1921年(大正10年)4月11日 「メートル法」を基本とする改正「度量衡法」が公布される
・1951年(昭和26年) 「度量衡法」を全面的に書きかえた「計量法」が公布される
・1959年(昭和34年) 「メートル法」の完全実施に移行する
・1966年(昭和41年) 「計量法」改正で、規制対象の計量器を削減し、販売事業が許可制から登録制へと変わるなど、大規模な変更が行われる
・1972年(昭和47年) 公害計測器の検定を開始する
・1993年(平成5年) 新「計量法」を施行し、世界共通のSI単位系を採用する
・2000年(平成12年)4月 地方分権の推進に伴い、計量行政が機関委任事務から法定受託事務・自治事務として規定される
・2002年(平成13年) 「計量法」改正(ダイオキシン等極微量物質の正確計量のためのMLAP制度の創設)
・2003年(平成15年) 「計量法」改正(公益法人一括法改正)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1708年(宝永5)京都で「宝永の大火」が起こり、1万軒以上を焼失する(新暦4月28日)詳細
1842年(天保13)日本画家川端玉章の誕生日(新暦4月18日)詳細
1919年(大正8)小説家水上勉の誕生日詳細
1954年(昭和29)「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」(MSA協定)が締結される詳細
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 今日は、飛鳥時代の701年(大宝元)に、藤原不比等らによる「大宝律令」の編纂が完了した日ですが、新暦では9月9日となります。
 「大宝律令」は、日本古代の基本法典で、律(刑法)6巻と令(行政法など)11巻の全17巻からなっていました。
 それまでも、668年(天智天皇7)成立の「近江令」 22巻(疑問視する意見もある)、 682年(天武 11)成立の「飛鳥浄御原令 (あすかのきよみはらりょう)」 (律もあったという説もある) がありましたが、それにかえて作成されます。
 持統上皇・文武天皇の命令で編纂が始まり、刑部親王、藤原不比等、粟田真人 (まひと)、下毛野古麻呂 (しもつけぬのこまろ) らにより、700年(文武天皇4)に令がほぼ完成し、翌701年(大宝元年8月3日)に、大宝律令として完成し、翌年に施行されました。
 律は6巻で約500条、令は11巻で約1000条と伝えられますが現存せず、「続日本紀」、「令集解(りょうのしゅうげ)」などに逸文があり、718年(養老2)ころ、大宝律令を修訂して成立した「養老律令」から復元が試みられています。
 唐の律令を参考にしたと考えられていますが、この完成によって官僚制度が整い、中央集権の政治体制ができあがりました。
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