ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:地震

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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、秋田県内陸南部を震源とする秋田仙北地震(マグニチュード7.1)が起き、大きな被害を出した日です。
 秋田仙北地震(あきたせんぼくじしん)は、この日の深夜4時59分44秒に秋田県仙北郡(現在の大仙市)を震源として発生したマグニチュード(M)7.1の内陸直下型の大地震で、強首地震(こわくびじしん)とも呼ばれてきました。震央は北楢岡付近で、当時の強首村(現在の大仙市)を中心に震度7の揺れがあったと推定され、秋田市で震度5を記録したほか、北海道から東海地方にかけて震度1以上の揺れを観測しています。
 雄物川川岸の旧強首村強首地区では全ての家屋が壊れ、全壊率は50%を超え、斜面崩壊も広範囲で発生し、旧大沢郷村では地震による堰止め湖が形成されるなどしました。これによる秋田県内の被害は、死者94人、負傷者324人、住家全壊640棟、半壊575戸、焼失3戸など甚大なもので、国鉄奥羽本線の線路や鉄橋、本荘街道や湯沢街道が被害を受け、交通網も寸断され、水道等の施設にも被害が及んでいます。
 秋田県や警察による被害調査や救援及び救護活動は、迅速に当日から行われ、復旧活動も順次進められ、その後の防災対策もとられることとなりました。

〇大正時代に起きた大規模地震(M7以上)

・1914年(大正3)1月12日 桜島地震[M7.1] - 死者29人。桜島大噴火に伴い地震発生。
・1914年(大正3)3月15日 秋田仙北地震[M7.1] - 死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定
・1915年(大正4)1月6日 石垣島北西沖で地震[M7.4]
・1915年(大正4)3月18日 北海道十勝沖で地震[M7.0] - 死者2人
・1915年(大正4)11月1日 宮城県沖で地震[M7.5] - 岩手県や宮城県の沿岸に小津波
・1918年(大正7)9月8日 択捉島沖地震[M8](Ms8.2, Mw8.3, Mt8.5) - 死者24人
・1921年(大正10)12月8日 龍ヶ崎地震[M7.0] - 千葉県・茨城県県境付近で発生、震源深さ60km程度、家屋倒壊、道路亀裂
・1923年(大正12)6月2日 茨城県沖で地震[M7.1] - 千葉県銚子市で最大震度4
・1923年(大正12)7月13日 九州地方南東沖で地震[Mj7.3] - 深さ44km、宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度4
・1923年(大正12)9月1日 関東地震(大正関東地震、関東大震災)[M7.9] - 関東地方南部と山梨県で最大震度6、神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定、死者・行方不明者10万5385人(日本災害史上最悪)
・1924年(大正13)1月15日 丹沢地震[Mj7.3] - 死者19人。山梨県甲府市で最大震度6、大正関東地震の余震と見られている
・1924年(大正13)7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj7.5、北海道根室市で最大震度4。
・1924年(大正13)8月15日 茨城県沖で地震[Mj7.2] - 福島県いわき市で最大震度5。
・1924年(大正13)12月27日 網走沖で地震[Mj7.0] - 深さ150km、北海道根室市で最大震度4
・1926年(大正15)6月29日 沖縄本島北西沖で地震[Mj7.0] - 深さ150km、沖縄県那覇市で最大震度4
・1926年(大正15)8月7日 宮古島近海で地震[Mj7.0] - 沖縄県石垣島で最大震度4。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)明治政府が、民政方針を示す「五榜の掲示」の高札を設置する(新暦4月7日)詳細
1875年(明治8)詩人蒲原有明の誕生日詳細
1884年(明治17)「地租条例」が公布される詳細
1890年(明治23)琵琶湖疎水の第一期工事が完成し、全線通水が完了する詳細
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 今日は、大正時代の1923年(大正12)に、関東大震災(関東地震)が起きた日です。
 この地震は、午前11時58分44秒に相模湾一帯を震源(震央は神奈川県西部の東経139.2゜・北緯35.4゜)として発生したマグニチュード7.9の大地震で、震源域とみられる海底では最大160mの隆起、180mの陥没が起こり、陸地では、房総半島南部や三浦半島南部、相模湾岸などで2mを越す隆起があり、丹沢山地などは逆に沈下がみられました。
 これによって、各地に山崩れ、地割れが発生し、多くの建物が倒壊、ちょうど昼食時であったため、134ヶ所から出火し、東京や横浜で市街地が大火災となります。
 この結果、死者・行方不明者105,385人、重傷16,514人、軽傷35,560人、全焼381,090世帯、全壊83,819世帯、半壊91,232世帯などの大きな被害が発生しました。
 また、震災直後の混乱の中で、亀戸事件・甘粕事件などの社会主義者弾圧や朝鮮人などへの不法逮捕・虐殺事件が起き、6,000余名が犠牲になったとされています。
 当時の山本権兵衛内閣は東京と神奈川に戒厳令を出し、非常徴発令、暴利取締令、支払猶予令を発したり、震災手形を発行したりしましたが、震災恐慌が起きて、混乱しました。
 尚、1960年(昭和35)に、閣議了解により、関東大震災が起きた9月1日が「防災の日」と定められ、防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等が行われるようになります。

