
その中で、禁門の変の責任者として福原越後、益田右衛門介、国司信濃の3家老と4参謀の処刑、藩主毛利敬親父子の謝罪、山口城の破却、八月十八日の政変後に長州藩に身を寄せていた三条実美以下5卿の引き渡しなどの要求に応じることとなりました。そして、11月11日には、長州藩の三家老が自刃して恭順を示し、幕府は、出軍の目的を達したとして、「撤兵令」を発し、12月27日には、幕府軍が長州領から撤兵して終わります。
その後、長州藩論が高杉晋作らの倒幕派によって再び掌握されることとなり、1866年(慶応2)閏5月16日に、江戸幕府第14代将軍徳川家茂みずから征討の指揮をとって江戸城を出立し西へ向かう、第二次長州征討が行われたものの、幕府軍の敗北となりました。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 901年(延喜元) | 六国史一番最後の『日本三代実録』が完成する | 詳細 |
| 1721年(享保6) | 徳川吉宗の命で江戸・評定所の門前に目安箱が設置される(新暦9月23日) | 詳細 |
| 1738年(元文3) | 俳人上島鬼貫の命日(新暦9月15日) | 詳細 |
| 1918年(大正7) | 寺内正毅内閣によって、日本軍が英・米・仏軍と共に、シベリア出兵することが閣議決定される | 詳細 |
| 1947年(昭和22) | 中学校用『あたらしい憲法のはなし』・高校用『民主主義の手引』の副読本発行 | 詳細 |
