ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:国家総動員法

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 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、「国家総動員法」第6条に基づいて、「従業者雇入制限令」(昭和14年勅令第126号)が公布(施行は同年4月20日)された日です。
 「従業者雇入制限令」(じゅうぎょうしゃやといいれせいげんれい)は、1938年(昭和13)4月1日に公布(同年5月5日施行)された、「国家総動員法」に基づいて、翌年3月31日に公布(施行は同年4月20日)された勅令(昭和14年勅令第126号)でした。厚生大臣が指定する職種(技術者9種類、職工84種の計93職種)の労働者のうち、年齢15歳以上50歳未満の男子で、他の雇用者に3ヶ月以上雇用されていた者、あるいは3ヶ月以上雇用された後、雇用を終了し6ヶ月以内の者については、新たに雇用する場合に職業紹介所長の認可を要するとしたものです。
 尚、同時に、「国家総動員法」に基づいて、「工場就業時間制限令」(昭和14年勅令第127号)、「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)、「学校技能者養成令」(昭和14年勅令第130号)、「工場事業場技能者養成令」(昭和14年勅令第131号)などが出されています。この勅令は、「従業者移動防止令」(昭和15年勅令第750号)に改正され、1940年(昭和15)11月20日で廃止されました。
 以下に、「従業者雇入制限令」(昭和14年勅令第126号)を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇「従業者雇入制限令」(昭和14年勅令第126号) 1939年(昭和14)3月31日公布、同年4月10日施行

第一条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者(以下従業者ト称ス)ノ国家総動員法第六条ノ規定ニ基ク雇入制限ハ本令ノ定ムル所ニ依ル
 一 年齢十六年以上五十年未満ノ男子ニシテ引続キ三月以上他人ニ雇傭セラレテ厚生大臣ノ指定スル職業ニ従事スルモノ
 二 年齢十六年以上五十年未満ノ男子ニシテ引続キ三月以上他人ニ雇傭セラレテ前号ノ職業ニ従事シ本令施行後ニ於テ其ノ雇傭ヲ終了シ且其ノ雇傭ヲ終了シタル日ヨリ厚生大臣ノ指定スル学校卒業者タル者ニ在リテハ一年、其ノ他ノ者ニ在リテハ六月ヲ経過セザルモノ
 三 引続キ三月以上工場事業場技能者養成令ノ養成工(以下養成工ト称ス)タル者
 四 引続キ三月以上養成工タリシ者ニシテ養成工タラザルニ至リタル日ヨリ六月ヲ経過セザルモノ

第二条 工場又ハ事業場ニ於テ使用スル為従業者ヲ雇入レントスル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ前条第一号又ハ第三号ニ該当スル者ノ雇入ニ付テハ其ノ者ガ現ニ就業スル地ノ所轄職業紹介所長ノ、前条第二号ニ該当スル者ノ雇入ニ付テハ其ノ者ガ雇傭終了ニ至ル迄前条第一号ノ職業ニ従事シタル地ノ所轄職業紹介所長ノ、前条第四号ニ該当スル者ノ雇入ニ付テハ其ノ者ガ養成工タラザルニ至ル迄就業シタル地ノ所轄職業紹介所長ノ認可ヲ受クベシ前条第一号ノ職業ニ従事セシムル為従業者ヲ雇入レントスル者亦同ジ

第三条 職業紹介所長前条ノ認可ノ申請ニ付不正又ハ虚偽ノ事実アリト認ムルトキハ認可ヲ取消スコトヲ得

第四条 第二条ノ認可ニ関シ必要アル場合ニ於テハ同条ノ職業紹介所長及雇入ニ依リ従業者ノ就業スベキ地ノ所轄職業紹介所長ハ国家総動員法第三十一条ノ規定ニ基キ関係人ヨリ報告ヲ徴シ又ハ当該官吏ヲシテ関係ノ工場、事業場若ハ事務所ニ臨検セシメ業務ノ状況若ハ帳簿書類ヲ検査セシムルコトヲ得
2 前項ノ規定ニ依リ当該官吏ヲシテ臨検検査セシムル場合ニ於テハ其ノ身分ヲ示ス証票ヲ携帯セシムベシ