〇「大正大震火災誌」

一、概記
 震火災に依りて、多大の不安に襲はれたる民衆は、殆ど同時に、又流言蜚語に依りて戦慄すべき恐怖を感じたり、大震の再来、海嘯の来襲、鮮人の暴動など言へるもの即ちそれなり。大震海嘯の流言は、深き印象を民衆に与ふる程の力を有せざりしと雖も、鮮人暴動の蜚語に至りては、忽ち四方に伝播して流布の範囲亦頗る広く、且民衆の大多数は概ね有り得べき事なりしとて之を信用せしかば纔かに震火災より免れたる、生命、財産の安全を確保せんが為めに、期せずして、各々自警団を組織し、不逞者を撃滅すべしとの標語の下に、鮮人に対して猛烈なる迫害を加へ、勢の激する所、終に同胞を殺傷し、軍隊警察に反攻するの惨劇を生じ、帝都の秩序将に紊乱せんとす。而して、之が為に、罹災地の警戒及び非難者の救護上に非常なる障碍を生じたるのみならず、延て朝鮮統治上に及ぼしたる影響も亦甚だ多く、誠に聖代の一大恨事たり。

二、流言ほ発生
 流言蜚語の、初めて管内に流布せられしは、九月一日午後一時頃なりしものの如く、更に二日より三日に亘りては、最も甚しく、其種類の亦多種多様なり。
 今本庁及び各署にて偵察聞知せる、流言蜚語の大要を、日時を遂ふて列挙すれば左の如し。
 (A)九月一日午後一時頃
「富士山の大爆発ありて今尚大噴火中なり」
「東京湾沿岸に猛烈なる大海嘯襲来して人畜の死傷多かるべし」
「更に大地震の来襲あるべし」
    同日午後三時頃
「社会主義者及び鮮人の放火多し」
 (B)二日午前十時頃
「不逞鮮人の来襲あるべし」
「昨日の火災は、多く不逞鮮人の放火又は爆弾の投擲に依るものなり」
「鮮人中の暴徒某神社に潜伏せり」
「従来官憲の圧迫に不満を抱ける大本教は、其教書中に於て今回の大火災を予言せしが、今や損実現せられしを機として、密謀を企て、教徒数千名上京の途にあり」
    同日午後二時頃
「市ヶ谷刑務所の解放囚人は、山の手及び郡部に潜在し、夜に入るを待ちて放火するの企あり」
「鮮人約二百名、神奈川県寺尾山方面の部落に於て、殺傷、掠奪、放火等を恣にし、漸次東京方面に襲来しつつあり」
「鮮人約三千名、既に多摩川を渉りて洗足村及び中延付近に来襲し、今や住民と闘争中なり」

  (中略)

右に挙ぐる所は、流言中に於て最も人心を刺戟し、伝播力の激甚なりしものなり、今之を観察するに、震災当日にありては、極めて単純なる内容を有し、大地震の再来大海嘯の襲来など言へる、恐怖心に基けるものに過ぎざりしに、翌日に至りて鮮人暴動の流言蜚語之に代ると共に、時の経過に従ひて、次第に拡大せられたるを知るべし、斯くて一般民衆の耳目は之が為に聳動し、人心頓に不安を感じたるの結果、遂に鮮人に対する憎悪の念は極度となり、之と対抗せんが為に、武器を執りて自ら衛り、甚だしきは不逞鮮人中、警察官の服装を為すものありとの流言に迷ひ、征服の軍人、警察官等を道に要して逮捕尋問するの暴行を敢てするに至る。以て鮮人暴動の蜚語が如何に民衆を刺戟し人心を険悪ならしめたるかの情勢を卜するに足らん。

          『現代史資料』より

☆明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ベスト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>

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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、昭和三陸地震が起こり、津波によって死者・行方不明者3,064名を出した日です。
 この地震は、明治時代前期の1933年(昭和8)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県の東方沖約200km(震源は北緯39度08分、東経145度07分、深さは浅い)を震源に起きた巨大地震(マグニチュード8.4)でした。
 地震によるゆれは最大震度 5で、震動による被害は小さかったのですが、これによって、大津波が発生して、約30分後から次々と三陸地方沿岸を中心に北海道から牡鹿半島にいたる海岸に襲来します。
 岩手県では津波の高さが 10m以上にも及び、最大波高は岩手県気仙郡綾里村(現在の岩手県大船渡市)で28.7mに達しました。
 その結果、死者1,522名、行方不明者1,542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7,009戸、流出4,885戸、浸水4,147戸、焼失294戸、その他に農畜産物、道路・橋梁などの大きな被害が出たのです。
 この地震のメカニズムは、日本列島の下に沈み込む太平洋プレートが日本海溝付近で折れ曲がるために起こった正断層型のものでした。

