ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:国鉄

yanagasetunnel01
 今日は、昭和時代中期の1964年(昭和39)に、国鉄柳ヶ瀬線(長浜~柳ヶ瀬)がこの日限りで廃止となり、柳ヶ瀬トンネルの鉄道利用が終了した日です。
 柳ヶ瀬トンネル(やながせとんねる)は、東海道本線の支線敦賀線(その後北陸本線)という形で長浜~敦賀港間が全通した時に完成した、当時としては日本で一番長い鉄道トンネル(廃戦後は県道トンネル)で、1898年(明治31)に常磐線の旧金山トンネル(延長1,655)が完成するまで、その座にありました。1870年(明治3)に京都府は政府に対して北陸方面から京都に至る鉄道を建設することを提言、翌年に京都~敦賀間の鉄道敷設を前提とした測量を工部省に命じ、1880年(明治13)に、鉄道局は柳ケ瀬を経由するルートを諮問にかけ、建設が決まります。
 施工は藤田組が請け負い、工部省技手・長谷川謹介が担当するという日本人だけで敷設された鉄道で、このトンネルの工費は約42万5千円、4年の工期を経て、1883年(明治16)11月16日 に貫通し、翌年4月16日から運行が開始されました。しかし、この区間は敦賀から雁ヶ谷まで延々と続く片勾配(25‰)のため、 蒸気機関車は隧道内でも立ち往生することがあり、1928年(昭和3)2月6日には、トンネル内で貨車を牽引していた蒸気機関車が空転し、煤煙によって3名死亡する事故(北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息事故)が発生しています。
 そこで、当時の国鉄はこれに代わる新線を建設する方針を決定、1957年(昭和32)10月1日には、深坂トンネルを経由する北陸本線の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線に改称されてローカル列車のみを運行する路線となりました。それも、業績が振るわず「日本一の赤字線」と呼ばれるまでになり、1964年(昭和39)5月11日に廃戦になっています。
 その後、トンネルは県道用に転用されましたが、幅員が狭いため、大型車、そして自転車などの軽車両、歩行者は通行できないまま、現在に至りました。尚、このトンネルは同じ北陸線の小刀根トンネルに次いで、現存する日本で2番目に古いトンネルとなっていて、2003年(平成15)度に土木学会選奨土木遺産になり、2020年(令和2)6月19日には、小刀根トンネル、山中峠を越える旧北陸線トンネル群などと共に、日本遺産「海を越えた鉄道~世界へつながる 鉄路のキセキ~」の構成資産にもなっています。

〇鉄道トンネルとは?

 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。
 1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設したのです。その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m)を完成させました。
 地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されました。
 また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されていきます。その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保ってきました。

☆日本で一番長い鉄道トンネルの推移

・1871年(明治4) 東海道本線の旧石屋川トンネル(延長61m) 日本最初の鉄道トンネル
・1880年(明治13) 東海道本線の旧逢坂山トンネル(延長665m) 日本人技師だけで完成させた初の鉄道トンネル
・1884年(明治17) 旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル(延長1,352m) 
・1898年(明治31) 常磐線の旧金山トンネル(延長1,655)
・1903年(明治36) 中央本線の笹子トンネル(延長4,656m)
・1931年(昭和6) 上越線の清水トンネル(延長9,702m)
・1962年(昭和37) 北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)
・1972年(昭和47) 山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)
・1980年(昭和55) 上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)
・1988年(昭和63) 北海道新幹線の青函トンネル(延長53,850m) 世界一の海底トンネル

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

892年(寛平4)菅原道真が『類聚国史』を撰進する(新暦6月2日)詳細
1863年(文久3)長州藩が下関海峡に碇泊中のアメリカ商船に砲撃し、下関事件が始まる(新暦6月25日)詳細
1871年(明治4)「新貨条例」が公布され、「円・銭・厘」の十進法が採用される(新暦6月27日)詳細
1895年(明治28)三国干渉により遼東半島を清に返還する旨の「遼東半島還付の詔勅」が出される詳細
1900年(明治33)『鉄道唱歌』第一集東海道篇が発行される詳細
1930年(昭和5)日本画家下村観山の命日詳細
1949年(昭和24)シヤウプ使節団のシャウプ博士、ヴィックリ一博士、ハットフィールド氏が来日する詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

