ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:国家神道

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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、神社本庁が設立された日です。
 神社本庁(じんじゃほんちょう)は、伊勢の神宮を本宗と仰ぐ宗教法人で、全国津々浦々に鎮座する約8万の神社を包括してきました。日中戦争突入前後から太平洋戦争にかけての時期、神社は戦争遂行の精神的支柱としてとりわけ重視され、神社の国家管理制、公教育の場での宗教教育、国家・地方公共団体の宗教儀式などが強化されましたが、太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)12月15日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督及ビ弘布ノ廃止ニ関スル件(神道指令)」(SCAPIN-448)が出され、国家神道の廃止、政治と宗教の徹底的分離、神社神道の民間宗教としての存続などを指示し、信教の自由の確立と軍国主義の排除が目指されます。
 そのために、全国の神社は国家、地方公共団体より分離されることになり、その当時の民間の神社関係団体である皇典講究所、大日本神祇(じんぎ)会、神宮奉斎会がその対応協議の結果、この3団体を母体に神社本庁が設立されました。事務所を東京都渋谷区代々木1丁目におき、地方機関として神社庁が全国47都道府県に設置され、約8万の神社を包括する宗教法人となります。
 日本の伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の高揚を図り、天皇の長寿と弥栄を祈念し、世界の平和への寄与を目的として、神社神道の宣布、祭祀の執行、神社神道信奉者の教化育成、神宮の奉賛および神宮大麻の頒布、神職の養成(国学院大学・皇学館大学の神道学科)および任免、図書・雑誌『月刊若木』・週刊新聞『神社新報』の発行頒布、その他、神社の興隆を図るため、ならびに神宮・神社を包括するために必要な業務を行ってきました。1956年(昭和31)5月に、神社信仰の基本となる指針として「敬神生活の綱領」を宣言、1980年(昭和55)5月21日に、「神社本庁憲章」を評議員会で議決し、神社本庁の基本的な精神規範をあらためて明文化しています。
 以下に、「敬神生活の綱領」と「神社本庁憲章」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「敬神生活の綱領」1956年(昭和31)5月

神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。神慮を畏み、祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて、向ふところを明らかにし、実践につとめて、以て大道を宣揚することを期する。

一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。
一、大御心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。

〇「神社本庁憲章」1970年(昭和55)5月21日評議員会議決
 
 神社本庁憲章は、神社祭祀の伝統と神社本庁の歩みをふまえ、多くは不文のまま実践されてきた基本的な精神規範をあらためて明文化し、以て次の世代に道統を正しく伝えるために昭和五十五年に制定されました。尚、憲章の他に、宗教法人としての規則とし
て神社本庁庁規が定められています。
 
[神社本庁憲章] 昭和五十五年五月二十一日 評議員会議決
 
 神祇を崇め、祭祀を重んずるわが民族の伝統は、高天原に事始まり、国史を貫いて不易である。夙に大宝の令、延喜の式に皇朝の風儀は明らかであるが、明治の制もまた神社を国家の宗祀と定めて、大道はいよいよ恢弘された。
 しかるに、昭和二十年、未曾有の変革に遭ひ、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会は、その対応を相議り、神祇院総裁もまた爾後の措置をこの三団体に委ねた。ここに神社関係者の総意によって、全国神社を結集する神社本庁が設立され、神宮を本宗と仰
ぎ、道統の護持に努めることとなった。
 爾来、神社本庁は、全国神社の包括法人として、庁規を中心に運営されてきたが、今日まで重要な懸案とされてきたのは、精神的統合の紐帯として、基本的規範を確立整備することであった。
 よって、ここにその大綱を成文化して本憲章を制定し、以て神祇の祭祀を継承するに遺憾なきを期するものである。
 