〇三陸沖で起きた主な地震

・貞観地震 869年7月9日(貞観11年5月26日)発生 M8.3 - 8.6 死者約1,000人
・慶長三陸地震 1611年12月2日(慶長16年10月28日)発生 M8.1 - Mw8.5 死者2,000 - 5,000人
・延宝八戸沖地震 1677年4月13日(延宝5年)発生 M7.4 - 7.9
・宝暦八戸沖地震 1763年1月29日(宝暦13年)発生 M7.4 - 7.9
・寛政地震 1793年2月17日(寛政5年1月7日)発生 死者約100人
・安政八戸沖地震 1856年8月23日(安政3年7月23日)発生 M7.5 - 7.7 死者38人
・明治三陸地震 1896年(明治29)6月15日発生 M 8.2 死者・行方不明者は2万1,959人
・昭和三陸地震 1933年(昭和8)3月3日発生 M 8.4 死者1,522人、行方不明者1,542人
・十勝沖地震 1968年(昭和43)5月16日発生 M 8.2 死者52人
・三陸はるか沖地震 1994年(平成6)12月28日発生 M 7.8 死者3人
・東北地方太平洋沖地震 2011年(平成23)3月11日発生 M 9.0 死者 15,893人、行方不明者 2,553人

〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>
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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、昭和南海地震が起きた日です。
 この地震は、潮岬南方沖78km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分)、深さ 24kmを震源として発生したマグニチュード8.0の大地震で、津波が発生して関東から九州の沿岸を襲い、最大波高は紀伊半島南端で6.6mにもなりました。また、潮岬や室戸岬などでは、50~130cmの隆起があり、高知や須崎では1.2m沈下して、約15平方kmの地域が海面下に没したのです。
 この結果、死者・行方不明者1,443人、重傷者2,632人、家屋全壊1万1,591、半壊2万3,487、流失1,451、焼失2,598などの大きな被害が発生しました。
 海側のプレートが陸側のプレートに沈み込む南海トラフで起きた地震の一つで、この地域では、2年前に昭和東南海地震(1944年12月7日)も起き、連動性が指摘されています。
 過去にも、100~150年間隔で大地震が発生してきていて、1498年(明応7)、1605年(慶長9)、1707年(宝永4)、1854年(安政元)にも東海地震や東南海地震と連動して発生していました。この地震から、70年以上が経過し、次の大地震への対策がいろいろと考えられています。

〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>
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 今日は、昭和時代前期の1944年(昭和19)に、昭和東南海地震が起きた日です。
 この地震は、紀伊半島南東沖を震源として発生したマグニチュード7.9の大地震で、津波が発生して伊豆半島から紀伊半島の沿岸を襲い、最大波高は9mにもなりました。
 この結果、死者・行方不明者1,223人、重傷者3,059人、全半壊の家屋約7万戸、道路破裂505ヶ所、船舶流失1,898隻などの大きな被害が発生したとされますが、太平洋戦争下で情報統制されていて、充分調査されず諸説があります。
 海側のプレートが陸側のプレートに沈み込む南海トラフで起きた地震の一つで、この地域では、2年後に昭和南海地震(1946年12月21日)も起き、連動性が指摘されています。
 過去にも、100~150年間隔で大地震が発生してきていて、1498年(明応7)、1605年(慶長9)、1707年(宝永4)、1854年(安政元)にも東海地震や南海地震と連動して発生していました。
 この地震から、70年以上が経過し、次の大地震への対策がいろいろと考えられています。

〇明治時代以降に日本周辺で起きた被害の大きかった地震ワースト12

1. 関東地震[関東大震災](1923年9月1日)死者・行方不明者105,385人<マグニチュード7.9>
2. 東北地方太平洋沖地震[東日本大震災](2011年3月11日)死者・行方不明者22,010人<マグニチュード9.0>
3. 明治三陸地震(1896年6月15日)死者・行方不明者21,959人<マグニチュード8.2>
4. 濃尾地震(1891年10月28日)死者・行方不明者7,273人<マグニチュード8.0>
5. 兵庫県南部地震[阪神・淡路大震災](1995年1月17日)死者・行方不明者6,437人<マグニチュード7.3>
6. 福井地震(1948年6月28日)死者・行方不明者3,769人<マグニチュード7.1>
7. 昭和三陸地震(1933年3月3日)死者・行方不明者3,064人<マグニチュード8.1>
8. 北丹後地震(1927年3月7日)死者2,912人<マグニチュード7.3>
9. 三河地震(1945年1月13日)死者・行方不明者1,961人<マグニチュード6.8>
10,昭和南海地震(1946年12月21日)死者・行方不明者1,443人<マグニチュード8.0>
11.昭和東南海地震(1944年12月7日)死者・行方不明者1,223人<マグニチュード7.9>
12.鳥取地震(1943年9月10日)死者1,083人<マグニチュード7.2>
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