ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

タグ:唱歌

syukujitsutaisaibikashi01
 今日は、明治時代後期の1893年(明治26)に、文部省が訓令「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」を布告し、「君が代」など8曲を祝日・大祭日の唱歌にした日です。
 「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」(しょうがっこうしゅくじつたいさいびかしならびにがくふ)は、明治時代後期の1893年(明治26)に、文部省が小学校に祝祭日のお祝いの儀式を執り行うよう指示し、その儀式の時に歌う歌とした8曲の歌詞と楽譜の布告です。1873年(明治6)10月の「明治6年太政官布告第344号」で「年中祭日ノ休暇日ヲ定ム」とし、紀元節、天長節などの祝日が定められましたが、これらの儀式に歌うべき唱歌をどうしたら良いか、という現場からの問い合わせに対して、文部省は初めの頃、いくつかの例をあげ、現場の状況に応じて適宜判断するよう指示していました。
 しかし、混乱を無くすため、2年程かけて慎重に審議し、祝日に小学校で歌うべき曲を定めて布告したものです。その中で、①君が代、②勅語奉答、③一月一日、④原始祭、⑤紀元節、⑥神嘗祭、⑦天長節、⑧新嘗祭の8曲の歌詞と楽譜が示されました。
 以下に、「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」(明治26年文部省告示第3号)1893年(明治26)8月12日公布

文部省告示第三号

小学校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌詞並楽譜別冊ノ通リ撰定ス

明治二十六年八月十二日

    文部大臣        井上毅

文部省告示第三号別冊

 目次
 君が代
 勅語奉答
 一月一日
 元始祭
 紀元節
 神嘗祭
 天長節
 新嘗祭


・「君が代」 古歌
        林広守作曲
kimigayogakufu01
君(きみ)が代(よ)は。 ちよにやちよに。
さゞれいしの。 巌(いはほ)となりて。
こけのむすまで。

・「勅語奉答」 勝安芳作歌
        小山作之助作曲
chyokugohoutou01
あやに畏(かしこ)き 天皇(すめらぎ)の。
あやに尊(たふと)き 天皇(すめらぎ)の。
あやに尊(たふと)く 畏(かしこ)くも。
下(くだ)し賜(たま)へり 大勅語(おほみこと)。
是(これ)ぞめでたき 日(ひ)の本(もと)の。
国(くに)の教(をしへ)の 基(もとゐ)なる。
是(これ)ぞめでたき 日(ひ)の本(もと)の。
人(ひと)の教(をし)への 鑑(かゞみ)なる。
あやに畏(かしこ)き 天皇(すめらぎ)の。
勅語(みことの)まゝに 勤(いそし)みて。
あやに尊(たふと)き 天皇(すめらぎ)の。
大御心(おほみこゝろ)に 答(こた)へまつらむ。

・「一月一日」 千家尊福作歌
        上真行作曲
1gatsutsuitachigakufu01
第一章
年(とし)のはじめの 例(ためし)とて。
終(をはり)なき世よ)の めでたさを。
松竹(まつたけ)たてゝ 門(かど)ごとに。
いはふ今日(けふ)こそ たのしけれ。

第二章
初日(はつひ)のひかり あきらけく。
治(をさ)まる御代(みよ)の 今朝(けさ)のそら。
君(きみ)がみかげに 比(たぐ)へつゝ。
仰(あふ)ぎ見(み)るこそ たふとけれ。

・「元始祭」 鈴木重嶺作歌
        芝葛鎮作曲
genshisaigakufu01
天津日嗣(あまつひつぎ)の 際限(きはみ)なく。
天津璽(あまつしるし)の 動(うご)きなく。
年(とし)のはじめに 皇神すめがみ)を。
祭(まつり)ますこそ かしこけれ。
四方(よも)の民(たみ)くさ うち靡(なび)き。
長閑(のどけ)き空(そら)を うち仰(あふ)ぎ。
豊栄とよさか)のぼる 日(ひ)の御旗(みはた)。
たてゝ祝(い)はゝぬ 家(いへ)ぞなき。

・「紀元節」 高崎正風作歌
        伊沢修二作曲
kigensetsugakufu01
第一章
雲(くも)に聳(そび)ゆる高千穂(たかちほ)の。高根(たかね)おろしに草(くさ)
も木(き)も。なびきふしけん大御世(おほみよ)を。仰(あふ)ぐ
今日(けふ)こそたのしけれ。