第一条 神社本庁は、伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する。
第二条 神社本庁は、神宮を本宗と仰ぎ、奉賛の誠を捧げる。
 2 神社本庁は、神宮及び神社を包括して、その興隆と神徳の宣揚に努める。
第三条 神社本庁は、敬神尊皇の教学を興し、その実践綱領を掲げて、神職の養成、研修、及び氏子・崇敬者の教化育成に当る。
第四条 神社本庁は、総裁を推戴する。
 2 総裁は、神社本庁の名誉を象徴し、表彰を行ふ。
第五条 神社本庁に統理以下の役員、その他の機関を置く。
 2 統理は、神社本庁を総理し、これを代表する。
 3 第一項の役員、その他の機関については、規程で定める。
第六条 祭祀は、報本反始の誠を捧げ、古来の伝統と、別に定める制規に従って厳修する。
第七条 神社本庁は、幣帛共進の伝統を重んじ、神社に本庁幣を献ずる。
第八条 神社は、神祇を奉斎し、祭祀を行ひ、祭神の神徳を広め、以て皇運の隆昌と氏子・崇敬者の繁栄を祈念することを本義とする。
 2 霊代の神聖は、厳に護持しなければならない。
 3 神符、守札等の取扱ひについては、信仰上の尊厳を汚してはならない。
 4 一社伝統の故実、慣習、由緒は、尊重するものとする。
第九条 神社は、祭神、社名、例祭日、鎮座地、その他神社存立の基本に関はる事項に
 ついては、統理の承認を受けなければならない。
第十条 神社の境内地等の管理は、その尊厳を保持するため次の各号に定めるところによる。
 一 境内地は、常に清浄にして、その森厳なる風致を保持すること。
 二 境内地、社有地、施設、宝物、由緒に関はる物等は、確実に管理し、みだりに処分しないこと。
 三 境内地及び建物その他の施設は、古来の制式を重んずること。
 四 前号の施設は、神社の目的に反する活動に利用させないこと。
第十一条 神職は、ひたすら神明に奉仕し、祭祀を厳修し、常に神威の発揚に努め、氏子・崇敬者の教化育成に当ることを使命とする。
 2 神職は、古典を修め、礼式に習熟し、教養を深め、品性を陶冶して、社会の師表たるべきことを心掛けなければならない。
 3 神職は、使命遂行に当って、神典及び伝統的な信仰に則り、いやしくも恣意独斷を以てしてはならない。
第十二条 宮司は、一社の長として、祭祀に管掌し、社務をつかさどり、神社の信仰と伝統の護持に努める。
第十三条 神社総代は、神社の祭祀、信仰、伝統の保持振興について宮司に協力する。
第十四条 神社の氏子区域は、神社ごとに慣習的に定められた区域をいふものとする。
 2 氏子区域は、神社相互に尊重しなければならない。
第十五条 氏子区域に居住する者を伝統的に氏子とし、その他の信奉者を崇敬者とする。
 2 氏子・崇敬者は、神社護持の基盤であり、斯界発展の母体である。
第十六条 神社本庁の宗教法人法による規則を「庁規」といふ。
第十七条 庁規及び規程等は、この憲章に準拠しなければならない。
第十八条 この憲章の改廃については、統理の発議により、評議員会において、出席評議員の三分の二以上の賛成を必要とする。
第十九条 この憲章の施行に関し必要な事項は、庁規及び規程を以て定める。
 
   附 則
 1 この憲章は、昭和五十五年七月一日から施行する。
 2 宗教機能に関する規程(昭和二十七年一月二十七日規程第一号)は、廃止する。
 3 この憲章施行の際、庁規及び従前の規程等は、この憲章に基いて定めたものとみなす。

  「改訂神社役員、総代必携」全国神社総代会編集発行より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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 今日は、明治時代前期の1870年(明治3)に、「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔)と「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔)が出された日ですが、新暦では2月3日となります。
 この2つの詔は、神祇官神殿の鎮祭の執行と神道による国民思想の統一・国家意識の高揚をはかるための国民教化政策として出されたものでした。それ以前、1868年(明治元)に神祇官を復興させ、翌年7月8日に大教の宣布・宣教を目的として宣教使を設け、同年10月9日には、これを神祇官の付接とています。
 そして、祭政一致のスローガンのもと、1870年(明治3年1月3日)に「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔)と「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔)を発して国民教化(布教)に乗り出し、「神道の国教化(国家神道)」と「天皇の絶対化」を推し進めました。直接的にはキリスト教を排撃し、宣教使による神道振興と国家的保護を打ち出し、特に長崎には特別の出張所を設けてキリスト教対策にあてると共に、同年3月には、各府藩県にも宣教掛(かかり)が置かれます。
 同年4月23日に政府により「宣教使心得書」が定められ、皇道主義にもとづく国民教化運動が開始しされました。しかし、廃仏毀釈による混乱や各藩の儒教・仏教重視理念との対立、神祇省内部における国学者間の路線対立、欧米諸国からのキリスト教弾圧停止要求等も起こります。
 これらによって、思うような効果は上がらず、1872年(明治5年3月14日)に教部省設置と共に宣教使も廃止となり、新たに教導職・大教院を設け宣教政策拡大に努めましたが、仏教側の抵抗が強く、1875年(明治8)5月大教院廃止、1877年(明治10)教部省廃止、1884年(明治17)教導職の廃止によって挫折しました。
 以下に、「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔)と「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔)を現代語訳・注釈付で、全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「神霊ヲ鎮祭スルノ詔」(鎮祭の詔) 1870年(明治3年1月3日)

