ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:大地震

anseihietsujishin01
 今日は、江戸時代後期の1858年(安政5)に、越中・飛騨国境付近で、飛越地震が起き、甚大な被害が出た日ですが、新暦では4月9日となります。
 飛越地震(ひえつじしん)は、江戸時代後期の1858年(安政5年2月26日)午前1時頃に起きた、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源とする大地震(推定マグニチュード7.0~7.1)で、安政飛越地震とも呼ばれてきました。その後、余震が朝まで続き、一説には夜明け頃までに40余回にわたって大震、小震を繰り返したと言われています。
 土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
 この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2年2月1日)- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2年8月3日)- 陸前で地震
・1855年(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2年10月2日)- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3年10月7日)- 江戸で地震
・1857年(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震
・1857年(安政4年8月25日)- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5年2月26日)- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1649年(慶安2)江戸幕府が「慶安御触書」を発布したとされてきた日(新暦4月7日)詳細
1873年(明治6)俳人・随筆家・書家河東碧梧桐の誕生日詳細
1876年(明治9)「日朝修好条規」が締結される詳細
1936年(昭和11)二・二六事件(高橋蔵相らが暗殺される)が起こる詳細
1946年(昭和21)GHQにより、「禁止図書その他の出版物に関する覚書」 (SCAPIN-776) が出される詳細
2003年(平成15)編集者・紀行作家宮脇俊三の命日詳細
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shyounaijishin01

 今日は、明治時代後期の1894年(明治27)に、庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人を出した日です。
 庄内地震(しょうないじしん)は、午後5時35分35秒に発生したマグニチュード7.0の大地震で、震源は山形県庄内平野北部(北緯38.9度、東経139.9度)で、深さはごく浅いとされました。東北地方の内陸部が震源の地震としては最大規模の内陸直下型地震で、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったのではないかと推定され、庄内平野を中心に東北地方で中心に揺れを感じ、庄内平野東縁断層帯が活動した可能性が指摘されています。
 この結果、土地の亀裂や陥没、土砂の噴出などが多く生じ、酒田では大火災が発生(酒田地震大火)して総戸数の8割が焼失するなど、庄内地方中心に、死者726人、負傷者8,403人、全壊家屋:3,858戸(山形県内)、半壊家屋:2,397戸(山形県内)、焼失家屋:2,148戸(山形県内)、破損家屋:7,863戸(山形県内)の被害が出ました。この地震を契機に 和式木造建物の耐震性がとりあげられて詳しい調査が行われ、震災予防調査会が「木造建築改良仕様書」を発表するなど、その対策が提言されています。

〇日本付近で明治時代に起きたマグニチュード7.0以上の大地震一覧

・1872年3月14日(明治5年2月6日) 浜田地震(島根県沖) M7.1
・1881年(明治14)10月25日 国後島 M7.0
・1891年(明治24)10月28日 濃尾地震(岐阜県) M8.0
・1983年(明治26)6月4日 色丹島沖地震 M7.7
・1894年(明治27)3月22日 根室半島沖地震 M7.9
・1894年(明治27)6月20日 明治東京地震 M7.0
・1894年(明治27)10月22日 庄内地震 M7.0
・1895年(明治28)1月18日 霞ヶ浦 M7.2
・1896年(明治29)1月9日 茨城県沖 M7.3
・1896年(明治29)6月15日 明治三陸地震 M8.2
・1896年(明治29)6月16日 三陸沖 M7.5
・1896年(明治29)8月31日 陸羽地震 M7.2
・1897年(明治30)2月20日 宮城県沖 M7.4
・1897年(明治30)8月5日 三陸沖 M7.7
・1898年(明治31)4月23日 宮城県沖 M7.2
・1898年(明治31)9月1日 石垣島東方沖 M7.0
・1899年(明治32)3月7日 紀伊大和地震(奈良・三重) M7.0
・1900年(明治33)5月12日 宮城県北部 M7.0
・1901年(明治34)8月9日 青森県東方沖 M7.2
・1901年(明治34)8月10日 青森県東方沖 M7.4
・1902年(明治35)1月30日 青森県三八上北地方地震 M7.0
・1905年(明治38)6月2日 芸予地震(瀬戸内海) M7.2
・1905年(明治38)7月7日 福島県沖 M7.1
・1911年(明治44)6月15日 喜界島地震 M8.0

