ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:士族の反乱

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 今日は、明治時代前期の1876年(明治9)に、明治新政府に対する士族の反乱の一つ、萩の乱が起きた日です。
 萩の乱(はぎのらん)は、山口県萩(現在の萩市)で、旧長州藩士らが開明政策を掲げる明治新政府に対して起した反乱でした。1876年(明治9)10月24日に熊本県で起こった神風連の乱と同年10月27日に福岡県で起こった秋月の乱に呼応、長州藩士で明治新政府参議、兵部大輔前原一誠が守旧主義の立場から政府を去り、郷里の不平士族に擁立されて、反政府の旗を掲げて蜂起したものです。
 一誠らは萩の旧藩校明倫館に200人余を集め政府粛正の奏上を計画、山陰道を上京しようとしましたが、期待した薩摩の不平士族らの協力は得られず、広島鎮台司令長官三浦梧楼らによって1週間余で鎮圧されました。一誠ら首謀者8名は、12月に斬首刑に処せられ、それ以外にも数十名が懲役刑となっています。
 翌年には、西郷隆盛らによる西南戦争が約半年にわたって起こったものの、新政府軍に鎮圧され、一応武力による士族の反乱は収まりました。

〇明治政府に対する不平士族の反乱一覧

・1874年(明治7)2月 江藤新平が故郷の佐賀県で擁立されて佐賀の乱が起こる
・1876年(明治9)10月 熊本県で神風連の乱が起こる
・1876年(明治9)10月 福岡県で秋月藩士宮崎車之助を中心とする秋月の乱が起こる
・1876年(明治9)10月 山口県で前原一誠らによる萩の乱が起こる
・1877年(明治10) 旧薩摩藩の士族が中心になり西郷隆盛を大将に擁立して西南戦争がおこる
・1877年(明治10)3月 西郷隆盛に呼応する形で、福岡県で武部小四郎ら旧福岡藩士族により福岡の変が起こる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1860年(万延元)教育者・柔道家・講道館柔道の創始者嘉納治五郎の誕生日(新暦12月10日)詳細
1891年(明治24)濃尾地震が起き、死者7,273人を出す詳細
1962年(昭和37)小説家・劇作家・評論家正宗白鳥の命日詳細
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akizukinoran01

 今日は、明治時代前期の1876年(明治9)に、明治新政府に対する士族の反乱の一つ、秋月の乱が起きた日です。
 秋月の乱(あきづきのらん)は、福岡県秋月(現在の福岡県朝倉市秋月)で、旧秋月藩士らが開明政策を掲げる明治新政府に対して起した反乱でした。1876年(明治9)10月24日に熊本県で起こった神風連の乱に呼応し、旧秋月藩士族今村百八郎、宮崎車之助、磯淳、益田静方らが、萩の乱を起こす前原一誠と連絡をとりつつ挙兵します。
 攘夷主義を旗印に国権の拡張を主張して政府の諸政策に反対、特に征韓問題に対する政府の処置を批判しました。同月27日に今村を隊長とする「秋月党」が挙兵し、まず明元寺で説得にあたった福岡県警察官穂波半太郎を殺害し、萩の乱の前原軍との合流を企図して約250名で豊前豊津へと進撃、29日に到着します。
 旧豊津藩士等に参加を呼び掛けていましたが、乃木希典率いる小倉鎮台兵の奇襲にあい、敗北して31日に、「秋月党」は解散しました。離散して抵抗した者もいたものの、翌月3日までに鎮圧されます。
 12月3日に福岡臨時裁判所で関係者の判決が言い渡され、首謀者とされた今村と益田は即日斬首され、約150名に懲役、除族などの懲罰が下されました。

〇主要な士族の反乱

・佐賀の乱(1874年2月) 江藤新平が故郷の佐賀県で擁立されて反乱を起こす
・神風連の乱(1876年10月) 熊本県で太田黒伴雄、加屋霽堅等が起こす
・秋月の乱(1876年10月) 福岡県で旧秋月藩士今村百八郎、宮崎車之助等を中心として起こす
・萩の乱(1876年10月) 山口県で前原一誠らによって起きる
・西南戦争(1877年2月) 旧薩摩藩の士族中心に起き、西郷隆盛を大将に擁立、日本国内最大規模の内戦
・福岡の変(1877年3月) 西郷隆盛に呼応する形で、福岡県で武部小四郎ら旧福岡藩士族により起きた

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1903年(明治36)幸徳秋水と堺利彦が平民社を設立する詳細
1977年(昭和52)日本画家前田青邨の命日詳細


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