9600katajyoukikikanshya01
 今日は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に、入換え仕業として追分機関区の9600形の使用が終了し、国鉄の営業用蒸気機関車(SL)の日常使用が終了した日です。
 蒸気機関車(SL)(じょうききかんしゃ)は、日本においては、明治時代前期の明治5年9月12日(1872年10月14日)に、新橋駅(後の汐留貨物駅)~横浜駅(現在の桜木町駅)間を結ぶ日本初の鉄道が開業して以来、鉄道輸送を担ってきましたが、当初の官営鉄道(国鉄)の車両は1号機関車などすべてイギリス製の車両(北海道の官営幌内鉄道ではアメリカ様式、九州鉄道ではドイツ様式が採用された )でした。1893年(明治26)にイギリス人技術者の指揮の下、日本初の国産機関車である860形(A9形)が鉄道庁神戸工場で製造され、その後量産されるようになっていきます。
 大正時代から昭和時代前期にかけて、SLの全盛期を迎えましたが、電気モーターやディーゼルエンジン等の動力方式が採用されるようになり、1948年(昭和23)のE10形5両が製造されたのを最後に国鉄における蒸気機関車製造は終了しました。そして、1959年(昭和34)に「動力近代化計画」が答申され、電化、ディーゼル化が推進されるようになります。
 その後、国鉄では次々と蒸気機関車は置き換えられていって、1974年(昭和49)11月に本州から、1975年(昭和50)3月に九州から相次いで姿を消しました。最後に残った北海道でも、同年12月14日、C57 135による室蘭本線室蘭~岩見沢間の225列車の運転を最後として、蒸気機関車牽引の定期旅客列車は姿を消し、貨物輸送も12月24日の夕張線(現・石勝線)でのD51 241による石炭列車が最後となり、国鉄の本線上からはなくなります。
 ただし、入換え仕業としては1976年(昭和51)3月2日まで追分機関区の9600形が使用されていました。民営鉄道でも同時期に蒸気機関車は姿を消していき、専用鉄道でも1982年(昭和57)の室蘭市における鉄原コークスを最後に、蒸気機関車の使用は終了します。
 一方で蒸気機関車を残していく動きもあり、1976年(昭和51)7月9日に、大井川鐵道が、蒸気機関車の動態保存運転を開始し、輸送用の蒸気機関車としての命脈が保たれることとなりました。国鉄でも、1979年(昭和54)8月1日から、国鉄復活蒸機第1号となるC57 1による「SLやまぐち号」が運転を開始します。
 これらが、人気となりその後各地のJRグループや私鉄でも蒸気機関車が復活運転されるようになっていきました。

〇蒸気機関車(SL)の動態保存運転(構内運転を含む)一覧

<JRグループ>
・北海道旅客鉄道(JR北海道)
 C11形(C11 171)---「SL冬の湿原号」として使用
・東日本旅客鉄道(JR東日本)
 D51形(D51 498)---「SLぐんま」などで使用
 C57形(C57 180)---「SLばんえつ物語」などで使用
 C61形(C61 20)---「SLぐんま」などで使用
・西日本旅客鉄道(JR西日本)
 C57形(C57 1)---「SLやまぐち号」などで使用
 D51形(D51 200)---「SLやまぐち号」などで使用

<私鉄>
・大井川鐵道
 C10形(C10 8)--- SL急行「かわね路号」として使用
 C11形(C11 190)---SL急行「かわね路号」として使用
 C11形(C11 227)---SL急行「かわね路号」として使用
 C56形(C56 44)---SL急行「かわね路号」として使用
・秩父鉄道
 C58形(C58 363)---「パレオエクスプレス」として使用
・真岡鐵道
 C12形(C12 66)---「SLもおか」として使用
・東武鉄道
 C11形(C11 207)---「SL大樹」として使用
 C11形(C11 325)---「SL大樹」として使用
 C11形(C11 123)---「SL大樹」として使用

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

959年(天徳3)第64代の天皇とされる円融天皇の誕生日(新暦4月12日)詳細
1392年(元中9/明徳3)武将・守護大名・室町幕府管領細川頼之の命日(新暦3月25日)詳細
1884年(明治17)岡山県が旧藩主・池田家から買い取った岡山後楽園で一般公開が開始される詳細
1886年(明治19)「帝国大学令」が公布される詳細
1899年(明治32)北海道アイヌの「保護」を名目として、「北海道旧土人保護法」が公布(同年4月1日施行)される詳細
1943年(昭和18)敵性語をやめ、野球用語も全面日本語化することを職業野球の理事会で決定する詳細
1997年(平成9)歴史学者竹内理三の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

