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 今日は、江戸時代前期の1629年(寛永6)に、江戸の水戸藩屋敷内に初代藩主徳川頼房による作庭(後の小石川後楽園)が終了し、ほぼ完成した日ですが、新暦では11月13日となります。
 小石川後楽園(こいしがわこうらくえん)は、東京都文京区の東京ドームのそばにある江戸時代の大名庭園です。江戸時代前期の1629年(寛永6)に、水戸藩水戸徳川家初代藩主徳川頼房が、江戸の屋敷内に庭の造営に着手し、9月28日に作庭が終了、ほぼ完成しました。
 1636年(寛永13年)に第3代将軍徳川家光を招いての茶事が行われましたが、1657年(明暦3年1月18日)の明暦の大火で被害を受けています。2代藩主徳川光圀は、「後楽園」と命名して、中国風の庭園建築に修築し、1669年(寛文9年)に完成させました。
 庭園は池を中心にした回遊式庭園で、随所に日本や中国大陸の名所の名前をつけた景観を配しています。明治維新後に官収され、兵部省造兵司、のちに東京砲兵工厰となり陸軍省が所管して、内外の招宴場に用いられました。
 その後、江戸時代大名庭園の初期のものとして貴重なことから、1923年(大正12)に国の史跡及び名勝に指定され、岡山の後楽園と区別するため、「小石川後楽園」と称されるようになります。1936年(昭和11年)に書院庭園と後楽園が東京市に移管され、1938年(昭和13年)4月3日には、小石川後楽園として、開園されました。
 1945年(昭和20年)に、太平洋戦争末期の空襲によって、損傷を受けたものの修復され、1952年(昭和27)には、特別史跡及び特別名勝に指定されています。現在は、約7万平方mもの広大な都立の庭園として公開されていて、都民に親しまれてきました。
 尚、2006年(平成18)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。

〇小石川後楽園関係略年表

・1629年(寛永6年3月11日) 徳川頼房により水戸藩屋敷内の作庭が開始される
・1629年(寛永6年9月28日) 水戸藩屋敷内の作庭が終了、ほぼ完成する
・1636年(寛永13年11月12日) 第3代将軍徳川家光を招いての茶事が行われる
・1657年(明暦3年1月18日) 明暦の大火で被害を受ける
・1669年(寛文9年) 徳川光圀が中国風の庭園建築に修築し、「後楽園」と命名する
・1702年(元禄15年) 将軍綱吉の生母桂昌院の来園で歩行障害となる奇岩大石を取り除く
・1703年(元禄16年11月23日) 元禄地震で損傷をこうむる
・1855年(安政2年11月11日) 安政江戸地震で大被害を受ける
・1868年(明治元年)頃 後楽園の敷地境界が狭まり始める
・1871年(明治4年6月) 兵部省管轄の造兵司が置かれる
・1872年(明治5年) 造兵司が陸軍省の所属となる
・1875年(明治8年)  砲兵第一方面砲兵本廠と改称される
・1879年(明治12年) 東京砲兵工廠と改称される
・1896年(明治29年)頃 後楽園はほぼ現在の地積となる
・1923年(大正12年3月7日) 国の史跡および名勝に指定され、「小石川後楽園」と称される
・1923年(大正12年9月1日) 関東大震災による被害を受ける
・1927年(昭和2年)2月 陸軍省が復旧に着手する
・1936年(昭和11年)12月 書院庭園と後楽園が東京市に移管される
・1938年(昭和13年)4月3日 小石川後楽園が開園される
・1945年(昭和20年) 太平洋戦争の空襲により損傷を受ける
・1952年(昭和27年) 国の特別史跡および特別名勝に指定される
・2006年(平成18)10月27日 日本の歴史公園100選に選定される

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