第五条 本令ハ市町村其ノ他之ニ準ズベキモノニ於テ従業者ヲ吏員トシテ採用スル場合ニ之ヲ準用ス

第六条 本令ハ国又ハ道府県ニ於ケル従業者ノ雇入ニハ之ヲ適用セズ

第七条 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ職業紹介所長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹、郡守又ハ島司、台湾ニ在リテハ市尹又ハ郡守(澎湖庁ニ在リテハ庁長)、樺太ニ在リテハ樺太庁支庁長、南洋群島ニ在リテハ南洋庁支庁長トシ道府県トアルハ朝鮮ニ在リテハ道、台湾ニ在リテハ州又ハ庁、南洋群島ニ在リテハ南洋群島地方費トス

  附 則

本令ハ昭和十四年四月二十日ヨリ之ヲ施行ス但シ朝鮮、台湾、樺太及南洋群島ニ在リテハ昭和十四年八月一日ヨリ之ヲ施行ス

      「官報」より

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gunjyukoujyou002
 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、「国民勤労報国協力令」が交布(施行は同年12月1日)され、14~40歳の男子と14~25歳の未婚女子の年30日以内の勤労奉仕が義務化された日です。
 「国民勤労報国協力令」(こくみんきんろうほうこくきょうりょくれい)は、「国家総動員法」第5条に基づいて発せられた、国民勤労報国隊について定めた勅令(昭和16年勅令第995号)でした。これは、従来任意に存在した勤労奉仕隊を国民勤労報国隊として義務付けると共に総合的な調整を狙ったものです。
 これによって、14~40歳の男子と、14~25歳の未婚女子に、年間30日以内の「勤労奉仕」を義務付け、職場ないし団体単位に国民勤労報国隊が組織され、無報酬で、時局下に必要な工場・鉱山・農業等の労働に就くことになりました。同年12月1日に施行され、学徒に対しても軍需工場への「勤労動員」を決め、翌年1月に、初めて東京府下の中等学校に適用され、また6月からは、石炭増産運動に中小商工業者を動員することになり、順次拡大していきます。
 その後、昭和17年勅令第731号、同勅令第781号、昭和18年勅令第515号および昭和19年勅令第642号による改正がなされましたが、1945年(昭和20)3月10日の「国民勤労動員令」(昭和20年勅令第94号)の施行にともなって廃止されました。
 以下に、「国民勤労報国協力令」(昭和16年勅令第995号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「国民勤労報国協力令」(昭和16年勅令第995号)1941年(昭和16)11月22日公布、12月1日施行

第一条 国家総動員法(昭和十三年勅令第三百十七号ニ於テ依ル場合ヲ含ム)第五条ノ規定ニ基ク帝国臣民ノ勤労報国ヲ目的トスル協力ニシテ隊組織ニ依ルモノ(以下国民勤労報国隊ニ依ル協力ト称ス)ニ関シテハ本令ニ定ムル所ニ依ル

第二条 国民勤労報国隊ニ依ル協力ハ国、地方公共団体又ハ厚生大臣若ハ地方長官ノ指定スル者ノ行フ命令ヲ以テ定ムル総動員業務ニ付之ヲ為サシムルモノトス

第三条 国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシムベキ者ハ帝国臣民ニシテ年齢十四年以上四十年未満ノ男子及年齢十四年以上二十五年未満ノ女子(妻及届出ヲ為サザルモ事実上婚姻関係ト同様ノ事情ニ在ル女子ヲ除ク)トス
2 前項該当者以外ノ者ハ志願ニ依リ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシムルコトヲ得
3 第六条ノ規定ニ依リ学校長ニ対シ必要ナル措置ヲ命ズル場合ノ学校在学者ノ国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関シテハ前二項ノ規定ニ拘ラズ命令ヲ以テ別段ノ定ヲ為スコトヲ得