saninhonsen01
 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、国鉄山陰本線の須佐駅~宇田郷駅間 (8.8km) が延伸開業し、京都駅~幡生駅間が全通した日です。
 山陰本線(さんいんほんせん)は、山陰地方の海岸沿いを走り、東海道本線京都駅から福知山、豊岡、鳥取、米子、松江、浜田、萩を経由して山陽本線幡生(はたぶ)駅に至る鉄道幹線で、東北本線の739.2kmに次いで2番目に長い676.0km(支線2.2km)です。
 山陰本線としては、1900年(明治32)に起工し、1902年(明治35)11月1日に、境駅(現在の境港駅)~米子駅~御来屋駅間が最初に開業し、徐々に延伸開業させていいき、1907年(明治40)8月1日に、京都~ら園部間(35.8km)の京都鉄道および福知山~綾部間の阪鶴鉄道を国有化しました。さらに、1925年(大正14)に、幡生~小串間の長州鉄道を国鉄が買収し、その後も路線を延伸していきます。
 そして、1933年(昭和8)2月24日に、須佐駅~宇田郷駅間 (8.8km) が延伸開業し、京都駅~幡生駅間が全通、美禰線の宇田郷駅~正明市駅~阿川駅間、正明市駅~仙崎駅間と小串線全線を編入し、京都駅~幡生駅間、正明市駅~仙崎駅間が山陰本線となりました。1987年(昭和62)4月1日の国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継しています。
 鳥取、米子、松江、浜田、萩など山陰地方海岸部の各都市を連ねていますが、沿線は大都市や工業地も少く、また、1975年(昭和50)の山陽新幹線の開業によってその地位が低下しました。

〇山陰本線関係略年表

<1897年(明治30)>
・2月15日:京都鉄道 二条駅~嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)間(6.14km)が開業する
・4月27日:大宮駅~二条駅間(3.30km)が延伸開業する
・11月16日:京都駅~大宮駅間(0.76km)が延伸開業し、官設鉄道(国鉄)京都駅に乗り入れる

<1899年(明治32)>
・8月15日:嵯峨駅~園部駅間(25.53km)が延伸開業する

<1902年(明治35)>
・11月1日:境駅(現在の境港駅)~米子駅~御来屋駅間が開業(米子駅~御来屋駅間は19.41km)する

<1903年(明治36)>
・8月28日:御来屋駅~八橋駅間(17.70km)が延伸開業する
・12月20日:八橋駅~倉吉駅間(15.61km)が延伸開業する

<1904年(明治37)>
・3月15日:倉吉駅~松崎駅間(5.47km)が延伸開業する
・11月3日:福知山駅~綾部駅~新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間が開業(福知山駅~綾部駅間は12.39km)、阪鶴鉄道に貸与される

<1905年(明治38)>
・5月15日:松崎駅~青谷駅間(11.91km)が延伸開業する

<1907年(明治40)>
・4月28日:青谷駅~鳥取仮停車場間(20.76km)が延伸開業する
・8月1日:阪鶴鉄道と京都鉄道が国有化される

<1908年(明治41)>
・4月5日:鳥取駅~鳥取仮停車場間(1.77km)、米子駅~安来駅間(8.85km)が延伸開業する
・7月1日:和田山駅~八鹿駅間(12.07km)が開業する
・11月8日:安来駅~松江駅間(20.12km)が延伸開業する

<1909年(明治42)>
・7月10日:播但線の八鹿駅~豊岡駅間(17.22km)が延伸開業する
・9月5日:播但線の豊岡駅~城崎駅間(9.66km)が延伸開業する
・10月12日:線路名称が制定され、鳥取駅~米子駅~松江駅間を山陰本線、京都駅~園部駅間が京都線、神崎駅(現在の尼崎駅)~福知山駅~綾部駅~新舞鶴駅間などを阪鶴線、飾磨駅~姫路駅~和田山駅~城崎駅間は播但線となる
・11月7日:松江駅~宍道駅間(17.06km)が延伸開業する

<1910年(明治43)>
・6月10日:岩美駅~鳥取駅間(18.35km)、宍道駅~荘原駅間(4.02km)が延伸開業する
・8月25日:園部駅~綾部駅間(42.00km)が延伸開業する
・10月10日:荘原駅~出雲今市駅間(11.59km)が延伸開業する

<1911年(明治44)>
・9月16日:大宮駅が廃止。
・10月25日:播但線の城崎駅~香住駅間(22.05km)が延伸開業、支線の和田山駅~福知山駅間(30.58km)も開業する
・11月10日:浜坂駅~岩美駅間(14.00km)が延伸開業する

