
愛国国債購入運動については、ポスターが貼られ、「愛国国債の歌」まで作られ、キャンペーンが行われ、11月16日の「愛国国債」売出し初日には、各地の郵便局に希望者が殺到したと言われています。「胸に愛国 手に国債」「国債は 総力戦の 従軍証」など七五調の戦意高揚スローガンを掲げ、愛国国債の割り当ても隣組の仕事とされ、銃後の庶民にも積極的に購入するよう指導されました。
そして、これらの公債発行によって、1944(昭和19)年度末において国の債務残高は国内所得の260 %を超える水準にまで至ります。その結果、1945年(昭和20)年の敗戦とその後の急激なインフレーションの進行はその価値を限りなく「紙くず同然」にまで低下させ、多くの国民は経済的な損失を蒙りました。
翌年までに帝国在郷軍人会、全国神職会、全国市長会、日本労働組合会議など多くの団体が参加するようになりました。最初は、精神運動の性格が強かったのですが、次第に献金、献品など物的協力に転換していき、貯蓄増加や国債消化の奨励、金属類回収などが展開されます。
1939年(昭和14)3月には文部大臣を委員長とする国民精神総動員中央委員会が設置され、道府県には主務課が設けられました。同年8月には興亜奉公日(同年9月1日より毎月1日)が設定され、さらに翌年4月には、従来の組織を解消して、首相を会長とする国民精神総動員本部が設けられ、中央連盟を吸収します。しかし、同本部も同年10月には大政翼賛会に吸収されて、運動が引き継がれていきました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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1868年(明治元) | 詩人・評論家北村透谷の誕生日(新暦12月29日) | 詳細 |
1946年(昭和21) | 「当用漢字表」と「現代かなづかい」が内閣告示される | 詳細 |
1962年(昭和37) | 日本を代表する刑法学者・京都大学総長瀧川幸辰の命日 | 詳細 |
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