第四条 国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシムル期間ハ命令ノ定ムル所ニ依リ一年ニ付三十日以内トス
2 前項ノ期間ハ特別ノ必要アル場合又ハ本人ノ同意アル場合ニ於テハ三十日ヲ超ユルコトヲ得

第五条 国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ受ケントスル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ厚生大臣又ハ地方長官ニ之ヲ請求又ハ申請スベシ

第六条 厚生大臣又ハ地方長官ハ前条ノ規定ニ依ル請求又ハ申請アリタル場合ニ於テ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシムル必要アリト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ市町村長(市町村長ニ準ズベキモノヲ含ム以下同ジ)其ノ他ノ団体ノ長又ハ学校長ニ対シ協力ヲ受クベキ者、作業ノ種類、協力ヲ為スベキ場所及期間並ニ所要人員数其ノ他必要ナル事項ヲ指定シテ国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関シ必要ナル措置ヲ命ズルモノトス

第七条 前条ノ措置ヲ命ゼラレタル者ハ命令ノ定ムル所ニ依リ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為スベキ者ヲ選定シ其ノ選定アリタル旨ヲ本人ニ通知シ協力ニ関シ必要ナル事項ヲ指示スベシ
2 前項ノ選定ヲ為スニ当リテハ本人ノ年齢、職業、身体ノ状態、家庭ノ状況、希望等ヲ斟酌スベシ

第八条 前条第一項ノ通知ヲ受ケタル者ハ同項ノ規定ニ依ル指示ニ従ヒ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為スベシ

第九条 国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ要スル経費ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ特別ノ事情アル場合ヲ除クノ外其ノ協力ヲ受クル者之ヲ負担スルモノトス

第十条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシメザルモノトス
 一 陸海軍軍人ニシテ現役中ノモノ(未ダ入営セザル者ヲ除ク)及召集中ノモノ(召集中ノ身分取扱ヲ受クル者ヲ含ム)
 二 陸海軍学校生徒(海軍予備練習生及海軍予備補習生ヲ含ム)
 三 朝鮮総督府陸軍兵志願者訓練所生徒
 四 陸海軍軍属
 五 現ニ徴用中ノ者
 六 陸軍大臣若ハ海軍大臣ノ所管ニ属スル官衙(部隊及学校ヲ含ム)又ハ厚生大臣ノ指定スル工場事業場其ノ他ノ場所ニ於テ軍事上必要ナル総動員業務ニ従事スル者
 七 法令ニ依リ拘禁中ノ者

第十一条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ志願ニ依ル場合ヲ除クノ外国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為サシメザルモノトス
 一 現ニ厚生大臣ノ指定スル総動員業務ニ従事スル者
 二 其ノ他厚生大臣ノ指定スル者

第十二条 厚生大臣又ハ地方長官ハ国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関シ市町村長其ノ他ノ団体ノ長若ハ学校長又ハ国民勤労報国隊ニ依ル協力ヲ為ス者若ハ其ノ協力ヲ受クル者ヲ監督ス

第十三条 厚生大臣又ハ地方長官ハ厚生大臣ノ定ムル所ニ依リ其ノ国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関スル事務ノ一部ヲ国民職業指導所長ヲシテ分掌セシムルコトヲ得

第十四条 第五条、第六条及前二条中厚生大臣トアルハ第六条ノ規定ニ依リ学校長ニ対シ必要ナル措置ヲ命ズル場合ノ学校在学者ノ国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関シテハ文部大臣及厚生大臣トス

第十五条 本法ニ於テ学校ト称スルハ第十条第六号ノ場合ヲ除クノ外文部大臣ノ所管ニ属スル学校ヲ謂ヒ学校長ト称スルハ文部大臣ノ所轄ニ属スル学校ノ長ヲ謂フ

第十六条 前二条ノ規定ハ朝鮮、台湾、樺太及南洋群島ニハ之ヲ適用セズ
2 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、台湾ニ在リテハ州知事又ハ庁長、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ市町村長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹又ハ邑面長、台湾ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖庁ニ在リテハ庁長)、南洋群島ニ在リテハ南洋庁支庁長トシ国民職業指導所長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹、郡守又ハ島司、台湾ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖庁ニ在リテハ庁長)、樺太ニ在リテハ樺太庁支庁長、南洋群島ニ在リテハ南洋庁支庁長トス