<1912年(明治45)>
・3月1日:香住駅~浜坂駅間(17.86km)が延伸開業し京都駅~出雲今市駅間が全通する

<1913年(大正2)>
・11月21日:出雲今市駅~小田駅間(15.45km)が延伸開業する

<1914年(大正3)>
・4月22日:長州鉄道の東下関駅~ 幡生駅~小串駅が開業(幡生駅~小串駅間は23.82km)が開業する

<1915年(大正4)>
・7月11日:小田駅~石見大田駅間(17.06km)が延伸開業する

<1917年(大正6)>
・5月15日:石見大田駅~仁万駅間(11.75km)が延伸開業する

<1918年(大正7)>
・11月25日:仁万駅~浅利駅間(19.15km)が延伸開業する

<1920年(大正9)>
・12月25日:浅利駅~都野津駅間(10.62km)が延伸開業する

<1921年(大正10)>
・9月1日:都野津駅~浜田駅間(14.65km)が延伸開業する

<1922年(大正11)>
・3月10日:浜田駅~周布駅間(9.50km)が延伸開業する
・9月1日:周布駅~三保三隅駅間(9.82km)が延伸開業する

<1923年(大正12)>
・12月26日:三保三隅駅~石見益田駅(現在の益田駅)間(21.89km)が延伸開業する

<1924年(大正13)>
・11月3日:美禰線の正明市駅(現在の長門市駅)~長門三隅駅間(5.15km)が延伸開業する

<1925年(大正14)>
・3月8日:石見益田駅~石見小浜駅間 (9.81km) が延伸開業する
・4月3日:美禰線の長門三隅駅~萩駅間(18.67km)が延伸開業する
・6月1日:長州鉄道の幡生駅~小串駅間が国有化され、小串線となる
・8月16日:小串線の小串駅~滝部駅間(15.13km)が延伸開業する
・11月1日:美禰線の萩駅~東萩駅間(3.70km)が延伸開業する

<1927年(昭和2)>
・6月19日:戸田小浜駅~飯浦駅間(3.70 km)が延伸開業する

<1928年(昭和3)>
・3月25日:飯浦駅~須佐駅間(12.39km)が延伸開業する
・9月9日:小串線の滝部駅~阿川駅間(7.72km)が延伸開業する
・12月9日:美禰線支線の正明市駅~黄波戸駅間(5.31km)が開業する

<1929年(昭和4年)>
・4月24日:美禰線の東萩駅~奈古駅間(11.91km)が延伸開業する
・10月13日:美禰線支線の黄波戸駅~長門古市駅間(4.02km)が延伸開業する

<1930年(昭和5)>
・4月1日:美禰線貨物支線 馬潟駅~馬潟港駅間 (1.0km) が開業する
・5月15日:美禰線貨物支線の正明市駅~仙崎駅間 (2.2km) が開業する
・12月7日:長門古市駅~阿川駅間 (18.4km) が延伸開業し小串線に接続する。

<1931年(昭和6)>
・11月15日:美禰線の奈古駅~宇田郷駅間 (11.0km) が延伸開業する

<1933年(昭和8)>
・2月24日:須佐駅~宇田郷駅間 (8.8km) が延伸開業し、京都駅~幡生駅間が全通、美禰線の宇田郷駅~正明市駅~阿川駅間、正明市駅~仙崎駅間と小串線全線を編入し、京都駅~幡生駅間、正明市駅~仙崎駅間が山陰本線となる
・7月26日:支線の正明市駅~仙崎駅間の旅客営業開始する

<1935年(昭和10)>
・3月15日:ダイヤ改正で、大阪駅~大社駅間に食堂車を連結した急行列車、特急つばめに連絡する準急列車、全線走破する夜行各駅停車が新設される

<1961年(昭和36)>
・10月1日:山陰本線初の特急列車「まつかぜ」を京都駅~松江駅間(東海道本線・福知山線経由)で運転開始する

<1964年(昭和39)>
・3月20日:特急「まつかぜ」の運転区間を京都駅~博多駅間(東海道本線・福知山線・山陰本線・鹿児島本線経由)へ延長する

<1965年(昭和40)>
・2月1日:全線にATS-Sを導入する

<1968年(昭和43)>
・9月18日:綾部駅~石原駅間が複線化される

<1969年(昭和44)>
・9月26日:石原駅~福知山駅間が複線化される

<1970年(昭和45)>
・2月21日:玉造温泉駅~来待駅間が複線化される
・12月15日:福知山駅~居組駅間に列車集中制御装置 (CTC) が導入される

<1971年(昭和46)>
・2月1日:二条駅~福知山駅間に CTC が導入される

<1972年(昭和47)>
・1月20日:東浜駅~出雲市駅間にCTCが導入される
・3月15日:山陰本線初の寝台特急「出雲」を同名急行の格上げで東京駅~浜田駅間にて運転開始する