朕恭惟大祖創業崇敬神明愛撫蒼生祭政一致所由来遠矣朕以寡弱夙承聖緒日怵愓懼天職之或虧乃祇鎮祭天神地祇八神曁列皇神霊于神祇官以申孝敬庶幾使億兆有所矜式

<読み下し文>

 朕、恭しく惟るに、太祖[1]創業、神明[2]を崇敬し、蒼生[3]を愛撫[4]し、祭政一致、由て来る[5]所遠し。朕、寡弱[6]を以て、夙く聖緒[7]を承け、日夜怵愓[8]、天職の或は欠けんことを懼る[9]。乃ち祇んで天神[10]地祇[11]八神[12]曁び[13]列皇[14]の神霊[15]を、神祇官[16]に鎮祭[17]し、以て孝敬[18]を申ふ。庶幾くは[19]、億兆[20]をして矜式[21]する所あらしめん。

【注釈】

[1]大祖:たいそ=皇祖。初代の天皇。
[2]神明:しんめい=神々。
[3]蒼生:そうせい=多くの民。
[4]愛撫:あいぶ=撫でるように愛する。深く愛すること。
[5]由て来る:よってきたる=原因。由来。
[6]寡弱:かじゃく=徳のすくない力の弱い者。身よりのない年の若い者。
[7]聖緒:せいしょ=皇緒。皇統。天皇の事績。
[8]怵惕:じゅってき=恐れ憂うること。心に大いなる不安を感ずること。
[9]懼る:おそる=恐れる。心配する。
[10]天神:てんじん=天の神。あまつかみ。
[11]地祇:ちぎ=地の神。国土の神。くにつかみ。
[12]八神:はっしん=天皇の守護神として宮中の神殿に祭る八柱の神。神産日(かみむすひ)・高御産日(たかみむすひ)・玉積産日(たまづめむすひ)・生産日(いくむすひ)・足産日(たるむすひ)・大宮売(おおみやのめ)・御食津(みけつ)・事代主(ことしろぬし)の神々。
[13]曁び:および=及び。
[14]列皇:れっこう=歴代の天皇。
[15]神霊:しんれい=尊い御霊。
[16]神祇官:しんぎかん=明治初年に於ける中央政府の一官庁。
[17]鎮祭:ちんさい=鎮座してお祭りすること。
[18]孝敬:こうけい=孝心をもつて神を敬うこと。
[19]庶幾くは:こいねがわくは=どうぞお願いだから。なにとぞ。
[20]億兆:おくちょう=人民。万民。
[21]矜式:きょうしょく=謹んで則ること。真心を尽してその通りに行う。

<現代語訳>

 私(明治天皇)が謹んで考えて見るに、皇祖はこの国を治め、神々を崇敬し、多くの民を深く愛し、祭政一致の由来は、甚だ遠い。私(明治天皇)は、徳の少ない力の弱い者であって、皇統を継承したので、日夜恐れ憂いて、天職にあるいは欠けるようなことはないかと心配している。そこで、謹んで天の神・地の神・八柱の神及び歴代の天皇の神霊を、神祇官の中に鎮座してお祭りし、もって孝心をもつて神を敬う心を顕わそうと思う。なにとぞ万民にも、真心を尽してその通りに行はさせようと思っている。

〇「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔) 1870年(明治3年1月3日)

朕恭惟天神天祖立極垂統列皇相承継之述之祭政一致億兆同心治教明于上風俗美于下而中世以降時有汚隆道有顕晦治教之不洽也久矣今也天運循環百度維新宜明治教以宣揚惟神大道也因新命宣教使以布教天下汝群臣衆庶其体斯旨

