
これは人口25,000人未満の自治体に適用され、「市制」(人口25,000人以上)と共に地方公共団体としての地位を確立しましたが、市町村の選挙・被選挙権を持つのは直接国税2円以上の納入者に限られるなど少数の有産者が権限を握り、政府の内務大臣の強い統制下に置かれ、町村長は無給の名誉職で町村会で選出されるなどとされます。この制度は、自由民権運動の要求にこたえる面と立憲制開始の前に官僚支配の末端機構としての自治体を育てあげ、中央の政争が地方に波及しないようにする面の二つの狙いをもっていて、自治権は弱いものとなりました。
この日の施行は2府・33県で、5月1日に東京府、宮崎県、6月1日に岡山県、7月1日に山梨県、岐阜県、10月1日に愛知県、鳥取県、徳島県、12月15日に愛媛県など順次施行され、町村が15,820の町村と市が39となります。この法律は、1911年(明治44)に全面改正され、町村の法人性とその機能・負担の範囲を明らかにされ、1921年(大正10年)に直接町民税を納める者を公民とし町村の等級選挙を廃し、1925年(大正14年)、1929年(昭和4年)の改正で自治権の強化と公民権の拡張が進みました。
しかし、太平洋戦争後の1947年(昭和22)に「日本国憲法」下での「地方自治法」の制定にともない廃止されています。
以下に、「町村制」(明治21年法律第1号の後半)を掲載しておきますので、ご参照下さい。