<1974年(昭和49)>
・11月30日:蒸気機関車運転終了する

<1975年(昭和50)>
・4月1日:貨物支線の東松江駅~馬潟港駅間 (1.0km) が廃止される

<1976年(昭和51)>
・3月16日:京都駅~二条駅間が高架化される
10月1日:長門市駅~幡生駅間にCTCが導入される

<1977年(昭和52)>
・3月10日:松江駅付近が高架化される

<1978年(昭和53)>
・11月8日:鳥取駅付近が高架化される

<1979年(昭和54)>
・10月31日:東松江駅~松江駅間が複線化される

<1982年(昭和57)>
・6月18日:清水寺信号場~安来駅間が複線化される
・6月24日:米子駅~清水寺信号場間が複線化される
・7月1日:伯耆大山駅~知井宮駅間が電化され、特急「やくも」が電車化される
・11月7日:貨物支線の西浜田駅~浜田港駅間 (2.3km) が廃止される

<1984年(昭和59)>
・2月21日:浜田駅~長門市駅間にCTCを導入し、山陰本線全線にCTCが導入される

<1986年(昭和61)>
・10月29日:福知山駅~城崎駅間が電化される
・11月1日:長門市駅~幡生駅間の貨物営業が廃止される

<1987年(昭和62)>
・4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継。日本貨物鉄道(JR貨物)が丹波口駅~二条駅間、湖山駅~出雲市駅間、江津駅~益田駅間の第二種鉄道事業者となる

<1988年(昭和63)>
・3月13日:長門市駅~仙崎駅間でワンマン運転開始する

<1990年(平成2)>
・3月10日:京都駅~園部駅間が電化される

<1991年(平成3)>
・4月27日:嵯峨駅~馬堀駅間の旧線が嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線として開業する
・11月1日:長門市駅~下関駅間の一部の列車でワンマン運転開始する
・12月1日:鳥取駅~米子駅間の一部の列車でワンマン運転開始する

<1993年(平成5)>
・7月21日:園部駅~福知山駅の電化・高速化工事の起工式が行われる

<1995年(平成7)>
・4月20日:綾部駅~福知山駅間が電化される

<1996年(平成8)>
・3月16日:園部駅~綾部駅間が電化[、二条駅~花園駅間が高架化される

<1997年(平成9)>
・3月22日:江津駅~岡見駅間の貨物列車が廃止される
・10月1日:湖山駅~伯耆大山駅間の貨物列車が廃止される

<1998年(平成10)>
・3月14日:出雲市駅付近が高架化される

<2000年(平成12)>
・9月23日:二条駅~花園駅間が複線化される

<2001年(平成13)>
・3月3日:福知山駅~城崎駅間でワンマン運転開始する
・7月7日:安来駅~益田駅間の高速化工事が完成、米子駅~出雲市駅間の普通列車と米子駅~益田駅間の快速列車でワンマン運転開始する

<2002年(平成14)>
・8月30日:福知山駅~居組駅間で小規模線区自動進路制御装置 (SRC) が導入される

<2003年(平成15)>
・10月1日:鳥取駅~米子駅間の高速化工事完成する
・11月1日:京都駅~園部駅間においてICカード「ICOCA」利用開始する

<2004年(平成16)>
・4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(湖山駅~伯耆大山駅間)が廃止される

<2005年(平成17)>
・11月26日:福知山駅付近が高架化される

<2006年(平成18)>
・4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(丹波口駅~二条駅間、東松江駅~出雲市駅間、江津駅~岡見駅間)が廃止される

<2008年(平成20)>
・3月23日:花園駅~太秦駅間が高架化される
・5月25日:太秦駅~嵯峨嵐山駅間が高架化される
・12月14日:馬堀駅~亀岡駅間が複線化される

<2009年(平成21)>
・3月14日:八木駅~園部駅間が複線化される
・7月20日:京都駅~丹波口駅間が複線化される
・9月6日:並河駅~八木駅間が複線化される
・11月1日:亀岡駅~並河駅間が複線化される

<2010年(平成22)>
・1月31日:丹波口駅~二条駅間が複線化される
・3月7日:花園駅~嵯峨嵐山駅間が複線化される
・8月12日:コンクリートに架け替えた余部橋梁を供用開始する

<2014年(平成26)>
・4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(岡見駅~益田駅間 16.9 km)が廃止される

<2015年(平成27)>
・3月14日:伯耆大山駅~米子駅間の貨物列車が廃止。山陰本線を経由する定期貨物列車が全廃される
・4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(伯耆大山駅~東松江駅間 27.1 km)が廃止される

