ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:土木学会選奨土木遺産

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 今日は、明治時代後期の1912年(明治45)に、当時日本一の高さの余部鉄橋の完成により山陰鉄道(現在の山陰本線)の香住駅~浜坂駅間が開業し、京都駅~出雲今市駅(現在の出雲市)間が全通した日です。
 余部鉄橋(あまるべてっきょう)は、兵庫県美方郡香美町余部にあった山陰本線の橋梁(鉄橋)でした。鎧(よろい)駅と余部駅の間に位置し、1909年(明治42)に起工、1911年(明治45)1月13日に完成し、同年3月1日に開通したもので、これによって山陰鉄道(現在の山陰本線)が全通します。
 当時のものは、11台のトレッスル式橋脚をもつ特殊な構造で、全長309m、高さ41.5m、「東洋一の規模」とうたわれ、1928年(昭和3)に高森線(現在の南阿蘇鉄道)第一白川橋梁完成までは、日本で一番高い鉄道橋梁でした。1986年(昭和61)に、この鉄橋から突風にあおられて列車が転落し、5名が死亡、6名が負傷するという事故を起こします。
 その後、列車の走行を制限する風速規制が強化されたことによって列車の運休が相次いだため、2010年(平成22)に、風の影響を受けにくいコンクリート橋への架け替え工事が行われ、旧橋は解体されました。しかし、その西側の橋脚部分の一部を活用し、鉄橋展望台として余部鉄橋「空の駅」が、2013年(平成25)にオープンし、先端からは往時の線路や枕木を残した軌道が眺めることができるようになります。尚、2014年(平成26)に、旧余部鉄橋は、「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。

〇鉄道橋梁の高さ日本一の推移

・1912年(明治45)3月1日 山陰鉄道(現在の山陰本線)香住駅~浜坂駅間が開業し、余部鉄橋(高さ41.5m)が、日本一の高さとなる
・1928年(昭和3)2月12日 国鉄高森線(現在の南阿蘇鉄道)第一白川橋梁(高さ約60m)開通により、日本一の高さとなる
・1954年(昭和29)4月1日 中部電力専用鉄道の運行と同時に関の沢橋梁(高さ70.8m)が供用開始される
・1959年(昭和34)8月 大井川鉄道井川線が、地方鉄道法に基づく正式な鉄道となり、関の沢橋梁(高さ70.8m)が日本一の高さとなる
・1972年(昭和47)7月22日 国鉄高千穂線の高千穂橋梁(高さ105m)が開通し、日本一の高さとなる
・2005年(平成17)9月6日 台風14号による暴風雨で鉄道設備に甚大な被害を受け、高千穂鉄道が全線運転休止となる
・2007年(平成19)9月6日 高千穂鉄道の廃止により、大井川鐵道井川線の関の沢橋梁(高さ70.8m)が再び日本一の高さとなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1871年(明治4)郵便制度が新設され、郵便物の取扱、最初の切手(竜文切手)の発行が始まる(新暦4月20日)詳細
1941年(昭和16)「国民学校令」が公布される詳細
1952年(昭和27)小説家・劇作家・俳人久米正雄の命日(三汀忌)詳細
1954年(昭和29)第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁のアメリカ水爆実験で被曝する(ビキニデー)詳細
1982年(昭和57)当時の日本国有鉄道が「青春18きっぷ」の前身にあたる「青春18のびのびきっぷ」の発売を開始する詳細
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 今日は、明治時代後期の1884年(明治31)に、柳ヶ瀬トンネル(全長1,352m)完成により長浜~敦賀の鉄道(敦賀線、後の北陸本線)が開業した日です。
 柳ヶ瀬トンネル(やながせとんねる)は、東海道本線の支線敦賀線(その後北陸本線)という形で長浜~敦賀港間が全通した時に完成した、当時としては日本で一番長い鉄道トンネル(廃戦後は県道トンネル)で、1898年(明治31)に常磐線の旧金山トンネル(延長1,655)が完成するまで、その座にありました。1870年(明治3)に京都府は政府に対して北陸方面から京都に至る鉄道を建設することを提言、翌年に京都~敦賀間の鉄道敷設を前提とした測量を工部省に命じ、1880年(明治13)に、鉄道局は柳ケ瀬を経由するルートを諮問にかけ、建設が決まります。
 施工は藤田組が請け負い、工部省技手・長谷川謹介が担当するという日本人だけで敷設された鉄道で、このトンネルの工費は約42万5千円、4年の工期を経て、1883年(明治16)11月16日 に貫通し、翌年4月16日から運行が開始されました。しかし、この区間は敦賀から雁ヶ谷まで延々と続く片勾配(25‰)のため、 蒸気機関車は隧道内でも立ち往生することがあり、1928年(昭和3)2月6日には、トンネル内で貨車を牽引していた蒸気機関車が空転し、煤煙によって3名死亡する事故(北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故)が発生しています。
 そこで、当時の国鉄はこれに代わる新線を建設する方針を決定、1957年(昭和32)10月1日には、深坂トンネルを経由する北陸本線の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線に改称されてローカル列車のみを運行する路線となりました。それも、業績が振るわず「日本一の赤字線」と呼ばれるまでになり、1964年(昭和39)5月11日に廃戦になっています。
 その後、トンネルは県道用に転用されましたが、幅員が狭いため、大型車、そして自転車などの軽車両、歩行者は通行できないまま、現在に至りました。尚、このトンネルは同じ北陸線の小刀根トンネルに次いで、現存する日本で2番目に古いトンネルとなっていて、2003年(平成15)度に土木学会選奨土木遺産になり、2020年(令和2)6月19日には、小刀根トンネル、山中峠を越える旧北陸線トンネル群などと共に、日本遺産「海を越えた鉄道~世界へつながる 鉄路のキセキ~」の構成資産にもなっています。

〇鉄道トンネルとは?

 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。
 1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設します。その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m)を完成させました。地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されます。
 また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されていきました。その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保っています。

☆日本で一番長い鉄道トンネルの推移

・1871年(明治4) 東海道本線の旧石屋川トンネル(延長61m) 日本最初の鉄道トンネル
・1880年(明治13) 東海道本線の旧逢坂山トンネル(延長665m) 日本人技師による初の鉄道トンネル
・1884年(明治17) 旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m) 
・1898年(明治31) 常磐線の旧金山トンネル(延長1,655m)
・1903年(明治36) 中央本線の笹子トンネル(延長4,656m)
・1931年(昭和6) 上越線の清水トンネル(延長9,702m)
・1962年(昭和37) 北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)
・1972年(昭和47) 山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)
・1980年(昭和55) 上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)
・1988年(昭和63) 北海道新幹線の青函トンネル(延長53,850m) 世界一の海底トンネル

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1882年(明治15)大隈重信らが立憲改進党を結成する詳細
1945年(昭和20)小説家田村俊子の命日詳細
1956年(昭和31)日本道路公団が設立される詳細
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