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日)詳細
1937年(昭和12)詩人中原中也の命日詳細
1945年(昭和20)GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を出す詳細


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 今日は、江戸時代後期の1855年(安政2)に、安政江戸地震が起きた日ですが、新暦では11月11日となります。
 安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、この日の午後10時頃、関東地方南部(震源は東京湾北部,北緯35.65°、東経139.08°)で発生した内陸直下型の大地震(マグニチュード6.9~7.4と推定)でした。これによって、江戸城周辺や本所、深川などでは震度6以上と推定され、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及んだと考えられています。
 その結果、江戸を中心に多くの家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者はおよそ1万人になると言われ、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ました。江戸では、大名屋敷266家のうち116家で死者が発生、旗本・御家人らの屋敷の約8割が焼失、全潰、半潰または破損の被害を受けています。
 また、町人地の家屋は1万4000余軒が倒壊したとされ、地震時の数10ヶ所の火災発生により1.5平方キロほど焼失、江戸城の石垣が崩れ、多くの城門・橋などが被害を受けました。尚、小石川の水戸藩藩邸が倒壊して、水戸藩主の戸田忠太夫、藤田東湖らが死亡、盛岡藩藩主南部利剛も負傷しています。江戸幕府では、地震後に市中取締り(巡視)の実施、死者の無料埋葬、米の配給、物価抑制のための公定上限価格の設定、義捐金の報奨などの対策を実施しました。
 約1年前の1854年(嘉永7年11月4日)に安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日に安政南海地震(マグニチュード8.4)が起きていて、それを機に年号が安政と改められ、同年11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)と続き、この安政江戸地震へと至り、その後も安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。

 〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)

・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1554年(天文23)禅僧・連歌師・俳人山崎宗鑑の命日(新暦10月28日)詳細
1943年(昭和18)勅令「在学徴集延期臨時特例」公布で、理工科系以外の学生の徴兵猶予を撤廃する詳細
1985年(昭和60)関越トンネルの開通により、関越自動車道(練馬~長岡)がつながる詳細
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totttorijishin01

 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、山陰地方で鳥取地震(M7.2)が起き、死者1,083人を出した日です。
 鳥取地震(とっとりじしん)は、17時36分54秒に、鳥取県気高郡豊実村(現在の鳥取市)野坂川中流域を震源(深さはごく浅い)として発生したマグニチュード7.2の直下型地震で、これによって、鹿野断層(長さ8km)、吉岡断層(長さ4.5km)が出現、気高郡湖山村(現在の鳥取市)で震度6(当時の最大震度)を観測したのをはじめ、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録しました。この結果、激しい揺れにより、鳥取市を中心に多くの建物が倒壊、死者1,083人、家屋の全壊は7,485戸、半壊6,185戸、焼失251戸などの大きな被害が発生します。
 さらに、地震の影響による液状化現象の観測された地域も出現、地盤沈下も見られ、山陰本線や因美線などの鉄道も長期間にわたって不通となり、電話をはじめとする通信や道路も大きな被害を受け、梨などの農産物への被害も甚大で、被害総額は当時の金額で、1億6,000万円にも及びました。また、1945年(昭和20)の終戦前後に起きた、昭和東南海地震(1944年12月7日)、三河地震(1945年1月13日)、昭和南海地震(1946年12月21日)、と共に、4年連続で1,000人を超える死者を出した4大地震の一つとしても知られています。

 〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事) 

1561年(永禄4)第4次川中島の戦い(八幡原の戦い)が始まる(新暦10月27日)詳細
1704年(宝永元)俳人向井去來(蕉門十哲の一人)の命日(新暦10月8日)詳細
1960年(昭和35)東京・大阪の5局でカラーテレビ本放送が開始される詳細
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rikuujishin01