第十七条 本令ニ規定スルモノノ外国民勤労報国隊ニ依ル協力ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

  附 則

本令ハ昭和十六年十二月一日ヨリ之ヲ施行ス

   「官報」より

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tonarigumi001
 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、東京市が「東京市町会規約準則」(東京市告示第240号)を出して、隣組の整備方式を打ち出した日です。
 「東京市町会規約準則」(とうきょうしちょうかいきやくじゅんそく)は、1938年(昭和13)4月1日公布、5月5日より施行された「国家総動員法」(1938年法律第55号)の下で、住民をその生活の末端において捕捉・管理すると共に、戦争への「住民参加」の意識と儀式と形式を確立するために町内会の組織を定め、東京市長小橋一太の名で告示(東京市告示第240号)されたものでした。
 昭和時代前期の1935年(昭和10)に、岡田啓介内閣の選挙粛正運動の下部組織として隣保組織の整備が指示されたのをとっかかりとして、1937年(昭和12)4月に町内会の整備強化に本格的にとりかかるために、特別の調査研究機関を設置し、様々な検討がなされ、同年夏には、「最寄会」(もよりかい)を「隣組」に、「月例会」を「常会」に名称変更することが決まります。そして、この準則が1938年(昭和13)5月14日に定められ、「交隣相助、共同防衛」をスローガンに隣組制度が制定され、これが「隣組」の嚆矢とされました。
 以下に、「東京市町会規約準則」(東京市告示第240号)を抜粋しておきましたので、ご参照下さい。

〇隣組(となりぐみ)とは?

 東京市においては、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、岡田啓介内閣の選挙粛正運動の下部組織として隣保組織の整備が指示されたのをとっかかりとして、1938年(昭和13)5月14日には、「東京市町会規約準則」(東京市告示第240号)により、「交隣相助、共同防衛」をスローガンに隣組制度が制定され、これが「隣組」の嚆矢とされています。
 全国的には、1940年(昭和15)9月11日に出された、内務省訓令第17号の「部落会町内会等整備要領」によって、町内会などの下に設けられた最末端の地域組織で、隣保班とも呼ばれていました。大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つで、江戸時代の五人組以来の旧慣をなるべく尊重し、採り入れることがうたわれています。
 1組につき5~10戸程度で構成され、各戸から1名以上が参加する定例集会である常会により運営されました。配給業務や軍人遺家族援護、防空、消火の訓練と実施などの相互扶助的な日常活動が行われ、戦時体制を支える行政の末端組織とされています。尚、地域により、隣保、組、班、最寄などの呼び方がありました。

〇「東京市町会規約準則」(東京市告示第240号)(抄文) 1938年(昭和13)5月14日

第一章 総 則

第一条 本町会ハ何区何町会ト称ス
第二条 本町会ハ何区域内ノ左ニ掲グルモノヲ以テ之ヲ組織ス
一 町会区域内ニ居住スル世帯
二 町会区域内ニ在ル法人、学校、病院、工場、倉庫、営業所、事務所其ノ他之ニ準ズルモノ
第三条 本町会ハ隣保団結シ旧来ノ相扶連帯ノ醇風ニ則リ自治ニ協力シ公益ノ増進ニ寄与シ市民生活ノ充実向上ヲ図ルヲ以テ目的トス
第四条 本町会ノ事務所ハ何区何町何番地ニ置ク

第二章 会 員

第五条 本町会ハ左ニ掲グル者ヲ以テ会員トス
一 町会区内ニ居住スル世帯主
二 町会域内ニ在ル法人、学校、病院、工場、倉庫、営業所、事務所其ノ他之ニ準ズルモノノ代表者又ハ管理者前項第一号ノ世帯主会員タルノ権義ヲ履行スル能ハザルトキハ家族中ヨリ之ニ代ル者ヲ選定スルコトヲ以テ会員トス