<読み下し文>

 朕、恭しく惟るに、天神[1]天祖[2]極を立て[3]統を垂れ[4]、列皇[5]相承け、之れを継き之れを述へ、祭政一致億兆[6]同心、治教[7]上に明かに、風俗下に美なりし。而して、中世以降、時汚隆[8]あり、道顕晦[9]あり。治教[7]の洽からざるや久し。今や天運循環、百度[10]維れ新なり。宜しく治教[7]を明らかにし、以て惟神の大道[11]を宣揚[12]すへきなり。因て宣教使[13]に命し、天下に布教す。汝群臣[14]衆庶[15]、其れ斯旨を体せよ。

【注釈】

[1]天神:てんじん=天の神。あまつかみ。
[2]天祖:てんそ=皇室の遠い先祖。
[3]極を立て:きょくをたて=皇位を確立すること。
[4]統を垂れ:とうをたれ=後世へ伝えること。
[5]列皇:れっこう=歴代の天皇。
[6]億兆:おくちょう=人民。万民。
[7]治教:じきょう=政治と宗教。また、政治と教化。政教。
[8]汚隆:おりゅう=衰えることと盛んになること。盛衰。隆替。
[9]顕晦:けんかい=明るくなったり暗くなったりすること。明暗。
[10]百度:ひゃくど=百回。また、回数の多いこと。
[11]惟神の大道:かむながらのたいどう=神代から伝えられている大いなる正しい道。天照大神の遺せられた皇道の意味。
[12]宣揚:せんよう=広く世の中にあらわすこと。盛んであることをはっきりと示すこと。
[13]宣教使:せんきょうし=神道布教のために任命された者。
[14]群臣:ぐんしん=多くの臣下。諸臣。
[15]衆庶:しゅうしょ=一般の人々。庶民。大衆。

<現代語訳>

 私(明治天皇)が謹んで考えて見るに、天の神や皇室の遠い先祖は、皇位を確立して後世へ伝え、歴代の天皇は、これを受け継がれた。祭祀と政治は一致し、万民は皆心を合わせ、上の政治と教化が道理に通じ、下の風俗が美はしかった。しかるに、中世以降、世の中の盛衰によって、道の明暗があった。政治と教化が広く行き渡らないことが久しかった。今では、自然に時節が巡り来て、多くのことがみな新らしくなった。ぜひとも政治と教化のことを明らかにして、もって神代から伝えられている大いなる正しい道を広く世の中にあらわしていかなければならない。よって、宣教使に命じて、天下に布教するものである。おまえら多くの臣下も一般の人々も、それよくこの趣旨を心得よ。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

976年(天延4)第67代の天皇とされる三条天皇の誕生日(新暦2月5日)詳細
985年(永観3)天台宗の僧・比叡山中興の祖良源の命日(新暦1月26日)詳細
1868年(慶応4)戊辰戦争の幕開けである鳥羽伏見の戦いが始まる(新暦1月27日)詳細


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 今日は、明治時代前期の1871年(明治4)に、明治新政府が神道を国家の宗祀と定める「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)を布告した日ですが、新暦では7月1日となります。
 「神社の世襲神職を廃し精選補任の件(じんじゃのせしゅうしんしょくをはいしせいせんほにんのけん)」は、「神社は国家の宗祀」との思想を以て、明治新政府による神社制度の改革の最初の太政官布告でした。1868年1月3日(慶応3年12月9日)に「王政復古の大号令」が出されたのですが、慶応4年3月13日には、「祭政一致の制に復し、天下の諸神社を神祗官に所属せしむべき件」が布告され、次いで同年3月28日にいわゆる「神仏分離令」(太政官達第196号)が布告されます。
 続いて、1871年(明治4年5月14日)に、神社は国家の衆祀であるため、神官社家の世襲の廃止、精選補任とする「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)を布告、また、官・国幣社、府藩県社、郷社、産土社を制定する「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号)も同時に布告されました。そして、同年7月4日には、祭政一致の方針のもとに氏子制度を法制化し、これによって寺請制度に代わるキリシタン禁制と戸籍の整備をはかるとともに国民教化の単位とした「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号)も布告されます。
 これらは、国家が祭祀すべき神々の体系を定めるという意味で重大なもので、その後、明治新政府の重要政策として推進されていくこととなり、国家神道といわれるものとなっていきました。この状態は、太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月15日に、占領下において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して発した神道指令「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督及ビ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)により、神社と行政機関の接点が全て廃止されるまで続きます。
 以下に、「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号)と「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号)、「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「神社の世襲神職を廃し精選補任の件」(太政官布告第234号) 1871年(明治4年5月14日)布告

