
しかし、磯山らの裏切りで、渡海直前に発覚し、大阪や長崎において、139名が逮捕されて頓挫します。中心人物である大井と朝鮮渡航部隊の責任者となった新井は重懲役9年、小林・磯山は外患罪で軽禁獄6年の刑に処せられ、天野政立などのその他多くの人にも刑罰があたえられました。
大井ら指導者が逮捕された大阪で裁判が行われたことから大阪事件と呼ばれるようになります。
しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきます。その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件が起きることになりました。