第二章
海原(うなばら)なせる埴安(はにやす)の。池(いけ)のおもより猶(なほ)ひ
ろき。めぐみの波(なみ)に浴(あ)みし世(よ)を。あふぐ
けふこそたのしけれ。

第三章
天津(あまつ)ひつぎの高(たか)みくら。千代(ちよ)よろづよ
に動(うご)きなき。もとゐ定(さだ)めしそのかみを。
仰(あふ)ぐけふこそたのしけれ。

第四章
空(そら)にかゞやく日(ひ)のもとの。万(よろづ)の国(くに)にた
ぐひなき。国(くに)のみはしらたてし世(よ)を。あ
ふぐけふこそたのしけれ。

・「神嘗祭」 木村正辞作歌
        辻高節作曲
kannamesaigakufu01
五十鈴(いすゞ)の宮(みや)の 大前(おほまへ)に。
今年(ことし)の秋(あき)の 懸税かけぢから)。
御酒(みき)御帛(みてぐら)を たてまつり。
祝(いは)ふあしたの 朝日(あさひ)かげ。
靡(なび)く御旗(みはた)も かゞやきて。
賑(にぎは)ふ御代(みよ)こそ めでたけれ。

・「天長節」 黒川真頼作歌
        奥好義作曲
tenchyousetsugakufu01
今日(けふ)の吉(よ)き日(ひ)は 大君(おほきみ)の。
うまれたまひし 吉(よ)き日(ひ)なり。
今日(けふ)の吉(よ)き日(ひ)は 御(み)ひかりの。
さし出(で)たまひし 吉(よ)き日(ひ)なり。
ひかり遍(あまね)き 君(きみ)が代(よ)を。
いはへ諸人(もろびと) もろともに。
めぐみ遍(あまね)き 君(きみ)が代(よ)を。
いはへ諸人)もろびと) もろともに。

・「新嘗祭」 小中村清矩作歌
        辻高節作曲
niinamesaigakufu01
民(たみ)やすかれと 二月(きさらぎ)の。
祈年祭(としごひまつり) 験(しるし)あり。
千町(ちまち)の小田(おた)に うち靡(なび)く。
垂穂(たりほ)の稲(いね)の 美稲(うましいね)。
御饌(みけに)つくりて たてまつる。
新嘗祭(にひなめまつり) 尊(たふと)しや。

   「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1734年(享保19)儒学者室鳩巣の命日(新暦9月9日)詳細
1899年(明治32)富山明治32年の大火「熊安焼」で、全焼4,697戸、半焼9戸の被害を出す詳細
1905年(明治38)ロシア南下策に対抗する為「日英同盟」の改定(第二回日英同盟協約)が調印される詳細
1957年(昭和32)朝日訴訟が提訴される詳細
1978年(昭和53)日本と中国が「日中平和友好条約」に調印する詳細
1985年(昭和60)日本航空123便墜落事故が置き、死者520人を出す詳細
1992年(平成4)小説家中上健次の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

takanotatsuyuki01
 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、国文学者・作詞家・文学博士高野辰之が亡くなった日です。
 高野辰之(たかの たつゆき)は、明治時代前期の1876年(明治9)4月13日に、長野県水内郡永江村(現在の中野市永江)の豪農だった父・高野仲右衛門、母・いしの長男として生まれました。1890年(明治23)に、下水内高等小学校高等小学科卒業後、永田尋常小学校授業生(代用教員)となります。
 1893年(明治26)に長野県尋常師範学校へ入学、1897年(明治30)に卒業後、下水内高等小学校訓導となりました。1898年(明治31)に、国語科の師範学校尋常中学校高等女学校教員免許状を取得、上京して、東京帝国大学国語研究室で上田萬年に師事、国文学を学びます。
 1900年(明治33)に、長野県師範学校教諭兼訓導となり、国文学史などを教え、1902年(明治35)には、「国文学史」教科書を出版、文部省国語教科書編纂委員嘱託となりました。1904年(明治37)に文部省国語教科書編纂委員、1908年(明治41)に東京音楽学校邦楽調査嘱託、1909年(明治42)には、教科用図書調査委員会第三部起草員職務補助嘱託、小学校唱歌教科書編纂委員嘱託となります。
 1910年(明治43)に東京音楽学校教授、東京音楽学校邦楽調査掛調査員となり、1911年(明治44)に尋常小学唱歌第1学年用に「日の丸の旗」、尋常小学唱歌第2学年用に「紅葉」、1912年(明治45)に尋常小学唱歌第3学年用に「春がきた」、尋常小学唱歌第4学年用に「春の小川」、1914年(大正3)には、尋常小学唱歌第6学年用に「故郷」「朧月夜」を掲載しました。1917年(大正6)に東京音楽学校邦楽調査掛主事となり、1922年(大正11)に『近松門左衛門全集』を出版、1923年(大正12)には、國學院大學講師となります。
広く文献資料を収集・考証し、1925年(大正14)に論文「日本歌謡史」で、東京帝国大学より文学博士を取得、1926年(大正15)に『日本歌謡史』を出版、東京帝国大学講師(日本演劇史)、大正大学教授を兼任、1928年(昭和3)には、「日本歌謡史」で、帝国学士院賞を受賞しました。1934年(昭和9)に野沢温泉麻釜に別荘「対雲山荘」を求め、1935年(昭和10)には、勲三等瑞宝章を受章、『江戸文学史』を出版します。1936年(昭和11)に東京音楽学校を定年退職、1941年(昭和16)には、大正大学も退職しましたが、1947年(昭和22)1月25日に、長野県高井郡豊郷村野沢温泉の対雲山荘において、72歳で亡くなりました。