(中略)

第三章 事 業

第七条 本町会ハ第三条ノ目的達成ノ為左ノ事業ヲ行フ
一 敬神及祭祀ニ関スル事項
二 教育ニ関スル事項
三 兵事ニ関スル事項
四 土木ニ関スル事項
五 保健衛生ニ関スル事項
六 交通ニ関スル事項
七 火防警備ニ関スル事項
八 敬老ニ関スル事項
九 慶弔ニ関スル事項
十 篤行表彰ニ関スル事項
十一 矯風ニ関スル事項
十二 修養ニ関スル事項
十三 公共心ノ涵養ニ関スル事項
十四 慰安ニ関スル事項
十五 納税ニ関スル事項
十六 勧業ニ関スル事項
十七 慈善救護ニ関スル事項
十八 官公署トノ連絡ニ関スル事項
十九 各種団体ノ援助協力ニ関スル事項
二十 其ノ他共同ノ福利ノ増進ニ関スル事項

(中略)

第七章 隣 組

第三十一条 本町会区域ヲ分割シ概ネ標準ニ依リ隣組ヲ設ク
一 隣接スル五世帯及至二十世帯
二 五世帯以上ヲ収容スル「アパート」
三 貸事務所其ノ他ニシテ五世帯以上ヲ収容スルトモノト看做シ得ルモノ
第三十二条 隣組ノ配置分合ヲナサントスルトキハ関係アル隣組ノ意見ヲ徴シ町会之ヲ定ム
第三十三条 隣組ハ何々組ト称ス
第三十四条 隣組ハ隣保親和ノ精神ニ則リ交隣相助共同警防其ノ他組内利益ノ増進ヲ図リ細部的町会事業ノ実践ニ当タル
第三十五条 隣組ノ重要事項ハ組会ヲ開キ又ハ回状ヲ以テ申シ合ハスベシ
第三十六条 隣組ニ組長ヲ置ク
組長ハ各般ノ世話ヲナシ町会其ノ他ヨリノ通知照会等ヲ組員全般ニ通達スルモノトス
組長ハ組会ニ於テ適宜選定ス
組長ノ任期ハ一ヶ年トス
第三十七条 組長ヲ補佐スル為組番ヲ置クコトヲ得、組番ノ任期ハ六ヶ月トシ組長ノ指名ニ依ル
第三十八条 隣組ハ組長ヲ決定シタルトキハ直ニ町会ニ報告スベシ
第三十九条 町会ハ其ノ連絡上数個ノ隣組班ヲ組織スルコトヲ得