<2016年(平成28)>
・12月17日:伯耆大山駅~出雲市駅間においてICカード「ICOCA」利用開始される

<2017年(平成29)>
・5月22日:益田駅~幡生駅と長門市駅~仙崎駅間に小規模自動進路制御装置 (SRC) が導入される

<2021年(令和3)>
・3月13日:園部駅~城崎温泉駅間(胡麻駅~城崎温泉駅間は一部の駅のみ)においてICカード「ICOCA」利用開始される

<2024年(令和6)>
・3月16日:鳥取駅~米子駅間、松江駅~宍道駅間において、普通列車は終日ワンマン運転となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1610年(慶長15)絵師長谷川等伯の命日(新暦3月19日)詳細
1704年(元禄17)俳人・蕉門十哲の一人内藤丈草の命日(新暦3月29日)詳細
1890年(明治23)文芸評論家青野季吉の誕生日詳細
1901年(明治34)奥村五百子らによって愛国婦人会が創立される詳細
1906年(明治39)日本社会党[明治期]が結成され、日本で初めての合法的な社会主義政党が誕生する詳細
1933年(昭和8)国際連盟総会のリットン調査団報告書採択に抗議し日本全権大使松岡洋右が退場、連盟脱退宣言をする詳細
1934年(昭和9)小説家・脚本家・映画監督直木三十五の命日(南国忌)詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

sayonaraSL0
 今日は、昭和時代後期の1975年(昭和50)に、国鉄室蘭本線の岩見沢~室蘭間で、国鉄最後のSL牽引による旅客列車が走った日です。
 蒸気機関車(SL)(じょうききかんしゃ)は、日本においては、明治5年9月12日(1872年10月14日)に、新橋駅(後の汐留貨物駅)~横浜駅(現在の桜木町駅)間を結ぶ日本初の鉄道が開業して以来、鉄道輸送を担ってきましたが、当初の官営鉄道(国鉄)の車両は1号機関車などすべてイギリス製の車両(北海道の官営幌内鉄道ではアメリカ様式、九州鉄道ではドイツ様式が採用された )でした。
 1893年(明治26)にイギリス人技術者の指揮の下、日本初の国産機関車である860形(A9形)が鉄道庁神戸工場で製造され、その後量産されるようになっていきます。
 大正時代から昭和時代前期にかけて、蒸気機関車(SL)の全盛期を迎えましたが、電気モーターやディーゼルエンジン等の動力方式が採用されるようになり、1948年(昭和23)のE10形5両が製造されたのを最後に国鉄における蒸気機関車製造は終了しました。
 そして、1959年(昭和34)に「動力近代化計画」が答申され、電化、ディーゼル化が推進されるようになります。その後、国鉄では次々と蒸気機関車は置き換えられていって、1974年(昭和49)11月に本州から、1975年(昭和50)3月に九州から相次いで姿を消しました。
 最後に残った北海道でも、同年12月14日、C57 135による室蘭本線室蘭~岩見沢間の225列車の運転を最後として、蒸気機関車(SL)牽引の定期旅客列車は姿を消し、貨物輸送も12月24日の夕張線(現・石勝線)でのD51 241による石炭列車が最後となり、国鉄の本線上からはなくなります。ただし、入換え仕業としては1976年(昭和51)3月2日まで追分機関区の9600形が使用されていました。
 民営鉄道でも同時期に蒸気機関車(SL)は姿を消していき、専用鉄道でも1982年(昭和57)の室蘭市における鉄原コークスを最後に、蒸気機関車(SL)の使用は終了しています。
 一方で蒸気機関車(SL)を残していく動きもあり、1972年(昭和47)の鉄道100年を契機に、国鉄蒸気機関車(SL)の恒久的な動態保存が始められ、同年10月に梅小路蒸気機関車館(於:京都市)が開館しました。このSLを用いて、開館直後から1974年(昭和49)までC62形やC61形を用いた「SL白鷺号」が京都~姫路間に行楽シーズンに運行されています。
 また、1976年(昭和51)7月9日に、大井川鐵道が、蒸気機関車(SL)の動態保存運転を開始し、輸送用の蒸気機関車(SL)としての命脈が保たれることとなりました。国鉄でも、1979年(昭和54)8月1日から、国鉄復活蒸機第1号となるC57 1による「SLやまぐち号」が運転を開始します。
 これらが、人気となりその後各地のJRグループや私鉄でも蒸気機関車(SL)が復活運転されるようになっていきました。

〇蒸気機関車(SL)の動態保存運転(構内運転を含む)一覧

<JRグループ>
・北海道旅客鉄道(JR北海道)
 C11形(C11 171)---「SL冬の湿原号」として使用
・東日本旅客鉄道(JR東日本)
 D51形(D51 498)---「SLぐんま」などで使用
 C57形(C57 180)---「SLばんえつ物語」などで使用
 C61形(C61 20)---「SLぐんま」などで使用
・西日本旅客鉄道(JR西日本)
 C57形(C57 1)---「SLやまぐち号」などで使用
 D51形(D51 200)---「SLやまぐち号」などで使用