 神社ノ儀ハ、国家ノ宗祀ニテ一人一家ノ私有ニスヘキニ非サルハ勿論ノ事ニ候処、中古以来大道ノ陵夷ニ随ヒ、神官社家ノ輩中ニハ神世相伝由緒ノ向モ有之候ヘ共、多クハ一時補任ノ社職其儘沿襲致シ、或ハ領家地頭世変ニ因リ終ニ一社ノ執務致シ居リ。其余村邑小祠ノ社家等ニ至ル迄総テ世襲ト相成、社入ヲ以テ家禄ト為シ一己ノ私有ト相心得候儀、天下一般ノ慣習ニテ、神官ハ自然士族ノ別種ト相成、祭政一致ノ御政体ニ相悖リ其弊害不尠候ニ付、今般御改正被為在。伊勢両宮世襲ノ神官ヲ始メ天下大小ノ神官社家ニ至ル迄 精撰補任可致旨被仰出候事。 

〇「官社以下の定額・神官職制規則等」(太政官布告第235号) 1871年(明治4年5月14日)布告

 官社以下定額及神官職員規則等、別紙ノ通被 仰出候。尤府藩県社・郷社ノ分ハ、先達テ差出候明細書ヲ以取調、区別ノ上、追テ神祗官ヨリ差図ニ可及候条、其節万端処置ノ儀同官ヘ可相伺事。

  一、神官従来ノ叙爵総テ被止候事。

  一、官社以下府県社郷社神官、総テ其地方貫属支配タル可ク本籍ノ儀ハ士族民ノ内適宜ヲ以テ編籍可致事。

〇「大小神社氏子取調規則」(太政官布告第322号) 1871年(明治4年7月4日)布告

 今般大小神社氏子取調ノ儀、左ノ通被定候事。

      規  則

 一、臣民一般出生ノ児アラハ其由ヲ戸長ニ届ケ必ス神社ニ参ラシメ其神ノ守札ヲ受ケ所持可致事。
   但社参ノ節ハ戸長ノ証書ヲ持参スヘシ。其証書ニハ生児ノ名・出生ノ年月日・父ノ名ヲ記シ相違ナキ旨ヲ証シコレラヲ神官ニ示スヘシ。  

 一、即今、守札ヲ所持セサル者老幼ヲ論セス、生国及ヒ姓名・住所・出生ノ年月日ト父ノ名ヲ記セシ名札ヲ以テ其戸長ヘ達シ戸長ヨリコレヲ其神社ニ達シ守札ヲ受ケテ渡スヘシ。
   但現今修行又ハ奉公或ハ公私ノ事務アリテ他所ニ寄留シ本土神社ヨリ受ケ難キモノハ、寄留地最寄ノ神社ヨリ本条ノ手続ヲ以テ受クヘシ尤来申年正月晦日迄ヲ期トス

 一、他ノ管轄ニ移転スル時ハ、其管轄地神社ノ守札ヲ別ニ申受ケ併テ所持スヘシ。

 一、死亡セシモノハ、戸長ニ届ケ其守札ヲ戸長ヨリ神官ニ戻スヘシ。
   但神葬祭ヲ行フ時ハ、其守札ノ裏ニ死亡ノ年月日ト其霊位トヲ記シ、更ニ神官ヨリ是ヲ受ケテ神霊主トナスヘシ。尤別ニ神霊主ヲ作ルモ可為勝手事。

 一、守札焼失又ハ紛失セシモノアラハ、其戸長ニ其事実ヲ糺シテ相違ナキヲ証シ改テ申受クヘシ。 

 一、自今六ヵ年目毎戸籍改ノ節、守札ヲ出シ戸長ノ検査ヲ受クヘシ。

 一、守札ヲ受クルニヨリ其神社ヘ納ル初穂ハ、其者ノ心ニ任セ多少ニ限ラサルヘシ。

 右ノ通ニ候条取調相済候ヘハ早々可届出、尤不審ノ廉有之候ヘハ神祗官ヘ可承合候事。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1227年(安貞元)鎌倉幕府第5代執権北条時頼の誕生日(新暦6月29日)詳細
1839年(天保10)蛮社の獄で、渡辺崋山高野長英らが処罰される詳細
1945年(昭和20)名古屋空襲で名古屋城が焼失する

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