
同年8月~翌年1月まで、岩波書店の雑誌『思潮』に6回連載され、1919年(大正8)5月23日に、岩波書店から単行本としての初版が出版されました。鋭い感受性により、建築、仏像などが芸術的、文化史的対象として扱われ、広く青年たちに愛読されます。
しかし、1923年(大正12)の関東大震災で版が焼け、翌年9月に新版が出されました。さらに、太平洋戦争後の1947年(昭和22)3月に、岩波書店から改訂版が出版されています。
以下に、和辻哲郎『古寺巡礼』改訂版序を掲載しておきましたので、ご参照下さい。
旧制姫路中学校(現在の兵庫県立姫路西高校)、第一高等学校を経て、1909年(明治42)に東京帝国大学文科大学哲学科へ入学します。在学中に谷崎潤一郎、小山内薫らと第2次「新思潮」の同人となり、1912年(明治45)に卒業後、同大学院へ進学しました。
『ニイチェ研究』 (1913年) 、『ゼエレン・キェルケゴオル』 (1915年) など実存主義者の研究を発表し、日本におけるその先駆者となります。1917年(大正6)に奈良を旅行し、古寺を巡り、その旅行記を『古寺巡礼』(1919年)として出版して、日本文化の探求へも進み、『日本古代文化』(1920年)、『日本精神史研究』(1926年)などを出しました。
また、東洋大学講師、法政大学教授を経て、1925年(大正14)には京都帝国大学助教授となり京都市左京区に転居します。1927年(昭和2)から翌年にかけて、ドイツ留学し、1931年(昭和6)には京都帝国大学教授となりました。
翌年、『原始仏教の実践哲学』で京都大学より文学博士号を取得、1934年(昭和9)には東京帝国大学文学部倫理学講座教授に就任し、東京市本郷区に転居します。その後、『風土』(1935年)、『孔子』(1938年)などを出版し、思想史・文化史的研究にすぐれた業績を上げました。
太平洋戦争後は、雑誌『世界』の創刊に関わり、1949年(昭和24)に大学を定年退官し、日本学士院会員となります。翌年日本倫理学会を創設し会長に就任(死去まで)、1951年(昭和26)に『鎖国』で読売文学賞、1953年(昭和28)に『日本倫理思想史』で毎日出版文化賞、1955年(昭和30)に文化勲章と数々の栄誉にも輝きました。
人と人との関係たる間柄の学としての独自の倫理学を築き、晩年は皇太子妃となる正田美智子のお妃教育の講師も務めたものの、1960年(昭和35)12月26日に、東京において、71歳で亡くなっています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 811年(弘仁2) | 武将・征夷大将軍坂上田村麻呂の命日(新暦6月17日) | 詳細 |
| 1663年(寛文3) | 江戸幕府が改訂した「武家諸法度」(寛文令)21ヶ条を発布する(新暦6月28日) | 詳細 |
| 1832年(天保3) | 蘭学者・政治家・外交官寺島宗則の誕生日(新暦6月21日) | 詳細 |
| 1948年(昭和23) | 憲法学者美濃部達吉の命日 | 詳細 |
| 1969年(昭和44) | ウィーンにおいて、「条約法に関するウィーン条約」が締結され.る(1980年1月27日発効) | 詳細 |
| 1981年(昭和56) | 編集者・児童文学者・評論家・翻訳家吉野源三郎の命日 | 詳細 |
