聖武天皇は、701年(大宝元)に、文武天皇の第1皇子(母は藤原不比等の娘・宮子)として生まれましたが、諱は首と言いました。
714年(和銅7)に皇太子となり、724年(神亀元)に元正天皇の譲位をうけ即位します。皇族から立后の旧慣を破って、藤原不比等の娘光明子を皇后としました。
2回遣唐使を送って、積極的に唐の文物制度を採用し、その治世に天平文化が花開きます。仏教を厚く信仰し、741年(天平13)に、「国分寺建立の詔」を出して、各国に国分寺(僧寺と尼寺)を建てさせ、743年(天平15)に「大仏造立の詔」を出して、東大寺大仏(奈良の大仏)を造立させました。そして、752年(天平勝宝4)に大仏開眼供養会を開催、この際に使用された器物が正倉院に多く収められ、宝物とされます。
しかし、一方で729年(神亀6)長屋王の変、その後天然痘の大流行、740年(天平12)の藤原広嗣の乱が起き、政情・世情が安定しませんでした。
そのため、恭仁京、紫香楽宮、難波京とたびたびの遷都を余儀なくされ、国分寺・大仏の造立等と共に膨大な費用を費やして、国家財政を乱れさせたと言われています。また、743年(天平15)には、「墾田永年私財法」を制定して、律令制の根幹の一部が崩れることとなりました。
749年(天平感宝元)孝謙天皇に譲位して出家し、756年(天平勝宝8)に、55歳で亡くなります。
〇聖武天皇関係略年表
・701年(大宝元) 文武天皇の第1皇子(母は藤原不比等の娘・宮子)として生まれる
・714年(和銅7) 皇太子となる
・719年(養老3) はじめて政務にたずさわる
・720年(養老4) 蝦夷の反乱が起こる
・724年(神亀元) 元正天皇の譲位をうけ即位する
・724年(神亀元) 陸奥国に多賀城を設置する
・729年(天平元) 長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害する(長屋王の変)
・729年(天平元) 聖武天皇が藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后)
・730年(天平2) 奈良の興福寺に悲田院・施薬院をもうける
・737年(天平9) 疫病(天然痘)が流行する
・738年(天平10) 阿倍内親王を皇太子とする
・740年(天平12) 藤原広嗣の乱が起きる
・740年(天平12) 平城京を離れ、伊勢国や美濃国への行幸を始める
・740年(天平12) 勅命により、平城京から恭仁京へ遷都する
・741年(天平13) 「国分寺建立の詔」を出す、
・743年(天平15) 「墾田永年私財法」を制定する
・743年(天平15) 「大仏造立の詔」を出す
・744年(天平16) 恭仁京から難波京への遷都が実施される
・745年(天平17) 難波京から再び平城京へ戻る
・749年(天平感宝元) 孝謙天皇に譲位して出家する
・752年(天平勝宝4) 大仏開眼供養会が開催される
・754年(天平勝宝6) 唐僧・鑑真が来日し、皇后や天皇とともに面会する
・756年(天平勝宝8) 亡くなり、遺品が正倉院に収納される