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shyoukokuminbunka01
 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、東条英機首相臨席のもと、日本少国民文化協会の発会式が、東京の情報局講堂で行われた日です。
 日本少国民文化協会(にほんしょうこくみんぶんかきょうかい)は、児童文化を統制・指導し、その分野での国策協力を進めるために、少年文化団体を一元化したものでした。その目的は、「皇国ノ道ニ則リ国民文化ノ基礎タル日本少国民文化ヲ確立シ以テ皇国民ノ錬成ニ資ス」とされ、同年1月の大日本青年団の設立、4月からの国民学校開始と深く関係しています。
 1937年(昭和12)に日中戦争が勃発するなかで、翌年4月1日に「国家総動員法」が公布され、同年10月には、児童文学、心理児童学、教育学等の分野を代表する専門家たちの協力のもと、内務省警保局図書課が「児童読物改善ニ関スル指示要綱」を通達しました。1940年(昭和15)9月30日に、官民合同発起による「児童文化新体制懇談会」が開かれ、文学、演劇、紙芝居、出版、映画など、少国民文化各分野の関係者30数名が官民合同の強力な指導機関の設置を熱心に要望し、12月24日には、大政翼賛会文化部の斡旋による官民合同の児童文化懇談会である「日本児童文化協会(仮称)設立準備懇談会」が開催されます。
 1941年(昭和16)6月に「日本児童文化協会要綱」が最終的に決定されましたが、創立準備委員会の中で「児童」という言葉から「小国民」に変更されました。同年12月23日に九段の軍人会館で「日本少国民文化協会」の設立総会が行われ、創立発起人等の官民関係者300数名が靖国の神前で少国民文化の改善、向上、確立のために挺身することを誓い、12月30日には社団法人設立の認可を受けます。
 そして、翌年2月11日の建国記念日に東条英機首相や谷正政之情報局総裁隣席のもと、情報局講堂において発会式が行われ、文学、舞踊、音楽、レコードの四部会共同作なる『日本のあしおと』が京橋区昭和国民学校児童の唱歌、石川漠門下の舞踊で発表されました。山本有三、城戸幡太郎、小川未明、百田宗治、波多野完治、阪本越郎、佐伯郁郎、北原白秋など著名な児童文化関係者が300名以上集まり、文学部会 (詩、童謡、童話文学、少年文学、科学読物、歴史、地理読物、翻訳文学、評論)。絵画部会(挿絵、動画、漫画、特殊研究会)、童話部会、玩具部会(玩具、人形類、節句品)、生活用品部会、紙芝居部会 (街頭紙芝居、教育紙芝居)、舞踊部会、音楽部会、出版部会、演劇部会(専門劇、学校劇、人形劇)、映画部会、畜音器、レコード部会の12部会に分かれて活動を展開します。
 東京・銀座三越6階に構えた事務所を拠点に、6月より機関誌『少国民文化』を発刊、11月より月刊の「協会報」が出されました。1943年(昭和18)6月に、「必勝18年の新方針、新事業」が講じられ、母の錬成、作家の錬成、海事思想の普及、航空思想、科学技術思想、健兵、強兵思想普及、愛国子守歌の制定が行われ、9月8日には、「協会が真に決戦に即応する少国民文化の士気高揚指導に目的事業の方向を凝集せしめる」ため、定款の変更が行われています。
 しかし、戦局の悪化に伴って活動も停滞気味となり、1944年(昭和19)3月に月刊の「協会報」が、12月には機関誌『少国民文化』が終刊となり、銀座の事務所も空襲で焼け、1945年(昭和20)2月以降は本郷の民家に移転しました。そして、太平洋戦争後の1945年(昭和20)10月頃に一片の声明も出さずに解散、12月には新聞に解散公告が掲載されて幕を閉じます。

〇日本少国民文化協会関係略年表

<1937年(昭和12)>
・7月 日中戦争が勃発する
・9月 国民精神総動員運動が開始される

<1938年(昭和13)>
・4月1日 「国家総動員法」が公布される
・10月 児童文学、心理児童学、教育学等の分野を代表する専門家たちの協力のもと、内務省警保局図書課が「児童読物改善ニ関スル指示要綱」を通達する

<1940年(昭和15)>
・2月 有光社の季刊の綜合理論誌『新児童文化』が創刊される
・9月30日 官民合同発起による「児童文化新体制懇談会」が開かれ、文学、演劇、紙芝居、出版、映画など、少国民文化各分野の関係者30数名が官民合同の強力な指導機関の設置を熱心に要望する
・12月24日 大政翼賛会文化部の斡旋による官民合同の児童文化懇談会である「日本児童文化協会(仮称)設立準備懇談会」が開催される

<1941年(昭和16)>
・3月 日本児童文化協会設立の仕事の一切が情報局に移される
・6月 「日本児童文化協会要綱」の最終的な決定を見る
・8月1日 情報局講堂で日本児童文化協会設立連絡会が開催され、500数名の出席者が見守る中、事実上、協会が誕生する
・8月18日 第一回の創立準備委員会で児童という言葉が一般社会の通用語となっておらず、協会の性格を規定する上からも上田課長は「児童」の名称に異を唱え、協会の名称として他に適当のものを選定したいとする
・12月23日 九段の軍人会館で「日本少国民文化協会」の設立総会が行われ、創立発起人等の官民関係者300数名が靖国の神前で少国民文化の改善、向上、確立のために挺身することを誓う
・12月30日 社団法人設立の認可を受ける