 今日は、明治時代後期の1896年(明治29)に、陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出した日です。
 陸羽地震(りくうじしん)は、午後5時06分27秒に秋田・岩手県境の山間部で発生したマグニチュード7.2の大地震で、震源は真昼山地の直下(北緯39.5度、東経140.7度)で、深さは10kmより浅いとされました。東北地方の内陸部が震源の地震としては最大規模の内陸直下型地震で、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったと推定され、東北地方中心に揺れを感じ、真昼山地の秋田県側には千屋断層(長さ約30km、最大3.5m変位)、岩手県側には川舟断層がそれぞれ出現しています。
 この結果、秋田・岩手両県を中心に大きな被害を出し、死者209人、負傷者779人、家屋全壊5,792戸、半壊3,045戸、山崩れ9,899箇所にも及びました。特に、秋田県仙北郡の千屋、畑屋、飯詰、六郷などの町村では、75%以上の家屋が全半壊し、震源のほぼ真上にあった千屋村では、地盤が液状化を起こし、地割れから泥水が噴出、この村だけで、家屋の全壊は338戸、焼失7戸を数え、34人が死亡しています。
 尚、この地震の1ヶ月半ほど前の6月15日にも明治三陸地震(マグニチュード8.2)が起き、大津波によって、三陸地方中心に死者・行方不明者は2万1,959人を出すという、大きな被害が出ていました。
 以下に、陸羽地震による惨状を書き留めた『畑屋村震災惨状記』(抜粋)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『畑屋村震災惨状記』(抜粋)

 明治29年8月31日我が地方に非常に大きな地震があった。我村では21人の即死者141人の重軽傷者を出した。無論四隣町村に於ても惨害を被りたること言ふまでもない。此の惨状を目のあたり見て要点を書きつつで置いたものは本書である。実に亡友耕芸高橋石五郎君の遺著である。

(中略)

 此の地震のときは自分は青森歩兵第五連隊第九中隊にあった。此の日戦友等と共に夕食を喫し面桶を洗浄すべく満水の入盥の前に立てありしに大地震で盥の水は東に西に溢し出つるを見た。当時何とも思はなかったが翌日になって秋田仙北の震災を報じて来た。後数日許可を得て臨時帰省して見たらありし我家は全く取り払はれ僅に水屋と土蔵とを利用して家族の住居となしてあつた。附近一円原形を留めてなく、惨状目も当てられぬ有様であった当時厳父慈母の語る処に因れば地震のときは母方の老祖母が来泊されてあった。この突差大地震に老祖母及び母と妹のハル子が通路を失い屋内に喚き叫んで居るうちに家屋は倒潰して了つた。宅地に隅々よりは噴水の如く泥土が湧き出たと云ふ有様である。父は外より呼びつつ漸くにして三人のありかを尋ね当て倒れたる家の欄間より引き辷り出したと云ふことである。幸いに怪我の無かったのは天佑である。斯うした惨話は村内毎戸にありしと思はる。

 「『畑屋村震災惨状記』に記された 1896 年陸羽地震の震災の状況と対応について」水田敏彦著より

☆日本付近で明治時代に起きたマグニチュード7.0以上の大地震一覧

・1872年3月14日(明治5年2月6日) 浜田地震(島根県沖) M7.1
・1881年(明治14)10月25日 国後島 M7.0
・1891年(明治24)10月28日 濃尾地震(岐阜県) M8.0
・1983年(明治26)6月4日 色丹島沖地震 M7.7
・1894年(明治27)3月22日 根室半島沖地震 M7.9
・1894年(明治27)6月20日 明治東京地震 M7.0
・1894年(明治27)10月22日 庄内地震 M7.0
・1895年(明治28)1月18日 霞ヶ浦 M7.2
・1896年(明治29)1月9日 茨城県沖 M7.3
・1896年(明治29)6月15日 明治三陸地震 M8.2
・1896年(明治29)6月16日 三陸沖 M7.5
・1896年(明治29)8月31日 陸羽地震 M7.2
・1897年(明治30)2月20日 宮城県沖 M7.4
・1897年(明治30)8月5日 三陸沖 M7.7
・1898年(明治31)4月23日 宮城県沖 M7.2
・1898年(明治31)9月1日 石垣島東方沖 M7.0
・1899年(明治32)3月7日 紀伊大和地震(奈良・三重) M7.0
・1900年(明治33)5月12日 宮城県北部 M7.0
・1901年(明治34)8月9日 青森県東方沖 M7.2
・1901年(明治34)8月10日 青森県東方沖 M7.4
・1902年(明治35)1月30日 青森県三八上北地方地震 M7.0
・1905年(明治38)6月2日 芸予地震(瀬戸内海) M7.2
・1905年(明治38)7月7日 福島県沖 M7.1
・1911年(明治44)6月15日 喜界島地震 M8.0

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1878年(明治11)日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日詳細
1913年(大正2)お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日詳細
1970年(昭和45)小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日詳細
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