<私鉄>
・大井川鐵道
 C10形(C10 8)--- SL急行「かわね路号」として使用
 C11形(C11 190)---SL急行「かわね路号」として使用
 C11形(C11 227)---SL急行「かわね路号」として使用
 C56形(C56 44)---SL急行「かわね路号」として使用
・秩父鉄道
 C58形(C58 363)---「パレオエクスプレス」として使用
・真岡鐵道
 C12形(C12 66)---「SLもおか」として使用
・東武鉄道
 C11形(C11 207)---「SL大樹」として使用
 C11形(C11 325)---「SL大樹」として使用
 C11形(C11 123)---「SL大樹」として使用

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1840年(天保11)江戸時代の文人画家谷文晁の命日(新暦1841年1月6日)詳細
1907年(明治40)法制史学者石井良助の誕生日詳細
1949年(昭和24)小説家・翻訳家森田草平の命日詳細
1955年(昭和30)洋画家安井曾太郎の命日詳細
1960年(昭和35)国連教育科学文化機関(ユネスコ)第11回総会で、「教育差別禁止条約」が採択される詳細
第15回国連総会で、アジア・アフリカ43ヶ国の提案による「植民地独立付与宣言」が採択される詳細
1972年(昭和47)元東京帝国大学総長・建築家で、日本の建築構造学の父と言われる内田祥三の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

takayamahonsen01
 今日は、昭和時代前期の1934年(昭和9)に、岐阜県の飛騨小坂駅~坂上駅間が開業し、国鉄高山本線が全通した日です。
 高山本線(たかやまほんせん)は、東海道本線岐阜駅から高山を経由して北陸本線富山駅に至る鉄道幹線で、国鉄の分割民営化後は東海旅客鉄道が岐阜駅~猪谷駅間を西日本旅客鉄道が猪谷駅~富山駅間を継承しています。
 当初から国鉄線として岐阜側(高山線)および富山側(飛越線)からそれぞれ建設を開始し、まず岐阜側(高山線)は、1920年(大正9)11月1日に高山線の岐阜駅~各務ケ原駅間(13.2 km)が開業、富山側(飛越線)は、1927年(昭和2)9月1日に飛越線の富山駅~田苅屋信号場から越中八尾駅間(17.06 km)が開業しました。その後、順次延伸開業していき、1934年(昭和9)10月25日の飛騨小坂駅~坂上駅間 (57.8 km) が開業して全通し、飛越線が高山線に編入され、岐阜駅~富山間が高山本線となります。
 全線単線、非電化で、営業キロは225.8km、中央日本の横断線として険しい山地を走るため、急勾配、急曲線区間が連続し、トンネル、橋梁も多いのが特徴とされてきました。飛騨地方を経て中京圏と北陸地方を短絡する本州横断線で、沿線には、高山をはじめ、下呂温泉、飛騨木曽川国定公園など観光地も多くあります。名古屋駅~岐阜駅~高山駅間の直通特急「ひだ」も運転されてきました。