<1942年(昭和17)>
・2月11日 建国記念日に東条英機首相や谷正政之情報局総裁隣席のもと、情報局講堂にて発会式が行われる
・2月17日 銀座三越6階に構えた事務所を拠点に、本格的に活動を始動する
・6月  少文協の機関誌『少国民文化』が発刊される
・11月 月刊の「協会報」が発刊される

<1943年(昭和18)>
・5月 少文協文学部会の機関誌『少国民文学』が創刊される
・5月7日 この日付けの一文で、理事長小野俊一は、協会が必ずしも所期の目的達成のために円滑に運営されていない現実を受け止め、協会の本質が文化統制機関、国民運動的翼賛団体、あるいはその両者を兼ねるものなのか再確認することが必要との所感を示す
・6月 「必勝18年の新方針、新事業」が講じられ、母の錬成、作家の錬成、海事思想の普及、航空思想、科学技術思想、健兵、強兵思想普及、愛国子守歌の制定が行われる
・9月8日 「協会が真に決戦に即応する少国民文化の士気高揚指導に目的事業の方向を凝集せしめる」ため、定款の変更が行われる

<1944年(昭和19)>
・3月 月刊の「協会報」が終刊となる
・空襲が激しくなると、少文協は学童集団疎開の慰問派遣センターとしての役割を担うようになる
・12月 少文協の機関誌『少国民文化』が終刊となる

<1945年(昭和20)>
・2月以降 事務所が爆撃で焼け、持ち主が空き家になっていた本郷の民家に移転する
・10月頃 一片の声明も出さずに解散する
・12月 新聞に解散公告が掲載され、少文協は3年の歴史に幕を閉じる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1883年(明治16) 日本画家小林古径の誕生日 詳細
1889年(明治22) 陸羯南を社長兼主筆として東京で日刊新聞「日本」が創刊される 詳細
1945年(昭和20) ヤルタ会談で協議の上、米・英・ソ3ヶ国政府首脳によってヤルタ協定が結ばれる 詳細
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chingintouseirei01

 今日は、昭和時代前期の1939年(唱和14)に、「国家総動員法」に基づいて、「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)が公布(施行は同年4月10日)された日です。
 「賃金統制令(ちんぎんとうせいれい)」は、1938年(昭和13)に制定された「国家総動員法」の第6条に基づく勅令で、「従業者雇入制限令」と共に、軍需企業の賃金抑制のため従業員50人以上の事業場を対象に出されました。戦時下の労働力不足に伴い、賃金上昇の傾向があった時で、これを抑制するために、賃金規則の作成とその届出を義務づけ、未経験工採用の際の初給賃金を公定し、その諮問機関として中央および道府県に賃金委員会を設けたものです。
 この勅令で、軍需関係工業の初任給の1年間固定措置が臨時的にとられましたが、かえって賃金の部門間不均衡を生じさせたため、7月には指定工場の適用を鉱工業全部門に拡大、9月に女子の初給賃金も公定、10月には、「賃金臨時措置令」で9月18日現在の賃金で1年間凍結しました。翌年には、同令も10月20日に「賃金臨時措置令」を統合して全面改訂されます。
 これによって、政府は賃金決定権を全面的に留保し、以降は、地域別・男女別・職業別・業種別・年齢別・経験別の賃金の公定が進み、年功序列賃金制度の確立を促進しました。太平洋戦争敗戦後の「国家総動員法」廃止により、1946年(唱和21)9月30日に失効しています。
 以下に、制定当初の「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「賃金統制令」(昭和14年勅令第128号)1939年(唱和14)3月31日公布、4月10日施行

