
堂島米会所(どうじまこめかいしょ)は、江戸時代中期の1730年(享保15)に設置された、大坂の堂島米市場の監督事務機関です。1697年(元禄10)に、大坂にある堂島の中之島の新地が新しく開発され、それまで淀屋が淀屋橋南詰に作った米市場がその堂島に移転して、堂島の米市場が誕生しました。
1721~22年(享保6~7)頃に、幕府は不正取引のかどで延売買を禁止しましたが、1722年(享保7)には、守られなかったので、1000石以内の延売買を許可、1724年(享保9)には、空米相場を認めたものの、3月の大火・妙知焼のために大阪の米取引はしばらくの間、休場となります。1730年(享保15年8月13日)に、江戸幕府公認の堂島米会所が誕生し、1731年(享保16)に初めて米仲買株441株を許可し、米方年行司を定め、1735年(享保20)には、351株を許可し、合計1313株となり、別に米方両替株50をも許しました。
1842年(天保13)の天保の改革の一環として株仲間を解除することとなり、堂島市場組織も変わりましたが、1851年(嘉永4)には、株仲間が再興され、堂島は仲間人員の検査取締のため、再び鑑札を下付されます。1869年(明治2)に、明治新政府は堂島米会所を廃止し、堂島周辺の諸藩の大名蔵屋敷も没収したものの、1871年(明治4)には、再び復活しました。
1873年(明治6)に、堂島米会所は油取引を加えて「堂島米油会所」となりましたが、1876年(明治9)には、油取引を分離して「堂島米商会所」となっています。1893年(明治26年)9月9日に、「取引所法」による株式会社組織の米穀取引所「大阪堂島米穀取引所」へと組織変更しました。
1918年(大正7)に、米価の高騰とその過剰投機により米騒動が引き起こされましたが、1939年(昭和14)には、「米穀配給統制法」による日本米穀株式会社に吸収されて幕を閉じています。
1721~22年(享保6~7)頃に、幕府は不正取引のかどで延売買を禁止しましたが、1722年(享保7)には、守られなかったので、1000石以内の延売買を許可、1724年(享保9)には、空米相場を認めたものの、3月の大火・妙知焼のために大阪の米取引はしばらくの間、休場となります。1730年(享保15年8月13日)に、江戸幕府公認の堂島米会所が誕生し、1731年(享保16)に初めて米仲買株441株を許可し、米方年行司を定め、1735年(享保20)には、351株を許可し、合計1313株となり、別に米方両替株50をも許しました。
1842年(天保13)の天保の改革の一環として株仲間を解除することとなり、堂島市場組織も変わりましたが、1851年(嘉永4)には、株仲間が再興され、堂島は仲間人員の検査取締のため、再び鑑札を下付されます。1869年(明治2)に、明治新政府は堂島米会所を廃止し、堂島周辺の諸藩の大名蔵屋敷も没収したものの、1871年(明治4)には、再び復活しました。
1873年(明治6)に、堂島米会所は油取引を加えて「堂島米油会所」となりましたが、1876年(明治9)には、油取引を分離して「堂島米商会所」となっています。1893年(明治26年)9月9日に、「取引所法」による株式会社組織の米穀取引所「大阪堂島米穀取引所」へと組織変更しました。
1918年(大正7)に、米価の高騰とその過剰投機により米騒動が引き起こされましたが、1939年(昭和14)には、「米穀配給統制法」による日本米穀株式会社に吸収されて幕を閉じています。
〇堂島米会所関係略年表(日付は旧暦です)
・1697年(元禄10年) 大坂にある堂島の中之島の新地が新しく開発され、それまで淀屋が淀屋橋南詰に作った米市場がその堂島に移転して、堂島の米市場が誕生する
・1721~22年(享保6~7年)頃 幕府は不正取引のかどで延売買を禁止する
・1722年(享保7年12月) 守られなかったので、1000石以内の延売買を許可する
・1724年(享保9年2月) 空米相場を認める
・1724年(享保9年3月) 大阪を襲った大火・妙知焼のために大阪の米取引はしばらくの間、休場となる
・1730年(享保15年8月13日) 江戸幕府公認の堂島米会所が誕生する
・1731年(享保16年2月) 初めて米仲買株441株を許可し、米方年行司を定める
・1732年(享保17年4月) 米仲買株が521株となる
・1735年(享保20年7月) 351株を許可し、合計1313株となり、別に米方両替株50をも許す
・1842年(天保13年8月) 幕府は天保の改革の一環として株仲間を解除することとなり、堂島市場組織も変わる
・1851年(嘉永4年) 株仲間再興の結果、堂島は仲間人員の検査取締のため、再び鑑札を下付される
・1869年(明治2年) 江戸幕府が崩壊して、新たに誕生した明治政府は堂島米会所を廃止し、堂島周辺の諸藩の大名蔵屋敷も明治政府が没収する
・1871年(明治4年) 再び「堂島米会所」が新たに復活する
・1873年(明治6年) 堂島米会所は油取引を加えて「堂島米油会所」となる
・1876年(明治9年) 油取引を分離して「堂島米商会所」となる
・1893年(明治26年)9月9日 堂島米会所は取引所法による株式会社組織の米穀取引所「大阪堂島米穀取引所」へと組織変更する
・1918年(大正7年) 米価の高騰とその過剰投機により米騒動が引き起こされる
・1939年(昭和14年) 「米穀配給統制法」による日本米穀株式会社に吸収されて幕を閉じる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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