〇高山本線関係略年表

・1918年(大正7) 国会において、高山線を美濃太田回りのルートで正式に決定する
・1920年(大正9)11月1日 高山線の岐阜駅~各務ケ原駅間(13.2 km)が開業する
・1921年(大正10)11月12日 高山線の各務ケ原駅~美濃太田駅間(14.16 km)が延伸開業する
・1922年(大正11)11月25日 高山線の美濃太田駅~下麻生駅間(10.46 km)が延伸開業する
・1924年(大正13)3月20日 高山線の下麻生駅~上麻生駅間(5.47 km)が延伸開業する
・1926年(大正15)3月15日 高山線の上麻生駅~白川口駅間(9.82 km)が延伸開業する
・1927年(昭和2)9月1日 飛越線の富山駅~田苅屋信号場から越中八尾駅間(17.06 km)が開業する
・1928年(昭和3)3月21日 高山線の白川口駅~飛騨金山駅間(13.51 km)が延伸開業する
・1929年(昭和4)4月14日 高山線の飛騨金山駅~焼石駅間(9.01 km)が延伸開業する
・1929年(昭和4)10月1日 高山線の飛越線の越中八尾駅~笹津駅間(8.21 km)が延伸開業する
・1930年(昭和5)11月2日 高山線の焼石駅~下呂駅間が延伸開業する
・1930年(昭和5)11月27日 飛越線の笹津駅~猪谷駅間 (11.3 km) が延伸開業する
・1931年(昭和6)5月9日 高山線の下呂駅~飛騨萩原駅間 (8.4 km) が延伸開業する
・1932年(昭和7)8月20日 飛越線の猪谷駅~杉原駅間 (8.7 km) が延伸開業する
・1933年(昭和8)8月25日 高山線の飛騨萩原駅~飛騨小坂駅間 (12.1 km) が延伸開業する
・1933年(昭和8)11月12日 飛越線の杉原駅~坂上駅間 (13.9 km) が延伸開業する
・1934年(昭和9)10月25日 飛越線の飛騨小坂駅~坂上駅間 (57.8 km) が開業し、飛越線が高山線に編入され、岐阜駅~富山間が高山本線となる
・1945年(昭和20)1月10日 焼石駅~下呂駅間の橋梁で下り旅客列車の客車2両が脱線し益田川(現在の飛騨川)に転落、43人が死亡する列車脱線事故(高山線列車脱線事故)が発生する
・1956年(昭和31)3月26日 岐阜駅~下呂駅間で初めてディーゼル列車が運行される
・1958年(昭和33)3月1日 全線にディーゼル列車(準急「ひだ」)が運行される
・1958年(昭和33)7月24日~8月12日 台風11号及びその後の大雨で飛騨金山駅~渚駅間が被害を受け、不通になる
・1965年(昭和40)2月1日 全線にATS-Sを導入する
・1965年(昭和40)8月5日 名鉄から乗り入れる準急「たかやま」運転開始(1966年急行格上げ)する
・1968年(昭和43)8月18日~9月12日 集中豪雨により上麻生駅~白川口駅間が被害を受け、不通になる
・1968年(昭和43)9月3日 岐阜駅~美濃太田駅間にCTCが導入される
・1968年(昭和43)9月12日 蒸気機関車の運用が終了し、ディーゼルカーやディーゼル機関車に置き換えられる
・1968年(昭和43)10月1日 美濃太田駅~高山駅間に CTC が導入され、特急「ひだ」が運転開始する
・1969年(昭和44)10月1日 高山駅~富山駅間に CTC が導入される
・1984年(昭和59)2月1日 全国ダイヤ改正により夜行列車(急行「のりくら」)が廃止、全線に運行されていた貨物列車のうち、上枝駅(実際は高山駅の側線扱い)~猪谷駅間を廃止する
・1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が岐阜駅~猪谷駅間を西日本旅客鉄道が猪谷駅~富山駅間を継承、日本貨物鉄道が岐阜駅~高山駅間と猪谷駅~富山駅間の第二種鉄道事業者となる
・1989年(平成元)2月18日 特急「ひだ」にキハ85系運用開始する
・1990年(平成2)3月10日 岐阜駅~美濃太田駅間でワンマン運転を開始、岐阜駅~多治見駅間で太多線との直通運転本格開始、急行「のりくら」が廃止される
・1992年(平成4)3月14日 猪谷駅~富山駅間でワンマン運転が開始される
・1994年(平成6)10月25日 高山本線60周年記念式典が行われ、キハ82系による「メモリアルひだ号」と飛越線60周年記念の客車列車が運転される
・1995年(平成7)9月30日 この日限りで飛騨一ノ宮駅・上枝駅発着の貨物列車の運行を終了、坂祝駅~猪谷駅間で貨物列車が運転されないことになる
・1996年(平成8)3月16日 猪谷駅~富山駅間でキハ120形が運用開始する
・1999年(平成11)12月4日 美濃太田駅~高山駅間でワンマン運転開始、急行「たかやま」が廃止され、大阪駅発着の特急「ひだ」が運転開始する
・2001年(平成13)10月1日 名鉄から乗り入れる特急「北アルプス」が廃止される
・2003年(平成15)10月1日 高山駅~猪谷駅間でワンマン運転開始する
・2005年(平成17)3月31日 この日限りで神岡鉄道神岡線に直通の貨物列車廃止される(実際は同年1月より休止)
・2007年(平成19)3月18日 岐阜駅~坂祝駅間の貨物列車が廃止され、岐阜口での貨物列車が消滅する
・2010年(平成22)3月13日 岐阜駅~美濃太田駅間にTOICAが導入される
・2014年(平成26)12月1日 岐阜駅~猪谷駅間でキハ25形が運用開始される
・2022年(令和4)7月1日 特急「ひだ」にHC85系運用開始する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)島原の乱(島原・天草一揆)が起きる(新暦12月11日)詳細
1907年(明治40)第1回文部省美術展覧会(通称:文展)が東京上野で開催される詳細
1909年(明治42)写真家土門拳の誕生日詳細
1924年(大正13)明治神宮外苑に明治神宮競技場が竣功する詳細
1946年(昭和21)GHQが「石油製品の配給に関する覚書」(SCAPIN-1294)を出す詳細
1951年(昭和26)戦後初の国内民間航空会社日本航空が、東京~大阪~福岡間で運航開始する(民間航空記念日)詳細
1991年(平成4)「再生資源の利用の促進に関する法律」(リサイクル法)が施行(公布は前年4月26日)される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