第一条 国家総動員法第六条ノ規定ニ基ク労働者ノ賃金ノ統制ハ別ニ定ムルモノヲ除クノ外本令ノ定ムル所ニ依ル

第二条 本令ハ左ノ各号ノ一ニ該当スル事業ニ之ヲ適用ス
 一 工場法ノ適用ヲ受クル工場ニシテ厚生大臣ノ指定スル事業ヲ営ムモノ
 二 鉱業法ノ適用ヲ受クル事業
 三 其ノ他厚生大臣ノ指定スル事業

第三条 本令ニ於テ賃金ト称スルハ労働者ガ労務ノ対償トシテ事業主ヨリ受クル給与其ノ他ノ利益ヲ謂フ
2 賃金ノ範囲及評価ニ関シテハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

第四条 常時五十人以上ノ労働者ヲ使用スル工場又ハ事業場ノ事業主ハ賃金規則ヲ作成シ地方長官(東京府ニ在リテハ警視総監以下之ニ同ジ)ニ届出ヅベシ之ヲ変更シタルトキ亦同ジ
2 賃金規則ニ定ムベキ事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
3 地方長官不適当ト認ムルトキハ賃金規則ノ変更ヲ命ズルコトヲ得

第五条 厚生大臣又ハ地方長官ハ命令ノ定ムル所ニ依リ未経験労働者ノ初給賃金ヲ定ムルコトヲ得
2 事業主未経験労働者ヲ雇入レタルトキハ命令ヲ以テ定ムル期間前項ノ規定ニ依ル初給賃金ニ準拠シ賃金ヲ支払フベシ但シ命令ニ別段ノ定アル場合ハ此ノ限ニ在ラズ

第六条 前条ノ場合ノ外地方長官労働者ニ支払ハレタル賃金ノ額又ハ其ノ支給方法著シク不適当ト認ムルトキハ事業主ニ対シ将来ニ向ツテ之ヲ変更スベキコトヲ命ズルコトヲ得

第七条 第二条第三号ノ規定ニ依ル事業ノ指定、第五条第一項ノ規定ニ依ル初給賃金ノ決定並ニ第四条第三項及前条ノ規定ニ依ル命令ハ賃金委員会ニ諮問シテ之ヲ為ス
2 賃金委員会ニ関スル規程ハ別ニ之ヲ定ム

第八条 厚生大臣又ハ地方長官必要アリト認ムルトキハ賃金ノ統制ニ関シ国家総動員法第三十一条ノ規定ニ基キ事業主ヨリ報告ヲ徴シ又ハ当該官吏ヲシテ工場、事業場、事務所其ノ他ノ場所ニ臨検シ帳簿書類ヲ検査セシムルコトヲ得
2 前項ノ規定ニ依リ当該官吏ヲシテ臨検検査セシムル場合ニ於テハ其ノ身分ヲ示ス証票ヲ携帯セシムベシ

第九条 本令ハ国又ハ道府県ノ事業ニハ之ヲ適用セズ

第十条 本令中地方長官トアルハ内地ニ於ケル鉱業法ノ適用ヲ受クル事業ニ付テハ鉱山監督局長トス

第十一条 本令中工場法ノ適用ヲ受クル工場トアルハ朝鮮、台湾又ハ南洋群島ニ在リテハ常時十人以上ノ労働者ヲ使用スル工場、樺太ニ在リテハ工場取締規則ノ適用ヲ受クル工場トシ鉱業法トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮鉱業令、台湾ニ在リテハ台湾鉱業規則、南洋群島ニ在リテハ南洋群島鉱業令トス
2 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、台湾ニ在リテハ台湾鉱業規則ノ適用ヲ受クル事業ニ付テハ台湾総督、其ノ他ノ事業ニ付テハ州知事又ハ庁長、樺太ニ在リテハ樺太庁長官、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トシ道府県トアルハ朝鮮ニ在リテハ道、台湾ニ在リテハ州又ハ庁、南洋群島ニ在リテハ南洋群島地方費トス

  附 則

本令ハ昭和十四年四月十日ヨリ之ヲ施行ス但シ朝鮮、台湾、樺太及南洋群島ニ在リテハ昭和十四年八月一日ヨリ之ヲ施行ス

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