〇高野辰之の主要な著作

<著書>
・『歌舞音曲考説』(1915年)
・『日本民謡の研究』(1924年)
・『日本歌謡史』(1926年)学士院賞受賞
・『日本演劇之研究』(1926年)
・『日本歌謡集成』全12巻
・『江戸文学史』(1935年)
・『日本演劇史』全3巻(1947~49年)

<作詞>
・「故郷」
・「朧月夜」
・「もみじ」
・「春がきた」
・「春の小川」
・「日の丸の旗」
・「人形を迎える歌」(作曲:東京音楽学校)
・「人形を送る歌』(作曲:島崎赤太郎)
・「飯山小唄」(作曲:中山晋平)

☆高野辰之関係略年表

・1876年(明治9)4月13日 長野県水内郡永江村(現在の中野市永江)の豪農だった父・高野仲右衛門、母・いしの長男として生まれる
・1887年(明治20) 豊津学校永江支校小学中等科卒業する
・1890年(明治23) 下水内高等小学校高等小学科卒業後、永田尋常小学校授業生(代用教員)となる
・1893年(明治26) 長野県尋常師範学校へ入学する
・1897年(明治30) 長野県尋常師範学校を卒業後、下水内高等小学校訓導となる
・1898年(明治31) 国語科の師範学校尋常中学校高等女学校教員免許状を取得、上京して、東京帝国大学国語研究室で上田萬年に師事、国文学を学ぶ
・1900年(明治33) 長野県師範学校教諭兼訓導となり、国文学史などを教える
・1902年(明治35) 「国文学史」教科書出版、文部省国語教科書編纂委員嘱託となる
・1904年(明治37) 文部省国語教科書編纂委員となる
・1908年(明治41) 東京音楽学校邦楽調査嘱託となる
・1909年(明治42) 教科用図書調査委員会第三部起草員職務補助嘱託、小学校唱歌教科書編纂委員嘱託となる
・1910年(明治43) 東京音楽学校教授、東京音楽学校邦楽調査掛調査員となる
・1911年(明治44) 尋常小学唱歌第1学年用に「日の丸の旗」を掲載、尋常小学唱歌第2学年用に「紅葉」を掲載する
・1912年(明治45) 尋常小学唱歌第3学年用に「春がきた」を掲載、尋常小学唱歌第4学年用に「春の小川」を掲載する
・1914年(大正3) 尋常小学唱歌第6学年用に「故郷」「朧月夜」を掲載する
・1917年(大正6) 東京音楽学校邦楽調査掛主事となる
・1922年(大正11) 『近松門左衛門全集』を出版する
・1923年(大正12) 國學院大學講師となる
・1925年(大正14) 論文「日本歌謡史」で、東京帝国大学より文学博士を取得する
・1926年(大正15) 『日本歌謡史』を出版、東京帝国大学講師(日本演劇史)、大正大学教授を兼任する
・1928年(昭和3) 「日本歌謡史」で、帝国学士院賞を受賞する
・1934年(昭和9) 野沢温泉麻釜に別荘「対雲山荘」を求める
・1935年(昭和10) 勲三等瑞宝章を受章、『江戸文学史』を出版する
・1936年(昭和11) 東京音楽学校を定年退職する
・1941年(昭和16) 大正大学を退職する
・1947年(昭和22)1月25日 長野県高井郡豊郷村野沢温泉の対雲山荘において、72歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1701年(元禄14)真言宗僧・国学者・歌人契沖の命日(新暦3月4日)詳細
1880年(明治13)福沢諭吉を中心に、日本最初の社交クラブである交詢社が設立される詳細
1902年(明治35)北海道上川郡旭川町(現在の旭川市)で日本の最低気温-41℃を記録する詳細
1945年(昭和20)小磯国昭内閣によって、「決戦非常措置要綱」が閣議決定される詳細
1957年(昭和32)医学者・細菌学者志賀潔の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

mitamiware01

 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、太平洋戦争下において、大政翼賛会が唱歌「みたみわれ」を発表し、この歌を中心に国民皆唱運動を展開し始めた日です。
 唱歌「みたみわれ」は、『万葉集』に掲載されている、734年(天平6)に海犬養岡麻呂が聖武天皇の詔に応へ奉つた和歌(「愛国百人一首」に選定)に、山本芳樹が曲を付け、日中戦争で右腕切断の負傷を負った東京音楽学校助教授伊藤武雄が独唱したものでした。この歌の解釈は、「天皇の民である私は生きている甲斐があることよ。天地が栄える時に生まれ合わせたと思うので。」という意味で、1943年(昭和18)に大政翼賛会により「国民の心を明るくのびのびとさせるような運動」として、国民皆唄運動が展開される中で、指定歌曲とされます。
 大政翼賛会は『海ゆかば』と並んで決戦下の国民が斉唱するにふさわしい国民歌を創ることとし、日本音楽文化協会と共催で、「愛国百人一首」の海太養岡麻呂作の「御民吾 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に 遇へらく念へば」の一首を選定して、作曲を募集することとしました。1943年(昭和18)2月20日締切で、国民の斉唱に適するピアノ伴奏つきの歌曲で、当選者一名に賞状および副賞として千円を出すとして応募します。
 その結果、山本芳樹の曲が採用されることになり、同年7月6日に発表されました。また、これにあわせた『皇民の舞(みたみのまい)』という、警視廳警察主事河田新吉が振り付けた体操も創作されます。
 この唱歌は、当時の国民学校(小学校)の教科書にも記載され、児童生徒が折節に唄わされました。
 参考までに、1943年4月刊行の軍歌集『楽譜 国民の歌』(大政翼賛会宣伝部選)に収載されている曲名の一覧を載せておきます。

〇軍歌集『楽譜 国民の歌』(大政翼賛会宣伝部選)1943年4月刊行の収載曲

・海ゆかば
・愛国行進曲
・大政翼賛の歌
・大詔奉戴日の歌
・靖国神社の歌
・産報青年隊歌
・大日本青少年団歌
・大日本婦人会会歌
・世紀の若人
・国民進軍歌
・少国民進軍歌
・軍艦行進曲
・敵は幾万
・来れや来れ
・雪の進軍
・太平洋行進曲
・興亜行進曲
・愛馬進軍歌
・この決意
・進め一億火の玉だ
・戦ひ抜かう大東亜戦
・必勝の歌
・アジヤの力
・アジヤの青雲
・大日本の歌
・大東亜決戦の歌
・大東亜戦争陸軍の歌
・大東亜戦争海軍の歌
・月月火水木金金
・英国東洋艦隊潰滅
・空の勇士
・燃ゆる大空
・荒鷲の歌
・空征く日本
・航空決死兵
・空襲なんぞ恐るべき
・露営の歌
・暁に祈る
・護れ太平洋
・南へ進む日の御旗
・南進男児の歌
・婦人従軍歌
・白百合
・忠霊塔の歌
・出征兵士を送る歌
・十億の進軍
・兵隊さんよ有難う
・さうだその意気
・めんこい仔馬
・進め少国民
・くろがねの力
・朝だ元気で
・今年の燕
・箱根千里
・胸を張つて
・愛国の花
・楽しい奉仕
・元気で皆勤
・子を頌ふ
・日本の母の歌
・有難うさん
・利鎌の光
・日本のあしおと
・僕等の団結
・村は土から
・朝
・椰子の実
・かどでの朝
・世界の果までも
・若い力
・われらをみなは
・日の出島
・娘田草船
・山は呼ぶ野は呼ぶ海は呼ぶ

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

723年(養老7)古事記』の編者太安万侶の命日(新暦8月11日)詳細
1858年(安政5)江戸幕府第13代将軍徳川家定の命日(新暦8月13日)詳細
1940年(昭和15)奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)が交布され、翌日施行される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